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螺旋に落ちる(8)

「連れて来ました」

「ご苦労。よし、準備をしろ!」


 アルはオルコットを睨みつけた。


「おまえがやったのか!」


 オルコットらはアルの剣幕に一瞬たじろいだがすぐさまそばにいた兵士がアルを殴り倒して踏みつけた。


「やめろ、もういい!」

 不遜な顔つきで女曹長はアルを見下ろした。腹に入った蹴りにアルは咳き込んでいた。

「そうだとしたら何だ? 言ってみろ」


 オルコットのシルクのような金色の髪が揺れ紺碧の目が輝きを増した。


「貴様らは職務を放棄し秩序を乱した。罪には罰を与えるまでだ」

「勝手に連れて来て無理やり働かせておいて何を言う」

「国家への奉仕は何ものにも勝る。本来貴様らのような身分の者たちは我々が与えたものを甘受しておけばよいのだ。その機会の放棄などあってはならない。本件はいわば国家への侮辱だ」

「だから殺したっていうのか? 腹の中に赤ん坊のいる人もか!」

「そうだ」


 オルコット曹長は淡々とした口調と冷酷な態度に兵士も含めた周囲の人間たちもざわついた。


「今回のような件は放っておけば次々と起こることだ。だからこそ毅然とした対応が必要なのだ。おまえたちのような烏合の衆、ただの人の集まりを組織に、軍にするには強い力が必要なのだ」

「そうやって詭弁を弄して人を殺すのか!」


 オルコットの鞭がアルの横っ面を叩いた。カミソリが空気を裂くような音が人だかりのざわめきを打ちつけた。


「我々はこうした犠牲を未来への供物としなければならない」オルコットは吊るされた妊婦の腹を鞭で叩きながら兵士たちに語りかけた。「貴様ら一人ひとりがこの犠牲を力と変えるのだ。これを単なる死とするな、死を無駄にするな!」

「あんたは一体何を言っているんだ……」


 もはやアルの言葉は誰にも見向きされなかった。


「自らを鍛錬し成長することで国家の力となるのだ。そして王への忠誠心を示すのだ!」

「……あんたは国の奴隷だ……」

「愚問だな。この国に生まれてそれ以上の名誉があろうか? まあ今はわからんだろう。この木の上で存分に考えるがいい!」


 オルコットは兵士たちに準備をするように言いつけた。荒縄が木の枝に縛られると兵士はそれを引っ張って強度を確かめた。足場が用意されアルが乗せられた。兵士が慣れた手つきで輪を作っている。それができるとアルの首に引っ掛けた。右には褐色の女が、左にはポールがいる。アルの目から涙がこぼれ落ちた。オルコット曹長は満足気な表情で一連の準備を見つめていた。


 そこへ外から馬を駆った集団が土煙を上げながらやってきた。なでつけた白髪を荒々しくなびかせてエヴェルス少佐が部下十数名を伴っている。オルコットはすぐさま少佐の横に駆けつけ敬礼をした。エヴェルスは速やかに敬礼を返して言い放った。


「全員、荷物をまとめて出撃の準備をせよ、戦争だ!」

 戦争の言葉に周囲はにわかに沸き立ち、オルコットは驚いた様子で訊ねた。

「出撃ですか……?」

「そうだ、遊んでいる時間はない。すぐに戻って荷造りをさせよ。マーグノール野平原だ。そこでベルメランクを叩く!」

「これはいかがいたしましょうか?」

 エヴェルスは縄のかかったアルを一瞥した。

「奴隷も全員出撃の準備をさせよ。そいつもだ」

「しかし、これは……」

「人員を無駄にするな! そんな奴でも壁くらいには役に立つ」


 少佐に一喝されたオルコット曹長は背筋を伸ばして敬礼し兵士たちにアルを下ろすように命じた。エヴェルスはそのまま兵舎の方へと馬を走らせた。オルコットは兵士たちに改めて出撃の準備をするように繰り返すと自分のテントへと駆けて行った。兵士はアルの首と手の縄をナイフで切るとその背中をポンと叩いた。


「命拾いしたな、小僧」


 アルは呆然としていたがそのまま兵舎まで引っ張っていかれた。兵舎では大きな声で話をしている兵士がおりその周りでは鉱夫たちがそれぞれ相談を始めていた。

「戦争が始まるぞ、兵士として参加しないか? 報酬はここの倍だ!」


 兵士は傭兵の契約書を手に振り回しながら必死に男たちに参加を呼びかけていたが鉱夫たちの反応は芳しくなかった。


「働きによってはここの採掘権をもらえるぞ、どうだ!」


 通り過ぎる人々の中少し離れたところからぼんやり眺めているとジョスとヨシュアが声をかけて来た。


「おい、何やってるんだ。戦争が始まるってよ!」

「とうとう始まっちまうんだな。それにしても急でよ、どうしたらいいんだ……実は俺は戦争が初めてなんだよぅ」


 アルは苦笑いと涙を浮かべて先ほどの自分の境遇について話した。二人はアルに起こったことを知らずに絶句した。アルは思わず笑ってしまった。


「自分でも何が何やらわかりませんよ」

 アルはさらに声を大きく笑った。通り過ぎる兵士や鉱夫が怪訝な顔でアルを見つめていく。

「何をしている、荷物をまとめろ!」

 兵士の一人がアルたちに怒鳴った。ヨシュアはアルを宿舎の方へと引っ張っていった。

「おい大丈夫なのか? その、正気に戻ったか?」

 ヨシュアは不安げにアルを顔を覗いた。

「おい、兄ちゃん。大変な目にあったな。なんて言ったらいいのかわからねえが……」

「気にしないでください。まだ死んでませんから。それにここの奴隷たちも戦争へ参加させられるそうです。これから死ぬかも知れません」

 ジョスは困惑の表情を浮かべた。「そりゃそうだが……せっかく拾った命だ。大事にするんだ。絶対生き残るんだ。いいな?」


「そのとおりだぜ。死ににいくんじゃねえよ。俺も戦争なんて嫌だが、死ぬのはもっと嫌だ」

「好きで兵士になった奴が何言ってやがる」

「好きじゃねえよ! なんて言うか、つまりは成り行きなんだよ」

「それでどこへ行けばいいんですか?」アルが訊ねた。

「俺たちは兵舎で荷物をまとめてから指示があるんだが、恐らくここから下りて行った先の街から南東のマーグノール野平原だろうって話だ」

「悪いが俺はここまでだ。戦争はご免だからな」


 ジョスが二人にそう言うとちょうどタビアが三人を見つけて駆けつけ、アルをひしと抱きしめた。


「ああ良かった、本当に良かったよ」

 タビアは涙をこぼした。アルは彼女を離すと疲れたような笑顔を見せた。

「おかげさまでまだ生きていますよ」

「処刑されるって聞いて慌てて現場まで飛んでいったんだ。そうしたら戦争が始まるって聞くし、現場ではアルは吊るされてないしどうなっているのかわかんなくなっちゃってね。でも本当に良かった」


 タビアの涙にヨシュアはもらい泣きしていた。それを見たアルとジョスは顔を見合わせて笑った。


「タビアさんはどうするんですか?」

「こいつらを連れて別の山を掘りに行くよ」

 ジョスもうなづいた。

「そうですか。ここでは本当にお世話になりました。タビアさんたちがいなければ僕はとっくに死んでいたと思います。ありがとうございました」

「死ぬんじゃないよ……あんたみたいな若いのは生きなくちゃならない」


 アルは笑顔を浮かべる以外にできなかった。その顔を見たタビアは再びアルを抱き寄せた。兵士たちが奴隷たちに山を下りるように怒鳴っていた。慌ただしさが勢いを増していく。小走りにどこかへ急ぐものもいれば、だらだらと緩慢に下へ向かうものもいた。


「絶対生き残るんだ、絶対だよ……」

「ええ、わかりました」

「よし、約束だ。ヨシュア、あんたに任せたよ」

 急に話を振られたヨシュアは思わずスメイア軍の敬礼で返した。

「もちろん、もちろんです!」


 タビアとジョスは北へ向かうと言い、アルとヨシュアは共に兵舎に向かった。ヨシュアはアルを荷物持ちに仕立てそばに置くつもりだった。兵舎前の広場には荷馬車が無数に停められていた。そこへ威勢のいい掛け声と共に荷物が放り込まれていく。満載になったものから馬の尻に鞭が入れられ、空いたスペースに空の荷馬車が入ってくるのだった。兵舎の中では多くの兵士が一斉に自分の荷物を袋に詰めていた。陽気に軍歌を歌う者もいれば神妙な面持ちで荷造りをする者もいた。ヨシュアは人をかき分けて自分の部屋へと向かった。途中ぶつかった兵士たちに、アルを指差して「俺の荷物持ちだ」と大声でアピールした。ヨシュアの部屋は二段ベッドが二つ詰め込まれた部屋で非常に狭苦しいものだった。一人の兵士が荷造りをしていた。


「ここだ。ここが俺の部屋だ。狭いが俺は上のベッドなんだぜ、いいだろう?」

「ヨシュア、遅えぞ。トミーとエルマーはもう行っちまったぜ」

「悪いな。遅くなったよ、ゴードン。急なことで俺も訳がわからなくなってるよ」

「そいつは誰だ?」

「ああ、こいつはアルだ。俺の弟分で荷物持ちだ」

「荷物持ちだと? そいつは奴隷じゃないか」


 ゴードンはアルに不審感を抱いたが自分の着替えをバッグに詰めていった。

「勝手なことやってると、またどやされるぞ」

 ヨシュアはアルに空のバッグを渡すと箱に入った着替えを取り出しては詰めるように言った。

「それにしても急だな。一体どうなってるんだ?」一足先に荷物を詰め終えたゴードンは自分の荷物を抱えてそれに顎を乗せている。

「さあな、俺もわからないよ。索敵部隊から連絡が入ったんだろう」

「そうだろうが、もっと早く敵を察知できんもんかね?」

「そうだなぁ、どうなんだろうな」

「戦争ったって一日やそこいらで『さあやりましょう』って始まるもんじゃねえ。準備の段階で調べをつけとかなきゃ駄目だぜ」

「しょうがないんじゃないかな」

「しょうがねえって、しょうがなくねえぞ。先手を取られて勢いで押し込まれて負けるなんてよくあることだ」


 ヨシュアは難しい顔をしながらアルに着替えを手渡していく。


「つまり先手を取られている今の時点で俺たちは不利ってことだ」ゴードンは身を乗り出して人差し指を立てながら言った。

「それでどうすりゃいいんだ?」

「どうもこうもねえ。俺たち木っ端の兵士は死なねえことだ。勝軍で死ぬより敗軍で生きよ。殺されても死ぬな。これしかねえ」

「それには同感だね」ヨシュアは替えの靴を取り出すようアルに言った。アルは靴を取り出してひっくり返す。中からさらさらと砂が落ちた。それからその靴をバッグに結わえつけた。

「よし、できた」

 ヨシュアの荷物を持ったアルにゴードンも自分の荷物を重ねた。

「おれのも頼むぜ。荷物持ちなんだろう?」


 アルは少し不満顔を見せながらそれを引き受けた。外へ出ると相変わらず多くの人間が右に左に走り回っている。アルとヨシュアはゴードンと共に大勢の兵士と奴隷の流れに乗って麓まで歩いて行った。麓の集落ではすでに多くの人間が集まっていた。道いっぱいに広がった人と荷馬車が渋滞を作り曹長クラスの人間が大声を張り上げている。

「おい、おまえはあっちだ!」


 前にのろのろと進んでいたアルは突然つかまれて怒鳴られた。その兵士はアルをつかむと兵士たちの列から道の脇へ放り出した。同じように弾き出された奴隷たちが何人か道の脇に転がっている。

「すみません、こいつは俺の弟分で……」

 ヨシュアが取り成そうとしたがヨシュアもその兵士に弾き飛ばされた。

「奴隷どもはあっちへ行け!」

 ヨシュアはアルへ駆け寄ると手を貸して立たせた。

「みんなピリピリしている。とにかく行こう」

「わかっています、大丈夫ですよ」


 集落ではエヴェルス少佐が指示を出す横にオルコット曹長が付き従っていた。山から下りてきた兵士たちは二十名ほどの小隊に分けられると鎧を身につけ始めた。それから槍隊と弓隊が分けられてそれぞれの武器を支給されると次々と戦地へ向けて行軍させられていった。兵装と荷物を積んだ荷馬車が土煙を上げて彼らの後ろをついていく。オルコットはその鞭で準備を急がせていた。そこへ三人の兵士が馬を駆ってやってきた。


「エヴェルス少佐はどちらか?」

「そういうあなたは?」

「自分はスキナー大尉。エヴェルス少佐へ言伝に来た」


 オルコット曹長は敬礼をして迎えるとスキナー大尉を自ら案内した。

「私はベラ・オルコット曹長です。現在エヴェルス少佐を補佐している者です。何ぶん人員不足でして私のようなものがこうしているわけです」

「そうか、ありがとう曹長」


 スキナー大尉はエヴェルスを見つけると切れの良い敬礼を行った。それから少佐の耳元でなにやらささやいた。それをオルコットは横から見つめている。

「メイヤード中佐より……」

「わかった」エヴェルスはうなづくとオルコットに外すように言った。その指示で一瞬固まってしまったオルコット曹長にエヴェルスは繰り返す。

「曹長、引き続き行軍準備を急がせてくれたまえ」

 しかし、と言葉を飲み込んだオルコットはすぐさま敬礼をした。

「何かございましたら何なりとお申し付けください。それでは失礼します」

 スキナーは走り去るオルコット曹長の背中を見ながら言った。

「ヘルマンは、ヘルマン・ダンヒル大尉はどうしましたか?」

 エヴェルスは唇を強く結んだ。

「訳あって謹慎を命じた」


 スキナーはエヴェルスを見つめた。


「なるほど」と答えてるとスキナー大尉は部下から一通の手紙を受け取ると少佐に差し出した。エヴェルスがそれを手にしたときスキナーは手を離さずに言った。

「中佐よりお預かりしました」

 エヴェルスは手紙を取り出すと素早く目を走らせた。

「なぜ私のような階級の者が遣わされたかおわかりいただけたと存じます。ダンヒル大尉を呼んでください」


「ダンヒル大尉を呼べ!」


 エヴェルスは手近な兵士を捕まえると太く荒々しい声を響かせた。エヴェルスは民家の物置小屋に入ると警備兵を見繕って誰も近づけるなときつく命じた。

「ここに書かれてあることは伯爵は承知しているのか?」

 スキナーはエヴェルスをじっと見つめた。

「私は全てを把握しておりません。しかしエスタローグ伯爵が関わっているとは思いません」

 エヴェルスは何か思い当たる節があるというように目を閉じた。

「……私も中央を離れて久しい。政治的な動きについてはかなり疎いのだ」

「少佐、それは私も同じです。国のあちこちに飛ばされている身ですから」

「兵士とは辛いものだな」

「羊を追っているほうが気楽ですからね」

「そうした羊飼いも戦争となれば徴兵される」

 スキナーは少し驚いたような表情を見せた。

「少佐は戦争に反対ですか?」

「私は兵士として生きて死ぬだけだ。だが羊飼いは羊飼いのまま死ねるとは限らない」

「そういうことですか……」


 物置の扉が叩かれた。ダンヒルの声が到着を告げた。彼はスキナー大尉を認めると驚いて声を漏らした。

「どうしてここにいる?」

「エヴェルス少佐に君が謹慎していると聞いてね。その処遇について進言しに来たんだよ」

「なるほど。ならば悪い知らせだな」


 スキナーの不敵な笑みにダンヒルは笑顔を浮かべた。エヴェルスがダンヒルに手紙を渡して読むように言った。

「……私のような人間の話を聞きますかね?」

「それは大丈夫だ。心配いらない」


 スキナーが部下を呼びつけると一人の兵士が赤茶けた革の布袋から黒い小箱を取り出した。ダンヒルがそれを受け取るとスキナーが開けるように言った。そこには盾型の勲章がひとつ入っていた。勲章はスメイア軍服同様に赤地に白のピンストライプを背景に、金色の獅子が太陽を絡みつくように抱いている様子が描かれ周囲にはトパーズとダイヤモンドが散りばめられている。ダンヒル大尉はため息をついてスキナー大尉に目を移した。


「悪い知らせだな」

 エヴェルスはダンヒルに敬礼をした。

「ヘルマン・ダンヒル大尉を、本日このときを持って少佐の任に命ずる」

 スキナー大尉とそばにいた兵士も敬礼をした。ダンヒルは敬礼を返した。

「一体誰の差金ですかね?」


 ダンヒルは依然として不服そうな顔を崩さなかった。

「まずはおめでとう、ダンヒル少佐。君を少佐として送り出すことができて光栄だ」

「やめてください、エヴェルス少佐。思ってもないことを口にすると人を傷つけることがあるものですよ」

「私は心からそう思っているよ。ただほんの少し気の毒だとも思っているがね」

 エヴェルスの同情にダンヒルはさらなるため息をついてうなだれた。

「ダンヒル少佐、あとは道中でご説明します。それではエヴェルス少佐、我々はこれで失礼します」

「ご苦労だった。君たちの無事を祈っているよ」

「ありがとうございます。エヴェルス少佐もどうぞご無事で」


 ダンヒルらを見送ったエヴェルスは行軍準備の喧騒へと戻っていった。胸に去来するやるせなさと戦いへの覚悟の間で気持ちが揺れていたが、その不信感を振り払うように兵に向かって腹から指示を飛ばすのだった。


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