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螺旋に落ちる(3)

 セラーヴ鉱山は最近開発が始められた若い鉱山で、そこにはおよそ六百人の人間が働いていた。そのうち約半数が強制労働者として各地から連れてこられた鉱山奴隷だった。アルたちは到着するなり早速坑道掘りに従事させられた。


「まともに食ってねえのに働けるかよ」


 隣の黒い巻毛の男がそう唾棄すると、同じような不満があちこちで上がっていることがわかった。しかし兵士たちがそれをどうこうする訳――殴るか蹴るか以外――はなかった。十人ほどのグループを組まされて斜坑を掘らされた。ツルハシとシャベルを振るう音、崩れ落ちる土、重く響く鉱夫の歌。むせ返るような湿気に包まれたトンネルが掘られていく。固いタイヤの手押し車で土砂が運ばれる。暗闇のトンネル内を仄明るく照らすランタンの炎は鉱夫の顔を滴る汗を輝かせ、それだけが唯一男たちの存在の確かさを示すものだった。二週間ほどで赤茶けた鉄鉱石が顔を出しはじめた。男たちはほっとしたような表情を浮かべた。そこから作業ペースが少し上がり岩壁に打ち込まれるタガネは心臓を脈打つ鼓動のようだった。食事はジャフル――湯に油を溶いたものにインゲン豆が入れられたスープ――とパンが主に支給された。山羊のミルクや安ワインが週に一、二度気付けに振る舞われた。どの味もひどかったが鉱夫たちは我先にと貪るように平らげ、いつも空っぽの寸胴が残された。


「ここに連れてこられたのはなぜですか?」


 アルは寝床で横になりながら隣りにいたデニスという男に訊ねた。


「俺は親父と漁師をやってたんだよ。いつものように魚を売りにクメント村に行ったらこのざまだ。魚も没収。散々だね」

「何時頃の話ですか?」

「何時頃って言われてもよ。大体おめえと一緒に来たんだから、ついこの間だ」


「人を探しているんですが、大柄な金髪の商人を知りませんか? 左腕に木のタトゥーが入った男です」

「さあね。俺はわからん。そいつに何の用だ?」

「人探しの仕事を受けまして、僕はその人を探しているときに捕まってしまったんですよ」

「この後に及んで仕事をやろうってか」


 デニスは大きなあくびをして目をこすった。


「でかいやつなら何人かいるぞ」

 アルたちよりも先に鉱山に連れてこられていたカルクという年かさの男が言った。

「本当ですか?」

「だが、どいつを探しているのかはわからんね。明日聞いといてやるよ」


 翌日の昼休憩にアルが顔を洗っているとカルクがその肩を叩いた。

「ああ、どうでしたか?」

「すまんね、アル。聞いて回ってみたが、今のところそれらしいやつがいるかどうかわからなかったよ」

「そうですか……」

「人が多いからな。ちょっと時間がかかるかも知れん」

「よお、じいさん。尋ね人は見つかったかい?」


 カルクは肩をすくめて首を振った。


「そうか。まあここにいるって決まってる訳じゃねえんだから期待すんなよ」

「そうですね」

「そういや隣の穴から水が出たってよ」

「それじゃあこっちも時間の問題だな」


 午後の早々に水が湧きはじめ坑道内の壁には汗のように水滴が滴った。その日から水の汲み出し、泥の掻き出しがはじまった。そのせいで作業の進捗が明らかに停滞しはじめ、監督役の兵士の罵声も増えた。

「ちくしょう、イライラするな」

「泥遊びしかしてねえからな、うんざりだ」


 デニスはエルプという山羊のような細面の男と話していた。彼はドーエンの兵站に泥棒に入ったところを捕まって先日移送されてきた。口の中にサイコロを仕込んで持ち込んでおり、体力の残った連中を集めては夜な夜な博打を打っていた。デニスと同じ奴隷のオーバンという男はしばしばその賭場に顔を出してはだいぶ負けが込んでいるらしく、ここ数日は作業中も関係なくしばしばその話を持ちだしては「次は勝つんだ」と負け惜しみを繰り返すのだった。アルも誘われたことがあるが博打をするより一秒でも早く眠りたかった。彼があるとき寝付きの悪い日があった。トイレに起きて戻るとその日も男たちがエルプを中心に輪を作っていた。気まぐれにふとアルが目をやると炭色をした長髪を後ろで縛り黒シャツの男の背中が見えた。アルは上から場をのぞき勝負毎に一喜一憂する男たちの顔を見た。長髪の男が外へ小便しに立った。彼が調子っ外れな鼻歌を歌いながら用を足し終え振り返ると小屋の入り口にアルが立っていた。

「やっぱりあんただったんだ。さっきは暗くてよく見えなかったよ」

 長髪の男は小屋の中の暗がりでよく見えなかったために目を凝らした。

「誰だ、おめえ」


 月明かりに出てきたアルの顔を見た長髪の男だが、それでも自分に声をかけて来た男が誰だかわからなかった。


「ポップウーフ。雄ヤギとの件ではお世話になりました」


 気づいた長髪の男は驚いて思わず大きな声を出してしまった。夜番の兵士がその声に気づいた。

「誰だ!」


 鋭い声が響き二人はそそくさと音を立てないように小屋の中へ戻っていった。


「こんなとこで何してんだ?」

「……兵士に捕まって強制労働ですよ」

「捕まった? 何をしでかしたんだ?」

 アルは肩をすくめた。

「何も。スメイア軍はそこかしこで難癖をつけてはこうやって鉱山送りにしているみたいですよ。そっちこそここで何を? まさか賭けに来たわけじゃないでしょう?」


「俺は仕事で来たのよ」

「自分から来たってことですか?」

「そうだ。元々俺たち鉱山夫はあちこち流れてるからな。それにあんたのおかげであんなことになったっしな」


「ひどいな、今後に及んで僕のせいですか? 僕はイカサマなんてしてません。雄ヤギや他の連中もどこかへ行ったんですか?」

「ああそうだ、あいつらも別のとこに行ったよ。どこ行ったかまでは知らねえけどな」

「僕らみたいな奴隷のところまで来て賭博ですか……まさかまたイカサマで巻き上げてるんじゃ?」

「馬鹿言うなよ、勘弁してくれ。ただ楽しんでいるだけだ。おめえら奴隷に金なんかねえじゃねえか」

「さあね。僕は金はありませんけど、何か賭けてる連中もいるみたいですよ」

「俺は下の街に近いとこを寝床にしてんだが、こう新しく掘り始めたとこってのは街にもまだ何もないのよ。何か建物を建ててはいるがな。賭場があるって聞いてこんなとこまで来てみたってわけさ」


 二人が話しているとブロンズの長髪をなびかせた筋骨隆々の女が話に割って来た。

「男同士で何こそこそしてんだ? ジョス、さっさと賭場に戻んなよ」

「姐さん、こいつは……」

 その女は二人よりも背が高く分厚い肉体を誇り褐色の肌に浮かぶ青い目がエメラルドのように輝いた。


「ああ、この人のことをよく知ってるんですよ。前いたところでイカ……」

「いやいや、何でもねえよ、本当に! こいつは弟の友達で昔からよく知ってるんだ」


 長髪は間に割って入るとアルを後ろへ押しのけた。

「なんかあやしいな。まあどうでもいいけど」

「姐さん、どこへ行くんですか?」

「便所」


 女が外へ出て行くと長髪はアルに詰め寄った。


「勘弁してくれよ。また追い出されたくねえんだよ」

「あの人は?」

「タビア・マルツ。前に現場で一緒になったことがあってな。また世話になってるんだ。俺より腕っぷしがあるよ。そんなことはどうでもいい、余計なことを言うのは止めろ」

 アルはいたずらっぽく口元だけで微笑んだ。


「こんなところよりもっといい所はいっぱいあるんじゃないですか?」

「新しいとこってのは目上の連中がいないってことだ。上手くすれば楽に稼げるんだよ。こんなにやたらと兵隊が幅きかせてんのは気に食わねえがな」


「あんたらまだやってんのかい。ジョス、こっちへ来な。あんたも」


 外から戻ってきたタビアに二人は賭場へ引っ張られた。博打はサイコロを三回振って合計を競うシンプルなもので一対一で行われていた。周りの人間はそのどちらが勝つかに賭けているといった状況だった。ジョスは早速勝負に出されて一勝三敗と負け越して場を降りた。数戦後にジョスはアルを引っ張りだした。

「姐さん、こいつはなかなかやりやがる。俺はこいつに賭けるぜ」

「僕は賭けるものがありませんよ」


 アルは嫌がったが無視され強引に座らされて勝負が始まった。相手はタビアだった。アルは初戦は負けたもののそのあと連勝した。相手が変わってからさらに十戦が行われて八勝二敗と勝ち越してしまった。


「あんたやるじゃないか」

「たまたまですよ」

「な? 姐さん、俺が言った通りだろう」


 アルを気に入ったタビアは奴隷だと聞いて食料を恵んだり儲けた金を少しわけてやった。おかげでアルはその日からたびたび賭場に顔を出すはめになってしまった。

 数日後、黙々と泥さらいを行うアルたちのところへタビアがジョスと兵士らを伴ってやってきた。

「たっぷり水が出てるね」

 アルは手押し車で排水作業をしていたが手を止めると入り口でカルクと共に腰を下ろした。そのトンネルへタビアは堂々と入っていく。


「精が出るな」


 ジョスが座っているアルを見下ろした。アルは袖口で顔の泥と汗を拭った。


「何しに来たんです? 手伝ってくれるんですか?」

「ああ、その通りだ。横穴掘るんだよ」

「横穴?」

「横穴を掘ってそっちに水を流せば、これに水汲んでなんてしなくて済むだろう」


 ジョスが手押し車を足で小突くとアルもそれに同意した。


「そう言われればそうですね」

「おまえらは悪くねえ。兵士が融通効かねえのさ。あいつらはただ『掘り進め』って馬鹿の一つ覚えみたいに言うだけだから」

「助かりますよ」


 ジョスはアルに恩着せがましく笑いかけた。それを聞いていた兵士の一人が兜を脱いで息をついた。


「俺たちだって上の指示を伝えてるだけだぜ。下手なことはできねえよ」


 ジョスはその兵士を親指で指して笑った。

「チビのヨシュアらしいな」

「おいジョス、上に紹介してやったのは俺だぜ」


 ジョスはヨシュアの肩に肘を置くようにして寄りかかった。兵士はそれを振り払ってジョスに口を尖らせた。

「そのおかげで出世できるかもしれねえぜ」

「そうだといいがね。うまくやってくれなきゃ困るよ」

「わかってるって。水が湧いて仕事ができねえなんてのは山掘りにはよくあることだ。水を外へ勝手に流れるように川を作ってやる。そうすりゃこいつらは泥さらいから解放されて、俺たちと一緒に鉄を掘れる。仕事ができれば俺たちは儲けられる。おまえは上に気に入られて出世する。いいことづくめじゃねえか」


 ヨシュアはじゃがいものような顔をした小男でジョスとは幼なじみだという。彼は農家の三男として生まれたが毛織商、馬屋、鍛冶屋などの奉公を経て現在は兵士となった。


「それにしてもあの女はいい女だよな」

 ヨシュアはタビアの消えたトンネルに向かってうっとりと言った。ジョスは目を丸くしてその横顔を見た。


「おまえ、姐さんみたいなのがタイプなのか?」

「ああ、いい女だよ。おまえもそう思うだろう?」


 ジョスは思わず「どこが」と言いそうになったが何とかその言葉を飲み込んだ。


「まあ、確かに姐さんは懐が深い人だぜ」

「そうだろうとも。なんて名前なんだい?」

「タビア、タビア・マルツだ」

「素敵な名前だな。あのたくましい腕と尻。抱きしめられたら、きっと昇天しちまうぜ」

「だろうよ」


 うっとりと話すヨシュアの眼差しはどんどん垂れ下がっていった。そのときタビアがトンネルから顔を出すとついて来るように言った。


「ジョス、さぼってんじゃないよ」


 トンネルから左側へ回り込み山肌を少し下ったところの岩壁にタビアはツルハシを振るった。彼女の褐色の僧帽筋が盛り上がり三頭筋に汗が飛び散った。ジョスをはじめ男たちもそれに続いて仕事に取り掛かった。やや上に向かって掘り進む作業はコツがいった。数メートル進むごとに斜度を目視で測りながら足元にステップを作っていく。タビアはアルを連れてトンネル内へ戻った。くるぶしが赤褐色の泥水に完全に埋まった状態で男たちは作業をしていた。


「両側から掘り進めてうまくつなげるんだ。こっち側は少しずつ下に向かってね。午前と午後とで中と外を交代して作業するよ」

「うまくつながりますか?」

「いや、一回でつなぐにはちゃんと方向を間違えずに掘らなきゃならない。中からだとそれがわからないから難しい。何度もやってるけど半々だね」

「水が流れればいいので、とにかく外へむかって掘ればいいんですね」

「まあ、つまりはそういうことさ。ダン、マース、こっちは頼んだよ」


 タビアとアルは外へ出ると山を降りて離れた位置から穴の方向を確認し、外側から掘っている地点へ戻った。一週間ほど作業を進めると排水トンネルは大方形になった。さらに二日後の昼前にようやくトンネルが開通した。一気に流れこむ泥水に足を取られたデニスやカルクは一緒に外へ流されそうになった。山肌から外へ放水させる様子に、奴隷たちは歓声を上げた。そうして、一段落するとタビアたちは隣のトンネルの排水作業へと向かった。


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