青空に秘密を並べて
ミカド城の風呂は、湯の溜まった池と表現する方が相応しい巨大さだった。
風呂に目がないガルグは迷わず飛び込み、彼女を追ってムーシャも飛び込み。
せっかくだからとユイも飛び込み。
三人が飛び込んでなお見渡す程の余裕が残る広さと深さ。
さすが、領主ともなればいい風呂にはいっているものだ。
風呂場の湯に三人並んで身を沈め、しばらく揺蕩う。
髪にまとわりついた泥も、衣服から絞れるほどにかいていた汗も、傷口から滲んでいた血も、すべてが溶けて、消えていく。
すべてが、終わった。
風呂の中で、ユイはようやく、そう感じることができた。
「で、何話すんです?」
湯に体を預けてぷかぷかと漂っていたムーシャが、ぼんやりと口にする。
いくら同性しか居ないとはいえ、いくらミカド城の湯船がそうしてなお余りあるほど広いとはいえ。
体のすべてを曝け出したその姿は、ちょっと目のやり場に困る。
「あー……じゃあ、オレの奥の手についてでも、話すか」
ぼんやりと口を開いたのはガルグだったが、ぼんやりと口にするには過ぎた話題に触れようとしていた。
「……ずっと考えてた。どうすれば、ゼットのジジイやユイ、魔族やら魔王やらに勝てるかって。
で、思いついた。邪悪、善良、練技、欲望……全部まるっと願いの力だって言うんなら、『相手の願いなんか聞かなきゃいい』って。
『無頼の心臓』。テメェらの願いなんかオレが聞く必要ないっていう世界一の思い上がり、究極の自分勝手。オレの世界の中心はオレだって言い聞かせる、ただそれだけの練技だ」
ギランの未来予知をすり抜け、ギランが邪悪で練り上げた羽を消し飛ばした練技。『無頼の心臓』。
かつて、ゼットをして「究極の不意打ち」と言わしめた練技。
他者の願いの否定。それこそが、ガルグの奥の手だった。
誰にも依らないガルグだからこそ、願いの力を紐解いたガルグだからこそたどり着けた、世界で唯一の、どんな戦況でも自由に戦うための練技といえる。
「ま、思い上がるのにも冷静になるのにも時間がかかるのと、思い上がっちまったらもちもちの回復や補助すら聞く耳持てなくなるのが難点だがな。
ギランのやつには気づかれてたし、ユイもなんとなく分かってただろ」
「だから、ギランに……最後の不意打ちが当てられたの?」
ギラン討伐につながる一撃。羽をもぎ取る力技を思い出す。
未来予知にて不意打ちを察し、ガルグが未来予知をすり抜けていると察すると全ての瞳で行動を予測していたギランが、それでも見落とし驚愕していたガルグの不意打ち。
ガルグの語る「無頼の心臓」が、ギランの観察眼すらすり抜けた、ということだろうか。
ユイの問いに、ガルグが頬を掻く。
「あー、あれか。あれはだな」
「それについては拙者が説明するでござるよ」
一声。
やおら水面が盛り上がり、湯泉の中から飛び出すのは見慣れた黒い顔布。
声と顔からわかる。間違いなくランドリューだ。しかも顔布以外は全裸のランドリューだ。
突然の登場に目を剥く。なにが、とか、どう、とか、思考すら追いつかない。
普通は、話があったとしても場所を改める。だってこの場は風呂の中で、裸の女が三人もいるのだから。
「女の風呂に忍び込むたあ、拾った命を捨てたいらしいな、クソ忍者」
「あー、そういうつもりはまったくないでござるよ。拙者、男じゃない故。まあ、かといって女でもねえんでござるがな。
昔どっちだったかも知らんでござるが、どっちだろうと御方々に特別な情はござらんよ」
からから笑うランドリュー。言われて見つめた彼の体には、男女の区別のつく凹凸がまったくない。
まるで、切り落として皮膚を貼り付け直したように、股間も、胸部も、まるで土人形みたいに平坦なものだった。
いや、よく見れば、股間や胸部周りの皮膚に色の分かれ目や継ぎ目が見える。実際に切り落として皮膚を貼り付け直しているのだ。
「確か、前に言ったでござるよな。忍者には見分け方があるって。
忍者は男でも女でもない存在でござる。完璧に変装を行うために、自我が目覚めるより早く性別を奪われるんでござるよ。
だから、相手が忍者かどうかを知りたければ、相手の衣服を剥ぎ取ればいいんでござるよ」
かなりえげつないことを、さらっと口にする。忍者という存在の闇の深さが伺える。
流石のガルグも閉口している。ムーシャはぷかぷか揺蕩いながら「それは大変ですねえ」と聞いているのかどうかすら怪しい相槌を打っていた。
やれやれというように、ランドリューもまた湯船に浸かり、体を伸ばす。
男にしては線が細く、女にしては骨の太い、歪な体が三人と同じ空間に放たれる。
忍者の秘密を白日に晒し、秘密を晒すことを誰にも咎められない自由を身に染み込ませるように、湯を掻きながら言葉を続ける。
「で、最後の不意打ちでござるが……ありゃあ、ギランが拙者を見くびったんでござるよ。
あの瞬間まで拙者が一体しか分身を出していなかったから、『一体しか分身を作れない』と勘違いしてたみたいでござるからな。
予知の効かないガルグ殿をミカド忍法で地面に隠し、拙者の分身をガルグ殿代わりにして目を欺いた。ドンピシャハマった、一回こっきりの戦術でござるぜぇ」
つまり、ランドリュー、分身、ガルグと見せかけていたのがいつのまにかランドリュー、分身、分身に変わっていた。
「無頼の心臓」で予知をすり抜け、ランドリューの分身で観察眼も掻い潜り、ガルグを見失ったギランが不意打ちを受けた。そういうことらしい。
「ヒヤヒヤでござった。拙者が三体分身を作れるとバレてたら拙者もガルグ殿も終わりでござったしな。
未来予知がそこまでたどり着いていなかった、最後の最後での僥倖でござったよなあ」
ランドリューが二体目の分身を見せる未来が見られる可能性はあった。
だが、きっとユイがそれをまとめて斬り捨てていた。確かに、僥倖だ。
重ねて考えれば、ギランが未来予知にかまけてこちらを甘く見ていた。その一点につけ込んだ。
ガルグが「無頼の心臓」を、ランドリューが「二体目の分身」を、ユイが「空間と未来予知を切り捨てる斬撃」を。
全てを知った気でいたギランが知らなかった、それぞれの奥の手をそれぞれが繋げて勝機をもぎ取り。
そして。
「ムーシャ」
「はい~?」
「ムーシャが見せてくれた、あの力は……」
「あれ、さっき言いませんでしたっけ? フィリアさんがくれた『最善良』の力ですよ。
詠唱は、育ててくれた神父様に教わったんです。『いつか、誰かを救うために使いなさい』って」
ムーシャに人間として生きる道を与えた勇者フィリアの「最善良」。「陽光の勇者」の強く暖かい願い。
死力を振り絞ったその瞬間に聞こえた言葉。
「この子にも、いつか優しい光に包まれる未来が、ありますように」。
願いを受け、健やかに育ち、ついには闇を切り裂く光を放ったムーシャ・モーシャという人間。
勇者フィリアの願いは、花開き、実を成した。
ムーシャという人間と、ムーシャの運んできたフィリアの願いが、「魔王の瞳」ギラン・ミルジットを倒した。
「……フィリアさん」
ムーシャが、小さな声でぽつりと呟いた。
湯気の向こうの青空にほろほろと溶けてしまうような、柔らかい声で、続ける。
「私が……ムーシャ・モーシャがこんな立派な人間になったって分かったら、フィリアさん、感動して泣いちゃうかもしれませんねぇ」
空を見上げ、微笑む。
ムーシャの微笑みが、最後の一撃の瞬間に見えた笑顔と重なった。
ユイはフィリアに会ったことはない。だが、これだけは断言できた。
「きっと、笑ってるよ」
「……そっか。それもありえますねえ」
ムーシャが笑い、ユイも笑う。
「ヨミ倒して、ギラン倒して、戦果だけなら歴代勇者以上だからな。
あの世で自慢してんじゃねえか?」
「ふふふ、自慢の娘ですよ」
「なんでいきなり娘になるんでござるか?」
「実際娘ですからねぇ。私の身分証ってフィリアさんが勇者特権で用意してくれたものなんですけど、身寄りがないからフィリアさんの娘ってことで登録してありますし」
「……歳の話時も思ったが、オマエ案外オレに話してねぇことあるよな」
「別に話す必要もないかなって」
「ムーシャの場合、本当に心の底からそう思ってそうだよね」
決死線を抜け、今はただ、他愛もない会話が続いていく。
次は年末年始です。




