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地に踏み、風に歩む(1)

アルは前日の雨で濡れそぼった森の中、苔むした倒木が何本も横たわる獣道を散策していた。太陽はまもなく昇るはずだった。雫が地面に落ちて、蛙が朽葉の影で口をふくらませている。仕掛けた罠を見まわると、野うさぎが一匹だけかかっていた。その後、帰り道に鹿の親子に出くわした。アルはすかさず弓を構えると矢を放った。矢は親鹿の側頭部に命中した。


 牝鹿を肩に担いだアルの顎から汗が滴る。家に戻ると一息ついてから獲物の解体を始めた。内蔵を取り出して皮を剥ぐ。頭を落として足を切リ離す。背中のロース部を少し切り取るとアルは口に放り込んだ。解体を終えるとアルは馬に肉を積み、街の酒場《瑠璃のリス亭》へ向かった。


「やあ、アル。景気はどうだい」

 亭主の屈託のない明るい笑顔は見るものを笑顔にする。

「今日は鹿一頭だけですよ」アルは肉のつつみをカウンターの上に置いた。

「そうかい、ありがとよ」

「そっちはどうです?」

「まあまあだな」

「そうですか。こっちはもう少し獲物がとれればいいんですけれど」

「昨日はひどい雨だったからしょうがねえだろう。あせらずにやんな」酒場の主人はつつみを開いて肉を押して具合を見た。「良い肉だな、上等。また頼むよ」


 アルは金を受け取ると酒場を後にしギルドへ向かった。ギルドには何人かの冒険者が掲示板をながめながら話をしていた。アルはカウンターにまっすぐ向かった。受付の女は笑顔でアルを迎えた。

「やあ、リナ。何か仕事はあるかい」

「久しぶりだね、何やってたの?」

「別の仕事にかかりっきりだったんだ」

「忙しいのは良いことだわ。この間は、受けた仕事が違うって揉めちゃってね、大変だったの」

「それは、それは。何の仕事だったの?」

「こっちで受けたのは薬草集め。実際は魔物退治」

「それは揉めるよ」

「薬草の生えている所に魔物が巣食っちゃったみたいでね。その薬草が欲しいのは間違いないから、薬草を摘んで来るようにって依頼をかけたんだってさ。魔物のことは言わないでね」

「それでどうしたんだい?」

「魔物を駆除して薬草を採ってきたけれど、報酬の件で揉めているわ」リナはため息をついた。

「大変だね」

「本当。ああ、そう。あなた向きの仕事っていうと……今日の今日で大丈夫?」


 リナが紹介してきた仕事は、商人をファラスからアメントースまで護衛するものだった。

「三人欲しいそうよ。もしよければ、今日の昼に西門のところへ行ってちょうだい」

「アメントースまでか。二週間はかかるかな」

「家族連れの人の依頼だし、もう少し見ていたほうが良いかもね」

「他の二人は?」

「一人はトム・リンクスよ。あとの一人はこっちには依頼がきてないわ」

「トムって人はどういう人なんだい」

「十年以上のベテランハンターで、腕はいい人よ。酒好きで調子がいいって感じだわ」

「会ったことないな」

「確かレヴィアを中心に活動しているはずだわ。たまにこっちの方まで足を伸ばしてくるの」

「わかったよ、昼に西門だね」

「気をつけてね」


 アルは家に戻ると袋に食料を詰め、革水筒に水を入れて馬に積んだ。市場へ向かい、干し魚と綿のブランケットを買った。一通りの準備を終えて西門へ向かうとそこにはすでに商人らが待っていた。幌馬車の周りでは子どもが二人走り回っている。商人夫婦は神父と護衛の一人らしき金髪の男と談笑していた。幌からのぞく荷台には、木箱が満載されている。アルは馬から下りて声をかけた。


「やあ、メッツトープさんですか」

「ええ、ストルフ・メッツトープです。よろしく。こちらは妻のアンナと護衛のトムさんです。それにこちらは急遽同行することになったドゥ神父様です」

「ギルドから依頼を受けましたアルです。よろしく」そう名乗ると、皆と握手をかわす。

「おう、こちらこそよろしく。トム・リンクスだ。君はずいぶん若いな、いくつだ?」笑顔のトムが力強い握手を返しながらたずねた。

「年齢は、別に関係ありませんよ」アルは侮られたと内心少しムッとしたが、悟られまいと笑顔で返した。

「二十歳? いや、まだ十代だろう」トムはあごの無精髭をさすりながら、いやらしくニヤついて言った。

「若く力強い青年が同行してもらえるのは心強い。すばらしいことだ。もちろん、経験豊富なベテランは言うまでもない」神父は二人を交互に見やってうなづく。彼は大柄の男で、服装は宗教者だがそのたくましい肉体の印象は兵士よりも兵士らしいものだった。


「もう一人は?」

「ああ、ちょうど今、あちらに来ましたよ」

 メッツトープが門の外を指差すと、鉄兜をかぶった男が栗毛の馬にまたがっていた。「ラザフォード・スミス」男はアルに馬上から落ち着いた声でそう告げた。

 アンナは子どもたちとともに荷台へ乗り込み、神父は商人とともに並んで御者台へ座った。まず、ラザフォードが先行し、トムは荷馬車と並び、その後ろをアルが続くこととなった。


 樫やポプラ、低木が道の脇に生えている草原の道をそよ風が吹き抜ける中、馬たちは軽やかに歩を進めた。ラザフォードは寡黙に周囲に目を配っていたが、トムは商人らとおしゃべりに興じながら旅を楽しんでいる。アルもその穏やかな雰囲気に安心していた。

「兄ちゃん、この仕事はどれくらいなんだい」トムが訊ねた。

「三年くらいです」

「アメントースには行ったことあるのか?」

「一度だけあります」

「仕事かい?」

「ええ、向こうでのね」

「へえ、じゃあ道は知ってるんだな」

「何か?」

「いや、別に」トムは革袋に入ったワインを一口あおった。


「戦えるんだろ?」

「ええ、もちろん。でもオオカミやゴブリン程度でしょう。三人いれば、心配はいらないんじゃありませんか?」

「今回はヤマラー村に泊まったあと、シンの森を抜ける。あそこには盗賊や魔物がいるが、通ったことはあるか?」

「いいえ。そんなところを子どもたちを連れて行くんですか」

「俺も警告はしたんだぜ。危険を犯すことはないってな」


「すみません、主人がどうしても急ぎでというので」幌から顔を出してアンナが言った。

「申し訳ないが、どうしてもこの荷物を一週間後の昼までにアメントースに届けなければならないんです。そうしなければ船に間に合わないんですよ。危険は承知のうえですが、そのためにあなたがたを雇ったんです。頼みますよ」

 三人の傭兵で五人を守る。アルは、商人と神父はともかく、子どもたちとアンナが気になった。人質にされないように注意を払う必要があった。


「失礼、メッツトープさん。武器は持っていますか?」

「一応ね。行商をやっていると、盗賊やオオカミに襲われることはありましたよ。でも、そっちの方はからっきしでね」

「そうですか」

「面倒は避けたいですから、なるべく早く森を抜け出せるように、明日も明後日も朝早くに出発するつもりです」

「何があっても、なんとかするのさ。俺たちでね。だから期待してるぜ、兄ちゃん」トムはアルに試すような眼差しを向けて笑った。


 その日は夕方に街道沿いの牧場に宿を頼んだ。牧場主は少し渋るような表情を表したが納屋と厩舎を使うように言った。馬に飼葉を与え、納屋の裏手の空き地に焚き火を熾す準備を始めた。その村はポツポツと茅葺きの家屋が立ち並ぶわびしい農村だった。木の柵は所々ロープが解けている部分があった。


「水を汲んできます」

 アルは黄昏に空が燃える中、バケツを手に近くの川へ向かった。そこへ子どもたち二人がかけて来た。

「ねえ、どこへ行くの?」

「川へ水を汲みに行くんだよ。おいしい夕食にありつくためにね」

「行きたい! ねえ、一緒に行っていい? 僕たちも水汲みできるよ」

「僕は構わないけど……」


 子どもたちは両親の元へ走り、それぞれバケツを手に戻ってきた。

「僕はアル。名前は?」

「ドミニクだよ」

「私はリリー」

「いくつなんだい」

「五歳だよ」

「私もドムもいっしょ」

「双子なの?」

「そうよ」

 二人は丸く大きな目を見開いて、アンナによく似た笑顔をアルに向けた。


「旅はよくするのかい?」

「レヴィアから色んな所へ行ったよ。ファラスとかランペルとか、あとはエムニとか」ドムは指を折りながら言った。

「ねえねえ、どこか行ったことある?」

「僕かい? 僕はたまにレヴィアに行くくらいだね。あと、今から行くアメントースにも一度行ったことがあるよ」

 三人は何度か往復して水を汲み貯めていった。「よし、次で最後だ」アルはそう声をかけた。三人が水を汲んで戻ろうとしたとき、アルは水面に波紋が広がるのに気づいた。アルは叫んだ。


「走れ!」

 ドムとリリーは何事が起きているのかわからずにきょとんとしていた。

「何をしている、早く戻れ!」ふたたびアルは怒鳴る。

 川の中から水の弾丸が飛び出してリリーを襲った。アルはすぐさまかけ出し、少女をかばった。弾はアルの左腕をかすめて地面に弾けた。大きく飛沫があがり、緑色の魔物――ドゥイングール――が出現した。小さめの丸い頭部にはとさかが、丸くとがる口には鋭い牙がうごめいている。エラが空気を求めて開いては閉じを繰り返す。細い手足の先の鋭く長い爪は、雫をしたたらせていた。アルは、川の魔物の異形に立ちすくんだリリーとドムを抱えて、川の土手をかけのぼった。ドゥイングールが後ろから襲いかかる。アルは振り下ろされた爪を飛びのいてかわすと、二人を手放し急き立てた。

「逃げろ、早く!」

 子ども二人は、悲鳴を上げながら走った。


 アルは剣を構える。逃げる二人を背に、魔物の前に間に立ちはだかった。ドゥイングールはにじり寄り、逃げる子どもたちを狙っていたが、アルはその視線を塞いだ。ドゥイングールはあぶくが弾けるような音をたてながらアルに甲高い吼え声をあびせた。口から水弾を吐き出される。アルはそれを剣の腹で受け止めた。鈍い衝撃が腕に走る。魔物はぬめる身体で飛びかかった。アルはそれをかわすと、魔物の右を取った。ドゥイングールは爪を突き出す。アルは飛びのき、すかさず反撃に転じる。するどく突いた剣先が、魔物の腕を捉えた。赤い野蛮な血が飛び散る。魔物は痛みに顔を歪めると、大きな叫び声とともにアルに跳びかかった。アルはのしかかられ、揉み合うその勢いのまま地面を転がった。アルは上になった瞬間に拳を顔面に打ち込んだ。鼻血を出しながら激高するドゥイングールは、アルの肩に爪を食い込ませた。血が滲むごとに、アルの顔も歪んだ。アルはドゥイングールの下に入ると巴投げを繰り出した。投げ飛ばされたドゥイングールは、地面に打ちつけられてうめき声を上げた。アルはすでに地面を蹴って、間合いを詰めていた。稲妻のように鋭い上段の一撃が、魔物の腕を斬り落とした。次いで、斬り返した剣が、その胴を真っ二つにした。


 土手の上に、馬に乗ったトム・リンクスとラザフォード・スミス、それにピッチフォークを構えた牧場主があらわれたときには、泥だらけの若者が化け物の死骸の横でバケツを手に肩で息をしていた。

「終わったのか」トムは川べりに横たわる魔物の死骸とアルを交互に見た。「やるじゃねえか」

「……バケツが駄目になってしまって……」

 アルは壊れたバケツを手に牧場へと歩き出した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 情景描写も緻密で語彙も豊富、表現方法も多彩で読み応えがありますが、なろう読者のメイン層からすると逆に読み応えあり過ぎるというか読み疲れするかもしれません。 (個人的には良い作品を見つけたと喜…
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