螺旋に落ちる(2)
クメント村はさらに南に行ったところにあり、まだ収穫前の青い大麦と小麦畑に取り囲まれた小さな村だった。農民が畑で作業をしていたが誰も彼も暗い表情をしていた。村は住民よりも兵士が多く入り口で警備兵たちがたむろしていた。村に唯一ある宿屋には誰もおらず二人は外で待ちぼうけをしていた。宿屋の主人が帰ってきたのは陽が地平線に隠れて半円の赤紫を染めている頃だった。
「すみません、今日は泊まれますか?」
宿屋の主人は驚いた様子で二人を見た。
「構わないが……」
「何かまずいことでもありますか?」
「ああ、いや。この状況でよその人間がここへ来るなんてな。とりあえず中へ入ってくれ」
二人は部屋に荷物を置くと宿屋の主人に話を聞きに行った。主人はくたびれた様子で椅子に腰掛けてぼんやりとしていた。
「俺は商人をやってる弟を探してるんだ。何か知らないか?」
「商人か。スメイア軍の兵隊が来てからめっきり見なくなったな」
「……そうですか」
「悪いな、力になれなくて。酒場へ行ってみな。みんな今ぐらいの時間から飲んでるだろうから。それとここじゃ飯が用意できないからそこで食ってきてくれ。ここの前の通りをちょっと行ったところにあるよ」
二人は言われた通りに酒場へ行くと、小さな店内には五人の農夫だけが背を丸めてちびちびと酒を飲んでいた。泥臭く寂れた雰囲気の中をジダは無遠慮な足取りを響かせた。酒屋の主人は細い枝のような腕と顔を揺らしながらいぶかしげに彼を見下ろした。
「すまないがこのあたりで商人は見なかったかね?」
「……見ないね。ここいらではとっくにいなくなってるよ」
「やっぱり戦争ですか?」
「ああ、そうだね」
農夫の一人が疲れた顔で言う。
「あんたらだって知らんわけじゃないだろう? 兵士がそこら中に湧いてるじゃないか。さっさと逃げたほうがいいぞ」
ドーエンでの話の繰り返しがなされるだけで何の進展もなかった。ジダは肩を落として外に出た。
「食事はどうしますか?」
「俺はいい。一人で食ってきてくれ」
「……宿に戻りましょう」
二人が帰ろうとしたとき、酒場のすぐ横の暗がりから奇妙な顔が現れた。
「ねえねえ、ちょっと。おじさんたち、ちょっと待ってよ」
暗がりではっきりとはしなかったが飛び出た両目が二人を捉えていた。
「何してるの?」
アルの袖口を引っ張りながら人懐っこく話しかけている。サフラン色のほつれたベスト一枚を身につけ薄紫の肌が宵闇に溶けており、大きな目玉が浮いているように見えた。
「どうしたんだい、坊や。一人なのかい?」
「コニーだよ。僕はいつも一人だよ」
ジダが疎ましそうにポケットに手を突っ込んで二人のやりとりを眺めている。
「僕たちは帰るところなんだ。君も気をつけて」
「人を探してるんでしょ、知ってるよ。教えてあげようか?」
アルとジダは顔を見合わせた。ジダは一歩近づく。
「本当か? 何を知ってんだ?」
「商人を探してるんでしょ? 買い物したいの?」
「買い物したいんじゃねえ。俺は弟を探してんだ」
「なんで探してるの? いなくなっっちゃったの?」
「そうだ、俺も弟も商人やってるんだ。いなくなったから探してるんだ」
「わかった。それじゃまず、おこづかいちょうだい。そうすれば調べてあげるよ」
ジダは苦笑いを浮かべて横目でアルを見た。
「何を知ってるんだ?」
「僕はいつもここらへんで遊んでいるんだ。ジムとジョニーとマックスとポーラとヴィラとラッシーで、ラッシーは犬だけど、森とか畑とか川で遊ぶんだ。大人の人たちは畑で仕事ばっかりしてるから面白くないし。僕らはだから色々知ってるよ。わからなくても兵士のおじさんたちに聞いてあげるよ」
ジダは銅貨を二枚取り出してコニーの目の前に突き出して見せつけるようにした。
「いいか、よく聞け。俺の弟はでかくて明るい金髪の男だ。ひげは生えてねえ。左腕に木のタトゥーが目印だ。でかいから目立つ。知ってるか?」
コニーはジダから金を奪い取るとその大きな目に当てるように近づけて面白がった。
「どうかな、わかんないけど調べてみるよ」
「僕らは宿屋に泊まってるから」
二人が少し目を話した隙にコニーは姿を消していた。二人は顔を見合わせた。アルは手を膝にうなだれる。仕方なく二人は宿屋へ引き上げると、寝床へ入る以外にするべきことはなかった。
夜明けの直前にジダは目が覚めた。弟のことが気がかりであまり眠れない日と疲れて深く眠る日とを交互に繰り返しており、その日は前者だった。喉が乾いていたので外に出ると、宿の裏手にある納屋の奥の井戸に向かった。繋がれた馬の顔に手をやると、馬は鼻を鳴らしてその手に自らの頭をあずけた。飼われていた二、三匹の鶏がそっと立ち上がってほんの小さな鳴き声をときたま出しながら探るように足を運んでいた。水桶を井戸に沈めると水面に重々しくしびれるような音が内壁に響く。滑車が軋み暗い水面にジダの沈鬱な顔が揺らめく。水を両手にすくって顔を洗うと、芯のある冷たさが頭に抜ける。それから水を一すくい、二すくい飲み干すとカヤツリグサの緑の上にどっかと腰を下ろした。投げ出した太く短い足に両の手を添える。うなだれて地面に目を落とすとひげから落ちる雫が染みを作った。金属の鳴る足音がした。通りを走る複数の兵士が見えた。それらは宿屋に駆け込んだ。驚いたジダは陰から様子をうかがう。中から後ろ手を縛られ二人の兵士に抱えられたアルが出てきた。宿屋の中から物をひっくり返している音がした。残った別の兵士らがアルとジダの荷物と馬を手に出て行くまで、ジダは自分が見つからないように祈るしかなかった。
「何かの間違いです! 話を聞いてください!」
木製の粗野な作りの牢屋に入れられたアルは混乱したままで兵士に向かって叫んだ。しかしそれもすぐに無駄だと理解した。クメント村からドーエン側へ少し戻った場所にあるスメイア軍駐屯地には十五張ほどのテントが立てられ、アルはそのほぼ中央に捕らえられていた。同じように牢屋にいる人間が三人ほどいたが、みんな地べたに丸くなっていた。アルは牢屋の木をつかんで揺らしてみた。すぐさま一人の兵士が駆け寄ってきて槍でアルの手をはたき落とした。あきらめて他の者たちと同じように寝ていたアルが起こされたときにはすでに陽が高く登っていた。連れてこられたときと同じように後ろ手に縛られると、捕虜の一同は曹長の前に並ばされ荷馬車に乗るように引っ張られた。捕虜の一人が隙をついて脱走しようとしたが、槍の柄で腹部を突かれると嗚咽を漏らしてくずおれた。アルは同じように脱走を試みようとしていたが、それを見てあきらめた。全部で二十人ほどの男と七、八人の女が荷馬車で移送された。
「一体どこへ行くんですか?」
「……知るかよ、そんなこと。俺は畑で休んでたら、あいつらが来ていきなりぶん殴られたんだ。訳がわからねえよ、くそっ」
「強制的に働かせられるんだろう。こっちの道だとセラーヴ鉱山だな。つまりは奴隷よ」
すると兵士が「私語をやめろ」と怒鳴った。捕虜たちが黙る姿を見て満足した別の兵士たちはニタニタと薄笑いを浮かべながら馬に揺られていた。途中の街で別の荷馬車に移管され、同じような道を同じように進む。それが幾度となく繰り返されるのだった。




