コマチの拳
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最初に手にかけたのは父だった。そこそこ大きな拳法道場の師範だった。
父のことは嫌いではなかった。幼くして母を失ったコマチにとっての唯一の肉親だったし、拳の基本を教えてくれたのは父だったから。
十三歳になる頃に、寝ているところを闇討ちしてきた者が居たので叩きのめした。それが父だった。
襲ってきた理由を尋ねると父は「お前を生かしておけば大禍に繋がる」と言っていた。よく意味が分からなかったがコマチを殺す気を捨てるつもりがなさそうなので、自分の身を守るために殺した。
それが始まりだった。
父を慕う村長が、私兵を上げて敵討ちに来た。相手が殺すつもりで来たので返り討ちにしてやった。
父を殺す時ほど心は揺れず、ただひたすらに叫びながら襲い来る相手を叩き潰し続け、「いつかお前は地獄に落ちるぞ」と叫んだ村長の首を片手でへし折った。
村長を殺した後に残った者たちも皆殺しにした。命を狙われるのはこりごりなので、後顧の憂いを断つのは当然だろう。
命乞いや罵倒など口々に様々な言葉を吐いていた弱い男たちだったが、最後は一様に悲鳴とか弱い吐息を残して死んでいった。
数が多いので面倒だったが、最後の方はコマチも楽しくなってしまい、一生懸命生き残りを探し出し、きちんと悲鳴を絞り出してやった。
初恋の相手が居た。ミカド領内で当時無敵の大将軍と呼ばれていた男だった。
見目はほどほどだったが、身に纏った筋肉の鎧は、ひと目でその強さを感じ取らせる偉丈夫だった。
暴れ散らしたコマチの腕を買って声をかけて来たのも彼だった。どういう話で繋がったのか、コマチのことを在野の義侠だと思っていたらしかった。
父よりも強く、父と同じくらい優しく、父とは違ってコマチの命を狙って来ない。惹かれるのはたぶん自然な成り行きだった。
でも、殺してしまった。
手合わせのときに「本気で来い」と言われた。だから本気を出し、手加減を誤って殺してしまった。
大将軍の突撃を受けて返した拳一閃、腹に撒いていた軟鉄製のサラシごと身体を貫いて、殺してしまった。
かすかに感じていた胸の高鳴りが消えてしまった時、「残念だ」と感じたのは、初恋を悔やんでか。あるいは、村での虐殺の楽しさを惜しんでか。
大将軍を殺したコマチは、同じ時期に村での事実が明るみになったことでいくつかの罪に問われ、死刑が宣告された。
死にたくないので、今度はミカドの軍隊を潰すことにした。命知らずも命が惜しいものも、コマチの命を狙ったものは等しく殺した。惨たらしく殺した。
時々ちょっとだけ強いやつが居た。自信満々で戦いを挑んできて、打たれ、のめされ、強い自分が死ぬという事実に素敵な悲鳴を上げて死んでくれた。
戦いの高揚だけではない感情を確信したのは、その時だ。
手を血で濡らしながら知った、コマチ自身に関する二つのこと。
コマチは強い。ろくに修行をしなくなった現状ですら拳一つで国を崩せるほどに強い。
コマチは他人の悲鳴を聞くのが大好き。強い人間の心をへし折った時の悲鳴ほど、聞けば心が踊るものはない。
単身で魔族を殺したことが数度ある。特別面白くなかった。
確かに魔族は自信に満ちているが、痛覚が薄いのかどれだけ痛めつけても心が折れることはなく、どんな苦境でも人間を見下している。
最後はコマチの方が根負けして、悲鳴を聞かずに殺した。それが数度。
闇から闇へ渡る中で、人間にも強いやつが生まれたと聞き、会いに行った。
勇者とその仲間たち。今、世界で一番強い人間の集まり。
その場で襲わなかったのは、勇者ユイを見たからだ。
彼女はまだ強くなる。どうせなら、人類最強をへし折って見たかった。
コマチにとって『暁の勇者団』とは、いつか心の飢えを満たしてくれる餌の集まり。その程度。
ユイが一時団を離れると言った際、『あいつ』の提案に乗って魔物の襲撃を見逃し、人攫いに加担し、ゴーシャにてニイルで遊びながら勇者ユイを待つ道を選んだ。
だって、そっちの方が、コマチは幸せなのだし。
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自慢の拳が当たらない。当たったところで意味がない。
コマチが生きてきた中で、真正面に立ち続ける相手の存在は、生まれてはじめてだった。
父も、大将軍も、ミカド軍も、魔族も、全てが叩けば折れる棒だった。
だが、今回の棒は。
「『随分躍起になって動き回るな、ヒトのメス。
そんなに踊るのが好きなら手拍子くらいは打ってやるぞ』」
周囲の闇が隆起する。まるで魔獣の振る尻尾や触腕のようだ。
コマチを狙って襲いかかってくる。それがどうした。全てを迎撃しながらバルテロへの攻撃を続ける。
撃ち出した拳の分だけ闇が散り、蹴り上げた脚の分だけ影が裂け。しかしその奥に控える漆黒の人型へは届かず。
そして拳と脚が散らし裂いたものよりもさらに多くの闇と影がコマチを取り囲む。
「舐めるなよ、棒きれ風情が……ッ!!」
「『舐めるものか。我の足元にも及ばぬか弱い生き物を舐めるものかよ』」
荒ぶるコマチを前にして、侮蔑すらにじませる言葉を吐いた存在は、初めてだ。
胸が高鳴る。心が躍る。拳と脚があれを叩き壊し踏み躙れと震える。
届かない。
まだ、届かない。
届かない、なら、まだ行こう。
身体の出力を上げろ。動きをもっと鋭く研ぎ上げろ。
全力で。
そうだ、初恋を殺して以来日の目を見ることのなかった全力で。
叩き、殴り、打ち、撃ち、薙ぎ、払い、蹴り、砕き、踏み、折り。
まだ強く。まだ強く。まだ、まだ、まだ、まだ!!
「折れろ、折れろ、折れろおおおぉぉぉォォォ―――――――ッ!!!」
刻まれていくのは、およそ人が肉体をもって鳴らせる範疇を超えた音。
そんな音すら置き去りにするほどの連撃を、バルテロは軽い体捌きと身に纏った闇の補助でいなしていく。
不思議な感触。闇色の胴体を叩いたはずの肉体がぶれてとろりと溶ける。本体はそこに居るはずなのに、拳は不自然にすり抜けていく。
当たらない。まだ当たらない。
当たればどうだ。当たれば倒れるか。これほどの奴なら耐えきるかもしれない。何発持ちこたえる。何発本気を撃ち込める。何発コマチの本気を受け止めてくれる。
肥大していくバルテロへの感情が、コマチの心音に合わせて沸騰するように燃え上がり。
いつの間にやら距離を取り、取った距離を詰めるように悠然とコマチに向けて歩き出すバルテロを視界に捉えると、自然とその構えを取らせた。
「『崩拳』……ッ!!」
覇級迎撃術・崩拳。
相手の放つ攻撃の勢い全てを自分の攻撃力に転換、練技の補助と共に拳に乗せる。
素の一撃で肉を穿ち骨を砕くコマチの一撃に合わせれば、威力は通常の倍どころか三倍すら遥かに超える正拳の一突き。
こんなに昂ぶる状況での崩拳は生まれてはじめてだ。この一撃ならば、並の人間ならば肉片すら残さない。
「『欠陥だらけの拳を得意げに振り回すなよ、メス』」
だが、そんなコマチの崩拳すら嘲笑うように、バルテロの歩みは止まらない。
彼の足元から生まれる闇の隆起。全てが、四方八方からコマチに襲いかかってくる。
欠陥。
確かに「崩拳」は一対一で最大の威力を出す迎撃術だ。複数の敵相手を想定してはいない。
だが、欠陥ではない。コマチの身体能力があれば、たかが闇の触腕程度、捌きながらでも「崩拳」の照準がぶれることも威力が落ちることもない。
どころか、全ての勢いを蓄え、溢れ出る練技の光を帯として纏いながら、月下で舞い踊るように技の威力を高めていく。
三歩。バルテロが進む。
二歩。コマチが踊る。
一歩。互いに踏み出し一撃を構える。
着撃。
耳をつんざくような破裂音。爆発魔術すら霞んで見えるほどの余波。
コマチ最大最強最高の一撃は、纏わりつく闇を蹴散らし、踊る影を裂き。
しかし、バルテロに傷一つ負わせることは、出来なかった。
「『言ったはずだ。欠陥だらけの拳だと』」
拳が貫いたのはバルテロの頭。だったもの。
闇を用いて精巧に作られた人形の頭が消し飛んだ時、バルテロは既に拳の軌道の外にいる。
「『終わったか。ならば―――』」
撃ち出したままの右腕に闇がまとわりつき、無茶苦茶な力が篭められる。ぼきりごきりと音がなる。
衝撃的なほどの痛みに顔をしかめた刹那。
腹に、肩に、脚に、腿に、胸に、顔に、背に。無数の衝撃が突き刺さる。
急所も、そうでないところも、余すところなく闇の暴虐に晒される。
「『―――さよならだ。雑魚』」
痛みに負けず開いた目が捕らえたのは、練り上げられた巨大な闇の拳。
自身の身体の倍ほどもある拳の一撃を受けたコマチの身体は、枯れ葉みたいに吹き飛ばされ。
壁にしたたかに背を打ち付けた瞬間、コマチの意識は刈り取られた。




