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消える足跡(8)

「他に買っておくものはありますか?」

 アルは大きな木箱を両手に抱えてミットーレックの家に帰ってきた。中にはパンと生鮮とドライフルーツ――リンゴ、ブドウ、オレンジとクルミ、干し肉、干物、びん詰のジャム、ピクルスが満載だった。それを五往復して五箱仕入れてきた。


「お店の人に聞いてきましたけれど、レプリード大森林へは大体十日から二週間。ヴィジラント山へは一週間ほどでたどり着けるだろうと言っていました」

「途中の村にも寄って食料を確保すれば充分だろう。アル、悪かったな。私たちも手伝えれば良かったのだが」

「気にしないでください。これくらいは全然平気ですよ」

「大森林の風穴は何箇所もあるが、ヴァーラヌスの生息場所と言われているのは、北西部の大風穴の奥だ」

「そのヴァーラヌスというのはどんな姿をしているんですか?」


 ミットーレックは自室の棚から大型の本を持ってくると、テーブルに広げた。素早くページがめくられ中ほどで止まった。アル、ベオ、クーロの三人が覗き込むと、タンポポのような明るい黄色に覆われたトカゲが描かれている。体の側面には紺碧の細いラインが走り、銀色の足は岩のようにごつごつとしたウロコに覆われ鋭い爪が光る。


「派手なトカゲだね」クーロは本を興味深そうにしげしげと見つめた。

「よく走るよ。凍った地面の上でもものともしない」

「吸盤でもついているんですか?」

「ああ、その通りさ。そのおかげでつるつるした地面も天井にだってはり付ける。でもこいつはオスでね。あんたらが狙うのはメスだ」


 ミットーレックによってページがめくられる。ヴァーラヌスのメスはトカゲというよりも竜のようだった。灰褐色の体全体には斑な縞模様が走り、いびつなうろこに覆われていた。


「こいつの体の大きさはオスの何倍もある。オスだって人と同じか、より大きいくらいだから、丸呑みされるには充分な大きさだろう?」


「これを仕留めた人間はいるんですか?」


「オスの方は年に数匹。メスは、私の知っている限り、十五年前に一度だけ」

「そんなに……」クーロは驚いてベオを見た。

「メスを仕留めたのは誰ですか?」

「スーラ族の若者だという話。名前はエーラゼンと言ったかな」

「スーラ族か。ならば途中に彼らの村に立ち寄る予定だ」


 ジーンとアンドレが帰ってきた。途中でアンドレが焼き菓子を買ってきたので、甘い香りが室内に充満した。アンドレはそれを皆に配って回り、匂いにつられてねずみが騒がしく駆け回った。


「どうでしたか?」

「知っていることを話してやった」

「シューバー先生は泣いていたよ……あんな顔を見せられちゃ、やるせなくて言葉が見つからんよ」

「そうでしたか……お疲れ様でした」


「彼からの情報で、大森林に入る手前にスーラ族の村があるらしい。そこでトビーという僧侶に会うように言われた。力を貸してくれるだろう、と言っていた」

「それなら、エーラゼンにも会えるかも知れませんね」

「何者だ?」

 アルは本を見せながらヴァーラヌスについて説明した。

「わかった。それで、霧燕の方はどうなんだ?」


「どれ、貸してごらん」


 ミットーレックはページをめくり、本の後半で手を止めた。霧燕の姿は通常の燕とほとんど区別がつかず、翼や足のあたりが靄がかって描かれていただけだった。次のページには巣の様子が描かれていた。波しぶきの激しい冬の海にストゥアルトの断崖がそびえる。


「高さは?」

「百メートルほどの断崖だと書いてある」

「そもそも今、霧燕は生息しているんですか?」

「まあいるだろうさ。絶滅したなんて聞かないからね。そうだ、いいもんをやろう」


 ミットーレックは部屋の端っこにあるガラクタの入った箱を漁って長いロープを取り出した。その重さに老婆はよろめいて倒れそうになったが、ベオが抱きかかえた。


「これはただのロープじゃないよ。魔法のロープだ」

「魔法のロープ? 普通のロープにしか見えないよ?」


 クーロはロープを手にとって見たが、麻でできた使い古しで、泥色に汚れ毛羽立っている。


「芯に精霊の祝福を受けた撚り糸が仕込まれているおかげで絶対に切れないし、一度結べば結んだものの手に寄らんと解けん代物だ」


「試させてもらおう」


 ジーンはロープの端で輪を作るとナイフを取り出して、そこに差し込んだ。勢いをつけてナイフを動かした。しかし手応えはあるものの一向に切れる様子はなかった。ジーンはアルにロープをぴんと張ってしっかり持っているように言うと、ナイフを振り下ろした。これも手応えだけをその手に残して、ロープは切れず仕舞いだった。


「さあ、どうだね?」


 ミットーレックは鼻を鳴らして顎を上げた。それから食料の入った木箱からリンゴを取ってかぶりついた。右手をアルの方へ差し出した。


「何ですか?」

「タダでやるとは言っておらん」


 樹皮のような皺だらけのごわついた顔で笑う老婆に、アルはあきらめて金を払った。アンドレが申し訳無さそうに話し始めた。


「俺はここまでってことにさせてもらう。仕事があるんでな」

「アンドレさんにはお世話になりました。どうかお母さんによろしくお伝えください」

「あなたにはお世話になったよ。ありがとう」


 アンドレはアルに続いてベオと抱き合った。クーロも続いて礼を言うと、アンドレに頭をなでられた。


「危険な旅になるだろうが、父ちゃんの言うことを聞いていれば大丈夫だ」

「ええ、おじさん。本当にありがとう」

「それじゃ、みんな。そろそろ出発しよう」


 ベオの言葉で全員が外に出た。レフォードの外にある牧場に行き、犬ぞりを手に入れた。そこでアルが提案した。


「ふた手に別れましょう。その方が効率が良い」


「どうする?」ジーンはベオに訊ねた。


「何か考えがあるのか?」


「ベオさんとジーンはヴァーラヌスのところへ向かってください。僕はひとりで霧燕の巣を取ってきます」


「大丈夫か?」


「ヴァーラヌスを倒すのに人数がいるのはわかります。ですから霧燕の巣を手に入れたらすぐにそちらに向かいます」


 ジーンは束の間目を閉じて考えた。目を開けると、アルの表情は固い決意に燃えていた。


「霧燕の巣を取ったら、一旦レフォードへ戻れ。俺たちがまだ街に戻っていない場合はレプリード大森林に来てくれ。それでいいな?」


 アルは力強くうなづいたが、ベオは逡巡していた。


「本当にひとりで大丈夫なのか?」


「僕はこれが最善だと思います。魔法のロープも買いましたから、心配はありませんよ」


 アルのそりの犬たちがロープの臭いを必死に嗅いでいる。ベオはアルの目を見てその奥を見通そうとした。


「わかった。私からも頼もう。だが、もしひとりで困難だと判断したら、無理をせずに撤退してくれ。氷猿を倒す前に死んだら承知せんぞ」


 ベオはアルの胸を拳で叩いた。それから二人は固く手を握った。


「もちろん。道半ばなんてのはごめんですよ」


 こうしてアンドレと別れたアルはひとりで北のストゥアルトの断崖へ赴き、ジーンとガル親子は東のレプリード大森林へと犬を走らせるのだった。


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