旅立ち
「異論はあるかい?」
そう尋ねたのは、槍使いのニイルだった。
金色の短髪が取り戻されたばかりの陽光を浴びてきらきらと輝いている。
視線の先で椅子に腰掛けている青年は、驚いた様子は見せず、静かに問い返した。
「ユイ様は、なんて?」
「聞く必要があるかしら? それとも、面と向かって言われなければ理解できないんですの?」
口を挟むのは魔術師のマルカだ。広げた扇子で口元を隠し、侮蔑の瞳を青年に向けている。
「ランドリューを迎え入れたってことは、つまりそういうことだろ。
アンタの欠点はもう見過ごせないところまで来てるってことだよ。ミ・ハ・ル・くん」
青年―――ミハルは、その言葉に何も返さなかった。
奥で控える全身黒装束の忍者・ランドリューは、「暁の勇者団」に先日加入した新戦力だ。
近接戦の行える索敵要員。先日の「魔王の牙・ガジル」戦でも随分な大活躍だったと聞いている。
それに比べて、ミハルはどうだ。
「暁の勇者団」旗揚げ以来の古株とはいえ、単なる斥候兵。
人より優れた部分といえば索敵能力と罠を仕掛ける素早さくらい。
ユイの幼馴染ということもあり、旅立ちの日からともに冒険してきたが、その実力には既に大きな開きが出来てしまっている。ユイの強さは、既にミハルを必要としない場所に到達してしまったのだろう。
暁の勇者団の最終目的は、世界に明けない夜を広げている「魔王」の討伐だ。
夜の始まる場所に近づくにつれ、敵はどんどんその強さを増しており、戦闘もまた熾烈を極めている。
そんな中で、直接戦闘力の劣るミハルがいつかお役御免になるというのは、ミハル自身覚悟していたことだ。
事実、「魔王の牙」との戦いにミハルは参加していない。指を咥えて見る……ことも出来ず、村で他のメンバーの無事を祈ることしかさせてもらえなかった。
結局、斥候兵に出来るのは、敵の居場所を探ることと、罠を仕掛けて敵の戦闘力を削ぐことと、少しばかりの援護射撃くらい。あとは負傷した仲間を背負って逃げるのが関の山だ。
魔獣相手ならば通用する罠や攻撃も、「魔王」やその配下である「魔族」では高い戦果は望めない。
「アンタはよくやってくれたよ。でもまぁ、こっから先はアンタにゃ荷が重すぎるってこった」
ニイルが突きつける言葉は、彼が得意げに振り回す槍と同じくらいに鋭くミハルの胸を貫いた。
ちらりと他のメンバーを確認する。
ミハルを引き止めそうな聖職者のサバラや弓使いのレジィの姿はない。「魔王の牙」戦で負傷した勇者ユイの治療に励んでいる。
つまり、もう、出来上がっているということだ。
「喜ぶべきよ。無為に命を捨てずに済むのだから。
身の程をわきまえて、潔く身を引きなさい」
マルカが嘲笑う。整った顔立ちを冷たく際立たせる三白眼が、ミハルを見下している。
視線をずらす。武闘家のコマチは興味がないというように壁に背を預けて目を伏せている。
ランドリューは「拙者にはわからん部分でござるしなぁ」というように、顎に手を当て成り行きを見守っている。
食い下がりたい気持ちはある。
だが、ランドリューが居る以上、食い下がってまで団に残せる「なにか」は、今のミハルの手元にはない。
「……分かりました。じゃあ、俺は、ここで」
必死で握り続けていた縄を離したような空虚さだけが、胸を埋める。
覚悟していた。だが、いざこの時が来ると、どうにもならない寂しさが胸にあった。
「ユイ様に、伝言を頼んでもいいですか」
「なんて?」
「『どうか綺麗な夜明けを』と」
「あー。はいはい。伝えとくよ」
そうして、斥候兵・ミハルは「暁の勇者団」から追放された。
○
闇に背を向けて歩を進める。
仲間の無事を祈るように幾度か振り返ったが、そのたびに常夜の空が離れていっており、「ああ、自分は最前線から遠ざかっているんだ」と虚しさにも似た寂しさを覚えた。
世界が闇に飲み込まれて、十二年が経つ。
明けない闇を広げる「魔王」とその配下たちとの戦いは続いている。
先程までその最前線に居たが、もうあそこに戻ることもない。
世界で一番綺麗な夜明けは見損ねた。
ミハルは今、団から貰い受けた金と、身分証と、暁の勇者団だった証である暁の紋章と、少しばかりの装備を持って一人来た道を引き返していた。
何度も何度も同じことを考えている。
随分長い間ミハルはユイとともに過ごしていたから、それもまあ、当然のことか。
これはしばらく引きずるなぁ、と考えながら、荒れ放題の街道を行く。
夜が広がる前には整備されていたらしく、追放を伝えられたミカラ村からルセニアの町までは迷わずに進むことが出来た。
時折感じる魔物の気配からは身を隠し距離を取り、のらりくらりと旅を続ける。
一人で歩けば早いもので、二日も経てばルセニアの町に到着した。
先日は八人で来た町だ。今日は一人で帰り道。
ひとまず、この町でしばらく休んで、今後の方針を決めよう。
「おかえりなさい!」
声をかけてきたのは、町の子どもだった。
以前暁の勇者団で町に来た時に、ユイによくなついていた子だ。
「あれ、今日は勇者様と一緒じゃないの?」
「まあね」
「ちぇーっ。勇者様がお祭り見に来てくれたのかと思ったのに!」
口を尖らせてつまらなさそうに呟く子ども。よく見れば先日は付けていなかった花飾りを髪に付けている。
見渡せば、祭りのための町化粧か、家屋の屋根に飾られた色とりどりの造花が優しい日に照らされながら、風を受けて揺れている。
「今度のお祭りはね、夜が終わったから今までで一番凄いんだって!
ねえ、勇者様来る? 来てくれるかな?」
「うーん、どうだろう。ユイ様はこういうの好きだけど、忙しい人だからなぁ」
「そっかー。勇者様だもんね」
少女はそういって手を振って去っていった。
あとに残されたのは、祭りを待ち望み膨らむような賑やかな空気と、日の暖かさと、ミハルだけだ。
陽気な空気を浴びて、少しだけ気持ちが上向きになった。
暁の勇者団に対する寂寥の念は尽きないが、いつまでも後ろ髪を引かれ続けていてはハゲてしまう。
割り切るため、なかばやけ。気持ちが整理できないなら、いっそ楽しいことをやってみることにした。
幸い金にも余裕がある。ひとまず祭りまで滞在しようと宿を取り、ついでに宿の主人から祭りについてのあれこれと周辺の町村についてを聞く。
勇者団で通ってきた町村以外も歩いて回れば、気晴らしにもなるだろう。
その日は夜半までこれからの計画を立て。
勇者団時代には身を横たえることのなかったベッドに身体を投げ出し目を閉じ。
そして、街に近づく者の気配に身を起こした。