表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/64

消える足跡(2)

「ああ、ちくしょう。さっさと出しやがれってんだ!」

 小男はイライラしながら石壁を蹴りつけた。


「おい、おまえ。名前は?」ジーンは腰掛けて腕組みをしている。

「何だよ。名前を聞くなら、先に名乗るのが礼儀ってもんだぜ」

「それは失礼したな。俺はジーンだ。それで名前は?」

「名前なんて聞いてどうするんだ、ちくしょう……ギードだよ」


「では、ギード。ここに来て何日になる?」

「もう一週間だな」

「何組かは出たり入ったりしているが、あんたは取り調べを受けないのか?」

「何べんも受けてるよ」

「どれくらいだ?」


「十年以上前からね」ギードは自慢気だった。

「なるほど。それじゃあ、通常初犯の人間がここを出るのには何日ほどかかるんだ?」

「早けりゃ当日に罰金払えば終わり。遅くても二三日だろうな。だが……」

「だが?」

「今はご覧の通り満員御礼だからな。もっと日がかかるだろうよ」


 オークがやってくると、袋からパンをひとつ取り出して、自分の口に入れると、あとのパンを牢内へ投げ入れていった。ギードはオークをつかまえた。


「チボー、チボーの旦那よ。頼むよ、もう外へ出してくれよ」

「俺に、そんな力はない」


 チボーは腕を掴んでいるギードを手を取った。ギードはその握力の強さに声を上げた。


「ちょっとは手加減しろ!」

「そっちが最初に手を出してきたんだ。俺は悪くない」


 ギードは腕をさすりながら舌打ちした。チボーはゆっくりと牢屋から出て行った。

「おお痛え。腕が折れるかと思った。のろまのくせしやがって」


 ギードは得意そうに笑いながらクーロに近づいた。


「何?」

「おっと、お嬢ちゃん。そんなに睨まないでくれよ。サルーミの旦那も」


 ギードは両手を広げてサルーミ族の親子に友好の印を示した。


「ベオだ。それで何のようだ?」

「いえ、単に仲良くなりたくて。それだけです。お近づきの印にこれを」


 ギードの手のひらには木の実やドライフルーツが乗っている。クーロは「おいしそう」と言って手を出したが、ベオはその手を止めた。クーロはベオにふくれっ面をして不満を表した。


「これは何だ?」

「さっき、チボーの奴から失敬しましてね。良かったら、一緒にどうですか?」


 ギードはクルミをひとつ上に放ると口でキャッチした。得意げな顔でクルミを大仰に頬張るギードに、ベオは渋い表情を崩さなかった。


「手癖が悪いな」


 ジーンはギードからレーズンを取って口にした。それからドライベリーをクーロに手渡してやると、サルーミ族の少女は目を閉じてその甘酸っぱさを噛み締めた。


「それで、何が望みだ?」

「”単に、お近づきになりたくて"。それだけじゃ駄目ですか?」

「いや、悪くない。本当にそれが目的ならな」

「ジーンの旦那。おいらは嘘は言いませんぜ」

「それがすでに嘘なんだろう?」

「疑り深いねえ。まあ、私が信用ないってのは今のところ仕方ないことですが、ここから上手く出してくれさえすれば、いいことがありますぜ」

「信用のない人間を信用しろ、か……」


「ギードと言ったな。ならば聞きたいことがある」ベオが二人の会話に割って入った。

「なんです?」

「私は魔女を探している。貴様は魔女の知り合いはいないか?」

「魔女。魔女ねえ」


 ギードは思わず失笑した。しかしベオの真剣な表情を見て神妙な顔つきをして見せた。


「魔女はそもそも一般人を嫌いますから、レフォードにはひとりもいません。むしろサルーミ族の村なんかの方が、手がかりがあるんじゃありませんか?」


 ベオは首を振った。


「なら、旅商人を当たるくらいしか思いつきませんがね」

「その旅商人にはどこで会える?」

「そこらじゅうで」

「馬鹿にしているのか?」


 ベオはギードの胸ぐらをつかんだが、ジーンが止めた。ギードは咳き込みながら服を整えた。


「いや本当なんですって。今はちょうど精霊祭やってますからね。メナスドール中から商人が物を売りにやってきてますよ」

「情報収集のチャンスは今だ、ということだな」ジーンがベオに言った。

「その通りで。ですから、ここから出るのに口添えでもしてくれたら、ご協力できますがね」

「うれしい申し出だが、俺たちもツテがあるわけじゃない」

「そう言われりゃ、その通りか……」

「その男は頭イカれてるよ」


 同房の別の男が話を笑うと、ギードはカッとなった。


「おい、豚野郎。勝手に話に入ってくるんじゃねえ」

「何だと、ドブネズミが!」

「豚がいきがりやがって。這いつくばって、餌漁りでもしてやがれ」


 ギードはオークからちょろまかしたナッツをその男の足元へばらまいた。その瞬間、男のこめかみに青筋が雷のように浮かぶと、ギード目がけて頭から突進した。ギードは隣りにいたベオを軸に回り込んでかわすと、足を引っ掛けて男を顔面から壁に誘導した。激突の瞬間、男の首の肉が蛇腹のように縮こまった。そのまま朦朧とした牛の呻きみたいな声を上げてひっくり返った。鼻と口から出血し、血だらけの顔を天井に向けた。


「ざまあみろ」

「馬鹿野郎、やり過ぎだ。誰か人を呼んでくれ」


 ジーンは気絶した男の頭を固定し、アルはその血を拭ってやった。アンドレが大声で外に呼びかけ続けた。周りの男たちは手を叩いて囃し立てる者と、呆れ顔をして知らんふりをする者に分かれていた。


「うるさいぞ、何事だ!」


 ドアが乱暴に開かれると、オークのチボーが入ってきた。その後ろにはメナスドール軍の軍服――白地に水色のラインで縁取りされており、全体に銀糸の刺繍で紋章があしらわれている――を着たメガネの男が続く。神経質な眼差しで気難しそうに後ろに手を組んでいた。


「医者はいるか? 医者を呼べ」

「けが人です。運びだしてください」


 チボーが男を振り返ると、男は面倒くさそうに追加の番兵を呼んだ。自分の要求を叫び出すものが出始め、房内の騒然とした空気の中、四人の番兵が入ってくると、気絶した男を担架に乗せて運びだした。腕は担架から力なく垂れ下がる。


「たかがケンカで……まったく……」


 メガネの男はため息を残して去っていった。


「ため息をつきたいのはこっちも同じですよ」

「ひどい状態だったが、大丈夫だろうか?」アンドレは未だドアの先を見送っている。

「頭の骨にひびは入っていただろうが、死ぬことはあるまい」ジーンは手に付いた血をズボンで拭った。


「クーロ、大丈夫か?」

「ええ。でも、すごい音がした」

「そういえば、あの男は?」


 アルは辺りを見回すが、ギードの姿が見当たらなかった。全員が顔を見合わせた。混乱の熱量の引かない房内は、ギードを見失っていた。


「上手く逃げ出しやがった」アンドレは憤慨した。

「単なるコソ泥じゃなかったようだ」

「兵士に言いますか?」

「そんな必要はない。俺たちにはもう関係ない話だ」


 一日が終わろうとしている。牢の壁面に掲げられる燭台では、ろうそくが赤々と燃え上がっている。一人一つのパンを食べ終えた牢内の人々は、満足するはずもなく、その日の内の出所はあきらめて雑魚寝を始めた。その時、唐突に扉が開かれてチボーが入ってきた。


「おまえと、おまえ。ちょっと来い」


 チボーはアルとジーンに手縄をかけて連れ出すと、最初に並ばされた部屋の隣りにある小部屋に入れられた。小さな机にメガネの男が座って書き物をしている。羽ペンの先のインクを何度もつけ直す様子は、どこか脅迫的にすら見えた。男はアルとジーンをちらとも見ずに書類に没頭している。アルは声をかけようとしたが、チボーに縄を引っ張られた。そしてチボーを含めて三人で待ちぼうけをした。男は書類を書き終えると、紙に息を吹きかけてメガネの位置を直した。外へ声をかけて部下を呼ぶと、書類を手渡した。


「マレノールさん、お連れしました」


 チボーはタイミングを見計らって、リノーリオ・マレノールに声をかけた。彼は自分の前に立つ二人の犯罪者を形式的に見比べた。つくえの引き出しから小袋を取り出すと机の上に置いた。


「これは、君らのものだな?」


 アルとジーンがカベルから得た報酬だった。二人はうなづいた。マレノールは中身を漁って金貨を取り出して思いきり噛んだ。自分の歯型を確認すると、二人に突きつけるようにした。

「ベルメランクで鋳造されたものだ」

「ああ、そうだ」

「なぜこれを持っている?」マレノールは机をげんこつで叩くと、チボーがその音に体を一瞬縮こまらせた。


「なぜって、仕事で得た報酬だ」

「何の仕事だ?」

「ある商人の護衛だよ」

「何の商人だ?」

「食料品だ。ドライフルーツなどを運んできた」

「どこからだ?」

「スメイアだ」

「スメイアとベルメランクは今戦争中だったはずではないか?」

「落ち着いているよ。こっちにはそういう話は入っていないのか?」


 マレノールは納得のいかない顔をして座っている。机の下では貧乏ゆすりが始まっていた。


「これほど金貨を得るほどの仕事か?」

 アルもジーンも顔を見合わせるが、どちらも答えなかった。

「食べ物を運ぶ。その護衛でこれほどの報酬を得られるものか!」


 再びマレノールは机を叩いた。チボーもまた体を縮こまらせた。


「そこまで怒ることないじゃないですか。それはその時だけのものじゃありません。貯めてきた結果が、それなんです」

「なんだと? 口答えするな!」


 マレノールはメガネを上げたその手で髪を撫で上げた。アルはマレノールのように不服そうな顔を見せたが、そのまま押し黙った。


「俺たちは店で少しトラブルになってしまっただけです。それほど面倒なことをしでかした訳ではないでしょう? そろそろ解放してくれてもいいんじゃないですか?」


 マレノールは興奮して立ち上がると、拳を振り上げた。


「それを決めるのは私たちだ。お前たち犯罪者ではない。そもそもその物言いは何だ。おまえらは犯罪者なんだぞ。わかっているのか? 反省もなければ、国家に対する敬意もない。この時期はいつもそうだ。祭にかこつけてレフォードの秩序を脅かす輩が火にいる虫の如く集まってくる。おかげで仕事が終わらず、家に帰れない。どうしてくれる、犯罪者ども!」


 チボーは頭をかいた。


「子どもの頃は純粋に祭を楽しめたのに。この時期をわくわくしながら待っていたのに。それが今は頭痛の種だ。おまえらクソどものおかげでな!」


 マレノールは言い終えて肩を上下させながら腰を下ろした。それから咳払いをして小声で言った。


「……失礼、ちょっと興奮してしまった」

「すみませんでした」アルはうつむいたまま言った。

「連れて行け」


 チボーはのそのそと縄を引いて二人を連れ出した。房へ戻る際に、何人かの文官や兵士が忙しそうに廊下を駆けて行った。窓のすぐ外では雪の舞うのが見え、家々の明かりが暗闇に滲んでいた。手をつなぎ家路につく親子。安楽椅子で編み物をする老婆。シチューの濃密な乳の匂いと塩漬け肉を焼いた香ばしさ。何よりも暖炉の炎の温もり。光の向こう、湯気の向こうにそれぞれの家庭の営みが見え隠れした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ