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消える足跡(6)

 ミットーレックを先頭に下水道に出ると、来た道を半分まで戻り、管の合流地点に出た。一番細い管に入って行くと、そこから五分ほどのところで地上に出る。雪は止んでいたが、雪煙の舞う強風吹きつける夜に変わっていた。学術地区は碁盤目状の細い通りに三、四階建てのほとんど黒いレンガ造りの建物が、互いに寒さから身を守るべく身を寄せあうように並んでいる。ほとんどの屋根が二階分の高さを持ち、鋭く天を衝いている。


「走るよ」


 ミットーレックは風に乗って駆けて行った。アルたちはその後ろをついていくが、不思議と視界がはっきりし、ミットーレックを見失うことはなかった。窓に光るほの明かりの唯一灯る一軒の家の前に着くと、ミットーレックは裏口に回った。ドアを開けようとしたが、鍵がかかっている。ミットーレックは鍵を取り出して中へ入っていった。台所だったが、薬品臭の充満する空間だった。ミットーレックはランタンを掲げて先導した。廊下に出ると、階段を登った。すると上から鋭い声がした。


「誰だ!」

「私だよ」


 ミットーレックのどこかいやらしいしゃがれ声に、階段の上の声は気の抜けた返事を返した。アルたちもミットーレックに続いて二階に上がり、廊下の突き当たりにある部屋に入っていった。壁の両面の本棚の前には入りきらない本が積み上がっている。少しかび臭かった。


「……こんな時間に……寝ようと思っていたのに」

「こんな時間だから私が来たんだよ。どうせ日が昇らないと眠らないだろう」


 男はゆるくウェーブ掛かった長髪を後ろに撫でつけた。それから丸メガネを外して目をこする。


「ぞろぞろと……ねずみの行進かね」

「ああ、そうさ。サルーミ族を連れてきたよ」

「それは珍しい」


 男はメガネに息を吹きかけて汚れを拭いた。


「私は、ベオ・ガル。こっちは娘のクーロ・ガルだ。他はジーン、アル、アンドレ。私の友人だ」

「それはご丁寧にどうも」


 男は椅子に腰掛け、机の上に広げられていた本を閉じた。


「私はラデオル。夜の訪問者諸君、どうぞよろしく。君たちがせめて森のフクロウの抜け羽程度であることを願うよ」


 丁重な言葉遣いとは裏腹にラデオル・アーリアスの物言いは気怠さにまみれていた。ミットーレックはベオに、部屋の隅に置いてある安楽椅子を持ってこさせ、自分だけラデオルの前に座った。老婆は後ろに立ち並ぶアルたちに振り返った。


「こいつはね、レネス・ムーンボルドーの教育係だった男さ」

「昔の話だ。今はこうして四六時中家の中で書物と格闘している。時々こうして客が来る程度だ」

「そんなに喜んでもらえるとは思っても見なかったね」

「喜んでいるように見えるとは、思っても見なかったよ」


 老婆ひとりだけの笑い声が響くと窓ガラスが風にガタついた。

「それで、用件は何かな?」

 ベオはクーロの手からブレスレットを外すと、ラデオルに手渡した。ラデオルはメガネをかけて何度かひっくり返して不揃いの水晶を眺めた。

「これは?」

「魔女の手がかりになると言われ預かっているものです」

「なるほど」


 ラデオルは頬を撫でながら水晶のブレスレットをベオに返した。


「私たちは氷猿という怪物を追っています。聞いたことはありませんか?」

「いや、聞いたことがないね」

「その怪物は人が変身したものなのですが、剣も槍も効かないのです。氷猿を倒すために、魔女を探しているんです。先生は何かご存じありませんか?」

「ああ、先生は止めてくれ。別に先生なんかじゃないんでね」ラデオルの額のシワが少し深まった。「魔女、魔女……魔女か……」つぶやきながらこめかみを揉みほぐすと、ラデオルの真っ暗闇の瞳にわずかばかり光が浮かんだ。


「ええ、何でもいいのです。手がかりが欲しいのです」

「参考までに聞きたいが、なぜその氷猿を追うのかね?」

 ベオは氷猿の正体と自分の経緯を話した。

「ラデオルさん。俺はケイマス村の村長の息子、アンドレ・シュベルトと申します。俺も聞きたいことがありましてね。ここに医者のシューバー先生がいらっしゃいますでしょう? あの人の息子はどうしてますかね?」

「シューバー先生はもちろん知っているよ。ちょっと前まで風邪をひいて臥せっていたが良くなったとうかがった。息子の話は……知らないのかね?」


 アンドレはアル、ジーン、ベオを順に見つめて不安の色を濃くした。


「行方不明になっている」


 アンドレは眉間にシワを寄せて唇を噛んだ。「……やっぱり!」

「何か知っているのか?」


 アンドレが言い淀んでいると代わってアルが説明した。


「その廃墟に住み着いていた老人がスタヴィオ・シューバーを名乗ったのか」

「そうなんです」

「ケイマス村の疫病、スタヴィオ・シューバーの老化と死に氷猿が関わっているのか。それで魔女の助力が必要だということか。なるほど」

「マリー・アートウッドについて何かわかりませんか?」

「その名はメナスドール建国史にも出てくる。一般的には伝説上の存在だと認識される。最古の魔女、倍の知恵者などとの異名を取る」

「伝説……」

「私よりも年上さ」

 ミットーレックはクーロに乙女のウインクをしてみせた。クーロはうろたえて父親に助けを求めた。

「あんたは一体いくつなんだよ」


 アンドレが思わず口に出すと、ミットーレックは手にしていたマフラーで打ち据えた。


「女に歳を聞くもんじゃないよ、デリカシーがないね!」


「メナスドール建国史のほとんどはスヴィア人の歴史だ。スヴィア人は元々ここより東に百キロほどにあるハイラダート山脈のふもとに集落を形成していたロガート、レーゲラット、スーラの三民族が原形となっている。ロガート民族の王ドルムウラが中心となって周辺民族を束ねてできたのが、旧国クロリアだ。ドルムウラ王がなぜ力を持てたか。人望も武力も知恵もあったのは確かだが、魔女マリー・アートウッドの協力が大きい。そして彼女はエルフである」


「それで、彼女は今どこに?」ベオが訊ねた。

「それを知るものはいない」

「そもそも生きているのか?」

「それも定かではないが、死んだという話も聞かない。」


 ベオからため息が漏れた。


「エルフは確かメナスドール東部のどこかにあった大森林を根城にしていたはずだが、今はどうなんだ?」ジーンが前に出た。


「レプリード大森林か。かつてこの国の東部一帯を覆っていた森はエルフの棲家だった。現在のリガティアやネイトゥールまで森の一部は広がっていたが、今やそこにエルフはいない。いや、いないと言われている」


「確認したのか?」


「ああ、彼らが姿を消したのは今からおよそ一千年前。ムーンボルドーの治世になってからも大森林に調査隊が何度か入っているが、エルフの痕跡は確認されていない」


「エルフはなぜいなくなった?」


「建国史では『役割を終えたから海の果てへ漕ぎだした』と謂われている。別の伝承――スーラ族に伝わる叙事詩『雪の牧歌』によると、ドルムウラ王とマリー・アートウッドは恋仲となるが、ドルムウラ王の不貞により関係は破綻し、エルフは姿を消したとされる」


「魔女が全てエルフだと言うわけではあるまい」

「その通りだ。魔術研究の基礎は全てエルフの知識と技術に負っていると言われている。魔術を基礎に人は錬金術を始めた。卑金属から貴金属を創り出そうとする。業の深さだな。それはともかく、私が知っている魔女はただ一人、スリーシャ・グラフ」


「どこにいる?」

「城だよ」とラデオルはその方向に目をやった。

「城?」


「そうだ、レフォード城が彼女の棲家だ」

「何者なんだ?」


「彼女はガリウス大公の長男ヴァレス・ムーンボルドー公の第二夫人ジュナに仕えている。しかしその存在を知る者はほとんどいない」

「国の中枢にどこの誰かもわからない人間がいるのか?」ジーンは驚いた。


「正確には魔女だと認知されていない、ということだ。彼女は複数いる一介の侍女だと認識されている。私も城の中にいる頃はそう思っていた。ただ、占星術の心得がかなりある女性だった」


「占星術師として雇われたのか?」


「ジュナ妃はスリーシャの助言によってムーンボルドー公に見初められた。スリーシャの占星術師としての力があることは間違いないのだろう」


「彼女が魔女だと、どうやって知ったのだ?」


「私は大公の次男レネス・ムーンボルドー侯爵に仕えていた。当時スリーシャが占星術師だという噂も聞いたことがなかったが、偶然レネス様に仕える侍女のひとりがスリーシャが占いをしているところを目撃したことを教えてくれた」


「占星術師やまじない師ならばどこにでもいる。そんなに珍しいことではあるまい?」

「たしかにその通りだ。だが、もしその辺にいる辻占い師と同等の人間ならば、堂々とそう名乗れば良いだろう。それに腕に自信があるならなおさらだ。もしかしたら腕を買われて、この区画に部屋を与えられ好きなだけ研究に没頭できるやも知れん。だが彼女はそうしないのだ。なぜか?」


 ラデオルは試すような視線をアルたちに向けると、目をつぶって思考の反芻を行った。


「それ以上の目的があるんだろう? 研究なんかよりよっぽど魅力的なものがな」

 ジーンが言うとラデオルはうなづいた。

「私も同意見だ」

「その目的は何ですか?」

 アルが言うとラデオルは人差し指を立ててそれを緩やかに動かした。頭の中のスープをかき混ぜるように。

「国家権力」ラデオルは淡々と言った。

「ジュナを使ってヴァレス・ムーンボルドーを操る算段か。そううまく行くのか?」

「どうだろうな。しかし今の所うまくいっているように見える」

「それで、そのスリーシャという女に接触できるのか?」

「通常はジュナ妃にべったりと付き添って侍女の役割を果たしている。君たちが彼女に会いたいと城に行ったとして、面会は拒否されるだろう」

「何かアイディアがあるのか?」

「研究が彼女の主目的ではないとはいえ、魔術研究はジュナ妃を手懐けるのに必須事項だろう。その研究材料をこっちが持っていれば交渉材料になるのではないかと思う。彼女の欲しているもの。ひとつは霧燕の巣。もうひとつはヴァーラヌスの肝。この二つだ」


 ミットーレックはゲラゲラと手を叩いて笑い出した。「魔女に会う前にあんたら死ぬかもよ」


「それがなにか知っているのか?」とジーンが訊ねる。


「霧燕はヴィジラント山を越えた北の海にあるストゥアルトの断崖に生息する固有種で、姿を霧に変えることができると謂われている燕だよ。垂直の海に面した断崖に巣を作る。ヴァーラヌスはレプリード大森林の風穴に棲んでいるオオトカゲだね」


「危険はどこにでもある」

「そうですね。その二つを持っていけば魔女に会えるんですね?」


 ミットーレックは自信ありげな傭兵二人を見て険しい表情になった。


「会ったって、スリーシャって女がマリー・アートウッドを知っている保証はないよ」

「それでも他に手がかりがない以上、やるしかないんじゃありませんか?」

「アルの言う通りだな。他に考えがあるか?」

「私は直接城へ行けるものと思ってここに来たんだがね」


「ミットーレック、私のコネはそれほど強いものではないよ。恐らく下手に勘ぐられて拒否されるだろう。実際に一度拒否されている」

「あんた、何をしようとしたんだね?」


「城から離れたとは言えこれでも国を憂う身なのは変わりない。協力者と共に場内の動きを探っていた時にスリーシャの存在が浮かび上がった。詩についての講義を装ってジュナ妃と会うと約束しようとしたが拒否された」


「そんなもんで妃が会うもんか」


「あの人は案外物語や詩についておしゃべりするのが好きでね。城の中にいた時には何度かそうした話をしたことがあったのだ。しかし一旦は承諾されたが、約束の前日に拒否されてしまった。表向きは体調不良ということでね」


「元々興味なんてなかったんじゃないのかい? あんたが教育係をやっていた時は兄弟間のしがらみを思って話に付き合っていたんだよ。それに、あんたみたいな中年の男に会うのは我慢がならなかったとか」


「私についての個人的評価はともかくとして、それ以来何度かアプローチを試みているが、ことごとく断られている」


「その協力者とは誰なんですか?」


「今、君たちに教えることはできない。君たちが先に言った二つのものを手に入れられたら教えよう」

「その二つのものをスリーシャが欲しがっているという情報は間違いないんだろうな?」

「無論だ。ヴァーラヌスの肝に関しては、ヴァレス公の調査隊が送られたから間違いない。彼らが消息を絶って半年になる」

「半年か……もうひとつの方は?」

「まだだ。霧燕の巣に関しては優先順位が低いのかも知れない」

「その後のヴァレス軍の動きは?」

「今の所ない。三ヶ月ほど経った頃は追加の調査隊を送る手はずを整えたと聞いたが、タイミング悪く大公の具合が悪くなってしまったおかげで中止となったままだ」


 窓の外の暗闇の向こうに白い光の気配が差し込んだ。アンドレはそれに気がついたのか定かではないがカバのような大あくびをし、クーロはリスのように目を擦った。


「わかった。今日は準備にあてるぞ。昼まで休んでから俺とアンドレは医者の家に行く。アルは街に出て食料と犬ぞりの手配をしてくれ」

「わかりました。それじゃあ戻りましょう」

「君たちに最後に言っておく。無理だと判断したら別の道を考えるべきだ」

「別の道とは何です?」

「他の魔女を当たるべきということさ」

「なるほど。しかし今は手がかりがある方について考えるべきだな」


「ええ、そうですね。その二つを手に入れましょう。ラデオルさん、夜分にありがとうございました。それじゃ失礼します」


 ラデオルの家を出ると太陽光の放射が街と雲のすき間を破った。次なる目的を得て興奮していたアルたちだったが、ミットーレックのねぐらに戻るとあっという間に眠りに落ちるのだった。


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