湖畔望楼(1)
砥石車に刃を当てていく。腕を固定し角度を一定に保つ。刃を滑らかに研いでいく。
「少しはマシになったかな……」
行商から捨て値で買ったものにしては悪くなく使える一振りだった。
その夜にリーツのもとへ来るよう指示があった。アルが到着するとメルヴィン・エイムズとジーン=シンがすでにリーツと話をしていた。
「よし、今回の仕事について話そう」
リーツは地図を広げた。スメイアの東部、リガティアとの国境近くの平原を指差す。
「この辺りだ。最近盗賊どもが根城を築いて商人や住民から通行料を取っているという話だ。これを解消して欲しい」
「話は簡単だな」メルヴィンが言った。「場所がちょっとわからないな」
「ロイメーヘンが一番近い。そこで情報を集めてくれ」
「人数は?」ジーンが訊ねる。
「十数人らしい」
「その数ならば三人でなくてもいいんじゃないか」
「私もそう思ったがもうひとつ仕事がある。盗賊にある令嬢が捕まっているので取り戻してくれ」
「そっちが本命かい?」メルヴィンが興味を示す。
「両方だよ。しかし変な気は起こすなよ、メルヴィン」リーツは両手を広げた。
「その人の名前は?」
「マウア・オーフェルヴェック」
「オーフェルヴェックねぇ」メルヴィンが顎に伸びた無精ひげをなでる。
「知っているんですか?」
「リガティアの貴族にそんな名前を聞いたことがある」
「齢は十五、六だそうだ。その娘を取り返してくれ」
三人は二週間ほどでロイメーヘンに到着するとそれぞれ情報収集へ向かった。ロイメーヘンは平原地帯にある中継都市で隣国のリガティアから多くの人間が訪れていた。ロイメーヘン南部の穀倉地帯から小麦などの穀物類を、リガティア側のムールスールからは彩色豊かな毛織物を中心に取引されていた。ムールスール周辺には遊牧民族であるハニ人がおり、良質の毛皮が供給されていた。
アルは市場に向かう。多くの人たちが買い物に来ており、人種も様々だった。果物をいくつか買ったテントで話好きの女将に聞くと、盗賊は以前からいたがここ最近は増えているという。
「私はここから少し南にいったところから来てるんだけどね。何でも徒党を組んでいる連中が東側の国境辺りに出るって話さ。向こうにいる織物屋さんに聞いてごらん。あの人たちの方が詳しいわよ」
ムールスールから来たという織物商はその格好から人目でわかった。黒地に黄、赤、オレンジ、白の幾何学模様があしらわれた上下に、琥珀色の頭にぴったりとした帽子をかぶっている。蓄えられた長い白ひげをもて遊んでいる。
「どうですか?」
アルは先ほど買った洋梨を渡した。織物商はその匂いを嗅ぐと笑顔を見せた。
「商売は長いんですか?」
「まあ、あのくらいの頃からかね」市場を走る子どもが見えた。
「ムールスールの方から来るんですか?」
「そうだよ。もっと東からだがね。年に四度ほどは行ったり来たりするのさ」
「大変ですね」
老人は笑顔で手を振ってそれを否定してみせた。
「商売を楽しんでいるよ。生きがいだね」老人は一層しわを深く微笑んだ。
「そうですか、それは良かった。ところで、こっちに来るまでに問題はありませんでしたか?」
「問題か。問題はいつもあるよ。人がいればあちこちに」
「盗賊に襲われたりだとか?」
「盗賊も、オオカミも、魔物にもあう。誰でも知っていることだ」
「今回はどうでした?」
「ああ、会ったよ。ご多分に漏れず」
「最近増えているって聞いたんです。いままで会ったことがないような人たちには会いませんでした
か?」
「確かに増えている。金を取られるんだ。まあわしらにとって地面に勝手に線を引いている連中は、盗賊も王様も変わらんがね」
「どの辺りにいましたか?」
「こっち側には村が二つあるだろう? 国境からそこまでのところさ。命には代えられんにしても、商売には厳しいね。あんた、あいつらをやっつけてくれんのかい?」
「ええ、でも内緒にしておいてください」アルは人差し指を立てていたずらっぽく笑った。
「もちろんだとも。頼むよ。ただ、気をつけてくれ。実は私の友人の息子は、盗賊に殺されているんだ」
老人はアルの手を取ると深くうなづきながら言った。アルもそれに答えるようにうなづく。
「どんな相手かわかりますか?」
「詳しくはわからんが、今回会ったやつらはしっかりした装備をしていたよ。ドワーフもいるという噂だ。森の中に根城があるとは聞いた。こっちの兵士にも文句を言ったことがあるんだが、あしらわれてしまう」
アルは礼を言って織物商と別れた。近くにいた別の商人にも話を聞くと盗賊は勢力を伸ばしており数は三十とも四十とも言われた。詳しい場所まではわからなかったが、いくつか拠点があるらしいとのことだった。その後アルは鍛冶屋に立ち寄った。そこの主人はドワーフだったが、彼の話によると盗賊の一味になったドワーフも確かにいるという。
「兄ちゃん、悪いことは言わん。やつらに関わるのはやめときな。いいことないぜ」
「ずいぶん派手にやっているみたいですね」
「ちょっと前まではバラバラだったんだが、ここ最近はでかくなってきてるよ。知恵をつけてきてるんだな」
「リーダーはどんなやつか知っていますか?」
「体のでけえドワーフだって聞いたことがあるが、俺たちドワーフが人間よりでかいってことはねえからな。もしそんなやつがいたら一発でわかるもんよ。大方、オークを手なづけた人間だろうな」
「周辺の村を襲っているなんてことは?」
「守ってやるから金を払えってなことはしてるみてえだ。スメイア軍が動いてほしいところなんだが、もしかしたらあいつらも懐柔されてるな」
「人がさらわれたりなんかは?」
「どうだったかなあ……そういうのもあるじゃないかね。それより兄ちゃん、剣はどうだい? 賊には近づかねえのが一番だが、もしここから東に行くってんなら備えあれってな」
アルは彼の剣を見せてもらった。ドワーフの熟練した仕事の妙が現れたものだった。
「いいですね。こういうものはなかなか見たことありませんよ」
しかしアルは手持ちの問題で矢を補充するにとどめ、酒場に向かった。メルヴィンとジーンがビールを片手に食事をしていた。
「国境付近の森の中だって話だったよ」
アルは席に着くとクランベリージュースとパン、羊肉のオニオンスープを注文した。
「こちらで確認できたやつらの拠点は五つ。だが、令嬢の話はわからない」ジーンはサラダを口に運んだ。
「その拠点まで少し距離がある。確か先に村があるはずだから、そこで話を聞くしかないな」
「なぜ軍は動かないんでしょうね?」
「盗賊狩り程度に軍をって訳にもいかねえよな」
「盗賊って規模でもなくなってきているみたいですよ。四十人近くいるみたいですよ」
アルの注文が運ばれてきた。酸っぱめのクランベリージュースにアルは思わず顔をしかめた。
「四十か……それは全体でか、それとも本体だけでか?」
「そこまではわかりません」
「お嬢さんの居所がわからんことには助けようがないよな。近くの村に行くしかねえな」
三人は食事を終えるとすぐさま出立した。ロイメーヘンから東へ道なりに進むと分かれ道に行き着いた。途中、幾人かの荷馬車とすれ違った。話を聞いてみると皆一様に金を払って安全を買っているとのことだった。立て札には北側に『ヒュロン村』、南側に『ソムソト村』とあった。
「さて、どうするかね。どっちに行く?」
「北側へ川沿いに行くほうが近い」
そうですね、とアルが言おうとしたとき、声をかけられた。
「ヒュロンはやめといたほうがいい、あそこはもう駄目さ」
ボロをまとった男が立て札のそばの岩陰に座っていた。背を丸め薄汚れたボロ布を被り、それよりもさらに薄汚れ頬のコケた顔をのぞかせている。背丈の倍もあるようなずいぶんと長い木の杖を手に、赤土色の肌に丸坊主、白く濁ったような瞳がアルたちの馬の足元をずっと見つめている。
「知ってるのかい、爺さん?」メルヴィンは馬を下りると、彼の手に銅貨を握らせた。
「知ってるさ、私のようなもんこそが土地の全てを知っているのさ」
「なるほどね。それで北の村は盗賊のものだんだな?」
「ああ、農民ってのは村を離れられない。それしか生きる術がないと思い込んでる。あそこは賊共が我が物顔でうろついているよ。村長の家が拠点になっている。」
「ということは、そこに行けばいいんだな?」
メルヴィンはジーンとアルを振り返る。
「若い女はいなかったか?」
「どんな娘だ、村の娘かね?」
「貴族の娘だ」
物乞いは首を振る。
「なあ爺さん。この辺りに盗賊の一団が根城にできそうな場所が他にないかね?」
「この先に少し行ったところに川が流れている。それを上っていくと湖があって、そこに廃墟があるのは聞いたことがあるよ」
「ありがとよ、爺さん。達者でな」
メルヴィンはさらに銅貨を物乞いの前に落とした。一行はすぐに北へ向かった。
「命を大事にな」
銅貨を懐にしまい込むと物乞いはうれしそうにアルたちの背中につぶやいた。
アルたちは道を外れて林の中へ入ると暗くなるまで休憩した。日が落ちると村へと歩き始めた。村へ続く道が見える距離を保って歩いていたが、村へと向かう明かりがそこを通ることはなかった。林を抜け畑に出ると風が抜けるのを感じる。村の明かりが見え近づくが、変わった様子はなかった。アルが先行し一番近くにある民家の裏側にすばやく潜むと窓をのぞいた。がっしりとした男、太った女、十歳くらいの男の子が食事をしているのが見える。そこを離れると村の通りの方に向かう。ぽつぽつと連なる家々の明かりが見える。アルは二人のもとへ戻った。
「特に変わったところはないし、盗賊もいませんよ」
「おかしいな、あの爺さんに担がれたか?」
「……村長の家に行ってみよう」
三人が村の中央に向かって進んでいくと一軒の家から男が玄関外に出てきた。アルが声をかける。
「こんばんは、ちょっといいですか?」
「もう勘弁してくれよ、これ以上は無理なんだよ」
男はひどく怯えていた。縁のほつれている服は汗と泥の染みが所々に目立つ。アルは敵意のない微笑みを浮かべながら両手を開いてみせた。
「……何だ、あんた」
「旅をしているものです。村長の家を教えてくれませんか?」
「悪いことは言わない。さっさとこの村から離れたほうがいいぞ」
「そうおっしゃるなら、そうします。ただ村長に用事があるので、家を教えてください」
「……この先に大きな井戸がある。その先だよ。本当に村を出たほうがいいぞ」
アルはお礼を述べると村長の家へ向かった。村長は扉を開けると三人を中へ入れた。
「あんたら、ギヌルの一味じゃないんだな?」
「それが盗賊の頭の名前ですか」
村長はため息をひとつつくとうなづいた。「この辺りにいるゴロツキどもをまとめ上げて、荒らしまわっとるよ。抵抗しようとした若いのは殺されたよ、私の息子もな。今じゃ金と食料を定期的に取りに来る」
「何時頃来るんだい?」
「週に二、三回くらいか。いつかはわからん。あんたらどうする気だ? やつらに手を出す気じゃあるまい?」
「それ以外に何がある? 別に協力して欲しいわけじゃない。俺たちはただ情報が欲しいだけだ。利害が一致しているとはいえ、あんたから金を取ろうなんて話じゃない」
「君たちは三人かね?」
「ええ、そうです」
村長は首を振った。
「死ぬのがオチだ」
「誘拐された人たちがいるはずだが、どこにいるか知らないか?」黒髪から漆黒の瞳を覗かせてジーンが訊ねた。
「川沿いに北へ行くと湖がある。そこに廃墟があってそこに集められているだろう」
「明日にでも行ってみるよ。ご協力どうも」
三人が出て行こうとするのを村長は止めた。
「本当に賊どもを始末してくれるのか?」
「さあ、どうだかね。命あっての物種だろう?」メルヴィンは肩をすくめる。
「悪いようにはしないつもりです。ありがとうございました」
「そういうこと。あんたの得になるんだったら、俺たちのことは連中に話してもいいぜ」
「……わかった、君らは今日はどうするつもりだ。たいしたもてなしはできんが、もし良かったら泊まっていってくれ」
三人が顔を合わせる。「いいんですか?」とアルが言った。
「協力させてくれ」
「それじゃあ一晩世話になるよ」
村長はその夜、ギヌルについて話をした。ギヌルが現れたのは半年ほど前でリガティアより流れてきたときには十人にも満たないよくいるゴロツキ集団だった。この周辺には砦跡などがあり、そこを拠点に旅人を襲う盗賊がいたが、彼らをまとめ上げていつしか二十人、三十人と人数が増加していったという。二度ほどリガティア国境警備の兵士が派遣されたが、一度目は逃してしまい、二度目は何日か睨み合った後、南方のベルメランク国境周辺での不穏な動きに人員を取られたため撤退したという。その後村長らが要請を続けているが現在までにこの問題に軍が関わることはなかった。ほどなくしてギヌルらは村々を脅し回って組織拡大をはかっている。
「湖の廃墟へと至る道には見張りがいる。気をつけるんだよ」