踏み外すべき道
夜半。
ミハルは一人、昼間に訪れたヒトガタ卸売場に訪れていた。
理由は当然、マルカを救い出すためだ。
「……また来たのかい。今日はもう店じまいって言ったじゃないか」
「ああ、どうしても頼みたいことがあって」
「言っとくが、新しい身分証の偽造は請け負えないよ。
一度にばかすか偽物を流したら、お上から目をつけられちまうからねぇ」
まず切り出される安易な救済策に対する拒否。理由は違えど、想定通りの流れだ。
「ああ。そうじゃないんだ。プレゼントが欲しくて」
「プレゼントぉ? ここは花屋じゃないよ」
「知ってる。ヒトガタを一体、送って欲しいんだ」
「ほぉ、お客さんかい」
ヒヒヒと高い声で老婆が笑う。命をすするような笑い声だった。
「昼間に俺が見ていたヒトガタを、ルセニアの町の宿屋まで送ってほしい。
道中の費用も出す。頼めるかな?」
「配達かい……まあ、ルセニアの方なら、通り道だが……
あそこじゃあ滅多なやり取りは出来んだろう。別の町じゃあ駄目なのかい?」
「宿屋の主人と顔見知りでね。一筆書いておくから、その手紙を付けて宿屋に放り込んでもらえばそれでいい」
「はあ、はあ、なるほどねえ」
老婆は枯れ枝のような指を顎に這わせ、黒いガラス玉のような瞳でこちらをじっと見つめてくる。
値踏みをしている、あるいは真意を探っているという様子だ。
「まぁ、値段次第ってところだねぇ」
「いくらだ?」
「そうさなぁ、ざっと……このくらいか」
サラサラと紙片に書き連ねられる金額。
商品代に手数料、隷従に必要な道具の代金、ルセニアまでの輸送料、餌代込の諸費用。
普通に生きていれば関わることのない金額が記されている。
足元を見ているわけではない。人一人の人生の価値を考えれば、安すぎる程だろう。
懐に忍ばせてきた金を思う。
いつかユイとの旅路の助けになればと今までの冒険中に貯めていたものに、団を抜ける際に渡されたもの。
そしてリウミまでの道中で狩った魔獣を売った際の分前に、調合した毒や薬などの売却でかき集めた金。全てを合わせて、それでもまだ額面には足りない。
大きく息を吸う。
ここから先は、良心を吐き捨てなければ超えられない道だ。
「高すぎる」
「何ィ?」
「あのヒトガタにこんな価値あるか? 半分でもまだ高いだろ」
「言うじゃないか、お客さん……
しかしね、見ての通りの若さに器量だ。性格に難があろうと道具があればなんとでも出来る」
「器量もなにも、手入れをしなきゃどうしようもない有様じゃないか。
それに、仕入れた人間になにをどんだけいじられてるかもわからんもんに、器量がどうと言われてもねえ」
こき下ろす。
「ヒヒヒ、容赦ないね。知り合いに似てんだろう? もっと大切にしてあげたらどうだい?」
「お婆さん、昼の様子を見てたかい。
俺に対してあんだけやる相手をどうして大切に出来るんだよ。
そうだ、思い出した。昼の件。危うく俺も、俺の仲間も大怪我するところだったろう。その分安くするのが道理じゃないか?」
こき下ろす。
「おいおい、ありゃあお客さんのお仲間さんのせいだろう。あたしも想定外さ。
それよりも、あれは相当な腕前の魔術師だね。その分を上乗せしないだけ優しいと思いな」
「知ってるかい、お婆さん。禿は魔術師になれないんだよ。魔術には髪が大きく関わるかららしい。
あんなヘンテコな髪型してるやつぁ、魔術が使えても半端で役に立たない。魔術師じゃなくて大道芸人って言うんだよ」
「大道芸人の炎で大怪我しかける馬鹿がいんのかい?」
「それとこれとは別だろうが」
これでもかとこき下ろす。少しでも安く身請けが出来るようこき下ろす。
いつもより口汚く力強い言葉をわざと選び、威圧的な態度で交渉に臨む。
ミハルに思いつけた唯一の策は、マルカの身請けと勇者特権による身分証の再取得だ。
先に語った身分証再取得の問題。これを覆せる数少ない人間、その一人が勇者だ。
魔王の直臣と呼ばれている魔族を倒し、かつ特殊な技能を収めることにより授けられる「勇者」の称号。
勇者には幾つかの権限が与えられ、その中の一つに「冒険者組合長との協議権」がある。
必要に応じて特例的な活動を行う必要のある「勇者」は、組合長と協議し、特例的な許諾を受けることが出来る。
事情に関する供述があり、勇者による身元保証があり、協議権を行使した上で掛け合えば、特例的な再取得も望める、はずだ。
特にユイは、これまでに三体の魔族を倒してきた実績のある「暁の勇者」。昼夜の最前線で戦う彼女が掛け合えば冒険者組合も悪いようには出来ない。
雷鳴義勇軍から三名の引き抜き。町人の強制避難。特殊装備の譲渡。かなりの無理難題を押し通した過去がある。身分証一つ、通せぬ道理はないはずだ。
そこに至るためにミハルが踏み外すべき道は、マルカをヒトガタとして買い上げることだ。
気位が高く、あれだけ自身の惨状を呪って救済を願っていたマルカを、一度ミハルのヒトガタに貶める。
それだけじゃない。金銭面で都合がつかなければマルカを買い叩くために彼女の惨状を侮辱し続ける必要まであった。
義理人情からの身請けだとばれれば老婆に足元を見られ値段交渉が行えない以上、あの場で説明はできない。それに、いくら道理を並べてもあのマルカを納得させることもできる気がしない。
だから、ミハルはあの場は去るしか出来なかった。呪われながら、恨まれながら、背を向けるしかできなかった。
「おいおい、老人をいじめないどくれよ。
これ以上安くしちゃ商売あがったりだ」
「……そうか。じゃあ後は、おまけをつけてくれれば引き下がるよ」
「おまけぇ? この上さらにとは、存外欲が深いねえ、お客さん」
こんな方法しか思い浮かばない。
それでも、思いついた以上は、やらずには居られない。
マルカとの間にいい思い出はないが、ミハルはそうせずには居られなかった。
だって、仲間だったのだから。
そんな方法でも、助けられるかもしれないのだから。
頭にチラつく別れの日の記憶が、感情を揺さぶる。
マルカを助けたいと願うこの感情の名は、義理と呼んでいいのだろうか。
今のミハルには、そんなことすら分からなかった。




