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北へ(11)

 天候はすぐさま雪となった。高原を抜けると大小様々な石の転がる断崖の道になった。道幅は充分確保されているが、馬の足が滑るとアルは内心が騒いだ。風雪の勢いが増してまつげに霜がつくようになり視界が悪くなっていった。カシアとペトラは毛皮のコートに帽子、手袋とブーツを身につけ完璧な防寒を図り、さらに互いに身を寄せあって二重の毛布にくるまっていたが、それでも吹き込む冷気にふるえていた。

 アイトゥバルト山脈はスメイア北西部のメナスドール国境線となっている。北端に永久凍湖であるシャルトレ湖を持ち、北部最高峰はルーネンヴァル山の五〇八八メートルとなる。そこから直線距離で百キロメートル南に下ると、アルたちのいる三連山――パリアン、サルサイ、ヒュネール山――にたどり着く。いずれも黒い岩肌と白雪がコントラストを為している。

「休める場所はありませんか?」

 馬の鼻から白い息が蒸気のように吐き出される中、アルは後方からジーンに声をかけた。断続的に襲う吹雪に疲労が積もる。ヒュネール山頂とメナスドールへと下る分かれ道に差し掛かる。そこで降り積もる雪に立ち往生した。アルとジーンが後ろから押すと、馬車は雪の下、地面に埋まっていた大きな石を乗り越えた。


「あれが見えるか?」


 ジーンが崖から東側下方を指した。モミの林の手前側に山小屋が見えた。それは木の根もとに生えるキノコのように見えた。馬は何度も鼻を鳴らしながら雪の中を進んだ。山小屋は誰もおらずがらんどうだった。暖炉に火を入れると、紅い炎に全員が息を吹き返したようになった。


「どうぞこれを。こんなこともあろうかと、買っておいたんです」


 ペトラが全員に手渡したのは、蜂蜜湯だった。カシアはそれを冷まそうと必死に何度も息を吹きかけると、跳ね返る湯気が顔に当たった。一口含むと凍りついた肌が熱で溶け、頬が赤く微笑んだ。固いパンを食べる。空腹と緊張が解けると一気に眠気が襲った。湿気た薪が空気の抜けるような音を立てて蒸気の細い筋を発している。アルが馬小屋で世話をしていると、ジーンがやってきた。


「馬の調子はどうだ?」

「かなり疲れていますよ。こいつは鼻血が出ています」

 馬小屋は粗末なもので板ベリが朽ちている部分が散見した。

「一日休ませたいですが、この寒さの方も心配です。どうしますか?」

「明日の天候しだいだな。次はどの程度先に山小屋があるかわからない」


 外にはポプラの綿毛のような雪が風に揺られながら落ちている。アルが馬の体を擦ってやると、馬は目をつぶってアルに身を寄せた。

「すまない、ちょっといいか」

 カベルは入り口に寄りかかって咳払いした。

「何か問題が?」

「いや、そうじゃない」


 カベルは一歩、馬小屋に立ち入ると、馬が素早く耳を動かした。


「……馬の様子は?」

「それについてアルと話していた所だ。大分消耗している。ゆっくりさせてやりたいが、ここでは体も休まらないだろう。天候次第だが、なるべくなら早く山を降りたい」

 カベルは自分の馬に手を伸ばして首をさすり始めた。

「そうだな。それには賛成だ」


 アルは話をすることなく、淡々と馬の世話を続けた。飼葉を少しと、雪を溶かした水を飲ませた。そこへカベルが近づいていく。アルは飼葉の追加を手に抱えて忙しそうに装った。


「……カシアお嬢様を見つけてくれてありがとう。助かったよ」

 カベルの声は馬小屋内にしびれるように反響した。風が止まり、しんしんと降る雪は浮かぶよう。

「残りの道中も頼りにしている」

 それだけ言うと、カベルは山小屋へ戻っていった。

「どうした?」ジーンはカベルの背中から目を離せずにいるアルに笑いかけた。

 アルは喉の詰まりを治そうとするかのように咳払いをした。「何も」


 二人が山小屋へ戻ると、ベルメランクの三人はそれぞれ毛布に体を小さくくるまって眠りに落ちていた。外の風は止んでいた。カシアの姿は猫が体を丸くしているようだった。二人の足音にカベルは目を開ける様子はなかった。アルは暖炉の前で虫の囁きのように鳴る紅い炭に耳を傾けた。両手をかざせば、指先にしびれるような感覚がうずく。ジーンは暖炉の灯りの届くすぐ外側で毛布にくるまった。燃え尽きた炭が灰に崩れささやかな白い塵を巻き上げる凪の宵闇は更けていった。


 割れた雲間から差し込む朝日は白雪に反射して眩しい。カシアは前日より一転して、その光景に喜びの声を上げて外へ出た。降り積もった新雪に小さな足跡がつけられていく。カシアが両手に雪をすくい空に向かって撒き散らすと白と金の光がきらめいた。


「出発しますよ」


 白銀の雪山に車輪の痕が引かれてゆく。馬の吐息は軽快なテンポを刻み、風に舞う雪が彩りを添える。その日夕方前に次の山小屋へ到達すると、それ以上進むのを止めた。アルは山小屋の後ろにあった林に入ることに決めた。

「早めに戻れ」

「わかっています。偵察も兼ねてちょっと行くだけです」


 カシアは、アルが狩りに出ると聞くと自分も行きたがったが、ペトラにきつく止められた。ふくれっ面を見せてへそを曲げていた彼女に、アルは「ノウサギを探してくるよ」と言い残した。ヒュネール山の東側――メナスドールへと入ってからこれまで生物を見かけなかった。三十分ほど歩いたが、やはり生き物の気配はなかった。冷気に吐き出される自分の白い吐息と、一面雪に覆われている光景にも飽きていた。これ以上山小屋から離れるのは危険だと判断し、アルは狩りを切り上げることにした。踵を返して数歩戻った時、背後の気配に気がついた。振り返るが、何も見当たらなかった。アルは歩きながら耳を澄ますが、周囲の音は雪に飲み込まれ鈍っている。身をかがめて下生えのすき間をうかがう。陽が山頂の影に差し掛かり、周囲のトーンがひとつ落ちた。アルは大きな針葉樹に向かってゆっくりと移動した。そこへ背中を預け息を殺した。木々の影だけが東へ向かって伸びていく。アルはそこから一歩踏み出した。雪を踏みしめると、見えないところで枝から雪が落ちた。さらに一歩動くと、正面奥から雪を踏みしめる鈍い音がした。アルは後ずさりながら弓を構えた。雪が動く。木々の合間を縫って蛇行しながら雪が盛り上がった。それは急速にスピードを上げてアルに向かう。矢は不規則な動きを捉えられない。アルの眼前で雪が弾けると飛び出してきたのは五十センチほどの大きな口だった。アルは横に飛んでかわすと、剣を抜いた。


「逃げろ! 走れ!」


 突然、何者かの声と共に矢がアルに向かって放たれた。アルは咄嗟に屈むと両手を交差して防御態勢をとった。矢はアルの横を通り過ぎて地面に突き刺さる。矢は立て続けに放たれさらに地を射つと、アルに向かって雪が盛り上がり大口を開けた。先ほどの倍ほどの大きさの口がアルを頭から飲み込もうとした。そこへ何者かが横から体当たりをした。大口の怪物は飛びかかる空中で体勢が崩れた。アルは怪物に突き飛ばされた。大口の怪物は幅一メートル、体長三メートルを超えるエイのような形態をしていた。体表をムカデのような黒味の強い土色のウロコに覆われ、肉食獣と同じ鋭い歯を有している。ひらひらと細長い尾の先には毒針がきらめき、雪の中へ潜りこもうとするそれに仮面をつけた大男が飛びかかった。男は雄々しく吠えながら山刀を怪物に何度も突き立てる。怪物はのたうちまわり、雪を煙のように撒き散らした。男が怪物に弾き飛ばされる。アルは突きを構えたが、怪物に矢が連射された。


「父上!」

 それが最初にかけられた声だった。飛び出してきたのは仮面をつけた子どもで、その子どもは矢を放ちながら怪物との距離を詰める。矢は怪物のウロコに弾かれたが、怪物は飛び上がって雪に潜った。

「怪我はないか?」

 大男は仮面を外してアルに近づいた。地黒の顔は、目の周りを黒く塗り、頬には緑と赤の太いラインが引かれている。

「ありがとうございます。助かりました」

「すぐに行こう」


 二人はアルを先導し、怪物の残した雪の航跡から離れた。男は深い雪をものともせずに進むと、腰にぶら下げられた白い羽毛に黒点が浮かぶライチョウが揺れた。子どもの方もライチョウを縛って肩に背負っていた。その子は後ろを何度も振り返り、仮面の中アルをチラチラと窺っていた。アルは視線に気づいたが、ついて行くのに必死だった。林を抜けたが山小屋が見えない。陽はまだかろうじて空に残っていた。

「山小屋があったはずですが……そこへ戻らないといけません」

「反対側だな。迂回していこう」林を警戒する男の顔がオレンジに染まる。三人は山小屋へ急いだ。男は後ろについているアルの隣についた。


「ここまで来れば大丈夫だろう。私は、ベオ・ガルだ。こっちはクーロ、私の娘だ」

 クーロは無言のまま仮面の下からアルを一瞥するとそっぽを向いてしまった。

「アルと言います。助かりました」

「なぜあんな所に一人でいた?」

「仲間と旅の途中なんですが、少し狩りでもと思ったんです」

「……無謀なことだ。レジエとユジエに食われなくて良かったな」

「さっきの魔物ですか?」

「そうだ。二匹一組で行動する習性がある。あれの牙はヒトなど容易く食いちぎる」


 クーロが斜め後ろに振り返ると素早く矢を放った。矢は緩やかな斜面に消える。彼女はすぐに走りだすと歓声を上げて戻ってきた。その手には雪のように白いウサギが握られており、父親に掲げてみせた。

「お二人も狩りを?」

 ベオ・ガルは少し言い淀んで答えた。「今年はなかなかいい獲物が獲れない。これからあちこちに足を伸ばさねばならないだろう」

「今日はなかなか良かったんじゃないですか?」アルはベオの腰に揺れるライチョウを見た。

「今日はいいが、すぐにまた狩りに出る必要がある。とても充分とは言えない」


 ベオ・ガルはトナカイの毛皮でできた分厚いジャケットの下に明るいグレーの衣装を身につけていた。民族衣装であるそれは、縁の部分に太い赤と青に細い白線でチェック風の独特の文様があしらわれている。足元のブーツもトナカイの毛皮に覆われており、三十センチを超える大きさは新雪でも沈まないように幅広に工夫されていた。クーロも父親同様の服を揃えていたが、雪上の移動に関しては、百九十センチの巨体を持つ父親よりも彼女のほうが軽やかそうに見えた。アルが最も注意を引かれたのは仮面だった。ナラを彫って作られており、目の部分から波紋のように――衣装と同様の――赤と青の太い線と細い白線が広がる。口元からキツネの黒いヒゲが伸び、縁の上部と両側面には茅の穂が揺れている。


「初めてみました。変わったものですね」

「狩りに出るときにはいつも身につける。力を与えてくれるものだ」

「これは……キツネ?」


 ベオは否定した。「シ=レプという神だ。キツネのようだが、キツネではない。キツネのように賢く、ヤマネコのようにすばしっこい。熊のように力強く、トナカイのように悠然である。それがシ=レプだと言われている」

「面白いですね」

 林の影から山小屋が見えた。その地点でガル親子はアルに別れを切り出した。

「少し寄って行ってください。何かお礼もしなければなりませんし」

「それは無用だ。間もなく日も暮れてしまう」

 その時、ペトラが山小屋から姿をみせると、それに木桶を手にしたカシアが続いた。アルを見つけたカシアの声が響いた。カシアは駆け寄ろうとしたが、ガル親子の異様さにたじろいだ。


「やあ、戻ったよ」

「そちらのお二人は?」

「ベオさんとクーロちゃんです。魔物に襲われているところを助けてもらったんです」

「それは、それは。何かお礼をしなければ……」

「いえ、ご婦人。礼など不要です。私たちはもう戻りますから」

 アルとペトラは顔を見合わせた。

「それ、何?」


 カシアがクーロの仮面を指さした。クーロは仮面を頭の横にずらすと真正面から対峙した。父親とは少し異なるメイクを施しており、ほとんど黒に近いブラウンの髪に黄金の瞳が輝いている。少女の腰には小瓶がかちゃかちゃと揺れる

「仮面よ」


 カシアはクーロを回り込むように観察し、近づいてその仮面に触れようと手を伸ばした。

「触らないで!」


 クーロは身をよじるとカシアの手を払った。ベオ・ガルはその手をつかむと娘を叱りつけた。ベオは膝をついてカシアに詫びを入れると、自らの仮面を手渡した。

「私たちの部族の伝統的な仮面だ」


 カシアはすぐにショックから立ち直り、興味深げにその仮面を眺めた。

「なにこれ、キツネ?」


 アルとベオは顔を見合わせて微笑んだ。アルがベオの代わりに説明をすると、カシアはその仮面をつけようとした。それを見たクーロは大声を上げて止めようとしたが、ベオが娘を諌めた。

「大丈夫だ。仮面をつけてごらん」

「いいの?」

 ベオがうなづいてみせると、カシアは喜んだ。

「父上! 仮面は大切なものじゃ……」

「クーロ、大丈夫だ。これはシ=レプへの冒涜ではない」

「でも、『仮面は大切にしなさい』っていつも……」

「皆さん、娘の非礼をどうか許して欲しい」


 ガル親子の様子にカシアは仮面を外してベオに返した。「……ごめんなさい」

「謝らなくていいんだよ」ベオはカシアから仮面を受け取るとその頭を優しくなでた。「この仮面は、シ=レプという動物たちの神様なのだ。これを身につけていれば、肉を必要なだけ分け与えてくださるのだ」

「本当?」

「ああ、そうだ。その代わりにヒトは木ノ実や果物をシ=レプに納める。分かち合うことは生きる上で大切なことだ」

「もし、そうしなかったら?」


 ベオは少し難しい顔をしてカシアと、それからクーロの顔を見た。「昔々、狩りの上手いとある若者がいた。彼はシ=レプへの供物を捧げずに自分のものにしてしまった。シ=レプを怒らせてしまった若者はそれから一匹のウサギすら与えられることはなかった。肉を得られなくなった若者の部族は長い冬の飢えで死んでしまった」


「怖いお話だわ」


「自然は神様によって秩序を与えられている。バランスが崩れれば、その報いを受けるのはヒトなのだ。自然に生きるということは、分かち合いの中に生きるという教えなのだ」

「シ=レプはすごいんだよ。色んな動物になれるし、強いし。それに優しいんだ」クーロはカシアの前に出ると自慢気に胸を張った。それを見てベオは満面の笑顔でもって二人を抱き上げた。

「神様はヒト同士の争いを好まない。仲良くできるな?」

 ベオは目をむいたかと思うと寄り目をして笑わせにかかった。それから見せた笑顔は愛嬌と慈愛に満ち満ちていた。少女二人はそのギャップがおかしくて笑わずにはおれなかった。

「ごめんね」クーロは笑顔だったが少し伏し目がちにカシアを探った。

「ううん、ごめんね」


 二人は互いを見つめ合ったかと思うと、カシアが雪玉を作ってクーロの顔目がけて投げつけた。すぐさま雪合戦が始まると、大人たちはそれを微笑ましく眺めるのだった。馬の世話をしていたジーンがそこへやってくると、アルが二人を紹介した。


「ジーンだ、よろしく。世話になってしまったようだな。ありがとう」

 ジーンとベオは握手を交わした。

「よければ食事でも一緒にどうだろうか」

「いや、先程もそう申し出ていただいたが……」

「急ぎの用事がなければ是非。子どもたちは意気投合しているようだ」

 ベオ・ガルはじゃれあう子どもたちを優しい眼差しで見つめている。

「それに、間もなく日が暮れる。どうだろうか?」

 ジーンが空を指し示すと、辺りは一気に暗闇に包まれていった。

「そうです。たいしたものではありませんが、スープをお作りしますから」


 ベオは根負けしたようにうなづくと、クーロのもとへ走った。娘とカシアを抱きかかえて振り回すと、少女たちの興奮した笑い声が雪山へ響き渡った。


「サルーミ族だな」

「知っているんですか?」

「名前だけだ。それほど詳しくはない。狩猟系の少数民族で、ここから北へ行ったところが彼らの縄張りだったということくらいだ」

「いい人に助けられました」

 ジーンは顎に手を添えてベオ・ガルを見ている。

「何か気になることがありますか?」

「いや。食事の準備をしよう」


 山小屋に入ると、カシアはアルの袖を引いた。

「ねえ、ねえ。ウサギは?」

 アルは目と口をを丸くした。「ごめん。今日は獲れなかったんだ」

「何だ」カシアは間延びした言い方で残念そうにしょげて見せた。それを見ていたクーロがカシアにウサギを差し出した。

「あげるよ」

「いいの?」明るい返事をしたものの、カシアは胸から血を流すウサギを突きつけられて固まってしまった。

「どうしたの? はい、どうぞ」

 クーロは首を傾げてさらにウサギを掲げてみせた。ベオが横から娘のその手を取った。

「さあ、貸してごらん。外で捌いてあげよう」

 ウサギはクーロからベオに手渡され、三人は再び雪の降り始めた外へ出て行った。ベオはカシアの表情を汲み取ると、自分の背中で影を作った。あっという間にウサギを捌き終えるとカシアを呼んだ。

「これを」

 ベオはウサギの足を手にしていた。カシアは恐る恐るそれを受け取った。

「昔、旅人が私たちの村を訪れた時、それが幸運のお守りだと教えてくれたことがある。ウサギは逃げ足が早い。身の危険を察知して君を逃がしてくれるだろう」

「私も持ってるよ」クーロはナイフの柄に細縄で結ばれたウサギの足を見せびらかした。「かわいいでしょ?」

 ベオはカシアのウサギの足にも同じように細縄を結んでやると、カシアは飛び跳ねて喜んだ。ベオはウサギに加えてライチョウを二羽捌いて差し入れた。ウサギの肉はローストし、ライチョウはスープにした。食事を終えたところでジーンがベオ・ガルに提案をした。


「俺たちはレフォードに行く予定なんだが、どうか道を教えて欲しい」

「レフォードならば、この山を一旦南に下りて行くといい。そこから北東に進めば良い。」

「もし良ければ道案内を頼みたいんだが、どうだろうか」

「まあ、それは心強いわ」


 クーロはカシアと目を合わせて喜んだが、ベオの当惑した表情にすぐさま表情が曇った。


「さて、どうしたものか」

「父上、いいのではありませんか?」

「もちろん報酬は支払おう。実を言うと、俺もアルもこの人たちの傭兵なんだ。レフォードまで護衛を引き受けているんだが、土地をよく知る人間がいてくれると助かる」

「このお兄ちゃんが傭兵? 嘘でしょ!」


 クーロが思わず吹き出すと、アルは少しムッとした。


「本当だよ。これでもきちんと仕事はしてきているんだ」

「絶対嘘だよ。だって、さっきレジエにやられていたでしょ。あれにやられているようじゃ、傭兵なんてできないじゃん」

 力を込めて言うクーロの口ぶりに、アルは苦笑する以外になかった。

「何もそんな風に……でも、そこまで言われてしまうと僕も立場がないよ」

「言い訳はできないな、アル。俺も彼も雪の中で戦うのは慣れていないんだ。協力をしてくれないか?」


 腕組みをしたまま目を閉じていたベオが口を開いた。

「わかった。少しの間、共に行こう」

「やった!」クーロとカシアは声を合わせて叫ぶと、抱き合って喜んだ。

「ありがたい。それじゃあこれは手付金だ。取っておいてくれ」

 ジーンは銀貨をいくらか差し出したが、ベオはそれを丁重に断った。

「遠慮しないでくれ」

「金のためではない。互いに道中協力できれば良いと考えただけだ」

「そうか。それではこれは一旦預かっておく。気が変わったらいつでも言ってくれ」


 そう言われてもベオ・ガルは優しく首を振るだけだった。


「それにしてもその靴はどうなっているんですか?」

 アルはガル親子の雪上を動く速さが気になって訊ねた。

「簡単な仕組みだよ」

 ベオ・ガルは靴を脱いでみせた。トナカイの毛皮に覆われた幅広の靴底にはダケカンバの細枝を加工したラケットが据え付けられていた。


「これによって雪に沈みづらくなっている。それにこの足先にはこんな仕掛けも付いている」

 ベオが毛皮を少し開いてみせると、鷲のような鋭いカギ爪が覗いた。

「クーロはこれを木に引っ掛けて飛ぶのだ」

「器用なものですね。ベオさんも?」

「私はこの通り、体が重くて木が耐えられん」


 ベオが笑うとアルも釣られて笑った。


「そのラケットの作り方を教えてもらえませんか?」

「手頃な木があればその時に教えよう。当座は靴に荒縄を巻いておくといい。少しでも踏ん張りが効くようになるだろう」

 夜の更ける静けさにフクロウの黄金の瞳が森の奥から山小屋の漏れる灯りを見つめていた。灰雪が蝶のように舞い降りて、周囲の時を奪っていった。

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