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北へ(2)

 ミーンスフルートはほぼ大陸中央に位置する港湾都市で、アメントースを凌ぐ規模の漁獲量、流通量を誇っていた。ベルメランクと近いこともあり、両国間を結ぶ物資の取引は活発だったがスメイアの取り締まりによって自由を奪われた。それに不満を持った漁師や商人は自由貿易同盟を結成し、軍との距離を測りつつ、密かに貿易を進めていたのである。ミーンスフルートから沖合二十キロメートルほどの位置にあるルネミス島は、自由貿易同盟の拠点となっていた。代々漁師の家系に生まれミーンスフルート漁業組合の中心人物であるタウシス・ゴナントがミーンスフルートの実質的な支配者で、同時にルネミス自由貿易同盟代表の一人だった。


 雲を透かして見るような薄い青と、白花色の外壁に三角屋根の家が立ち並んでいる。南側の岬に重苦しい印象の灯台が佇んでいる。そうした淡い街の中スメイア兵の赤い服が点々と高圧的に映る。オリーブと松林の影にジーンが立ち止まる。カモメの鳴き声と打ち寄せる波の崩れる白い泡を眺めていると、よく日に焼けた肌の初老の男がやって来た。街の色と同じような青い服に黄褐色の腰帯が巻かれている。その衣服と同様に顔もくたびれていた。ジーンは折りたたまれた紙を取り出した。男は軽く手を上げてその紙を受け取ると、中を確かめた。


「俺の家で半日時間を潰してくれ」


 男はゴディンという漁師だった。彼についてアルとジーンは馬を降り、狭い街路を抜け港を進んでいく。網を繕う女たち、船の修理をする木槌の音、潮風のベタつきと魚の生臭さ、手を差し伸べるように打ち寄せる波は緩やかで、平穏そのものだった。途中スメイア兵が二、三人通り過ぎていったが、アルとジーンを一瞥しただけだった。


「戦争のおかげで、すっかり寂れちまったよ」


 ゴディンの家には子どもが四人いて、野良犬と一緒にボール遊びをしていた。一番上の男の子は十六で、父を手伝って漁に出ているという。一番下はまだ五歳になったばかりの女の子だった。バツ印の目、ギザギザの口で芝草のような毛の人形を抱えて地面に絵を描いていた。


「一番上のは『兵士になりたい、戦争に行きたい』って言うんだ。参っちまうよ」

「行かなくて済むなら、それに越したことはないな」

 ジーンは出されたワインを口にした。ひどく酸っぱく、にわかに口をすぼめた。

「あんたら傭兵だろ? 戦争があれば儲かるんじゃねえのか?」

「死ねばそれまでなのは、誰でも一緒だろう」

「それはそうだがね。俺なんか、サメと街のケンカがいいとこだな」

「サメの方が恐ろしそうですね」


 アルはパンをちぎりながらシードルで流し込んだ。口の中に残るリンゴの滓に舌を動かしている。

「サメの相手は俺たちの専門みたいなもんだからな。やり方を間違えなきゃ、やられることはないんだ」

「船に飛び込んできたりしないんですか?」

「俺はないが、仲間での話ならあったな。サメの相手が上手いのはタウシスだな。俺らの親方だが、モリを持たせたら一流よ」


 ゴディンの妻が洗濯籠を手に戻ってきた。後ろには一番下の女の子がついている。


「この辺の魚は何が捕れるんですか?」

「鯛や鱈、マグロ、それにエビにイカ。何でも捕れるよ。油で揚げて塩、コショウにレモンをかければ何でも旨い。俺は鯛が一番好きだな。夜はそれにしよう」

「楽しみにしておきますよ」


 夜の食事は約束通り鯛の揚げ物の他に、サラダ、レンズ豆のスープ、甘いミートボールと砂糖菓子を出された。子どもたちが先を争って料理を口に入れていく。その様子にアルは「これも別の意味での戦争だ」と思った。おかげでアルはあまり食事を摂ることはできなかった。子どもたちが寝静まった頃、三人はゴディン家を後にした。民家の灯る明かりを横目に港へと向かった。一匹の野良犬が眠る脇を通り過ぎる。港にはかがり火が焚かれている。桟橋では男が釣り糸を垂らしていた。


「待て」


 後ろの暗がりから声がかかる。アルは剣に手をかけて振り返ると服のひるがえる音がした。アルよりも頭二つほど大きい男がアルとジーンの間を抜けて、ゴディンの前で立ち止まった。


「サーデイ、どうした」

 サーデイはアルとジーンを値踏みするように見ながら、ゴディンの腕を引いていった。

「あいつらが言ってたやつらなのか? 金のためとはいえ止めといたほうがいいぞ」

「わかってる。ちょっと出るだけだ。それにタウシスからの仕事だ。大丈夫だ」

「タウシス絡みだからこうして注意をしにきてるんだ」

「おい、タウシスに滅多なことを言うんじゃない。そりゃ、おまえさんは妹の旦那がスメイアの兵士だから、タウシスのことは面白くないだろうがな」


 サーデイはかっとなってゴディンの胸ぐらに手をかけようとした。すぐ後ろからジーンが声をかけた。

「どうした?」

「てめえには関係ねえよ!」

 サーデイは拳を振り上げてすごんだが、ジーンは一顧だにしなかった。さらに、後ろにいたアルが近づくのを見て、サーデイは後ずさった。ゴディンが先に進む。サーデイは三人を追うことはせずきびすを返して立ち去っていった。


「いいんですか?」

 櫂を持った手に力を込めて凪の海に漕ぎだし、アルはしばらくしてから訊ねた。

「何がだ?」

「さっきの人です。この仕事について面白くないような感じでしたけれど、何かあったんですか?」

「あいつはいつもああだ。漁師の仲間内でも問題なんだよ。身内にスメイアの兵士をやってるやつがいるから、国の言うことが滅茶苦茶でも黙って受け入れるんだ。街が寂れていくのもしょうがねえって何もせずに決めつけるんだ」

「板挟みなのは同情しますよ」

「覚悟を決めて俺たちはスメイアにもベルメランクにも与しないと決めたんだ。誰かの言いなりでやってるんじゃない」


 ゴディンは海底まで響かせるような大声で口吻に唾を飛ばした。


「それは何も間違っていない」

 ジーンは手を休めることなく櫂を漕いでいる。櫂と舟の当たる音、水をかく音が機械的なリズムで繰り返される。

「自分たちのことは自分で決めるのは自然なことだ。食い扶持の問題ならばなおさらだ。俺もその立場に陥れば、同じ判断を下すだろう」

「みんなそうだ。みんな同じだよ」


 ゴディンの手に一層力が入った。舟は勢いを増し暗闇の海になめらかな曳航を引く。新月の夜、明かりは舟の先端の松明のみで、見えるものは三人の顔以外になく生き物の気配もなく、どこか異世界に迷い込んだような不気味な雰囲気に包まれていた。


「いつもこんな感じなんですか?」

 一時間ほど進むと三人は小休止し、ゴディンの持ってきた夕食の残りを口にした。アルは腕がかなり張っているのを揉みほぐした。

「こんなに凪ぎいているのは珍しいよ。風があれば楽なんだが、あんたら運がないな」

 ゴディンは笑いながら揚げ物を口にした。


「方角は大丈夫なんだろうな?」

「大丈夫だ」ゴディンは背後に見える光の点に指を差した。「あれが南の灯台だ。もうひとつ奥に見えるのが北の崖に設置されているかがり火だ」ゴディンは向き直って再び指を差した。「あれが島の灯台だ。もう半分も漕げば着くだろう」

「これで半分ですか……」


 アルは慣れない疲労に腕を振った。ゴディンはその様子に満足気だった。

「兄ちゃん、傭兵なんだからこんなもんでバテてたら話にならんのじゃないか?」

「剣を振るのとは勝手が違いますよ」

 アルはジーンを見るが、彼が疲れた様子はなく淡々とワインを飲んでは魚の揚げ物を口にしていた。

「ジーンは舟漕ぎの経験があるんですか?」

「……何度かな」

「いつもやっているわけじゃないですよね。何かコツとかあるんですか?」

「腕だけじゃなく、きちんと体を使え。背中だ。剣を振るようにな」


 ジーンはそう言うと櫂を手に漕ぎだした。力の伝わりがスムーズに舟を進める。ゴディンもアルもそれに続いて櫂を握った。そこから一時間ほどでゴディンが目の前の暗闇を見るように言った。アルには何も見えなかった。

「よく見てみろ」

 アルが目を凝らすと暗闇の中に黒い影がそびえているのが見えた。二十メートルを超える崖だという。ゴディンが舟から飛び降りると胸まで浸かりながら舟の舳先に手をかけて引き始めた。崖から平行に移動し始めると、急に桟橋が出現した。ゴディンは慣れた手つきでそこにロープを結んだ。アルとジーンも桟橋に移る。

「ここで待ってればいいんだな。どれくらいかかるかね?」

「悪いな、すぐ戻る」



 ジーンはゴディンに金を渡すと、自分の松明に火を移した。桟橋から左手の岩場を登って崖の上を目指す。ジーンは迷いなく岩場に足を運んでいく。アルもそれに続く。崖の上に出ると緩やかに下る砂利の草地が広がる。一キロ程先に明かりが見え、下生えをかき分けながらそちらへ向かって歩いて行く。木を組んだ塀と木造の民家が現れる。さらに進むと石壁の家々が立ち並んでいた。明かりが灯る建物はなく、街は寝静まっている。


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