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トウト

精霊殿に駆け寄り、瞬時に身を翻して立ち止まる。暴虐の両手で地面を削るように駆けていた魔族の顔が一瞬躊躇の色を浮かべる。

人と手を組んでいる。だとすればこれが壊れる意味を知っているし、及ぼす影響も知っている。

今まで戦ってきた魔族ならば起こり得ない躊躇だ。その一瞬が、欲しかった。

鞄の中の火薬瓶と火霊瓶を手繰り寄せて両手に忍ばせる。


巨大な両手が振り上げられる。知ったことかということだ。

交差するように振り抜かれる双掌八爪。見えない爪が空間を裂く音が聞こえる。

精霊殿を背負ったミハルは、逃げず、逆に魔族に向かって駆け出した。

以前の魔王の爪・ガンソウ、そして今回。二度の交戦を経てようやく「魔王の爪」の仕組みが分かった。

あの攻撃はガルグやその父ギルゲンゲの練技と同じ、攻撃規模を大きくし、射程距離を伸ばしているだけだ。

それが四本も並べば逃げ場がないように見えるが、結局直線でしか飛んでこない。

だったら、姿が見えていれば、どこにどう飛んでくるのかを見極めることも可能だ。

魔族への恐れや初対面で繰り出された際の衝撃で見落としていたが、知ってしまえば単純な技でしかない。


見えない爪の軌道をすり抜け、魔族の懐に飛び込む。

堅いものが削り崩される音を背中で聞きながら、気付け用の口布を剥ぎ取って取り出した二種の瓶を包んでからかち割る。

見えない(とばり)が剥ぎ取られたように、一瞬にして霧が薄くなった。

見晴らしの良くなった視界の中で魔族と目が合う。両手を振り抜いたばかりの魔族は、不思議そうな顔を浮かべている。

逃げていたはずの獲物が噛み付いてくるとは思ってもいない、何故ミハルが近寄ってきたのか見当もついていないという顔だ。


「テメ」


何事かを喋ろうとした口に、口布で巻いた特製爆弾を突っ込んだ。

精霊殿が壊れれば精霊術陣が壊れてこの場を満たしていた精霊術が消える。火霊が活性化し、物を燃やせるようになる。相手の出方に任せた博打技だ。

ミハルの持っている素材で出せる最大火力の攻撃。これが通用しなければ、もう武器と呼べるものは残らない。

精霊の神に祈りながら身を屈める。計算通り、身を屈めた瞬間に魔族の頭が大爆発した。


降りしきる液体でミハルの頭が濡れる。髪を伝って垂れてくる闇夜から絞り出した泥のような液体は、いつか見た魔族の血と同じ。

異形の躰が衝撃に身を任せて倒れる。表情はもう分からない。顔の前半分が吹き飛んでしまっているからだ。


「やった、か?」


有利な地の利、重ねた戦闘経験、手元にあった装備、挑発に応じる性格、人と手を組んでいたという状況、一瞬の躊躇、そこからの不意打ち。全てがうまく繋がった。

身体から力が抜け、両手を地面についてなんとか体勢を保つ。

息が整わない。心臓が口から吐き出せてしまいそうだ。

これで倒せていなかったら―――


ぞわりと髪が揺れる。知るより先に感じる、消えない敵意の存在。

顔を上げる。死骸のはずだ。だが、色濃い敵意が湧き出すように垂れ流されている。


「ひとつ、覚えて死んでけ」


頭にかかった魔族の肉片が、うぞうぞと蠢いて、ある形を作り上げた。

人の形からかけ離れた、魔獣の如き掌だ。


「俺は単なる爪じゃねぇ。魔王の十指、トウト様ってんだ」


ぼこぼこと、出来上がった掌から身体が生えていく。

それだけではない。倒れていた方の身体が起き上がり、首の上を沸き立たせている。

次第に形作られていく、二人分の身体。

頭を吹き飛ばした魔族―――魔王の十指・トウトが立っていた。

魔王の十指。爪ではない。

見誤ったか。侮ったか。

いや、そんな単純な話ではなさそうだ。

何故なら、目の前のトウトたちから感じる戦闘能力は。


「なるほどぉ! なんかちょっと違うなって思ったら、爪じゃなくて指だったんですね!」


緊迫感とは不釣り合いな、ほわほわした声が響く。

驚愕の顔で振り向いたトウト(ミハルの頭に手をかけていた方だ)の首が飛ぶ。黒い血しぶきの向こうで、振り抜かれた大斧が煌めく。


「おら、もう一丁!!」


返す刃で斬り捨てられるもう一体のトウトもまた首が飛ぶ。

斧を振り抜いた頼もしき女傑は、緋色の髪を燃え盛る火炎のように輝かせながら笑っていた。


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