消える足跡(1)
レフォードはメナスドールのほぼ中央に位置し、北側の湖沼地帯を背に造られた都市であった。城壁の建造技術には定評があり、メナスドール南東部のゼノフォルン山地を中心に出土する花崗岩――尖状の長石の斑晶が特徴で、産地からゼノ花崗岩と呼ばれる――によって組まれた城塞は、見るものに吹雪よりも冷たく排他的な印象を与えていた。それはまず街へ入る城門で見ることができた。冬でも往来が多く、ほとんどが犬やトナカイのそりを用いた商人たちだった。アルたちは馬と犬ぞりをすぐそばにあった牧場に預けたが、ユジエは離さざるを得なかった。ジーンは始末しようとしたが、アルがひとりで近くの森に離してやることにした。
「だいぶ人が多いですね」
アルが城門に戻ると、ジーンたちは待ちぼうけをしていた。
「これでも首都だからな。それに、この時期は祭をやっているはずだ。そのせいもあるだろう」
城門内にある兵士の待機所で手続きを行っていたカベルが戻ると、彼はすぐに城へ行くと言った。アルとジーンはそこでカベルから報酬を手渡された。
「約束通り、当初の倍だ。あとは好きにしてくれ」
「てっきり金は奪われてしまったものだと思ったが」ジーンは袋を懐にしまった。
「身につけておいたからな。手癖の悪い連中に奪われないように」
「あんたらしい」
「これからは徴税人に追われるだろう」
カベルの本気とも冗談ともつかないような言動に、アルは苦笑いで答えた。
「お世話になりました」ペトラは深々とお辞儀をした。
「ねえ、もうお別れなの?」カシアは泣きそうな表情を見せた。
「ありがとうございました。僕の方も迷惑をおかけしてしまって……」
「そんなことはありません。こうして無事に辿りつけたんですから。本当にありがとうございました」
「荷物の件は大丈夫なのか? ラシュ族に持ち去られたやつだ」ジーンはカベルに訊ねた。
「それはこちらで何とかすることだ。あんたらが心配することじゃない」
「それはそうだろうが、こちらにも責任がある。もし力になれることがあれば言って欲しいと思ってね」
「これ以上は必要ない」
「俺は街の宿屋に少し滞在しているつもりだ。気が変わったら、声をかけてくれ」
カシアとクーロは抱き合って涙していた。カシアはアルとジーンにも別れを言うと、ペトラと手を繋いで城へと向かって歩いて行った。
「また、雪が降ってきたな」
ベオの言葉にアルは空を見上げた。クーロの視界はその雪と涙に滲んだ。
「さて、忘れない内に、俺からも報酬を渡しておこう」
ジーンはベオに、受け取った金の半分を渡そうとした。
「それは受け取れないと言ったはずだ」
「何はなくとも、金は必要だ。少しでも受け取ってくれよ」
「やはり、それはできない。私の目的は氷猿だ。あなた方もフリーになった。どうだ、私の依頼を引き受けてくれはしまいか?」
ジーンはアルに話を向けた。
「どうしましょうか?」
「たしか、療養所に行かなくてはならなかったはずだ」
「そうでした。ヴェルナーさんのお願いでしたね」
「別の依頼があったのか?」
「いえ、依頼というか、ついでにお願いをされたんです。引き受けてしまった以上、帰るついでにやりますけれど、急ぎというわけでもないので……」
「立ち話はこれくらいにして、食事でもしながら続きを話そう。飯だったら、あんたも食べるだろう?」
ベオはうなづいて、クーロを腕に抱きかかえた。太い指でクーロの涙を拭う。五人は雪の積もる石畳を踏みしめて街の奥へと進んでいった。道行く人の三分の一ほどの人間が仮面をつけている。アンドレはあれがこの祭の特徴だと言った。
「仮面をつけて、神に祈るというか、神に近づくというか、そういうこった」
「仮装パーティーや仮面舞踏会のようですね」
「教会で祈りを捧げてから、街でどんちゃん騒ぎが始まるな」
「今夜もですか?」
「明日から三日間だったと思う」
ジーンは《雪の海賊亭》という店に入っていった。ガラスが大きく取られ、広い店内は、昼食の時間も過ぎていたからなのか、まばらな客入りだった。カウンターで食器を整理している店番の男は細い体と骨格から、ずいぶんと若い印象だった。インディゴブルーに染まった髪が少しこわばり、耳と鼻、唇を飾る複数のピアスとリングは攻撃的で他者を拒絶するようだった。
「いらっしゃい。ご注文は?」
だらけたような言葉だった。その若い男は上目遣いにアルたちを見据えた。ベオとクーロを見ると、嫌悪の表情を見せた。
「サルーミ族が金を持ってるのか?」
「心配するな。持っている」
ジーンは他のみんなに席に着くように言うと、若い男に注文をした。男は注文票を手に緩慢な動きで厨房へと消えた。店の中ほどの目立たない場所に席を取った。
「迷惑ではないか?」ベオはジーンに申し訳ない表情を見せた。
「気にするな」
「ずいぶんな態度を取りますね」
「ここはレフォード。スヴィア人の土地だ」
「でも、ほらあっちのドワーフには」
アルが言う通り、若い男はカウンターで知り合いらしいドワーフと話しながら笑っていた。
「我らサルーミ族はドワーフではない」
「別の店の方がいいんじゃないですか?」
「ここが都合がいいんだ。奥の扉の向こうはギルドになっている。食事を終えたら情報収集をしよう」
「でも……」
「ここで構わない。恐らくどこへ行っても同じだろう」
「サルーミ族はスヴィア人と何か因縁があるんですか?」
「いや、直接どうこうということはない。スヴィア人がメナスドール建国をして、サルーミ族もそれから程なくして付庸関係になったが、以前からスヴィア人は他民族に対して傲慢だった」
「どうしてサルーミは従属の道を選んだんですか?」
「我々の生きる権利が侵害されれば、戦争もやむなしだったろうが、当時の族長とムーンボルドーとの間で話し合いがもたれてそうなった。ムーンボルドー率いる氷の騎兵団は当時、スメイアのヘインズワース軍の侵攻を押し返し、北壁を建造するほどの力を持っていた。だから族長たちは戦争ではなく従属を選んだのだろう」
「そうならば、なぜあんなに邪険にされるんですか?」
「”戦わなかった”から、腑抜けだと思われているのだろう」
「スヴィア人と戦うという選択はなかったということですか」
「戦った者たちはいたのだ」
「それは?」
「ラシュ族だ」
「ラシュ族って、あのラシュ族ですか?」
「そうだ。我々を襲ってきた小人たちだ。半人半魔のラシュ族にとって言葉による交渉などほとんど用をなさない。スヴィア人は東部の支配者だったギアラ族を討ち滅ぼした後、ラシュ族討伐に決起した。我々西部の人間にとっては、好き放題やっていたラシュ族を倒したスヴィア人は、英雄視することはあっても、敵対すべき存在ではない、というのが我々の見方だ」
「英雄ですか……」アルは困惑した。
「戦う理由がない、というのが双方の一致した見解だということだ。実際、サルーミ族がラシュ族に手を焼いていたのは間違いない。スヴィア人が我々を見下すのも、少しは理解できる」
「あまり気分がいいものじゃありませんね」
「偏見はどこにでもある」ジーンはカウンターの方をうかがっている。
「どうしてですか?」
「自己防衛本能さ。人間にとって、腕っぷしも、知恵も、言葉も、金も、どれもが他人に対する力だからな」
「だから相手を見下すと?」
「その通りだ。獣たちには牙と爪しかないが、人間にはさらに小賢しい知恵が加わっている。力関係を推し量るのに、選択肢が少しばかり多いのが人間だ。その中で、相手を脅したり、侮ったり、嘲ったりするのも、ひとつの戦術で、自分を有利にする武器なんだよ」
「僕はそういうのは嫌いですね」
「第三者の意見だな」
ジーンはそう言って立ち上がると、カウンターへ向かっていった。
「おい、注文したものはまだか?」
カウンターの若い男は、今度は若い女と談笑していた。ジーンを見てニヤニヤと猫みたいに笑った。
「今、作っていますよ」
ジーンの後ろにアルがやって来た。
「飲み物を先にくれ」
「ええ。ですから、今作っています。飲み物もね」
若い男は明らかにバカにしたように腰をくねらせて見せた。それを見た女は手を叩いて猿のように笑った。アルが身を乗り出した。
「ジーン、あれを」
アルがカウンターのゴミ箱に捨てられた注文書を発見した。若い男は一瞬バツの悪い表情を見せたが、すぐにニヤついた表情に戻ると、腰に手をやって外に目を移した。
「……手が滑ったんですよ。手がね」
男がジーンをちらとうかがった瞬間、ジーンは革帯から細いナイフを取り出して、その男の鼻に付いているリングに引っ掛けた。
「ああ、悪い。手が滑ってしまった」
黒い傭兵は死んだ感情の言葉を口にしながら、ナイフでリングを引っ張った。男は悪漢に襲われる乙女のように悲鳴を上げた。店内にいた少ない客達は怪訝な顔で、揉め事を注目し始めた。
「注文はどうした?」
男はリングピアスを引きちぎられないように逃れようとしたが、ジーンのナイフさばきによって前に出された。
「俺の言っている言葉はわかるな?」
男は悲鳴を上げながらうなづいた。
「注文はどうした?」
男はピアスホールが少し裂けると、さらに情けなく甲高い悲鳴を上げた。
「ジーン、もういいですよ。店を変えましょう」
ベオもアンドレもジーンを止めようとカウンターまでやって来た。ベオの姿を見とめた客のひとりが絡んできた。
「おい、離してやれよ」
「ジーン、ここは引きましょう」
ジーンは肩越しにその客を睨みつけると、客は一歩引き下がらざるを得なかった。ナイフをリングから外すと、男は鼻の具合を恐る恐る確かめた。アルはジーンの背中を押して外へ向かった。
「サルーミが調子に乗ってんじゃねえぞ」
吐き捨てられたセリフと共に、客の男の体が飛んだ。不運なことに食事をしていた別の客のテーブルに落ちると、辺りは騒然となった。
「アル!」
客をふっ飛ばしたのはアルだった。殴りかかろうとするアルを、ベオは必死に抱き止めた。
「落ち着け、外へ出よう」
「痛えな、クソ野郎!」
男はスープとワインまみれになった顔で、目を真っ赤に燃やして悪罵した。アンドレがそれを止めようと立ちはだかったが、すかさず顔面を殴られた。別の壮年の客が止めに入るが、ジーンが突き飛ばした。その隙に、カウンターから店番の男が飛び出してジーンに飛びかかった。ベオが男を止める。男はベオの顔面に唾を吐きかけ、できうる限りの侮辱の言葉を吐き出した。ベオは両手でその男を持ち上げると、反対側の壁目がけて思いっきり投げつけた。巨人が槌を叩きつけたのかと思われるほどの轟音が建物全体に響く。ギルドに繋がる奥のドアが開かれると、甲冑を身につけたひとりの男が姿を現した。
「何をしている!」
黒髪をオールバックにして後ろで束ね、口髭を豊かに生やした男は場を一喝した。ベオに投げ飛ばされた男が腰を抑えながら悶えている。店番の若い男がジーンを指差して叫んだ。
「こいつらが襲いかかってきやがったんだ!」
「旦那、サルーミの野郎が暴れだしたんだよ。牢屋にぶち込んでくれ!」
外からも二名のメナスドール兵がやって来た。兵士の肩には水色のマントが翻る。
「全員動くな! 一体この騒ぎは何だ」
アルたちは弁明の機会などなくその場で拘束された。兵士がさらに五名増員されて、クーロでさえも容赦なく後ろ手に縛られた。
「子どもだぞ! 優しくしろ!」
「うるさい、黙れ!」
アルは殴られると、口の中に鉄の味を感じた。外にはトナカイが引くそりが待機し、そのまま乗せられると街の南東部へ移送された。一行が降ろされた場所は、市民議会場本部に隣接する自治裁判所だった。軽犯罪者を中心に、裁判が行われる場所だった。そこで出迎えたのは巨体のオークだった。
「こいつらは、どうした? 盗みか?」
「ギルドで暴れてたんだよ。それじゃ後は頼む」
兵士はオークにアルたちを引き渡すと、さっさと街中へと帰っていった。オークに縄をつかまれて、ジーンを先頭に建屋の中へ連れて行かれた。丸太のようだ腕と脚。毛皮のベストの下は、分厚い灰褐色の皮膚がのぞく。尖った耳は、雪が落ちるたびにくすぐったそうに動いている。オークはゆったりと動いていくが、それは人間に合わせてのものだった。最初の部屋で一列に並ばされると、無精髭を生やした男がアルたちの前に立って、ひとりずつ名前の聞き取りを行った。持ち物を全部取り上げられ、大きな頭陀袋にまとめられた。それが済むと牢屋へ連れて行かれた。塀の中にはすでに二十人近くの先客がおり、ゴミゴミとしていた。彼らはオークに向かって、解放の要求、無罪の主張、待遇の改善を一斉にする。オークは一切を無視して、アルたちの縄を解くと、まとめて中へ放り込んだ。
「チボーの旦那よ、おい。頼むよ。そろそろ出してくれよ。金払うって!」
オークに向けて最後まで声をかけ続けていた出っ歯の小男は、自分の声が虚しく消えると、鉄格子を思いっきり蹴飛ばした。それからベオとクーロを見ると、《雪の海賊亭》でも見られた怪訝な顔を見せながらも話しかけてきた。
「小さなお嬢さんを連れて、サルーミ様ご一行様は、一体何をしなすったんで?」
「関係ないでしょ」
ベオはクーロを後ろに下がらせた。
「ちょっとしたトラブルだ、問題ない」アンドレが答えた。
「それはいいことで。俺もちょっと店のもんを失敬したらこのざまだ。”問題ない”のによ」小男は笑った。「次から次へと善良な一般市民をこうやって冷たい牢獄へぶち込んで、一体何がしたいのか。おお、神よ」
「うるせえぞ」
別の男が怒鳴ると、小男はへいこらと頭に手をやって謝った。
「で、実際何をしたんだい?」小男は再びアルたちに食いついてきた。
「何も」アンドレは倦んだ表情で答えた。
「何もってことはないでしょう。こんなとこに連れて来られてるんだから」
「それを言ってどうなる? おまえに話せば早く出られるのか?」
「どうにもなりませんな、それは。ここにいる全員がさっさと解放されたいと思っているんですから」
「話す意味がねえ」
「そう邪険にしないで。ねえ? 袖振り合うも他生の縁って言いますでしょう? 他人様でもお互い様。親睦を深めて損はしませんよ」
「お前みたいなやつを、信用できるか」
「それじゃあどんな奴なら信用できるって言うんだ?」アンドレのぞんざいな物言いに、小男は啖呵を切った。
アンドレは立ち上がって小男を見下ろした。
「おめえじゃねえ誰かだよ!」
「おい、やめろ」
ジーンはアンドレをおとなしくさせると、小男に言った。
「悪いが、少し黙っていてくれるか」
ジーンの刺すような鋭い目つきに小男はさらに小さくなった。
「旦那、すみません。俺はただ話がしたかっただけでよ。すみません」
それから小男は黙っていたが、アルたちの牢内も、正面や隣の牢屋も騒がしく、話し声が止むことはなかった。何人かがどこかに連れて行かれ、別の何人かが連れてこられた。それが何度も繰り返されると、気づけば一日が終わっていた。




