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グリフォン・ハント

 神父と別れたアルは露天を見て回った。玉ねぎ、ニンジン、キャベツ、じゃがいも、豆類が積まれている店の女将は隣の果物屋の女将とかしましくおしゃべりをしている。プラム、レモン、ザクロ、ブドウやナシなどがフルーツの芳醇な甘酸っぱい匂いを放つ。アルは思わずリンゴを買うと、それをかじりながらギルドに着くと早速証書と報酬を交換し、宿屋に向かった。お湯と桶を頼み、体を洗った。


 一息ついてアルは自身の装備をあらためた。革手袋は穴が空き、中に着ていた鎖帷子は切れ切れになっている。弓はウェアウルフに折られたのを思い出した。アルは宿を出ると豚やニワトリが放し飼いされている裏通りを抜け、太陽のまぶしさに目を細めながら港に向かって歩き出した。すでに昼近くのため、魚類関係の露店は商品がほとんどなかった。波止場近くの建物の軒先にははらわたを抜いた魚が天日に干されている。カモメの鳴き声が潮の満ち引きに歌う。水平線にヴィラム諸島が望む。そこは反政府活動家たちの根城だと噂された。アルは近くにある《赤い海燕亭》へと入る。すでに早朝の漁を終えた漁師たちが酒を飲んでいた。ニシンの酢漬けのピクルス添えとグリルチキンサンドを頼むと二階の海を望む窓際の席についた。

「ごちそうさま」


 アルは亭主に馬屋はないか訊ねた。

「南門の外だね、門を出て東側にぐるっと回ったところだ」

 野良犬と並んで座る浮浪者を通り過ぎ、馬屋には仔馬が二頭、さらに小さいラバが五頭おり、二人の少年が舎内の掃除をしていた。


「やあ、こんにちは。ここのご主人はいるかい?」

 少年は別の小屋の方を指さしたが、馬はもういないよ、と教えてくれた。教えられた方の小屋へ入る。黒い犬が入り口近くに座り、奥で腕まくりをした背の低い太った男が豚の世話に忙しくしていた。

「なんだい、兄ちゃん。タイミングが悪いな」

「馬がいないってどういうことなんですか?」

「売れたんだよ。というか、ほとんど取り上げられたんだがね。乗れるやつはラバもロバも兵士が持ってっちまった。戦争なのかね」

 白と茶のブチ犬が辺りの臭いを嗅いで回り、牧場主の娘が藁を手に弄んでいる。

「……他に馬がいるところは?」

「奥に二軒と、北門の方にもあるが、きっとどこも同じだぜ」


 その言葉通り、どこも売れる馬はないと断られた。代わりに鶏卵を二つもらい宿屋へ戻った。次の日、弓と矢を仕入れ鍛冶屋に剣を研いでもらった。


「戦争が始まりそうなんですか?」

「さあ……どうだろうね。南でベルメランク兵との揉め事は増えてるって話を聞いたことあるが、北方が妙におとなしいのが気になるとも言われてるな。けど、ウチに納める量を増やせってのは今のところねえな」

「そうなんですか。馬が手に入らなくて困ってしまって」

「そうかい、どこまでいくんだい?」

「ファラスです」

「いれば、だが商人の馬車にでも乗せてもらって、どこか途中の村で探すしかねえかなあ」

「そうします」

「北回りで戻ったほうがいいぜ。さっきも言ったが、ベルメランクとはもめているからな。国境には近づかねえほうがいい」


 アルは礼を言い、市場で干し肉やドライフルーツを仕入れ、誰かファラス――スメイア中西部――へ向かう商人を探した。ファラスへと行く者は見つからなかったが、北部へ行く者たちがいたので、荷馬車へ乗せてもらうことができた。村から村へ荷馬車を乗り継いで、五日目にシンの森北部の山道を抜け丘陵にあるアレーネ村に入った。山羊、羊、牛がその丘陵をモザイク画のように彩っている。アルは雑貨屋と酒場で商人の荷降ろしを手伝い、そのまま酒場で別れた。酒場にはカードに興じる農夫らの中にスメイア兵が三人いた。


「いらっしゃい、何にします?」

 アルは女将にラクレット――ゆでたじゃがいものチーズがけ――と羊肉のスープを頼んだ。彼女が料理を運んできたときに何気なく話を聞いた。

「この辺には兵士はよく見るんですか?」

「ああ、あの人たちは最近来るようになったよ。元々こっちのほうは平和だったんだけどねえ」

「何かあったんですか?」

「最近、山の上の方にグリフォンが出るって噂が出始めたんだよ。羊を襲われたって人もいるわ。退治しに来てくれたんだと思ってるんだけどねえ。あんた旅の人だろう? 近づかないほうがいいよ」


 アルは少し硬めの羊肉を口に運びながら続けた。


「ところで、この辺りで馬を譲ってくれる人はいませんか?」

「羊や牛はたくさんいるんだけどねえ。馬となるとそんなに数はいないし、牧場を回るしかないわ」


 アルはその日、周辺の牧場を回ったがどこも馬を譲ってくれるところはなかった。女将が言った通りそもそも馬が少なく、ここでも軍に取られて残っているのは痩せ馬や自家用のものばかりだった。アルは夕方に酒場に戻った。


「どうだった?」

 頼んだミルクを受け取ると、それを一気に半分飲み干した。

「駄目でしたよ」アルは力なく頭を振る。

「やっぱりねえ。歩いて行くか、たまにくる商人さんを待って、それに乗せてもらうしかないわね」

 二人が話していると、酔っ払ったスメイア兵――革の帽子を半分まで被っている――が絡んできた。


「なんだ、馬が欲しいのか?」

「……ええ、譲ってもらえるんですか?」


 女将がすぐに割って入った。


「ちょっと、あんた、やめなさいよ」

「なんで軍は馬を集めているんですか?」アルは少し苛立っていた。

「ガキの知ったこっちゃねえ。生意気な口ききやがる」

「家に帰るのに、馬が必要なんです」

「なんだ? ママのおっぱいが恋しいってのか? そんなやつがここで何してやがるんだ?」

「ハンターですから」

 その言葉を聞いた兵士は失笑し、すぐに大笑いした。


「おい、どうした? 何やってる?」

 別の男二人が後ろから声をかけて来た。ひどく赤い顔をして、目が据わっている。

「ハンター様だっていう、このガキが馬が欲しいんだとよ」

「馬だあ? 残念だったな、ここの馬は俺たちのもんだ。欲しけりゃそのへんで捕まえてこい、どうせ馬屋の小僧なんだろう?」

「ちょっと、困りますよ。ほら、みなさん楽しく飲んで、ね?」

「そうだろう? いっちょ前にカッコつけやがって、何がハンターだ。浮浪者と変わらねえ。そんなもんするなら俺たちみたいに国のために兵士をやれ」


 二人目の兵士がひどいゲップを放って言う。殴りかかりたい衝動にかられたアルだったが、ひどく困った様子で女将さんがアルの服をぎゅっとつかんでいるのを背中に感じたためその怒りを飲み込んだ。


「もう結構です」

 アルは代金をテーブルに叩きつけ出て行こうとした。それを最初に絡んできた男がさえぎった。

「なんだ? 話はまだすんじゃいないぜ。おめえ、何やってんだ?」

「そっちには関係ないでしょう、もう帰るんです」

「くそガキが。口のきき方に気をつけろと言ったよな?」


「まあまて、ベーメ。悪いな、兄ちゃん。俺たちは楽しく飲もうって言ってんだよ、な?」

「小間使いであっちこっちへ行かされてんだ、酒ぐらい飲んで何が悪い? 違うか?」

「そういうことだ、兄弟。俺たちは色々仕事して、酒で憂さ晴らしてんだわ。悪かったな」

「貴様が小賢しいネズミだな、そうだな!?」


 ベーメと呼ばれた兵士がアルの襟首をつかんで叫んだ。ミルクが倒れアルのズボンをひどく濡らす。兵士が三人とも手を伸ばしつかむと揉みあいになった。アルはつかまれた腕を取り、力をそらして兵士たちを地面に転ばせた。クルミ材のテーブルと椅子が音を立てて転がる。店の主人や女将の怒声が響いた。兵士たちは酔った勢いでさらに暴れようとしたが、おぼつかない足元で転げまわった。店は滅茶苦茶になった。四人は店の主人に外に出され、兵士たちはよ肩を貸し合ってよたよたと宿へと向かい、アルは兵士たちとは別に宿を探そうと歩き出した。ミルクの臭いがするズボンで適当な牧場に寝床を借りようと歩いていると、後ろから追いかけてくる声が聞こえる。酒場の女将だった。息を切らせて走ってくる彼女に、アルはバツ悪く申し訳なさそうにした。


「……すみませんでした」

「まあ、ちょっとね。でもしょうがないわよね。酔っぱらいはみんなあんなもんさ。それよりあんた、今日はどこに行くんだい?」

「どこかに泊めてもらおうと思って。まだ決まってはいませんけど」

「調度良かった。良かったらうちの牧場に来なよ」

 アルは少し迷ったがこれから当てを探すのにも疲れていたのでうなづいた。

「ありがとうございます。お礼はします」


 その家は村の北側、丘陵地帯のさらに台地になっている部分で小高い山を背にしていた。牛が十頭ほど、羊は四、五十頭飼っているという農家だった。女将――ジョゼットの実家だという。彼女が話をつけに行き、両親と妹が出てきた。


「実はお願いがあってね」ジョゼットは切り出した。「実は、妹の旦那が二日前から帰らなくてね。探して欲しいんだ」

「どうかお願い! どこへ行ったのか……主人が戻らなくて……」妹が哀願の眼差しを向ける。

「心当たりは?」

「家の裏手に山があるだろう? そっちへ行ったと思うんだが、どこまで行ったのか見当がつかん。そっちにはグリフォンが出るらしい話が出ているのでな、私らにはうかつに奥まで進むことができん」ジョゼットの父、ジョンは疲れた表情で椅子に腰を下ろしその大きな腹に手を休めている。


「あんたハンターなんだろう? 宿代なんかとらないし、むしろこちらがお礼をするからさ。どうか引き受けてくれないかしら?」

「そういうことなら手伝いましょう」

「本当ですか? ありがとうございます」

「あんたは若いようだが、グリフォンを相手にしたことはあるのか?」

「いえ、一度だけ見たことがあります。正直、一人でまともに相手にできるかわかりません」

「この村に兵士が来ているだろう? あいつらはグリフォンを退治するために派遣されたんだと思う。うちの婿も、実はスメイア兵でね。グリフォンの話が出始めてから二、三度調査に来ているんだよ」

「何時頃からグリフォンが?」

「二月ほど前からになるかしら」ジョゼットの母、イヴォンヌが言った。

「グリフォンの方は兵士にやらせておけばいい。あんたはうちの婿を頼むよ」


 その日は休むことにしたアルは、次の日の朝から捜索を開始した。牧場で食料を分けてもらい、台地周辺の小さな谷間や崖下を調べたが何も見つからず、北の山に向かうことにした。糸杉の林立する丘陵地帯にはアブラナ、イラクサ、イワミツバなどを蝶や蜂たちが踊り、羊の群れが綿毛のように転々と転がっていく。時折、ツグミやカササギなどの小鳥が木の実をついばむのが見える。のどかさの暖かい散策はアルを喜ばせた。彼は谷間の小川を見つけると、そこから登ってみることにした。ジョゼットの妹マリーズは、夫のテオフィルと結婚して五年だという。テオフィルはスメイア北部のウォーベンゲンで下士官をしており、グリフォン調査の中心だという。ただ、今回はマリーズが妊娠したため、彼女を村へ送ってきただけだった。しかししつこく村長がグリフォンの様子を探るよう要請したため、それを引き受けたという。転落や遭難の可能性がなければグリフォンの巣を探そうと決めた。


 西側の山肌に向かって川を源流にたどる途中、一頭の熊に出くわした。体長二メートルほどで、背中の毛が灰色の種類だった。川で水を飲んでいる熊を避けるため後戻りし、北東方面に向かう。二日間手がかりを探したが、兵士の足取りを見つけることはできなかったため、西側を捜索することにした。捜索開始から五日目、大きな影がアルの頭上を走った。アルは気づかずに、その影が来た方向へ進んでいった。林を抜け丘の上に出ると低木にボロボロの布切れが引っかかっているのを発見した。数十メートル先に岩場があり、そちらへ向かうと男の声がした。アルはテオフィルかと思い近づいていったが、そこにいたのは赤地に白い細めのストライプが特徴の服を着た三人のスメイア兵だった。彼はとっさに岩陰に身を潜め、周囲の様子をうかがう。三人は村の酒場で絡んできたやつらで、その足元には男の死体がありそれを漁っていた。


「こいつが曹長で間違いないんだな」


 ベーメと呼ばれていた男が屈み込みながら死体をあらためている。死体はスメイア兵の装備ではなく個人の簡易兵装のようだった。踏み荒らされたような草地の部分に引き剥がされた鉄の鎧が辺りに散らばっている。赤黒い血だまりが地面を陰鬱に塗りこんでいた。


「間違いねえよ、こいつだ」

「ひどいもんだね、こりゃ。おい、何か持ってねえか調べな」

 死体は腹を食い破られており、はらわたが引きちぎられて飛び出していた。太ももや腕の肉もボロ布のようにズタズタにされている。それらの傷口には蠅が飛び交っている。兵士が男のズボンを漁ると、くしゃくしゃの紙を取り出した。


「これは?」


 紙を受け取ったベーメは紙の皺を伸ばす。

「……食いもんのメモだ。違うな」

 それは食料品と赤ん坊用の服を商人に頼むためのメモが書かれていた。ベーメは紙を兵士に返す。兵士もそれを確認した。その兵士は顔をしかめながらも死体漁りを続けた。少し離れた位置で周囲を眺めていた兵士も、周辺に散乱しているものを調べ始めた。


 アルが岩陰から飛び出すと叫んだ。「上だ!」


 直前まで音もなく突然にグリフォンが現れた。上空から急襲し鋭いかぎ爪が兵士の一人の首を捕らえるとそのまま一気に崖の下に蹴り出された。その体は突き出た岩に衝突し、悲鳴とともに崖下の枝の折れる音に消えた。


 体長は三メートルほど、両翼を広げればその倍以上になる。首から上半身にかけて豊富な体毛で覆われており、その濃紺の毛は所々が黄金色に輝いている。両翼の黄土色と焦げ茶色の風切羽は残虐なのこぎりのように見える。たくましく発達した太もも、鋭いかぎ爪の鈍い輝きは鋼鉄をたやすく引き裂き、狂気と欲望に燃える野生の眼差しはその奥底に威厳をたたえ、顔から突き出た剣のようなくちばしは荘厳に不快な刺すような甲高い鳴き声を響かせる。その獰猛な獣鳥はさらに兵士を突き落とそうと、翼の爪を振るった。空振りから土煙が巻き上がる。突然の攻撃で混乱と戦慄に陥れらた二人の兵士は腰を抜かした。グリフォンは爪で兵士を捉えようとした瞬間、アルはその足を斬りつけた。足を斬り落とそうと振るった一撃だったが、その筋肉に阻まれた。グリフォンは痛みから暴れだし、アルに反撃した。爪が二の腕を切り裂く。アルは腰を落とし上段から大きく斬りかかり、グリフォンを飛び退かせた。すかさずアルは兵士二人を立ち上がらせる。


「こっちだ、走れ!」


 三人は転びそうになりながら下生えへ突っ込んだ。グリフォンは大きな鳴き声を上げると空へ飛び上がる。


「どうすりゃいい?」

 木にしがみつきながら動転したベーメが言った。木はまばらでそこには身を隠すような場所もない。

「どうするってやりにきたんだろう?」

 アルは思わず怒鳴った。

「なにを! あんな怪物をどうやって……」


 グリフォンが木をつかんで上から覗き込んで来た。アルが剣を振るって注意を引きつけ、兵士二人は散り散りにかけ出した。グリフォンはすかさずベーメに狙いを変えて襲いかかる。ベーメは後ろから爪を突き立てられそうになったが、足がもつれて転んだことが幸いした。アルはグリフォンの尻尾に弾かれる。もう一人の兵士――ロジェが剣を手に戻り、グリフォンの喉元めがけて突きを放った。首の脇に抜ける剣が体毛を飛ばす。続けざまに斬り払いグリフォンの手に傷を負わせた。獣鳥は激高し、両翼を振り回した。土埃が巻き上げられ三人は後ずさりせざるを得なかった。グリフォンは獲物を睨めつけ首を小刻みにうねらせて吼えた。兵士とアルの三人が左右正面の三方に分かれて間合いを取りタイミングをはかりながら武器を振るう。グリフォンは小賢しい蠅を払うように腕を振り回すが、散発的な攻撃は容易に見切られた。注意が散漫になり体の傷が徐々に増えることに焦らされ、グリフォンは突破をはかって空へ飛び出した。ちょうど正面の位置に立っていたベーメに体当たりが直撃し、十数メートルも突き飛ばされた。鉄の鎧は大きく凹んで衝撃で頭が真っ白になり一瞬呼吸が止まった。ベーメは苦悶の表情で激しく咳込む。グリフォンが急降下で躍りかかり、ベーメを捕らえようとした。アルの放った矢が獣鳥のウロコの生えた背中に浅く刺さる。二本、三本と連射される矢に獣鳥は再び空へ逃げ出す。二人はベーメを両脇から抱えて岩陰まで走りこんだ。岩肌へ張り付いた。


「駄目だ、逃げよう……」ベーメは喘ぐように呼吸している。

「逃げるったって、一体どこへ?」ロジェは辺りを指し示す。彼の言う通りそこはまばらな木と点々と大きな岩が転がる草地だったため、グリフォンから姿を隠すことは困難だった。


「とにかく行くしかない。ここにいても食われるだけだ」アルがグリフォンに狙いを定め矢を放つが放物線を描いて消えた。グリフォンは上空で叫び声を上げながら行きつ戻りつ旋回している。三人は岩陰から岩陰へ移動していく。


「今のうちだ、走るぞ」アルが上空のグリフォンを確認して指示を出した。ベーメを抱えて、必死に木陰へと走る。

「どこへ行った? ……撒いたか……?」


 目を切った隙にグリフォンは姿を消した。アルとロジェは恐る恐る這い出すと身をかがめながら空を見た。穏やかにただよう積雲がまばゆい太陽を隠すと背後で物音がした。舞い散る葉と共にグリフォンがベーメの真上の木から一気に駆け下りてきた。ベーメは痛みをこらえすんでのところで身をよじり踏み潰されるのを逃れた。グリフォンは首を素早く動かし獰猛な眼差しで辺りを見回す。アルは剣を正面に構え、ロジェはじりじりと回り込みながらベーメの位置を確認しようとした。しかし、グリフォンの大翼で見えない。うねる尻尾、伸び上がる肢体、張り詰めた筋肉が盛り上がり体勢を低くすると、ヘビのように体をくねらせ素早くにじり寄りアルに食いつく。アルは左右に飛びすさりながら反撃する。空を切る斬撃、舞い散る土埃、くちばしが鳴る。振り下ろされる爪の連撃を受け止めると、ロジェがグリフォンの胴体へ一撃をみまった。血が飛び散る、身をよじるグリフォンの腕にロジェの鎧がズタズタに裂かれた。グリフォンは飛び上がり、アルへ急襲を繰り返す。彼は崖に追い詰められてしまった。


 アルは息が上がり、あごから汗が滴る。グリフォンが大きく翼を広げて、アルを蹴落とそうと降下した。アルは果敢に飛び込み斬りを放った。懇親の一撃はグリフォンの爪をとらえると、鈍い衝撃に折れてしまった。


「ちくしょう!」


 グリフォンが身を翻し、アルをその爪で引き裂きにかかった。全身の毛穴が開く感覚がアルを襲う。背後から鋭い回転音が飛んできた。投げつけられたベーメの剣はグリフォンの腕に当たり、崖下へと落ちていく。アルはその隙に男の死体――テオフィルのかたわらへ転がり込んだ。腰から剣を抜く。鈍色の刀身が光る。グリフォンの左目を斬りつける。左翼を斬りつける。一段と高い咆哮がこだまする。グリフォンは痛みを振り払うようにもがきながら空へ飛び出していった。青空に黒い点が小さくなっていく。



「終わったのか……?」

 兵士二人がアルのそばへやってきた。ロジェはベーメを支えている。

「……恐らく……助かりました」

「助けられたのはこっちの方だな」ベーメの言葉にロジェはうなづく。ベーメはアルを顔を見て、「ああ、あんたは酒場にいた若いのだな、そうだろう?」

「ええ、そうですよ」


 アルのことを思い出したベーメの明るい表情に、アルは苦笑いした。


「どうしてこんなところにいるんだ?」

「その人の家族に頼まれて探していたんです」アルはテオフィルを見た。

「……そうかい、残念だったな」

「そちらは、グリフォンを退治しに来たんですか?」

「いいや。俺たちもこの男を探しに来たんだ」ロジェが言う。「どうもスパイだって話があってな、外れだったみたいだが」

「全く、とんでもねえ目に会ったぜ」


 時折浅くなる呼吸で小さくうめき声を出しながらベーメはロジェの肩から下ろしてもらい、服をめくると自身のケガの具合を確かめた。脇腹に大きな青あざが見えた。


「ひでえもんだね、これは」

 ベーメはテオフィルの亡骸を見ながらつぶやく。

「埋めてあげましょう。彼にも助けられました」

 アルは手にした彼の剣を地に刺して言った。

「ああ。そうだ、フィルマンも埋めてやろう」


 ロジェはアルと一緒に崖下に突き落とされたフィルマンを探しだした。遺体を抱えて丘の上に戻ると、二人を丁重に埋葬した。二人ともペンダントを身につけていたので形見にと、それを外した。墓標にはそれぞれの剣を立てた。三人ともケガと墓穴掘りとで疲労色濃く、その日は近くで野営した。クタクタになっていた三人は、それぞれ簡単に食事をすませる。焚き火の爆ぜる音の心地よさと暖かさが眠りを誘う。兵士二人はすぐさま眠りに落ちた。アルは一人焚き火の赤い炎をじっと見つめていた。ふと、自分の足の先に紙が落ちているのを見つけた。テオフィルのメモだった。アルはそれを拾い上げて眺めた。何の変哲もないメモだったが、何気なく炎にかざしてみると文字が浮かんできた。


 ウォーベンゲン

 森のささやき

 三 二 三

 

 ウォーベンゲンは北部の都市だったが、アルが訪れたことはなかった。膝を抱えて目をつぶる。後に続く意味はわからなかった。アルは眠った。


 次の日、目覚めるとすっかり日が昇っていた。アルとロジェは兵士たちが乗ってきた馬の居所を探した。幸い林立する木々の向こうに二頭の馬が見つかった。三人が村に戻ったのときにはすっかり夜が更けていた。


「ようやく着いたな」

 ロジェは宿屋の前に降りると大きく伸びをした。

「ここに泊まるんだろう?」

「いえ、伝えなきゃいけないので」

 アルはペンダントを手に首を振った。

「そうか、それじゃあここまでだな。世話になったよ。グリフォンについては報告して兵士を送るようにしてもらうつもりだ」ベーメの言葉に、ロジェがうなづく。

「わかりました。それじゃ」

「体に気をつけろよ。じゃあな」


 アルは兵士たちと握手をかわした。アルは松明を手に酒場へ向かうと、すでに店じまいしていた。裏にまわり、扉をを開けさせた。寝間着のジョゼットが目をこすりながら出てくる。アルはテオフィルのことを話した。ジョゼットは牧場に走った。


 居間に集まった一家を前にアルがテオフィルのペンダントをテーブルにそっと置くと、マリーズは泣き崩れた。夫を亡くした妻の泣き声が真夜中の静けさに流れてゆく。細く細く、落としたコップから水が広がるように。


「……ありがとう。本当に……」

 絞りだすように父親のジョンが言った。マリーズはジョゼットが抱えるようにして部屋へと連れて行った。

「すまないが、明日にでも墓に案内してくれないか」

「もちろん」

「すまない、本当にすまない」

「今日はもう遅い。うちに来て休んでくれ」

 酒場の主人のマルキが言った。アルはジョンとイヴォンヌに見送られマルキとともに酒場へ戻った。次の日、抜けるような青空の中、アルはジョン一家をテオフィルの墓まで案内した。グリフォンの姿はなく静かに小さな虫がおどっていた。マリーズは墓の前に泣き崩れ、悲痛な泣き声をあげる。墓前は色とりどりの花で覆われ、故人を偲ぶ涙が地を濡らしていた。


 牧場に戻るとジョンが馬を連れてきた。

「こいつを使ってくれ。テオフィルが乗ってきたやつなんだ」

 鹿毛に黒たてがみの牡馬は少し細身だったが落ち着いておりよく訓練されていた。

「うちには世話する余裕がないし、あんたに乗って行ってもらった方がこいつにとってもいいだろう」

 ジョンは馬の蹄を確認し首を厚い手でなでた。ジョゼットは礼金の入った小袋と食料――干し肉、干物、それに赤みがかったハチミツ――を持ってきた。

「本当にありがとうございました。これはほんのお礼です」

 アルは食料だけ受け取った。

「これだけで充分です」

 ジョゼットは無理やりお金を渡そうとしてきたが、アルは頑として受け取らなかった。

 マリーズが悲しみに打ちひしがれた沈んだ表情で進み出てきた。震える唇、赤く染まった鼻、充血した目、青白い表情でアルの手を握ると、消え入りそうな声で礼を述べた。ジョゼットが言った。

「ありがとう」

 マリーズはその言葉に何度もうなづく。彼らの温かな見送りの中、アルは出立するのだった。

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