螺旋に落ちる(10)
三騎のベルメランク兵が南より現れたのは未だマーグノールが戦場の混乱に彩られていた最中のことだった。スメイア軍とベルメランク軍は幾度となく激突を繰り返していた。スメイア六千にベルメランク四千の勢力が、スメイア四千五百、ベルメランク三千となっていた。ベルメランク軍の次の攻撃に備えてディーク大佐は陣形を組み直していた。横陣から三角形に小隊を配置する魚鱗へと隊列を変更してベルメランク軍の突破を上手くいなすようにと指示した。また投石機の餌食とならないように距離を保って動けと怒鳴った。ちょうどそのとき、三騎のベルメランク兵がそれぞれ腕の長さほどの牛の角笛を手にしていた。三人は一斉に別方向に駆け出すと角笛を吹いた。三度ずつ繰り返し吹きながらベルメランク軍の後方を駆けていく。虫の羽音のような響きが戦場を駆け巡ると、ベルメランク軍から一斉に掛け声が上がる。それは稲妻のようにマーグノール野平原を貫いた。次の攻撃の合図だと判断したスメイア軍は身構えた。ベルメランク軍は一斉に馬を駆って南へと走り去った。残党となったいくらかの魔物たちがいたが、スメイア軍は戦争が終わったことを悟ると誰もがうなだれるようにして座り込んだ。
ベルメランク軍はスメイアとの戦争を終えて両国の緩衝地帯へと入った。そこを流れるウィッテンホーク河を渡ると集落を抜けてベルメランクへと帰還した。ベルメランク北東部の要衝であるジーレック要塞の市街地へ入るなり民と兵士たちの大歓迎を受けた。スメイアへの侵攻は幾度となくなされたが、今回はその中でも最も大きな勝利の内のひとつといって良いものだった。木の扉がノックされ戦果の報告書を書いている手が止められた。
「アトリウス隊長、よろしいでしょうか? グラノリン隊長がお呼びです」
ジェマナ・アトリウスは針のような鋭い目つきで入っていきた兵士を睨んだ。
「一体何のようなんだ。こっちは帰ってくるなり報告書作成に忙しいというのに!」
「その報告書のことで相談だとのことです」
「バマックは一人で報告書も書けんのか! 私が女だからといってこういった仕事を押し付けようという腹だな。おまえはどう思う、ヴァラン?」
「私には何とも……」
「クソッ。まったくしょうがない」
ジェマナは羽ペンを放り出した。机の上に置いてあった赤毛のふさ飾りの兜の前にそれは転がった。ジェマナは立ち上がると大股で部屋を出ようとしたがふと扉のところで立ち止まった。
「魔物どもはどうした?」
「ウィジーに金をやって解散させました」
ジェマナはうなづいた。「本当だな? 問題はないな?」
「ええ、もちろん。砦の中に魔物はおりませんし、ウィジーのようなコソ泥も追い払いました」
「……何かあれば……」
ジェマナは中指と人差し指の二本を立てると首を斬るジェスチャーをしてみせ部屋から出て行った。ヴァラン・エイシャル百人隊長は女指揮官を見送ると部屋から顔を出して誰もいないのを確認し、彼女の書きかけの書類を手にした。何の変哲もない戦果報告書であるのを確認すると部屋を後にした。
「……魔物の相手のほうがマシだぜ」
マーグノール野平原では一時の平穏もつかの間、カラスとハゲワシが死肉あさりを始めていた。そこへ連結馬車が五台も現れた。鳥達と同様に死体あさりに来たものたちだった。
「やったぜ、一番乗りだぁ」
右目がやけに大きい顔の歪んだ痩せぎすの男が喜び勇んで馬車の荷台から飛び降りた。
「バカ野郎、あちらさんの方が断然早いよ」
男に続けて風船を膨らませたような腹をした太った女が降りると騒がしく鳴いているカラスを見てうんざりしたように言った。
「この野郎、あっちいけ! ガワは俺らのもんだぞ!」
男は落ちていた槍を手に振り回しながらカラスへと突撃していった。御者台から降りてきた男が三人おり、合わせて五人が戦場の跡地に降り立った。
「オドの野郎は元気だけはありやがる」熊のように毛深い男がつぶやくと気を取り直した。「日が暮れちまう前に、ちゃっちゃとやろうや」彼らは早速落ちている剣、槍、盾を拾い集め、顔をしかめながら近くに転がっている死体から鎧やアクセサリーを剥いでいった。血の気なく青白いものや土気色のものたちが皆一様に彼岸からどこでもない場所を見つめている。馬を引く。車輪が軋む。物が詰め込まれる。女は荷台でそれぞれの装備ごとに仕分けをしはじめた。剣、槍を十本ずつの束にして麻ひもで縛っていく。夕暮れ近くにさしかかり荷台が満載になると、熊のような男が言った。
「今日はこんなもんだな」
「明日もやるんで? 旦那?」
オドが目を剥いて男を下から見上げる。
「そうだな、捕れるだけ捕るぜ。こちとら畑を荒らされてるんだ」
死体あさりたちが帰ろうとしたとき、ちょっとした死体の山を見つけた。オドは女に向かって訊ねた。
「もうちょっと積めるよな?」
女は荷台を見てから馬の様子をうかがった。「あと少しならね」
「それじゃああそこの山だけあさろうや」
「そうだな」別の男が腕まくりをしながら山へと近づいていった。
焼け焦げて皮膚が炭化した死体が洞穴のように口をポッカリと開けて声のない叫びを上げている。最も黒く染まっている死体は寒さに震えるように腕を縮こませている。オドは顔を背けながら死体をつかんで山を崩した。恐る恐る顔を近づけて臭いをかいでみる。焦げ臭い奥に肉の焼けた臭いがした。オドは腹がなった。オドは慌てて腹を押さえると、わざと乱暴に鎧剥ぎを始めた。
「しかし、今回はスメイアがこっぴどくやられたみたいだな」
「まったく、ざまあないね。俺たち商人に力づくで滅茶苦茶なことやりやがってたんだぜ。俺の大事な商品も金も無理やり全部没収。それからぶん殴られて、蹴っ飛ばされて、唾を吐かれた。それからどうしたと思う?」
「ああ、笑いやがったんだろう」
「そうそう、その通りだ」
「その話は何べんも聞いたよ」
「あの、クソの兵士のにやけ面を思い出すと、ムカついて、ムカついて……これは天罰だ、天罰が下ったのさ」
「そのぶんは稼がせてもらう権利があるぜ」
「その通りだ」
「それにしても傭兵……いや、素人くさい連中が多いな……かわいそうに、農民が無理やり兵士に取られたんだろうかね……」
「ああ、そうだな……」
へこんで使い物にならない鎧を来たスメイア兵の死体をつかんでいたとき、男はふと手を止める。折り重なった死体の山のすき間をのぞいた。影からのぞく薄目と目が合った。その目が瞬きした。男はのけぞりながら一瞬肩を震わせた。その顔の上の死体に手をかけて退けると、唇が動いた。
「おい、生きてる! こいつ、生きてるぞ!」
一番近くにいた熊の男が寄って来た。他の二人は手を止めて、面倒はご免だと互いに顔を見合わせている。
「手伝ってくれ」
二人は死体をかき分ける。ぼろ着に穴の空いた鎧を着た男が両鼻から赤黒く固まった鼻血を流している。
「おい、こいつ! おいっ! ……あんた、アルだな! 俺だ、わかるか? ジダだ!」
アルは乾いた唇からがさついたうめき声を漏らした。
「何だ知り合いか?」
「ああ、そうだ。アルだ。俺が雇った傭兵だ。この野郎、生きてたのか……」
他の三人も集まってきた。みんなが協力して死体の山からアルを引っ張りだす。アルは抱きかかえられて水筒を口に押し当てられた。口に含んだ一口目を飲み込もうとしたが吐き出してしまった。咳込んだアルにジダはゆっくりと水筒を傾けた。古い水車が動き出すように喉が上下したのを見ると、熊の男はうなづいた。アルは水筒を受け取って中身を全て飲み干した。
「あ、ありがとうございます……」
ジダはアルの背中を優しく叩いた。肩を貸して荷台に座らせると二人は並んで座った。
「よく生きてたな。俺はてっきりくたばったもんだと」
ジダは古馴染みに久しぶりに出会えたような感動を覚えた。
「一体何があった?」
「……僕は奴隷にされたんです」
「やっぱりそうだったのか……本当にすまねえ。助けてやれなかった。あのガキにはめられたんだ。俺たちは売られたんだ」
「子どもって誰ですか?」
「憶えてねえか、なあ? 変な薄汚ねえガキがうろちょろとよお。あのガキにかまされたんだ。おまえさんが捕まったあとで俺もどうしようもなくて、まずあのガキをとっ捕まえてシメてやろうと思ったんだ。何でもロダングっていうやつらで、森の部族っつうか魔物っつうか何かそんなやつらしい。でも森へ行ってみたけど何ともしようがなかった。面目ねえ……」
アルは頭を振った。
「その子どもがどうしようと、行き着く先は結局ここだったんですよ。話なんか聞いてもらえるはずがありません。でも、ジダさんも生きていてよかった。どうなったか気になっていたんです」
太った女は腹の空気が抜けたのかと思うように吹き出した。
「奴隷に落ちてもこんな男の心配なんて、あんたはお人好しだねえ」
全員がそれにつられて笑い出した。アルも笑わずにはいられなかった。
「よく言われますよ」
アルはジダを向き直り話した。
「そう言えば、クリマに会えましたよ」
ジダは立ち上がってアルの肩をつかむと叫んだ。
「本当か、どこで? 生きていたのか? どうなった?」
アルもジダの腕を取ると落ち着くように言った。
「彼もやはり奴隷にされていました。捕まってからの詳しい経緯はわかりませんでしたが、ここから東に行ったところのセラーヴ鉱山で働かせられていました。奴隷となって鉱山で働かされてからは、商売人よりも鉱夫の方が性に合っていると話していました」
「それから?」
アルは首を振った。
「話をしたのはその一度きり。その後彼がどうなったのかはわかりません。奴隷は徴兵されましたから、恐らく彼もここに連れてこられて戦ったと思います」
「それじゃ、あいつは……」
全員が夕日に赤く染まる一面の大地に広がる黒い死体の影を眺めた。
「おい、だれかクリマを見なかったか? なあ、どうだ? 左腕だ、左腕に木のタトゥーが目印なんだ」
その場の誰もが顔を見合わせて困惑の表情を浮かべた。
「……ああ、わかってるよ……」
ジダは力なく言った。女がジダを慰めるようにその肩を抱いた。熊の男が手にしていた鎧と剣を荷台に積みこむとジダの肩を叩いた。ジダはうなづく。
「帰ろうぜ」
一行が戻ったのはマーグノール野平原から北へ一時間ほど行ったところにある小さな集落だった。すっかり夜も更けて蛾が掲げた松明の周りを飛び回っている。とある民家へと到着すると荷馬車から馬を外して飼葉と水を与える。そうして鎧や武器が満載された荷馬車は家の周囲に留め置かれた。その家は死体あさりに参加していたもう一人の男と大女の家だという。熊の男と彼らはいとこで、熊の男が戦争のために家を追われたためこの家に避難したのだった。
「実は……」
夕食を食べながら褐色の色濃いエールを片手にジダは、あの日アルがさらわれたのを目撃したにも関わらず何もできなかった――飛び出して行って兵士をぶん殴るべきだった――ことを詫びた。
「何もかも取られちまって、どうしようもなくて……見つからないように逃げるしかなかったんだ。俺は森を抜けて西にあるミーンスフルートへと逃げたんだよ。そこでオドとクドラに会ったんだ」
クドラ――熊のような大男――は椅子にもたれかかって腹をさすりながらゲップをしていた。
「俺はオドと一緒に小麦を持って魚を仕入れに行ったのよ。オドは一文無しでうろうろしてやがったよ。港の野良猫と一緒にな」
「顔見知りだった漁師に頼ろうと思ったんだ。そこでクドラに会って話を聞くと、スメイア軍に家を追い出されたって聞いてな」
「そうだ。俺はあそこで畑やってたんだよ。でも家も家畜も取られちまった。戦争が終わるまでだって聞いたが、それまで文無しでな。俺とパーサはいとこだから面倒みてもらってここへ避難したんだよ」
「困ったときはお互い様っていうだろう? だから私と旦那は山羊と一緒にクドラを引っ張ってきたのさ」大女のパーサがみんなに飲み物を注いだ。
「そういうわけで俺もヒンドリーとパーサの家に世話になってる。クドラと一緒に荷物運びをやってるのさ。そしていよいよ戦争だって聞いて、それが終わったら武器拾い、鎧剥ぎをやろうってクドラに持ちかけたのよ」
「気持ちのいい仕事じゃねえが、金のためだ。四の五の言うわけにはいかねえ。明日も行くが、明日には近くの農民どもも集まってくるだろう。もしかしたら今いるかもしれん。今日、一番乗りできてよかったぜ。オドが戦争の偵察してくれていたからな」
「それで、弟探しの仕事の報酬なんだが、ちょっと待ってくれねえか? 剣や鎧を金に換えるのに時間がいるんだ」ジダは身を乗り出してすまなそうに懇願した。
「ええ、もちろん。明日は僕も手伝いますよ」
「そう言ってくれて助かるよ。何から何まで、本当にすまねえ」
「鎧を売っても銀貨五十枚は得られないでしょう。報酬はジダさんの取り分を折半でどうですか?」
「いいのか、せいぜい銀貨十枚だぞ?」
「ええ、明日手伝って帰る分の路銀を得られればそれでいいんです。僕も死体あさりを本業にするつもりはありません」
「そうか、わかった。俺も死体あさりは正直気持ちいいもんじゃねえ。さっさと切り上げたいのよ」
アルとジダは握手を交わした。
「それじゃ、僕はもう休ませてもらいますよ」
アルは立ち上がると外の馬小屋へ向かおうとした。
「本当に馬小屋でいいのかい?」
パーサは玄関口でアルを心配そうに見ている。
「ええ、干し草の上がいいんです。ありがとう。スープおいしかったですよ」
翌朝、戦場跡に行くとそこにはカラスやハゲワシの他に野良犬とグールとハーピーの群ができていた。別の荷馬車がいくつか見えると、布切れで鼻と口を覆った人間が淡々と使えるものをかき集める姿が現れた。アルは自分と共に戦って死んだ者たちと、争って死んだ者たちの中で、自分が今またそれらから別の立ち位置にいることに空恐ろしさを感じた。獣たちの争いは生存競争の別の側面を浮き彫りにし、死が奪うもの、死が与えるもの、そして生が巡るものを提示した。一日の過ぎる風と光が空から落ちて、空へと還る。午前中と午後とで二往復して仕事を終えると、ヒンドリーの家でジダとオドの帰りを待った。二人は午後になると集めた武具を処分するためにハーモウ村に向かっていた。アルは一頭の馬を手に入れていた。休憩時に小川に向かうと、たてがみの白いたくましい黒毛の若馬が水を飲んでいた。ベルメランクのドラゴンをかたどった鋼鉄の遮眼帯によく鞣された鞍を背負っていた。魔物の毒牙にかかることなく生き延びたが、行き場を失っていた。アルが近づくのを恐れる様子はなく、若馬は差し出された手を受け入れると人懐っこく体を擦りつけた。
「立派なやつだな。売るのはもったいない。あんたがもらったらいい」
クドラは馬の喜ぶ様子を見て微笑ましく思った。
「いいんですか?」
「ああ。この戦場の生き残り同士、仲良くやりな」
その馬にブラシをかけていると二人が帰ってきた。だいぶ渋い表情を浮かべている。アルが声をかけるとジダはため息をついて家の中へ入るよう促した。
「ずいぶんボリやがった」
ジダは椅子に腰を下ろすと両手で顔を洗うように擦った。
「足元見やがって」
「しょうがねえよ」オドが揉み手に落ち着かない。
「なあ、俺に荷馬車を貸してくれ。スメイアじゃ駄目だ。リガティアに行く」
商人を中心に商売の不満と計画を話すのに夢中になりはじめた。アルが口を開いたのはゆうに一時間は過ぎた頃だった。
「僕は明日出発します」空っぽのコップを手に見つめた。
「そうか、悪いな。実は金の件だが……これだけしか渡せないんだ」
ジダがアルの前に置いたのは銅貨八十枚入った袋と銀貨三枚だった。
「俺の分と合わせてこんだけなんだ。すまねえ」
「馬と剣をもらっていきますし、何とか帰るには充分です」
アルは金を受け取ると馬小屋へと出て行った。金の話にうんざりしていた。奴隷生活で細くなった腕を見た。アルはあらためてよく生きているものだと思った。ランプの炎を吹き消すとすぐさま眠りについた。翌朝、出発前にジダたちに礼を言った。彼らはその日も死体あさりに行くと言った。
「とにかく世話になったよ。アル、元気でな」
アルは馬に乗りヒンドリーの家を後にした。馬は人を乗せる喜びを待ち望んでいたかのように軽快な足取りを見せた。太陽の向かう先へと同じく歩むアルに吹く南風は、彼に自由と生きていることを実感させた。




