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懇願

○ミハル


泣き崩れるマルカ。

何があったかは語らない。だが、その有様だけで大まかなことは察せられた。


「婆ちゃん、こいつの知り合いっぽいのはまだ居るか?」

「さあね。仕入れちゃいないよ」

「ふーん。じゃあ最悪全滅か」


魔族が力を使えばミハルは察することが出来る。ならば現れたのは魔獣か魔物だ。

暁の勇者団は、過大評価でなく現在最強の冒険者団だ。その暁の勇者団が、魔獣や魔物相手に全滅だなんて、信じられなかった。


「売れる予定は?」

「さてねぇ。だが、これだけ見てくれが良ければ、いい値を付けても売れるだろうさ」


マルカがびくりと顔を跳ね上げ、そしてミハルを見上げる。その瞳に浮かんでいたのは、嘲笑でも憤慨でもない。


「ミハル、貴方……まさか、見捨てませんわよね……?

 (わたくし)は、ヒトガタじゃない……貴方ならそれくらい分かるでしょう……?」

「この世で一番大事なもんは身分証さ。このヒトガタの身分証は、この場にゃありはしない。それ以外の答えがあるかい、坊や」


希望を丁寧に潰すように老婆が言い切る。

悪法もまた法。逆らって連れ出すことも出来るだろうが、そうなれば悪人はミハル一行だ。

ミハル一人ならともかく、ガルグやムーシャが罪人となることを度外視して行動は出来ない。


胸元の暁の紋章を覗き見る。方法が無いわけではない。

だが、それには相応の準備と手はずが必要だ。


「マルカ、ごめん。また後で来るから」

「……な、なにを……ミハル! 考え直しなさい!! こんなの、誰も喜ばないでしょう!?

 ユイ様、ユイ様がお前を探しているのよ!! (わたくし)を見捨ててなんて説明するつもり!?

 私を助けなさい!! それが貴方のためなの!! 早く!!」


去ろうとしたのを見捨てられると思ったようで、マルカが大きな声で騒ぎ出す。

だが、この場ではどうしようもない。この場で話を進めれば、マルカの無事が確約できない。


「大丈夫、大丈夫だから。きっとなんとかするから、ちょっとの間―――」

「ちょっとですって!? 貴方、貴方がここから居なくなったら、誰が(わたくし)を助けるのよ!?

 今助けなさい! そこのばばあをなんとかすれば済む話でしょう! 早くなさい、この愚図!!」


言い切った後に続く沈黙に、彼女はハッと表情を固くした。

この場において、暴言を吐くという行為がどういう意味を持つのか、遅ればせながら思い至ったという様子だ。

空気が冷めていく。放ってしまった言葉はもうなかったことには出来ない。


「帰ろうや。よく喋るヒトガタだが、トンチキな鳴き声ずっと聞いてる暇ぁねえわ。

 じゃあ婆さん、身分証頼んだな」


ガルグがミハルの肩を抱き、そのまま檻に背を向けさせる。身に纏う雰囲気は、リウミに踏み込む時よりも数段鋭く尖っているように感じられた。

ミハル自身はマルカから高慢な態度で指示を飛ばされるのにもう慣れてしまっているが、ガルグにとってそれは見過ごせるものではなかったのだ。

ミハルは顔だけ振り返りマルカに言葉を残そうとする。だが、マルカが瞳に湛えた絶望の深さに、なんと言えばいいか、言葉がとっさには浮かばなかった。


「お願いします……」


ぽつりと一言。マルカは頭を地に着け、ただ、懇願した。


「助けて、くださいまし……(わたくし)は、もう、一人なんです…… 

 ユイ様もニイル様も行方が分からず、サバラも死んで、他の方々も……

 このまま、ヒトガタになんか、なりたくない……

 お願いします、お願いします……これまでのことは、全て謝ります……心を入れ替えます……貴方に尽くします……だから、どうか……」


痛々しい姿だった。直視できなかった。


「おぉ、おぉ、よう鳴くねぇ。

 でもまぁ、単なる鳴き声だ。可哀想に思って檻から出したりしたら、すぐに噛み付いてくるよ」


老婆が笑う。違いねえやとガルグが笑う。

地にこすりつけられたままの頭が震えている。

何を思うのか。いっそ、全てをこの場で話すか。だが、それでは……


「行くぞ、ミハル、ムーシャ」


迷うミハルの腕をガルグが掴み、引く。瞬間、ぞわりと悪寒が背中を走った。

その悪寒の理由、発生源。檻の近くで「ヒトガタ」を興味深げに眺め、声に従いガルグの方を向いたムーシャ。そのすぐ向こうで伏せた頭。

咄嗟にガルグの手を振り払って駆け出し、ムーシャの体を抱いて横へ飛ぶ。


同時に放たれたのは、熱風と間違ってしまうくらいの小さな小さな火球だった。伏せていたマルカがムーシャの抱いていた杖の先を握って、そこから無理くり魔術を放ったのだ。

全盛期のマルカからすれば、吐息のような、弱々しい火球。だが、その火球に篭められた怨嗟の念は計り知れない。

怨嗟と憎悪を篭め、叫びながら、弱々しい火球を撃ち散らす。


「殺す、殺してやる!! お前のせいだ!! (わたくし)を返せ!! 私の全てを返せ!!

 呪ってやる、殺してやる!! こっちに来い! 私の元まで来い!! 逃げるな、ここで死ね!!

 お前だけは、私の手で、焼いて、裂いて、砕いて、爆ぜ殺してやる!!!」


チリン―――と、鈴が鳴った。

瞬間、マルカの動きが止まり、握りしめていた杖が地面に倒れる。乾いた音に続き、どさりという体の倒れる音が響く。


「悪いねえ、お客さん。怪我はないかい?」


鈴を鳴らした老婆が、杖を蹴って滑らせる。杖を拾い上げたムーシャは、ミハルに抱かれたまま大きく息を吐いた。


「ありがとうございます、ミハルさん。おかげで私、美味しい丸焼きにならずに済みました」


軽口なのか本気なのかもわからない言葉を聞きながら、倒れ伏したマルカを見つめる。

マルカは、体を襲った鈴の音に抗うように顔だけをミハルに向け。


「絶対に、絶対に、お前だけは、絶対に……!!!」


最後までミハルを呪いながら、眠りについた。

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