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螺旋に落ちる(5)

 労働時間が飛躍的に延ばされた。アルたちがいる鉱山でも死人の数が増加していった。アルも何度か死体処理を手伝わされた。奴隷らの疲労は雨水が水瓶を湛えるように蓄積していった。夜毎に催されていた賭場も徐々にその回数は減っていき、アルがタビアらと顔を合わせる回数も減っていった。狩りに出る回数も減らされた。


 配給されたスープを前にカルクはスプーンを手にしたまま頭に手を当てていた。室内には押し込められた人間たちの汗と泥の臭いに混じって食器の鳴る音だけが響いていた。アルはその老人の隣に座ると声をかけた。


「大丈夫ですか」

 少しの間をおいてカルクはアルを見た。「心配ないよ」と言う声には呼吸の喘鳴が混じっている。

「熱はありますか」

「さあ、どうだろうな。そうかも知れん。さっさと休むことにするよ。ありがとう」


 アルは自分の固い黒パンをカルクに差し出した。カルクはしわがれた手でアルの手を押し返した。


「余計な気を回すもんじゃない。それは自分で食べろ」

「食べ物なら大丈夫です。僕は狩りに出たときに少し食べてますから」アルは周囲を気にしながらカルクにささやく。しかしカルクは頑としてパンを受け取らなかった。

「大丈夫。自分の分がある」

 カルクはゆっくりとスープを口にしはじめた。アルはそれ以上何も言わずに自分も食事を始めようとした。アルの隣にオーバンが座った。テーブルの向かいに白髪の混じったごわつく髭を蓄えた男と、赤茶けた髪の寂れた顔の男の二人が座った。オーバンが食事を始める。


「そのまま聞いてくれ、頼みがある」

 アルはオーバンを見つめた。彼はスープをかき混ぜている。

「逃げる手助けをして欲しい」

 アルは半ば予想していた展開にため息をつかざるを得なかった。

「無理ですよ。どうやって逃げるって言うんですか?」

「狩りに出てるんだろう? その手伝いってことで連れてってくれ。それだけでいい」

「無理ですよ。そもそも最近は狩りに行く時間ももらってないんですから」


 アルの前に座っていた赤茶毛の男が言った。

「俺はチャドだ。おまえさんに迷惑はかけない」

 オーバンがナイフをアルの脇腹に突きつけている。

「どうするつもりですか?」


 オーバンはチャドと目を合わせて満足気にうなづくと説明を始めた。


「いきなり逃げるつもりはない。まずは何回か狩りに出させてもらって警備や脱走ルートを探る。兵士の中に俺の知り合いがいるんだ。そいつに協力してもらって新月の夜に逃げるつもりだ」


 今度は白髭の混じった男が話しに入ってきた。


「なあ知ってるか? ちょっと前に男が二人逃げたんだってよ」


 アルは驚いて思わず周囲を見回した。「本当ですか? 聞いたことありませんよ」

「東の山での話だがな。手引をした兵士がいて上手く逃がしてくれたらしいが、兵士は吊るされた」


「その話を聞いても協力してくれる兵士がいるんですか?」


 オーバンが白髪混じりの男を指して答えた。「ああ、ポールの弟だからな」


「年の離れた弟がいるんだ。最近こっちに回されてきた。最初に気づいたときはまさかって思ったよ」

「脱走の件が本当なら警備が厳しくなっているはずです。難しいと思いますよ。ここを出られても金も食料もない」


 ポールは頭を振った。「奴隷のまま死ぬよりはマシだ。とにかく俺は可能性のある方へ賭けるぜ」

 オーバンとチャドはポールの言葉にうなづいた。


「下見がしたいだけだ。それ以外は何かしてくれ、とは言わん」


 アルはスープを一気に飲み干して席を立った。「話をしてみます。期待はしないでください。その弟の名前は?」


「オットーだ」


 アルは掘り出した鉱石を運ぶ中ヨシュアを捕まえた。「狩りに一人手伝いを増やしたいんです。それと、オットーという兵士を探してくれませんか? そもそも、狩りに出る日が減らされていることについて話してもらえませんか?」

「おいおい、いきなりいっぺんに言わないでくれ」


 アルは落ち着いてもう一度要求を繰り返した。


「俺の独断じゃどうもこうもできそうにないけどな。とりあえず話はするけど、期待すんなよ」


 それから三日後の狩りの日にアルはヨシュアに一人の兵士を紹介された。スキンヘッドに丸い顔の男で弓なりの口をしていた。ポールの弟のオットーだと名乗った。


「俺がポールの弟だってことは内緒にしてくれ。バレたら兄貴を逃がしてやれなくなっちまう」


 容姿は兄とは似ても似つかなかったが、声がそっくりだった。


「狩りの助手の件は?」


 ヨシュアとオットーは首を振った。


「残念だけど理由がないのに助手なんて認められないとさ。代わりに俺たちで下見をするんだ。ところでどうやって逃がすんだ?」

「さあ、詳しくは知りませんけど、森を抜けるんだという話です」

「それは難しいだろうなあ……」

「おい、おまえら。こんなとこでそんな話は止めてくれ」


 そこは兵舎の物置の前だった。アルはヨシュアに言われて荷車を持ち出して森の適当な場所まで分け入った。


「森を抜けるんだって? そもそもどうやって森へ入る気だ?」

「夜は宿舎の周りを警備してるんだしな」ヨシュアはアルにもっと奥へと行くように言った。

「宿舎を抜ければ何とかなるんじゃないですか?」

「見てくれ」


 ヨシュアが先導してどんどん森へ分け入っていく。森の外側へ向かって無数の罠が仕掛けられていた。


「木に白い紐が結ばれているところが罠のポイントだ。注意してくれ」


 アルは後ろからヨシュアの肩をつかんだ。驚いて振り返るヨシュアにアルは彼のすぐ足元を示した。そこにはトラバサミが仕掛けられていた。


「白い紐は見当たりません。管理が甘いんじゃないですか」

「そうみたいだ。助かったよ。でも、おかしいな。紐のことは確かに聞いたんだが」

「罠を急に増やしたかも知れませんね」


 三人が森を抜けるとその先には街が見えた。大小の物見櫓が王を守る槍騎兵さながら林立している。街の外は見通しの良い平原が続いている。


「夜になるとあそこにはみんな兵士が配置されるし、周囲には夜通し火が焚かれる。近づくと矢で射たれる」

「他にルートはありますか?」

「反対側には集落がいくつかある。どこも同じだ。この周辺の道という道には櫓が立っている」

「とりあえず戻りましょう。獲物を獲らないと」


 アルは鹿を三頭、ノウサギを六羽捕獲して持ち帰った。兵舎の食堂に持ち込むと腑分けをするように言われた。アルはノウサギの内蔵を取り出して一気に皮を剥いだ。ヨシュアは動物の解体作業を見るのは嫌がっていたので、少し離れたところでオットーと話をしていた。


「なあ、脱走の手助けってまずいよな?」

「当たり前だろう、吊るされるだろうよ。あっちの山であっただろう」

「オットー、それでも本当に兄貴を逃がすのかい?」

「……そうだよ、わかっててやるんだ。ただ、まだどうすればいいのかわからねえよ。うまく逃がしてやれるのかね?」


 オットーは雑草をむしり取って食んだ。


「兄貴想いなんだな」

「そんなんじゃねえよ。まあ、でも……まさか兄貴が奴隷にされてるとは思わなかったよ」

「でも奴隷も大量に置いておけないだろう。この山を掘り尽くせば解放ってこともあるかもしれん」

「さあどうだろうな」


 二人は取り留めのない会話を続けていた。ヨシュアが頃合いだと思い食堂をのぞくとアルが解体途中の肉の間に倒れていた。ヨシュアはオットーを呼ぶとアルを抱え上げた。二人はアルを揺すぶり声をかけるが反応はなかった。


 アルが目覚めたのはすっかり夜深くになってからだった。自分の寝床に寝かされており周りからは寝息とイビキが聞こえる。アルは体を起こそうとしたがうまく力が入らなかった。手の甲を自分の額に乗せて暗闇の中の天井に木目を見つめる。それは闇の中で渦巻いては波立つ。


「大丈夫かね?」

 老人の囁く声がした。アルは体を起こそうとしたがカルクはアルの肩にそっと手をおいて押し留めた。

「寝ていたほうがいい、無理が祟ったんだ」

「すみません、ありがとうございます」

「私は何もしとらんよ。兵士が運んで来たらしい」

「そうだったんですか……」

「人のために働き過ぎだ。もっと自分を大事にしたほうがいい」

「……だって」

 カルクはため息をついた。「とにかく寝たほうがいい」


 次の日は早く労働が終わり食事をしているとタビアが顔を出した。タビアはヨシュアからアルが倒れたと聞き、その日もこっそりと差し入れを持ってきた。

「大丈夫かい?」

「ええ、何とかやっています」

「働き過ぎだよ」

「私もそう言ったんだ」カルクが言うとタビアもうなづいた。

「とにかく無理するんじゃないよ」


 タビアはそう言うと帰っていった。入れ違いにオーバンら三人がやって来た。彼らもアルが倒れたと聞きつけたのだった。


「倒れたんだって? 大丈夫か?」

「ええ何とかね」

「そうか、良かったよ」


「……早速なんだが今度の狩りのときに俺もついて行くぜ」ポールが言った。

「許可が出たんですか?」

「ああ、おまえが倒れたもんで一人だけついて行っていいことになったよ」

「そうですか、それは良かった」

「オットーから聞いたんだが、森を抜けてみたんだって?」

「ええ。見張りは増えるばっかりみたいですよ」

「そんなもんは承知の上だ」


 ポールは声を低めて力強く言うと他の二人もうなづいた。三人はそれだけ言うと席を離れていった。カルクが隣で心配そうな顔を向けていた。


「大丈夫ですよ、僕が何かをするわけじゃありませんし」

「だといいんだが」


 狩りの日にアルがヨシュアと連れ立って物置へ向かうとそこにはすでにポールとオットーの二人がいた。ポールは腰を下ろしてアルたちが来るのをじっくりと待っていたが、オットーはどこか落ち着かなげな様子でそわそわとしていた。


「来たな。さっそく行こうじゃないか」


 ポールはアルが来るなり荷車を取り出すと出発を促した。それから森へ入るなりアルに言った。


「そっちは仕事をやっててくれ。俺とオットーは森を抜けてみる」

「わかりました。帰りは?」

「終わったら帰ってくれ。恐らく俺たちのほうが早く終えるだろうがな」


 オットーもうなづいた。「それとも仕事を手伝って欲しいのか?」


 アルはそれを断った。「大丈夫ですよ。それじゃ」


「無理するなよ」ポールはそれだけ言うと弟を連れ立って森に消えていった。アルも自分の仕事のために反対方向へと歩を進めた。


 仕事を終えて宿舎に戻るとエルプが駆け寄ってきた。


「おい、こっちに来い!」


 エルプの尋常でない様子にアルは駆け出した。宿舎に戻ると入り口からカルクが二人の男に抱えられて運ばれてきた。力の抜けた細く筋張った両腕がだらりと垂れ精気の失われた土気色の顔からすでに息絶えていることが明白だった。運ばれてきた荷車にカルクを乗せる。


「どうして亡くなったんですか?」


 アルは誰にともなく訊ねた。エルプが答えた。


「午後にじいさんが具合が悪そうだったんで早めに戻したんだよ。それで俺たちも仕事終わって帰ってきたら死んでたんだ」


 宿舎から出てきた兵士の一人が埋めておくように指示した。


「僕も行きます」


 奴隷の中の一人がアルにスコップを放って寄越した。五、六人を伴ってカルクは運ばれていった。宿舎からすぐの林に入ると、どことも言えない場所で男たちは墓穴を掘り始めた。固い土に最初のひと掘りを差し込んだとき、アルは胸の詰まる思いがした。次のひと掘りで勝手に涙が落ちて地面を濡らした。アルは悟られないように袖口で涙を拭うと穴掘りに集中した。


「もうこの辺でいいだろう」


 誰ともなくそう声がかかると、男たちはカルクの遺体を穴へと下ろした。土がかけられていく。アルは歯を食いしばりながら遺体に土をかけていった。しかし、カルクの顔に土をかけることはできなかった。


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