アレスナーダの怪談
散々「妖精さん」発言を誂われた後、帰ってきた騎士様方はヴァシェルと呼ばれる小型の草食動物を捕まえてきた。
ヴァシェルは熟成せずとも美味しく食べられる野生種で、野営時には重宝される。
「美味しかったぁ…1人だと生肉は消費しにくいから、ヴァシェルなんて選ばないのよねぇ…」
「それは良かった。ティナが野営の準備を早々に終わらせてくれたからだな。」
「ええ、本当に。最低限、野営準備はされているとはいえ、干し肉も少ないですからね。狩りが出来たのは有難かったです。」
夕餉後、見張り以外の全員で焚き火を囲む。
ああ、やっぱり野営は予定になかったのね?王族が居るのにタープしか用意していないのは不自然だもの。…その分馬車は大型で、寝そべる事が出来るのだけれど。
「ここから先は村がないでしょう?どうするつもりだったの?」
「廃村を辿る予定だったのですよ。報告では民家は残っているらしいですから。」
20年程前は交易も盛んだったものねぇ…それは、建物は残っているでしょう。本当に野営は想定外なのね。
「明日はその廃村で休める予定だからな。今日は仮眠程度にして、早々に出発して調整するか…」
「それが宜しいかと。」
「え!それなら明日はアレスナーダ…ですか…?」
「そうだな。」
アレスナーダ、と聞いて騎士達の顔色が悪くなった。顔色が変わってないのはギルバートとレオナルド、ハウエル位ね。
「えぇ…」
「なんだ、なにかあるのか?」
「知らないんですか?…アレスナーダは、出るってもっぱらの噂じゃないですか…」
「出るって…亡者のこと?」
なんだ、怪談か…廃村にはありがちよねぇ。
「そうですよぉ…俺、亡者はちょっと…」
「近衛騎士が情けないですね。」
「いや、隊長もハウエルも平気なんですか!?亡者ですよ、亡者!」
「だから何です?」
「特に問題ありませんね。」
「信じらんねぇ…」
この中で1番怖がっているのは、ヘンリック様。…見た目は筋肉隆々の、強面なのにね。
「せっかくだ、そのアレスナーダの亡者話、聞かせてくれ。」
「えぇ、俺は嫌ですよ!?ハウエル!お前は知ってるだろう!?」
「えぇ、まぁ知っていますが…そんなに怖いですかね?廃村にありがちな怪談じゃないですか…」
ハウエルが話してくれたのは、本当にありがちな怪談だった。
25年前に国交が断絶され、スピカに程近い村々は一気に衰退したらしい。
ほとんどの村では、魔女が住み着き、農作物も安定して供給されていた。しかし、声明が発表されると、どの魔女も皇国へ去ってしまった。そうなると魔法の恩恵は失われ、村々では飢える者すら出たのだという。
「そもそも、ここから先の…今でこそ辺境ですが、スピカに程近い村々は、魔法の恩恵に頼りきっていたのでしょう。恩恵が無くなると人々は早々に見切りをつけ、特に若者程すぐに流出したそうです。」
「なるほどね…それで一気に衰退したの…。20年程度で廃村になる村が続出なんてよっぽどだと思ったけれど、魔法の利便性に慣れきっていたなら納得ね。」
「はい。…残ったのは老い先短い老人位なものだと聞いています。」
アレスナーダには、幼い魔女の娘が残された。…魔法使いと村娘の間に生まれた娘らしく、父親である魔法使いは皇国へ帰国。戻って来ることはなかったそうだ。
母は泣き暮らし、娘は村人から魔法を使うことを強要された。そうして間もなく、母は失意のままに亡くなった…その娘を道連れにして。
「そしてアレスナーダは、その母娘の怨念により、一夜にして滅んだ…と言われています。それ以後、その村に立ち寄ると、母親の姿を見た、娘の姿を見た、やれ怪奇現象が起きた…等々と、嫌煙された村ですね。」
「…なんと言うか…その幼子にとっては救いのない話ね…。でも、怪奇現象云々は分からないけれど、一夜で滅ぶ理由は怨念以外にも考えられるわよねぇ…」
「本当ですか!ティナ様!」
えぇと…屈強な男が縋り付いてくるのは、なかなか迫力があるわね…。
「1番有力なのが、幼子が魔法を暴走させた場合かしら?…村人が魔法を強要してたなら、あり得るわよ。故意かどうかは分からないけれど。」
「暴走なんてあり得るのか?」
「故意なら村人を恨んでいたのでしょうし、…幼い娘、それも魔法使いである父親は既に居ない。…そんな成育環境で、魔法の使い方をきちんと知っていたのかしら。見様見真似の魔法だったら…誰にも頼れない幼子が、そんな魔法を無理に使っていれば…ね。」
「なるほどな…1番有り得そうな話だ。」
「まぁ、娘が亡くなった事で村人が出ていった、なんて事も有り得そうだけどね。病だった可能性もあるでしょう?」
他の村と同じ事よ。本当に一夜にして、なんて、分からないんだから。
「…そう聞くと、恐怖が柔らいだ気がします…」
「それは良かった。…まぁ、本当のところは分からないけれど?」
「ティナの言うとおり、本当に亡者かもしれんぞ?」
「お2人方!やめて下さいよ!」
そんな風にギルバートと一緒なってヘンリック様を誂えば、なんとも言えない後味の悪い空気は払拭された。…やっぱり屈強な男が涙目で怖っているのは、ちょっと面白いしね。
◇ ◆ ◇
「さっきはありがとうな。」
「なんのこと?」
あの後、私達は怖がるヘンリック様を宥めすかし、各々就寝場所へと解散した。
今はギルバートと2人、馬車の中だ。…もちろん、諸々の観点から、ドアは開けられ、垂幕をしたうえで、入り口には見張り番が立った。最低限の妥協点らしい。
「いや、思った以上に後味の悪い話だったからな。…空気も悪かっただろう?」
「あぁ、さっきの話ね。…あの屈強なヘンリック様があんなにも怖がるなんて、面白かったわ。」
私は単に、想像出来る事実を述べただけだわ。あとは誂かったくらい?
「それでも、ティナのおかげで空気が変わったから。…ありがとう。」
…なんていうか、この王子様はまったく…律儀よね。
「どういたしまして?」
「ん。…さて、明日も早い。早々に寝た方が良いが…ティナはそれ、脱がないのか?」
「…その言い方だと、誤解を招くわよ?…そうねぇ…」
ギルバートが言うのは、このローブだろう。頭をすっぽりと覆い隠すこのロング丈のローブは、就寝には似つかわしくない。それは分かっているけれど…
「それは色を隠すためだろう?…ここにいる全員、色の事は知ってるんだ。別に脱いでいても構わないと思うが?」
「そう、なんだけど…」
「けど?」
「母以外の前で脱いだことなくて…気味悪がらない?」
どうにも人前でローブを脱ぐには勇気がいるのよねぇ。
「別に今更じゃないか?…それに、ずっとそれはきついだろ?」
「…それもそうね…」
それに、ここは本当に月明かりがぼんやりと照らすだけだし。…ローブくらいは、脱いだ方が良いわよね。
そっとローブを脱げば、しっかりと編み込まれた長い黒髪が顕になる。額にかかった銀色のサークレットから垂れる厚手のフェイスヴェールによってその顔の半分…額から鼻下までが覆われている為に、顔立ちを窺い知ることは出来ないが。
「月に輝く濡羽色の髪…か。」
「濡羽色…?ただの黒髪よ?」
「いや…艶のある美しい黒髪は、濡羽色とも言うそうだ。…月光に反射して、他の色彩が見て取れる。…美しいな。」
…〜っ!まったくこの王子様は!!!
「ぁ、ありがとうっ。やっぱり王子様ね!美辞麗句がお得意なことで!」
「なんだ、照れてるのか?…随分と可愛いらしいな?」
「…貴方って…そういう人よね…。なんだか目が醒めたわ…」
ニヤニヤしながらそれは残念、なんて呟く王子様だけれど、…照れたのが馬鹿馬鹿しくなるわね…。
「で、その麗しき魔女殿の御尊顔を拝する栄誉はいただけないのか?」
「…このヴェールは外さないわよ。魔術的な呪いがかかっているもの。」
「なんだ、せっかく素顔が見れると思ったのに。」
残念そうだけど、このヴェールは外せないのよ。母がかけてくれた、隠匿の魔法があるから。
「もういいから、とっとと寝るわよっ。」
「はいはい、おやすみ、麗しきティナ嬢?」
「〜っ!」
その言葉には返答せずに、バサリと毛布を被った。
ギルバートも毛布を被ったのを音で確認した後、そっと声をかける。
「おやすみ…ギルバート。ありがとう…」