海辺の街で
アメントースはスメイア国中西部に位置する港湾都市で、スメイア随一の貿易拠点として栄えていた。
魚介類はもちろん、スメイア中の物産品――農産物、織物、鉱石などが集まり日々、千人余の往来がある。領主ヴェルナー・ペーペルコルン――厳密には街の代表者だったが、敬意を込めて『領主』と呼ばれている――は元々猟師であったが、周辺の猟師をまとめ上げて漁業協会を立ち上げ、海賊との戦いと貿易ルートの確保を成し遂げ財をなし、街の領主となった。周縁には小さな漁村集落が点在し、海には幾艘かの木造船が浮かび、砂浜の小屋の脇で座り網をつくろう婦人らの姿が見えた。
小川にかかる石橋を何本か渡り、徐々に他の商人や旅人らの姿も増え始めた。石造りの外壁に円錐状の屋根の見張り塔がいくつか見える。河口そばの大きな木造の橋を渡ると、門兵の立つ脇を抜けアメントースへ入った。ストルフは商人たちがたむろしている一角に馬車を止めると、三人に書類を手渡した。
「どうもありがとうございました。仕事とはいえ、大変ご苦労をかけました。これは別に受け取ってください」
ストルフは三人を順に篤く手を握り革袋を渡した。
「それじゃあ僕はここで」アルは馬を下りる。
「私もここで失礼いたします。本当に助かりました」神父も馬車を下りて、帽子を取って皆に一礼した。
「これ、あげる」リリーがアルへどんぐりを手渡した。
「どこで拾ったんだい?」
「森よ。一番大きいのをあげる」
「ありがとう、家のそばに植えるよ」
アルはそう言って、リリーの頭をなでると馬をトムのもとへ連れて行った。
「すまんな、兄ちゃん。今回は助かったよ。また、どこかで会おうや」
「私からも礼を言わせてくれ」ラザフォードが言う。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「これからどうするんだ?」
「帰る前に、少し街を見てみるつもりです。馬も買わないと」
「そうか……おせっかいかもしれんが、その腕だ。君は兵士に向いていると思うがね。もし、その気があるならば言ってくれ。力になれる」」
アルは笑った。「どうでしょうね。まあでも考えてみます」
「港への途中に診療所があります。良かったらお送りしますよ」
「そうだな俺は馬で一緒に行こう。あんたはどうする?」
「それではお言葉に甘えて乗せてもらうとしよう」ラザフォードは馬車に乗り込んだ。
「せっかくの報酬も治療費で赤字だぜ、全く。それじゃあ元気でな」
アルは商人に別れを告げ、街の中央東側にあるギルドに向かった。同じ方向だというので、ドゥ神父と同行した。
「正直、驚きましたよ。あなたのようなお若い方が、あれほどの腕を持っているなんて」
「今回は無茶な旅だと思いました。正直危なかったですよ。神父様にも助けていただきました」
神父は大きく声を上げて笑った。
「私はただ、神の下僕としてその導きに従うまで。本職の皆様には敵いません」
井戸端で談笑しながら洗濯する女たち、石蹴り遊びをする子どもたち、野菜を満載した手押し車の農夫、石の階段でパンかじる兵士がいる。
「もし良ければ、教会へ寄っていきませんか。ご案内しますよ」
アルはそれほど興味があるわけではなかったが、気晴らしにその申し出を受け入れた。アメントースの大聖堂は街の中央やや北寄りに位置し、そばをデスポ河が流れる。ファサードには二本の塔がそびえ、黄褐色と茶褐色の石材を組み合わせた外観は飾らない素朴さと重厚さを備えている。
「立派なものですね」
「首都のレヴィアにあるものには負けますが、こちらのほうが歴史があります。高さ百メートル、幅四十メートルあります。大きいでしょう?」
中央円形の壁面にはダイヤ形の大きめのガラス窓が三つ、さらに上部には六つあり、大聖堂を支える十本の柱には、二神教であるスメイア国教会の男神ラーグと女神レアの神話を模した彫刻が施されている。
「この身廊を歩くと、いつも厳粛な気持ちになります。心洗われるようです。そうは思いませんか?」
「ええ」
アルは天井を見上げる。ヴォールトにあしらわれている装飾が鳥の――あるいは、天使の翼を模しているのがわかった。
「僕は孤児だったんです。シスターに連れられて、教会へ行ったのを思い出します。こんなに立派じゃありませんでしたが」
ドゥ神父は微笑んだ。
「ただ、この稼業を始めてからは来たことがなかったな。僕みたいなのは、教会の邪魔でしょう」
「いいえ、全く。教会は、いつでも、誰にでも開かれていますよ」
長椅子には浮浪者らしき人が座り、身なりの整った信徒の男女が飾られている絵画を前に談笑している。また、見習いであろう若い神父らが司教のイグニシウスと話をしていた。
「やあ、ドゥ神父。久しいね。長旅は疲れたろう」
「司教様、お久しぶりです」
「そちらは新しい信徒かね?」
「こちらは、今回の旅路を助けていただいたハンター殿ですよ」
「ほう。若いのにたいしたものだ」
アルは苦笑いをしながら頭を振った。イグニシウス司教の笑い声が朗らかに大聖堂内部に響く。
「どうかね、よければ一緒にお茶でも」
「いえ、そんな。こんなに泥だらけですし」
「構うことはない、さあこちらへ」
司教は奥の扉へ促した。
「司教様もこうおっしゃっておりますし、一杯くらいお付き合いください」
アルは仕方なしにうなづくと、扉を抜けて裏庭に通された。背の高い外壁によって通りから隔絶されたその一角は一面の芝生、ポプラの大木、木製のフェンスに淡いピンクのつるバラが麗しく、白と青紫のヒヤシンスが並ぶ。プリムローズが幾箇所を飾り、それらの花粉を求めて蝶やミツバチが踊っている。
「すばらしい庭園ですね」
「ささやかなものですが、街の皆の協力で美しい花を見られるんです」
アルとドゥ神父は司教に旅の苦難と思い出を語った。
「この若者の力は大変すばらしいものでした。あのような剣を見たことはありませんでした」
「それは大変なご苦労を。魔物は恐ろしいものです。私も若い頃は各地を回って布教をしたものだが、どこの村でも家畜を荒らす魔物の噂は耳にしましたし、ゴブリンなどにはよく出くわした。グリフォンを見たこともある」
「おかげで僕らのような人間に仕事があるんですよ」
「全くその通りかもしれん。だが、気を付け過ぎるということのない仕事だということを忘れてはいけない」イグニシウス司教は薄い唇で薄く微笑んだ。
「肝に命じておきますよ。それでは僕はそろそろ失礼します。ごちそうさまでした」
「いつでも教会へおいでなさい」
入り口までドゥ神父が見送りに同行した。
「またいずれお会いする機会があるやも知れません。それではお体に気をつけて」