歩き出す理由
緊張も、剣呑も、一触即発も、すべてをまるっと飲み込んで。
ムーシャは朗らかな表情を崩さずに、おかわりのオーダーを通してこちらに向き直った。
「……聞き間違いじゃないと思うが……魔王の剣っつったか、今」
ユイと同じく面食らっていたガルグが、あえてもう一度問い直す。
信じられないのはユイも一緒だ。だが、あれだけはっきりと言われたのならば。そこにムーシャの出自が重なるのならば、それはきっと、事実なのだろう。
「『魔王の剣』ゼットさんです」
「魔王の剣、っていうと……」
「まあ、はい。魔族ですねえ」
「オレの記憶が間違ってなければ、確か剣は魔族の中じゃ一等強い奴じゃなかったか?」
「そうですねぇ。一対一なら魔王様の次に強いと思いますよ」
魔王側で魔王に次ぐ実力を持つもの。
彼に会いに行こうというムーシャの真意は、ふくよかな笑顔に隠されてまだまだ底が見えない。
実際の戦いで経験を積めば強くなれる、とでも言いたいのだろうか。
「おいムーシャ、ミハルがどうだユイがどうだってときになんでいきなり魔族に喧嘩売りに行くっつー話になるんだよ」
「というより、仮にこの三人で魔族に挑んだところで……」
先程までの張り詰めた空気などどこへやら、ユイとガルグの静止のやりとりが申し合わせたように見事に繋がり、思わず顔を見合わせる。
言葉こそ交わさないが、言葉以上の何かが少しだけ分かち合えた。そんな気がした。
交わした視線の意味など特に気にせず、届いた魔獣焼きを口(上)で食べやすいサイズに切り分けながらムーシャは続ける。
「……お二人とも、私の話ちゃんと聞いてましたかぁ?
やれやれ、血の気が多いのも困りものですねぇ。私、ちゃんと言いましたよ? 会いに行くって」
「でも相手は魔族なんだろ?」
「人間が、しかも勇者が魔族の下に赴いて、戦う以外に何を―――」
「……あー、はいはい。そういうことですね。
お二人、まだまだ魔族の事がわかってませんねえ。よろしい、私がゼットさんについてをお話しましょう!」
エヘンオホンと咳払い。
手元にあったフォークで肉を刺し、身を乗り出して、小さな声でこうささやく。
「ゼットさんはですね、いわゆる修行の虜なんです」
「は?」
「へ?」
今度は声まで重なった。それほどまでに、よくわからない一言だった。
「何百年も一人で修行を続けてて、闇を広げるより修行をする方が好きなんだそうですよ。
聞いたところによると、そもそも人間と戦ったこと自体少なくて、魔王様以外の魔族が全滅しないと動き出さないとかなんとか。
昔は時々弟子も取ってたって聞きましたねえ。『教えることも修行のうちよ』なんて話してましたし」
魔族の実質的最上位、魔王に次ぐ実力を持つもの。先程ずばりとそう説明された魔王の剣の新たな情報が、『修行ばかりで戦いに出ない』というものになろうとは。
信じられない情報の羅列に耳を疑い、思わず問うてしまう。
「誰からそんな話を?」
「誰って……ゼットさんからですけど」
まさかの本人情報だった。
ムーシャの元魔族という出自を考えれば、これほどにぶっちぎりで信頼できる情報源はない。
「うーん、そういえば、ゼットさんのところに行く時にギランさんもそういう話をしてましたか。
ギランさん的にはゼットさんのそういうところがちょっと気に食わないっぽかったですねえ」
「待て、勝手に情報を増やすな。わからなくなる」
「ギランさんですか? 『魔王の瞳』のギランさんです。昔私が一人で世界を歩き回ってた時にお世話になったことがあって」
「ええと、ムーシャ、『魔王の剣』のことが聞きたいんだけど」
「おぉっとぉ、そうでしたね。
ええと……ああ、そう。ゼットさんが修行の虜って話でしたね。
まあ、実際に、ゼットさんは昼空の下で今日も修行に励んでると思うんですよ。だから、たぶん『一緒に修行しよう!』って誘ったらイチコロですよ!」
グッと親指を立てて、ぱちりと片目を閉じてみせる。
どれもこれも信じられない話ばかりだったが、自信に満ちたその表情だけは嘘偽りない本物に違いなかった。
「このへんの地図ってお持ちですか?」
「あ、ああ、うん……」
「どうもどうも。ええと、あの時は確か……この辺でしたね」
地図を食卓の端に置き、ついついと指で道をなぞったあとで、ぽんと一箇所を丸くなぞる。
場所でいえば、ミカラ村(『魔王の牙』ガジルの根城近く、ミハルと暁の勇者団が別れた村だ)とズレイゴス村(レジィの出身地だ)のちょうど真ん中あたり。
先日までは闇の中、ガジル討伐以後は昼の光に満たされているはずの場所だ。
本当にこんなところに『魔王の剣』が居るのか。
だが、少し足を伸ばせば昼夜の最前線に着くという立地も、ルセニアから遠すぎないという距離も、一旦の目的地としては最適に思える。
それに、ムーシャの言葉を底の底から信頼し、その信頼のとおりにゼットがこちらと敵対せずになおかつ修行をつけてくれるような修行好きならば。
ミハルを探すという『ユイ』の目的も、強さを求める『勇者』の使命も、同時に満たすことができる。
「ガルグさん、魔族見るのとか好きでしょ?」
「ん、まあ……まあ、そうなんだけどよ」
「ユイさんは強くなりたい」
「あ、ああ……うん……」
「じゃあここでしょ! 逆にここ以外あります?」
だが、どれだけ魅力的でも、二つ返事は出来ない。
この道を選ぶのに必要なのは、闇に身を投じる以上の無謀さだ。
もし、ムーシャの語るゼット像に少しでも狂いがあれば、ユイは『魔王の剣』の前に未熟な状態で身を晒すことになる。
進むか。進めるか。
「……さっきも言ったが」
口を開いたのはガルグだ。
声を受け、顔を上げると、とても真剣な面持ちでユイの方を見つめていた。
「ムーシャは案外信用できる。ヨミについてはそのものずばり。魔王についても、今のところはコイツの言った通りの奴だったってことになる。
だからオレは、ムーシャと一緒にちょっくら『魔王の剣』を見に行く。そのつもりだ」
照れながら笑みを浮かべるムーシャと、曇り一つ無い顔のガルグ。
二人の間にあるのは、輝くような信頼だった。
ガルグはムーシャとの旅の中で、彼女という人物についてを知り、彼女の言葉に命を委ねられると考えているのだろうか。
ユイには二人との旅は経ていない。ガルグの踏み出せる一歩が、ユイだけでは踏み出せない。
だから、考えた。
もし。
もしこの場にミハルが居れば、なんと答えるだろうか。
少しだけ、彼のことを考えてみた。
ガルグとムーシャと共に過ごしたミハルなら、ムーシャの言葉をどう受け取るだろうか。
そう考えたら、答えは自然と決まった。
「ガルグ、ムーシャ、もしよければだけど……私も、同行させてはもらえないか?
私も、その……『魔王の剣』に、興味がある」
ムーシャは屈託なく笑い、ガルグは……あれだけいがみ合う形になっていたガルグも、少しだけ笑っていたように見えた。
ユイは、信じることにした。
ムーシャとガルグを、ミハルが信じて共に旅をした二人を。




