湖畔望楼(2)
村長に食料を分けてもらうと、三人は早朝に出発した。村の東へ向かい川を見つけるとそれに沿って進む。近くの森の中に木造のやぐらが見えた。三人は互いの位置が確認できる距離に散開し、それにゆっくりと近づく。アルは森の中へ進み弓を構えたままやぐらの中の人間が見えるように斜面を進む。そのままやぐらを回り込む形になり、反対側から近づいていたジーンと遭遇した。彼はアルに首を振ると、馬を走らせてやぐらへと近づいた。ジーンは高さ五メートルほどのその見張り台をあっという間に登ってしまった。
「誰もいない」
アルもそこへ登った。川の反対側、奥に一つ、さらに奥にもう一つ、森のなかに同じようなやぐらが組まれていた。手前側には誰もいないようだったが、奥側は確認できなかった。二人はやぐらから降りるとメルヴィンに言った。
「方角は間違いないようだな」
「見張りはあまり熱心じゃないみたいですね」
「朝早く出たかいがあるってもんだ。それで、どうする。このまま進むか?」
「やつらの廃墟がどこか知りたいが、ここからじゃ見えなかった。もっと山側かも知れない」
「川沿いなのは間違いありませんが、このまま進むと見張りが来たときに見つかってしまう」
「廃墟があるってことは道があるはずだ。林道を探してそれに沿って行ってみようぜ」
森に入って林道を見つけ進んでいくと、二人の男が鹿を解体しているのを発見した。アルは大樹の陰に身を隠して様子をうかがい、メルヴィンとジーンが近づいていった。
「よう、調子はどうだい?」
二人が同時に振り返り作業の手を止めた。一人は黒ひげ、もう一人は赤ひげの男で、ギラついた目が輝いている。どちらも腹の出たずんぐりとした体型のドワーフだった。黒ひげの方が言う。
「なんだ、あんたら?」
「同業だよ。獲物は獲れたか?」
「ああ、おかげさまでな」
黒ひげは鹿の首を持ち上げて見せた。
「この辺ではよく獲れるのかい?」
「ああ、まあまあだな。だが、熊には気をつけたほうがいい。……そっちはどうだい?」
「来たばっかりだからな、全然だよ」
メルヴィンがおどけるようにそう言った瞬間、赤ひげの男がナイフを突き出した。
「動くんじゃねえぞ、何が目的だ」
赤ひげのドスの効いた声に周囲が静まり返った。黒ひげが手斧を弄んで睨みを効かせる。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。俺たちは狩りをしているだけだぜ?」
「どこに弓なしのハンターがいるってんだ? てめえら何者だ?」
「武器を下ろせ。弓もある」
「遅かったじゃねえか、ハンターさん。紹介するぜ、そいつが弓係だ」
アルの剣が赤ひげの顔の脇から突き出された。突然の出現に二人の男は動きを止めた。そしてわずかに首を回し、アルをうかがった。
「おまえら、善良なヒュロンの村人ってわけじゃねえよな。ギヌルって知ってるか?」
二人は沈黙を守っている。
「是非とも紹介して欲しいんだ」
「……それで俺たちはどうなる?」黒ひげが言った。
「あんたら次第だ」
「本当だな? 見逃してくれるんだな?」
「こっちの目的にあんたらは入ってないからな」
「……わかった。ついて来い」
「武器を捨てろ」ジーンが言った。「鹿を持って来い」
黒ひげが鹿を背負い、彼を先頭にして林道へ戻った。十五分もすると黒ひげは息が上がり、鹿をおろして座り込んでしまった。
「もう駄目だ。悪いが、休憩させてくれ」
額から滴る汗を拭いながら手近な岩に腰を下ろした。
「道は合ってるんだろうな?」
「ああ、合ってるよ。それより水が欲しいんだ。水を持ってないか?」
「ないね。ここからあとどれくらいかかる?」
「恐らく十五分か二十分くらいかな。なあ、川へ行こう。その方が早く着けるし水も飲めるぞ」
「駄目だね。ここからはこっちへ進む」
メルヴィンが森の道なき道をあごでしゃくった。
「おいおい、勘弁してくれよ。そんな山ん中なんて、俺たちは道を知らねえぞ。それにこいつも背負ってるんだ」黒ひげは鹿の体を叩きながら言った。
「道案内は一人入れば充分だよな?」
「わかったよ、わかった。おい、次はおまえがこいつを背負いな」
黒ひげは赤ひげの足元へ鹿を投げ降ろした。赤ひげは舌打ちするとしぶしぶ引き受けた。
「……まあ、道なりに行くか」
再び歩き出すとほどなくして前方から馬に乗った盗賊が三人現れた。黒ひげがすぐ後ろにいたメルヴィンに蹴りを入れる。赤ひげは鹿をジーンに投げつけて森へとかけ出した。ジーンはそれをかわす。メルヴィンが叫ぶ。前方の盗賊たちは異変を察知し突っ込んできた。アルは黒ひげの足、続けて背中を射抜き、ジーンは赤ひげを追いかけた。メルヴィンは突っ込んできた先頭の盗賊のナナカマドのこん棒を腕で防いだ。アルは抜刀しメルヴィンの前に出る。立て続けに二人目、三人目が突っ込んできた。アルの投げつけた剣が二人目の胸を貫く。その盗賊の馬のたてがみをつかんでアルは馬上を駆け上がると、三人目の盗賊に飛びかかった。アルと盗賊はもみ合いながら転がり落ちた。森の中に悲鳴が響く。一人目の盗賊が大声を上げて再び襲いかかってきた。今度の一撃をメルヴィンは転がってかわした。次の瞬間、森からジーンが飛び出し、盗賊は脇腹を刺し貫かれて死んだ。
「大丈夫ですか?」
アルはメルヴィンに手を貸した。メルヴィンは右腕のしびれを払うように手を振った。黒ひげを確認したが、膝を折ってうつ伏せに死んでいた。
「そっちは?」
メルヴィンはジーンに訊ねた。
「殺った。このまま進むしかあるまい。叫び声を聞かれただろう。急いだほうがいい」
「そうだな。道は合っているみたいだからな」
死体を森の中へ始末すると三人は警戒しながら進んだが、幸いなことにその後別の盗賊に遭うことはなく湖に着くことができた。モミやブナの鬱蒼とした森に囲まれたエメラルドグリーンの湖面は時が止まったような静けさに沈んでいる。対岸には森の中、灰色の空に突き出す尖塔が見えた。その近くから煙が一筋上がっている。その周辺にはあばら屋がポツポツと建っており、縄に繋がれた犬が丸まって眠っていた。
廃墟は鉄柵に囲まれた二階建てのレンガ造りだったが、外壁はかなりの部分が剥げ落ち苔むしていた。正面二階に突き出したテラスは手前の四分の一ほどが崩れ落ち、支柱が虚しく立っているが、それらとは不釣り合いの頑強で無骨な扉が取り付けられている。草むらとなった庭園部分には石造りの枯れた噴水がぽつんと置かれていた。離れの馬小屋には馬やラバが入りきらず外にも繋がれており、五、六人の男たちが飼葉を手に動き回っていた。隣には家禽小屋があり、ニワトリの断続的な声が響く。またそのすぐそばには丸太が積み上げられ、丸い腹が目立つ上半身裸の山男が薪割りに勤しんでいた。洗濯物を干す年増の女がいたが、貴族にはもちろん彼らに付き従う侍女のようにも見えなかった。
三人は遠巻きに周辺を探った。廃墟からは何人かが村の方へ向かった様子がうかがえた。その中に大柄の男がいた。丸坊主の頭には肋骨をモチーフとした奇妙な模様の刺青が入っており、尖った耳、高く大きな鼻、がっしりとしたあごに鋭い獣じみた目つきが光る。まぶたの上と唇と鼻に銀のリングピアスがいくつも連なる。右耳には三日月のピアスが、左耳には振り子のついたチェーンピアスがぶら下がる。身体は熊のように分厚く、腰には大鉈が二本下げられていた。
「あれがギヌルか。オークみたいなやつだな。お二人さん、どうする?」
「まともに相手にすることもないだろう。夜まで待って眠ってからナイフを差しこめばいい」ジーンは淡々と言った。
「トリカブトでもあれば、毒矢を準備しますよ」アルが続く。
「まあそう上手く行けばいいがな。中には三十もいないだろう。恐らく周辺をうろうろしている連中が二十人くらいはいるだろう」
「そうだな。夜になったらそれぞれに分かれて動くぞ。女の確保とギヌルの抹殺、そして他の連中をできるだけ減らす。頭を潰してしまえば、しばらくは村に手出しすることもなくなるだろう」
「貴族の娘がどんな人なのかわからないのが気にかかります」
「若い女は間違っても殺すなってことだ」
三人は互いにうなづいた。そして各々が息を潜めて日が落ちるのを待った。