表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/64

北へ(10)

 牧場主のポスティモスはカベルに肩を貸すと、山小屋の二階に向かった。彼は一段一段を慎重に進むように言った。

「慌てなくていいぞ。ベッドまでもうすぐだ」

 山小屋の二階は広々とした部屋が一つあり、六つのベッドが並び、さらに雑魚寝できる薄い布団が角に積み上がっていた。ポスティモスはカベルをベッドに座らせると靴を脱がせてやった。

「すまない」

「いいさ、気にするな。今、薬を持ってきてやるよ」

 ポスティモスは山小屋を出ると小走りに自分の家に入っていった。次に出てきた時、その手に薄い手ぬぐい、紙包み、コップを入れた木桶を持っていた。さらに井戸から水を汲むと、急いで山小屋へ戻っていく。その後ろにはこぼれた水の痕が点々と残っていた。部屋の扉が開けられると、カベルも身を起こした。

「まずは一杯水を飲むんだ。ゆっくりでいいぞ」

 ポスティモスは水を半分ほど注いだコップを手渡し、手ぬぐいを絞った。それを手に、カベルが水を飲み干すのを、ベッドの傍らでじっくりと見つめた。コップを預かると、再び水を注いだ。紙包みを解くと、中には緑色の粉末が入っていた。

「薬だ。飲むといい」

 カベルがコップを受け取る。頭痛でも不快なほど青臭い液体が淀んでいた。カベルはポスティモスを見た。ポスティモスはカベルを真剣な眼差しを向けたまま動かずにいる。カベルは鼻をつまんで一気にその液体を飲み干した。口の中にしびれるような苦味とむせ返るような青臭さが広がる。


「水をくれ……早く!」

 ポスティモスは慌てて別のコップに水を汲んで手渡した。カベルはそれをひったくる。彼の胸から下が水に濡れた。

「最悪の気分だ……本当に効くんだろうな?」

「良薬は口に苦し、という。あとは寝ときな」


 カベルは横になるがしゃっくりを繰り返し、ポスティモスは部屋を後にした。ポスティモスは一旦自宅へと引き返すと、入り口で後ろから声をかけられた。そこには坊主頭の鼻の広い盗賊が立っていた。

「ビビらせんじゃねえ、フォスカー。ったく、一体何のようだ?」

「何のようだ、とはずいぶんなご挨拶じゃねえか。頼まれたお使いを済ましてきたのによ」

「ああ、そうだったな。で、どうだった?」

 フォスカーは上目遣いでポスティモスに微笑んだ。

「バッチリよ。見てくれ」


 フォスカーはたんまり詰まった袋を手で弄んで見せた。ポスティモスはそれを空中で奪いとった。中を検めたポスティモスは目を丸くした。


「何だこりゃ、すげえぞ。過去一だ!」

「宝石売りってのはこれ以上ないカモだぜ。旨すぎるなぁ、おい」

 ポスティモスもフォスカーも大金を前に、頭で欲望が計算されていった。

「あの馬車、今度の獲物か?」

 フォスカーが顎をしゃくった先にアルたちの馬車が停まっている。馬は離されていた。

「ああ、そうだよ。荷物を下ろしてから始末しとけ」

「何だと? 今帰ってきたばかりだぞ」

「俺は忙しいんだ。こっちもやることがあるんだよ」

「何だ、やることってのは?」

 野卑な眼差しが交錯する。

「何だよ」

「女だ」

 坊主頭はかっとなって足元の石ころを蹴飛ばすと、それは山小屋の木の壁に当たって乾いた音をたてた。

「前回はおまえが先にやったよな。だから今回は俺が先だ」

「そりゃ一体、いつの話だ?」

「半年前だよ」

「そんなに前の話を持ち出してきやがって。半年も経ってるんだぞ。人に仕事を押し付けて、てめえだけおいしい思いするってわけか?」

「前のことには変わりあるまい。そんなにやりたきゃ山を下りりゃいいだろうが」

「ちくしょう」

 フォスカーは頭に血を上らせると、顔が赤く染まりゆでダコのようになった。

「そうイキるなって。今回の報酬には色付けといてやるから。それにこっちが終わったら好きにしていいからよ」


 フォスカーはしぶしぶ折れた風に装い、ポスティモスが家からまたコップや水桶を手に意気揚々と山小屋へ向かうのを見送った。坊主の野盗は親指の爪を噛みちぎると吐き捨てた。ポスティモスが消えてからもしばらくそうしていたが、アルたちの荷馬車を引いていたヤリド馬が目の前を通り過ぎると、牛のようにゆっくりと荷馬車に向かった。一番手前に会った木箱を開ける。すると薄いベージュの乾燥イチジクが現れた。一つ手に取って口にすると太陽に濃縮された甘酸っぱさが口に広がる。もう一つ口に入れると、箱を閉めて馬車を自力で引き始めた。ポスティモスの家の横まで来ると改めて荷物を確かめ始めた。ほとんどが食料だったが、奥の一箱にいくばくかの銀貨、豚の毛のブラシやツバメを象った銀細工の手鏡などの日用品が入ったものがあった。それは二重底になっており、下にはルビーとダイヤモンドの指輪と金のネックレスが二本、つるバラのカチューシャなどの宝石類、さらには金貨が入った袋が入っていた。

「そうこなくっちゃな」フォスカーは思わず笑みがこぼれた。「毎度、どうも」

 フォスカーの分厚い皮の手がそれらを鷲づかみにしたその時、馬車の下から馬の足が見えた。

「おう、遅かったな。ちょっと待ってろよ」


 馬の足が止まると鼻を一つ鳴らした。フォスカーはさらに別の木箱を漁るのに夢中になった。鼻歌交じりに一人でリズムを取っている。

「おい、馬を付けてくれ。こいつを運んじまおう」

 鐙の鳴る金属音がすると革のブーツが雨に濡れた大地に音もなく降り立った。フォスカーは他に金目の物が見つからないことに不満の鼻を鳴らした。革靴が荷物を荒らす男のもとへ近づいた。

「何してんだ。さっさと馬をつなげ。食いもんばっかだぜ」


 フォスカーは馬車の下に見える黒い革のブーツを見た。泥まみれだが取り付けられた金具から質の良さが伺えた。すでにすぐそばまで近づいており、怪訝に思ったフォスカーが再度命令を下そうと馬車の後ろから顔を覗かせた。


「おい、何やってんだ」


 言い終わらないうちにフォスカーの目には、自分の喉から生える鈍色の剣が映った。黒ずくめの男がその先に立って剣の柄を握っている。熱いモノが湧き上がり、目に恐怖が浮かんだ。心臓が早鐘を打ち、酸素を求めて喘いだ。全身に鳥肌が立ち、激痛が走ると、突如怒りが沸き起こった。フォスカーが刀身をつかんで引きぬこうとする。が、剣は微動だにしなかった。革のブーツが湿った土を一歩踏み出した。その分だけ剣がフォスカーに深く進むと、フォスカーの目は血走った。何か言葉を発しようとしたが、喉から空気が漏れ出て声にならなかった。フォスカーは両手で剣を握り直したが、それはさらに深まってゆく。そして上から押さえつけるような力が全身を襲う。フォスカーは顔を真っ赤にして抗おうとしたが膝をつかされた。


「中には誰もいませんでした。こっちはその人だけですか?」

 アルに声をかけられて、ジーンは振り向きざまに自らの剣を野盗の喉から引き抜いた。

「恐らくな」


 ジーンは剣に付いた血のりを拭うと鞘に収めた。アルの傍らにはカシアがしがみついている。フォスターの死体を中心に、その血が広がり始めた。ジーンはすぐさま山小屋へ向かって歩き出した。


 ポスティモスは山小屋に入ると二階の様子をうかがった。何も音がしないことを認めるとチェシャ猫のように笑った。一階の奥の部屋の扉の前まで来ると、両手がふさがっているために体を使ってそれをそっと押した。木のドアから歯ぎしりのような音がすると、四十絡みの牧場主は渋面を作った。中には曇り空の薄い光だけが泳いでいる。ポスティモスはゆっくりと扉を押して中へと入っていった。ひとつだけ置いてあるベッドに近づくと、丸い小テーブルに水桶ほかの荷物を置いた。それから右腕を額に乗せて眠っているペトラに顔を近づけた。寝息にポスティモスは興奮を抑えきれず、ペトラにまたがった。ペトラは小さく呻いた。ポスティモスは生唾を飲み込んだ。両手を女の顔の横につくと、豚のように匂いを嗅いだ。そして、ペトラの手を取ろうと腕を伸ばした。


「ゆっくり下りろ」


 氷のような声は一音一音が明瞭に響く。ポスティモスは動きを止めて固まってしまった。さらに促されると錆びた歯車のようにゆっくりと両手を上げると、入り口の方を見た。そこには剣を突き出したカベルが立っていた。彼の口元には緑色の液体の痕跡があった。


「よくもやってくれたな」

 カベルは胃の中からこみ上げる吐き気を飲み込んだ。

「アレを飲んだんだろう……効いてねえのか?」

 ポスティモスは唇を震わせながらカベルをゆっくりと見た。カベルはその足元へ木のコップを投げ捨てた。

「一体何を飲ませた?」カベルは口の中に残る液体の味に青白い顔をさらに青ざめさせた。

「気を失うはずなんだがな……」

「貴様は馬鹿なのか? 飲み込めないほどまずいものは毒にもならんぞ!」

 ポスティモスは雷に恐怖するように目をつぶって肩をすくめた。

「はなから女が目的だったんだろう? あとは金か?」

 ポスティモスの頬に汗が滴る。何かを言おうと口を開けたが、カベルがそれを遮った。

「どうでもいい。なんだろうとな。結果は同じだ」


 カベルは毒蛇よりも鋭い眼差しで汗まみれの豚を睨みつけている。その豚が自分の運命を悟った時にはすでに決着が着いていた。心臓を貫いた剣は話す暇を与えなかった。カベルはポスティモスの胸ぐらをつかんで部屋の隅に押しやった。牧場主は倒れこみ、その最後の言葉は濁った母音だった。ペトラが頭痛の呻きを上げた。カベルはペトラを抱え起こして部屋の外へと連れ出した。その時すでに部屋には血なまぐささが広がり始めていた。


「ペトラ、大丈夫か?」

「ええ、一体何を?」

 カベルは首振った。「とにかく外へ出よう」


 二人が部屋を出たところで入り口のドアが開かれた。ジーンとアルに続いてカシアが入ってきた。少女はペトラと目が合うとその胸に飛び込んだ。カシアは大声を上げて泣き、カベルはカシアを見て驚いた。

「見つかったのか」

「ああ、無事だったよ」

 ジーンもアルも部屋の奥から漂う血の臭いに感づいた。

「そっちは何があった?」

「トラブルは解消した。とにかく外へ」


 アルとジーンが馬車を連れてくる。ジーンは荷物を取りに山小屋へ入り、カベルたちは馬車の荷物を確認した。アルはポスティモスの家から毛布や毛皮のジャケットを漁った。

「一応貰って行きましょう。どうせ誰も使わないでしょうから、僕たちが役立てたほうがいい」

 ジーンが紙包みを手に戻ってきた。

「あんたが飲まされたのはこれか?」

「ああ、そうだ」カベルは嫌悪の表情を浮かべて口を押さえた。

 ジーンが包みを開くと、それをアルが覗き込んだ。カベルが止める間もなく二人で指につけて口に運ぶ。

「これは……ゴラトラワだな」

「ええ」

「何だ、それは?」

「シュロソウの仲間で、葉と茎をこうして挽いたりしてやって使うものです。毒にも薬にもなりますよ」

「あんたはこれを全部飲まされたのか?」

「ああ」

 アルとジーンは青ざめたカベルを見てから二人で目を合わせた。

「運が良かったな。普通ならこの量を飲めば昏倒して死ぬこともある」

「飲めればな。そんなクソ不味いもの、吐き出すに決まってるだろう」

「ですから普通は蜂蜜に混ぜるんです。そうして苦味をごまかすんです。それに時間を置けば蜂蜜の作用でどんどん苦味が抜けていきます」

「あいつはそれを知らなかったと?」

「恐らくね。それか、蜂蜜を切らしていたか……」

「なんてこった」

「おかげであんたは命拾いしたわけだ。無知に感謝するんだな」

 カベルは呆れた様子で目を見開いた。

「それで具合はどうなんだ?」

「……問題ない」

「吐いて、適量が体内に残ったおかげで薬となったんだな。運がいい」


 ジーンが不敵に笑った。カベルは頭を振るばかりだった。アルは水を汲んでペトラに手渡した。それからゴラトラワの粉末を少量それに入れた。


「これで大丈夫だと思います。少しすれば頭痛も止むでしょう」

「……ありがとう、助かったわ。でも本当にひどい味ね」

 ペトラが顔をしかめつつ笑顔を向けたので、アルはほっとした表情を見せた。

「よし、それじゃあ出発しよう。山越えだ」

 五人は東にそびえる黒い槍のような岩山に向かって歩き出した。主を失ったポスティモスの家畜たちが馬車の轍を悲しげに見送り、空の端から黒雲が生え始め侵食していった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ