勇者の旅立ち=凶報
そもそも勇者とは、どういう存在なのか。
本来、『勇者』という称号は何かを成した結果に付随するもの。
だけど隣国、マサラ王国では『勇者』という称号はそれ以外に特別な意味を持つ。
そもそもマサラ王国自体が、『勇者』によって建国されたという。
なんでも絶大な力を持つ魔王を警戒し、監視する名目で私達の国の隣に建国したというお話で。
つまり『勇者』が偉人として名を遺す国だ。
だからこそ、他のどの国よりも『勇者』という称号を特別に大切にしていた。
だというのに。
そんな国が、『勇者』という称号の刺客を放ったという。
魔族の国として近隣諸国に恐れられてはいても、国際的な立場を持つ正式な国家であるこの国の、国王を討つために。
—―これ、宣戦布告の一種かしら……。
悩まし気な溜息を吐く宰相も、きっと私と同じことを考えている。
頭痛の種……馬鹿な父の『やらかし』は、中々に根強い。
そもそもがここ数百年、父が魔王になって以来、近隣諸国との関係は悪化の一途。最悪だ。
父の前に魔王をやっていた祖父の代までは、畏怖されながらもなんとか友好的な関係を結んでいたと資料には残されているのに……今となっては見る影もない。無惨だ。父のやらかしようが、無惨で仕方ない。
馬鹿な父の振る舞いは横暴の一言で、ゆったりじわじわと直接的被害は少ないものの近隣国との関係に確実な亀裂を生みだしていき、緊張状態は日に日に強まっていた。
更に元々悪くなっていっていた関係にトドメを刺したのが、二十年前の事件だ。
あの馬鹿な父は、何を思ったのか……いや、どうせ国内の美女に飽きてきたから新境地開拓!とか馬鹿げた思考回路から突っ走ったのでしょうけれど。
国内の美女という美女を侍らすだけでは飽き足らず、あの父はやらかしたのだ。
大陸でも三大美女に数えられる、美姫中の美姫—―当時のマサラ王国で美女と名高かった末の王女ラヴェンダーを略奪し、魔王城まで攫ってしまったのである。しかも抗議されても返さなかった。隣国が武力で抗議してきたら魔王の絶大な魔力で追い払ってしまった。
……ラヴェンダー王女をこぞって敬愛していたという隣国の恨み骨髄ここに極まれり、という様相で。
以来、隣国との国交は完全に断絶している。
何をするにもまずは王女を返還しないことには話が始まらない。
しかし、当の王女は既に……
本当に、忌々しい馬鹿な父。誰か刺して。背中から。
隣国の王族は、元より美形ぞろいで有名だった。
元々数が少なく、今では姿を消して絶滅したとされている幻の有翼族の血を引いている為、というのが通説だ。なんでも初代王のお妃様が背中から白い翼を生やしていたらしい。
つまり人間とは一味違う美貌を持つ。
その中でも際立って美しかったという王女は、今は魔王城の中庭に設けられた墓地で眠っている。
そこに埋葬されたのは、本人の希望だ。
なんでも父に宛てた、「死んでも貴方のことを見ているわ」というメッセージが込められているらしい。その話を教えてくれたのは宰相だが、話を聞いている私の隣で父が顔面蒼白で脂汗を滝のように流し、手をぶるぶると震わせていた記憶の方が強くて話の細部は覚えていない。
きっとメッセージに追伸をつけるなら、「精々振る舞いには気を付けることね。目に余る言動には死んでから後悔させて差し上げるわ!」といったところだろうか。何となく、父の反応からの想像だけど。
とにかく、隣国にお返しすべき姫君は既にお返しできない状態だ。
墓の場所も本人の希望があるので移設は……いや? 墓の中の人が見張っていたい対象はもう、魔王城にはいないわね?
あら、もしかしてこうなれば墓を移しても、墓主だってやむなしと思ってくださるんじゃないかしら?
ちょっと真剣に検討しましょう。
何はともあれ、隣国の堪忍袋が父のせいでぶち切れていることには間違いなく。
彼らの恨み、憎しみの対象は間違いなく魔の国というより父だろう。
きっと父が失踪して魔王が代替わりしたなんて思わずに刺客を放ったのだわ。
国同士の関係も、今後のことを考えて何とか許していただいて、国交を再開させたいところなのだけれど……賠償はともかく、父の首でも捧げないことには話を聞いてもらえない気がするわ。
でもまだ、魔王の力の大部分は父が持っている。
今すぐ、父を捕獲するのは難しい……。
「何より、父君がやらかしたのはマサラ王国相手にだけではありませんからなぁ」
「お願い、やめてちょうだい。父君と言われると血の繋がりを余計に意識してしまうの」
「失礼を。馬鹿様が粗相をかました国は、片手の指では足りませんからな……首を送って寛恕願おうにも、首の数が足りませんぞ。せめて一国に一つとしても、八つは欲しい。いや、首一つで許してもらえるかどうか……」
「首を八等分しては本人証明が難しくはないかしら。分割払いって許容してもらえると思う? 『生かさず殺さずでお願いします』というタスキをかけて、迷惑をかけた被害の大きい国から順に期間を設定して丸ごとレンタルとか……いっそ父から首が八つ生えてくれたら楽なんだけど」
「ううん、そういう扱いは前例がありませんからなぁ。まずは生け捕りに成功することが先でしょうし、捕まえてから考えましょう」
「そう、そうね。ええ、今すぐ考えても捕獲前じゃ意味がないわ。とりあえず隣国からの刺客が差し迫った脅威でしょう」
「いま、『勇者』を名乗る刺客について詳しい調査報告書の提出を命じているところです」
「刺客も重要だけど、命令元であるマサラ王国と話をすることが優先でしょうね。大元を何とかしないことには、送られてくる刺客にだけ対処しても仕方ないもの。今後のことを思えば、まずは話を聞いてもらえるように事を運ぶことこそ肝要……最後に親書を送ったのも随分と前なのね」
「そちらも、いま詳しい資料を作成させているところで……」
「人間の国って、私達とは使っている文字が違うのでしょう? 辞書は見つかって? 正式な書類の様式は? 誰か人間の文化や事情に詳しい人材はいるかしら。適切な人材がいれば、少し話を聞いてみたいわ。執務室に案内してくれる?」
「人間の国について解説ができる人材の方は探しておきましょう。正式なやり取りに関しての資料は……何分、勉強はイヤだと喚いて馬鹿様が度々書庫に焼き討ちをかけてしまいましたからな……回収できた書物はもちろんきちんと保存しておりますが、焼き討ちの度にどうしてもいくらか消失してしまいまして……。司書たちも必死にやってくれてはおるのですが、どうやら書庫の資料も以前のように秩序だって保管は出来ておらぬようです。焼き討ちで破損した資料の修復を優先させておりましたから」
「仕方がないわ。何もかも、父が悪いのよ。ええ、言葉通りの意味で、父が悪いの」
私達は溜息を吐いて、多く資料を紛失した状況に頭を抱えた。
……ちゃんと失礼のないように、親書を作成できるかしら。
魔王に刺客を放ったのは、マサラ王国の国王。
だけど彼の国が恨みに思う魔王は、私ではなく父。
親の因果を背負うつもりは毛頭ない。
だったらマサラ国王に、刺客への指令を撤回してもらわなくちゃいけないわ。
今回の刺客を退けたとしても、マサラ国王が続けて第二、第三の刺客を放ってきてはきりがないもの。
国際的な関係を正常化する為にも、なんとか話を聞いてほしいわ。
馬鹿な父のせいで、親書を持たせて使者を送っても、門前払いを受ける可能性があるけれど……そもそも国境を通してくれるかどうか。
何度でも使者を送って、礼儀を尽くして、こちらの態度からでも見直してもらうしかないわ。
隣国に対して礼を欠いた行いを何度も積み重ねてきたのは私達の方……父の行いが原因だもの。
なるべく早く、話が通れば良いと思うけれど……長期戦も覚悟するべきね。
わかってもらえるまで、根気強く努力を重ねるしかないわ。
「—―女王陛下ぁ! ご報告です!」
決意を新たにしていると、執務室のドアをスパーンと開けて情報収集を任せていた部隊の隊長が転がり込んできた。
ちょっと、仮にも魔王の前に現れるにしては、随分と無礼ではないかしら?
ノックの一つもなければ、入出許可を求める声すらなく。
ただただひたすら慌てた様子で駆け込んできた、青ざめた顔の男。
ふと、勇者が放たれたという報告が飛び込んできたときの状況を思い出す。
……まさかまた、何かマズイことが?
僅かな不安が、胸に芽生える。
そして私の不安は、悲しいことに的中した。
「隣国の放った勇者の素性が判明したのですが……っマサラ王国の第三王子、『剣聖』ガラム殿下が、その勇者だと今、報告がっ」
………………ちょっと、隣国の王族とか、勘弁してほしいわ。
思いがけない大物の名前に、私と宰相は顔を覆って俯いてしまった。
王族、つまりは隣国の貴人……刺客になんて人材を突っ込んでくるの。
例え暗殺者だとしても、その正体が他国の王族となればある程度の配慮が必要となる。
刺客が城まで乗り込んできたら、適当にあしらって追い返せば良いと思っていたのに。
それが王子となると……怪我をさせたら国際問題。怪我をさせたら、国際問題……!
刺客を送られている時点でこちらが被害者だけど、馬鹿な父の振る舞いの数々を思えば刺客が乗り込んでくるくらいの事態は甘んじて受けなきゃいけない気がしてくるから、素直に被害者ぶって抗議とかとってもし辛いのに。
ただでさえ難しい問題が色々と積み重なっているというのに、この上さらに刺客の勇者何某にはなんとしても傷ひとつつけず、丁重にお帰り頂かなければならないという、難問が発生した。
これ本当に、どうして、こんなことに……?
悲しさで、なんだか目の前が一瞬暗くなる気がしたわ。
でも、現実逃避していたって現実は消えてなくなりはしない。
目の前に積まれた問題は、私が対処しなければなくなったりしてくれない……!
私は、さっきの決意の上に更に覚悟を重ねなくてはいけない。
勇者……ガラム王子に傷をつけられない現状を思えば、相対したら手を出せない私の方が不利。だけどそうそう簡単に、魔王である私が傷を負う訳にはいかない。面子の問題だってあるのよ。
面と向かってお会いするのが、私の進退窮まりない事態に発展するというのなら。
……そもそもお会いせずにいられるよう、手を打つ必要があるわね。
そう、勇者には魔王の城まで辿り着けないように計らう必要がある。
会うのが駄目なら会わなければ良い。ガラム王子が魔王城に辿り着けずに右往左往している間に、後方のマサラ国王へ手を回して、勇者への命令を撤回して引き上げ命令を出していただくことが最善ね。
その為には……
「宰相、今すぐ取り掛かってもらわなきゃいけない仕事ができたわ」
「は……」
「至急、四天王を……父の任命していた、現行の四天王たちを謁見の前に集めなさい!」
魔の国において、四天王と呼ばれるのは魔王が直接任命する国軍の最高責任者であり、魔王の直属の手足でもある。
その時々、時代の魔王によって重視する能力に偏りはあるものの……概ね、時代の間の国を代表する猛者であるという認識で間違いはない。
父が任命した四天王たちは、まだ魔王城で仕事をしている。
父が急に飛び出していったとしても、彼らの仕事自体はなくならないから。
本当は私が即位すると同時に、新たな四天王を選ばなくてはいけないのだけど……今回の計画には彼ら以上に最適な人材はいないわ。
父の命令に唯々諾々と従っていると見せかけて、時に執務を放棄する父をせっつき、操作し、自分の意のままに物事が進んでいると思い込ませながらも、何とか最低限の義務を果たすように仕向け、手のひらで転がしまくっていた。
そんな頼もしくも、恐ろしい者達なのだから。
だから、今回の勇者を相手にした作戦でも、力になってくれると根拠もなく信じることができた。
父が仕事を放棄する度に、同じ苦労と苦しみを分かち合った戦友でもあるんだもの。
きっと彼らなら、私の期待を裏切ることはないはず—―!
さあ、勇者あしどめ計画の開幕だ。
宰相
元々はネモフィラの曽祖父の時代から『魔王』に仕えてきた忠臣。
勤続年数がとても長く、魔王城では生き字引ともいえる。
本来の外見はダンディな壮年男性といった風貌であったはず……なのだが、ネモフィラの父に散々振り回された挙句、度重なる心労と胃痛によって外見も草臥れたものに変貌してしまった。
とても回復力と生命力と耐久性に定評のある一族出身なのだが、心因性のものとしか思えない数々の不調によってがりがりに痩せてしまった上に前髪もぐっと後退してしまったらしい。
自分が宰相になるなど以前は露ほども思っていなかったが、ネモフィラの父が即位以降、有能な忠臣が次々と職場(魔王城)を辞してしまったため、気が付いたら繰り上がりで宰相になっていた。