余韻の中で
○ユイ
振り抜いた剣の軌道に従い、闇が切り裂かれどこかへ散っていく。暗雲が消えた空には、目が眩むほどの美しい青が広がっている。
世界が歪んでしまうほどの変貌に一瞬視界がちらつき、そして一瞬ののちにようやく心が受け止めた。
光が戻った。
昼が戻った。
明々と照らしあげられる崩れた世界は、今この瞬間まで行われていた戦闘の凄まじさと、その戦闘の決着を物語っている。
じりじりと肌を刺す日の熱すら心地いい。
ユイは戻ってこれたのだ、あの決死戦から、再び日の差す世界へと。
「か、った」
呟いたのは、ランドリューだった。
彼が先ほどまで抑え込んでいた存在は、「魔王の瞳」ギラン・ミルジットは、既に消え去っていた。
ギランが居た事を表すのは、地面に転がる小さな小さな眼球のみ。今までの魔族との交戦の記憶を辿るに、あれはギランの核のような部分だろう。
一歩を踏み出す。不快な脱力は消えていた。ギランを倒したことで、彼の放っていた邪悪が消えたのだろう。最善良の力は振り絞りきってもう一滴すら出ないが、単なる体力だけでいえばまだまだ動き回れる自信がある。
「……ぷはぁ! いやぁー、勝てましたねぇ!」
ムーシャの声を聞きながら数歩踏み出し、地に転がる眼球と、ギランの使っていた杖を拾う。
そして、拾った杖をムーシャに渡した。
「ムーシャ……疲れてるところ悪いけど、もう一仕事、頼めるかな?」
「へ? えー……祝勝会の準備を?」
「回復を……」
「ああ、はいはい! 回復ですね!
そうですよね、まだちょっと祝勝会には早かったですね! さあて、『宵ノ口』もあることですし、ぱぱーっとやっちゃいますか!」
ムーシャがその特異な欲望術を用いるには彼女の腹具合が大きく関わってくる。戦闘の末の空腹についてを懸念したが、ムーシャは杖をぶんぶん振りながら胸を張ってこう口にした。
「宵ノ口がここにあって助かりましたね。
私の力に、『宵ノ口』の補助に、あとついでにフィリアさんの力も借りて……私、やたらめったら役に立っちゃいますよぉ?」
ムーシャが杖を振るえば、それに従い風がうねり、渦を巻く。青白いマナの流れが目に見えるほどの濃度で練り上げられて世界を満たしていく。
今までのムーシャの欲望術とは異なる力の流れ。だが、その力は決して不快なものではなく、まるで周囲のすべてを抱くように辺り一帯を包み込んだ。
「さあて、皆さん! 元気に、なあれー!!」
いつも通りの掛け声で放たれる術。風に舞うように天に登り、その後に陽光に混じるように空から降り注ぐ優しい力。
マナの慈雨とも呼ぶべき術が周囲を満たせば。
「ぶ、っはァッ!! は、はぁっ!! おー、痛ぇ!! どうなった!? やったか!?」
「やりましたよー」
ギランの攻撃で吹き飛ばされていたガルグがまず目を覚まし。その後には横たわっていた忍者たちがぞろぞろと体を起こし始める。
四肢のいずれかを失った者も居た。人体の描く影に歪な凹みを残す者も居た。その場で起き上がれぬ者も居た。
だが、目を覚ました忍者たちは一様に、崩れた城と晴れた空を見上げ、嗚咽を漏らし。
彼らの心を代弁するように、ランドリューが口にした。
「いつも見上げていた青空のはずなのに、いやはやどうして、今日は一段と……泣けちゃうくらいに眩しい青空でござるなぁ」
影に潜み、闇に蔓延り、ミカドの青空を嘲っていた魔王の瞳が消え。
満身創痍が寄り添って、笑いながら泣いている。
これ以上ない、勝利の証だった。
☆
勝利の余韻冷めやらぬミカド城跡地にて、ユイ達三人は城に残っていた食料で魔王の瞳討伐のささやかな祝賀会を開いていた、
ランドリュー率いる元ミカド忍者達はというと、ミカド城下町の住民たちへの情報操作に暗躍している。
忍者達以外にとって、ミカド城はミカド発展の軌跡の象徴であり、ギランはミカド発展の立役者たる御館様。城が壊され領主が討たれたと知れば混乱は免れない。
ユイが御館様を討ったという事実は王国領民によるミカド領への侵犯と取られるかもしれないし、誤解を解くためにギランが魔王の瞳だったと打ち明ければそれこそ混乱の坩堝と化す。
忍者達は「地脈に宿る理力の暴走により、局所的な天変地異が起こった」と触れ回ってくれるらしい。
ランドリューはいつものように薄っぺらく笑って「恩人でござるしな。お方々が休む時間くらいは稼ぐでござる。それ以降は知らんでござるがな」と語っていた。
「ふぃー、満腹ぅー!!」
崩れた城のど真ん中で、ムーシャがごろんと横になる。
丸出しのお腹はいつもより膨れ、彼女の満足感を表すみたいにまんまるだ。
「……なぁ、ムーシャよぅ」
「はい?」
「オマエ、なんで口が増えてんだ?」
ムーシャの食事が一段落したのを見計らい、ガルグが尋ねる。
ユイも気になるところではあった。普通の人のへその位置にある大きなの他に、左腋から脇腹にかけて口が一つ増えているのだ。
ムーシャ本人は気にした様子もなく食事を続けており(しかも、増えたばかりの脇腹も駆使して)、聞き出す機会を失っていた。
「ああ、これですか。うーん……たぶん、フィリアさんの力を使ったせいでしょうねぇ」
フィリアさん。おそらく、数代前の勇者である「陽光の勇者フィリア」のことだろう。
かつて「魔王の杖バリー・ボリー」と戦い、辛くも勝利を収め、その後に魔王によって殺されたと聞いている。
ムーシャがその「魔王の杖」だったというならば、因縁浅からぬ、という言葉が似合う関係だ。
「フィリアさんからもらった『最善良』を使っちゃったから、昔の姿に近づいちゃったのかもしれませんねぇ」
ムーシャの顔を見る。彼女にしては珍しく、惜別の念に浸るように遠くを眺めるように笑っていた。
「それ、増えるとどうなるんだ」
「ご飯がいつもの倍の速度で食べられますねえ!」
「無駄口じゃねえか」
「ふっふっふ、私は幸せなので無駄じゃないんですねぇ、これが!!」
ガルグとムーシャの会話は変わりない。爪が伸びたくらいの気軽さで、ただ口が一つ増えただけというように言葉をかわす。
ガルグのことだ。きっとムーシャが大事と捉えていないことを察して、そんなに焦るべき変化ではないと感じ取っているのだろう。
軽口を叩きあい、その後で、どちらともなく一息ついて。
「風呂だな」
「ですねぇ」
ガルグとムーシャ、二人が揃って立ち上がり歩き出した。その動きに淀みはない。
「……そうなの?」
「色々、聞きてえことも話しとかなきゃならんこともあるけど……あの忍者が言うとおりならそうのんびりもできないらしいからな。
だったら風呂だ。風呂で全部済ませれば、その分ちゃっちゃと済む」
「お風呂に入って、ご飯を食べて、ゆっくり寝て、ご飯を食べて。
休み時は休む! これぞ人間の幸せですね!! ささ、ユイさんも!」
ユイも手を引かれ立ち上がる。そしてそのまま、流されるように二人に導かれ風呂場へ向かうのだった。




