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螺旋に落ちる(1)

「頼む、どうか俺を、俺の弟を助けてくれ!」

「やめてください、困ります」

「ちょっと、暴力はやめてください。何をするんですか、離しなさい!」


 リナ・デランティはテーブルを拳で叩いた。女性二人と依頼者の男以外には誰もいないギルド内に大きな音が響く。外では太陽に朗らかにスズメの鳴き声が聞こえる。一人の依頼者がもう一人の受付であるダーシー・アスカムの腕を取って懇願していた。ダーシーは黒髪に丸い大きなメガネをかけた女性で、ファラスのギルドには最近入ったばかりだった。彼女の手を取って必死に懇願している男は、短躯で目の小さい男でどこか憎めない顔をしていた。リナはその手を引き離そうと躍起になっていた。そこへ魚の燻製を卸したアルが入ってきた。突然ドアが開いて三人は動きを止めてアルに注目した。予期せぬ注目を集めたアルは訳がわからず出て行こうとした。すかさずリナが叫ぶ。


「ちょっと来てよ!」

「何ですか一体」

「助けてくれ、頼む」


 男がアルの腕をつかんだ。


「ちょっと待ってください。一体何なんですか?」


 ダーシーは解放された安心感からリナの影に隠れて泣きべそをかいており、リナは男に激怒している状況で男につかまれているアルは戸惑いを隠せずにいた。アルは男を無理やり引き剥がすとギルドの奥にあるテーブルに連れて行った。


「とにかく私の話を聞いてくれ。頼む。私たちは何もしていないんだ」

「ええ、わかりましたから、落ち着いて最初から話してください」


 男はジダ・コルマコ、三十二歳。弟と各地を転々としている行商人で、今回はゲシピアからベルメランクを経由してスメイアへと渡り武器を運んで来たという。彼が先行してスメイアへとやって来ており、弟はベルメランクで別の商談をしてから、ここファラスで合流する予定だったという。ところが一週間経っても弟クリマは現れず失踪してしまったという。


 リナがアルの後ろに仁王立ちで聞いていた。アルが気配に気づいてそっと顔をうかがったが、恐ろしい鬼の表情だった。


「人探しですか……」

「単なる人探しではないぞ。弟はもちろん荷物が届かないのがまずいんだ」

「傭兵を警護につけなかったんですか?」


 シダの大きな顔がアルに迫る。


「もちろん付けたさ。何度も一緒に仕事をしてきた昔から知っているやつらだ。信用できる」

「だとすれば十中八九、野党か魔物のしわざだと思います」

「……その場合、俺たちの商品はどうなる?」

「あきらめるしかありません」

 力なく首を振るアルに商人は両手を伸ばして襟首をつかんだ。

「そんなこと言わないでくれ。あれがなかったら俺たちは破産だぞ! どうしてくれるんだ!」

「ちょっと落ち着いてください!」


 アルはジダの手を引き剥がしてなだめた。


「あくまで仮の話です。しかし期待しないでください。もしそうなら僕らにはできることはありません」


 予想外のアルの毅然とした態度にシダは気圧されて小さくなった。


「申し訳ない、その通りだ」

「天候の問題や、あるいは弟さんが病にかかった場合もあります」


 シダはその言葉にパッと顔を明るくした。


「そうだ、そうだな。あんたに頼むよ。弟を探してくれ」


 アルは少し困った表情でリナを見た。彼女は何も言わない。ため息をつく。アルは仕事を引き受けることにした。


「それじゃ手続きをしますからお待ちください」


 リナとアルは商人をテーブルに残して事務所のデスクへ向かった。

「本当に引き受けるつもり?」

「……仕方ないでしょう?」

 リナは書類を書きながら言った。

「ちょっと怪しい感じがするけど」

「そうかも知れません」

「今の情勢でベルメランクを経由してくるって危ないでしょう? いつまた戦争が始まるかって時期よ」

「確かに武器商人が向こうからこっちへすんなり通れるというのは普通じゃないですね」

「そうでしょう? それでも本当にやるの?」

「すみません、私のせいで……」


 ダーシーが申し訳無さそうに小さくなっている。アルが気にしないようにと慰めていると、シダが大きな声をかけてきた。


「まだか? 急いでくれよ」


「報酬ですが、銀貨五十枚もらいます」

「何だと、それは高すぎないか? 払えて二十枚だ」

「大事な人の命がかかってるんですよね?」

「それはそうだが……商品がない以上、払える金もない」


 アルは何も言わずにジダを見据えていた。商人は喉の奥から小さな唸り声が漏れる。


「……わかった。五十でいい」


 アルとリナ、ダーシーが顔を見合わせた。アルはリナから書類を取るとジダにサインをさせてリナに渡した。リナは懐疑的な表情のまま黙って書類を受け取って肩をすくめた。


 アルは商人を連れ立って場所を《瑠璃のリス亭》へと移した。


「それであんたらは何人いるんだ?」


 商人はひげについたビールの泡を拭った。

「僕は一人ですよ」

「一人? 君一人でこの仕事をやるのか?」

「そうです」

「ちょっと待て、一人でどうにかなるのか?」


「僕は大抵一人で仕事をしています。それに人探しですから大丈夫だと思います。何なら契約はなしでもいいんですよ」


 商人は少しムッとしてアルに待つように言うとギルドへ取って返した。十分ほどして戻ると飲み残しのビールを一気に飲み干した。


「わかった。あんたに頼む」


「わかりました。あらためてよろしくお願いします。アルといいます」


「それでどうする気だ?」


「弟さんの通行ルートを教えてください。まずは逆にたどる以外に方法がありません」


 ジダは地図を広げると弟クリマ・コルマコの予定ルートを示した。ベルメランクの都市ゲーエからスメイアに入ってドーエン、エンベに立ち寄ってファラスに来る予定だったという。


「何人で旅をしているんですか?」

「弟を含めて四人だ。傭兵の三人のうち二人は俺たちの幼なじみで裏切るなんてことはない。もう一人も長く商売の付き合いがあるやつだ」


「ジダさんも同じルートでここまで来たんですか?」


「いいや、俺は東のリガティアを来たんだ」


「まずはエンベに行きましょう」


 エンベはスメイア南部の都市の一つで小高い丘に建てられたロゴエール城が望む。それを二重の重厚な城壁が取り囲み、大小二十本の円塔が天に突き出していた。城主ウォルター・ルドヴィック・エスタローグ伯は剛毅果断な軍人で魔獣狩り、特にワイバーン狩りで有名で家紋には剣を飲み込むワイバーンが描かれていた。エスタローグ家のワイバーン狩りの歴史は四代前のロジャー・エスタローグにさかのぼる。元々軍人の家系に生まれた彼は武者修行のため各地を転々としていた。あるときメナスドールにあるロア山岳地帯にワイバーン出現の噂を聞きつけると、一人でワイバーン退治に向かい見事にその首を持ち帰ったのだった。ワイバーンは通常体長二、三メートルほどの飛竜種だが、エスタローグ伯は五メートルもあるワイバーンを仕留めることに成功しその武勇は隣国にも広く知られていた。ウォルター・エスタローグ伯も曽祖父に劣らずの武人であり、三メートル弱のワイバーン三体を仕留めており、その頭蓋骨は城壁に飾られていた。


 アルとジダは街に入るとギルドへ向かった。多くの軍人を擁する城塞都市であるエンベではそれほど冒険者たちのギルドは大きくなくファラスと同程度かやや小さいくらいだった。


「クリマという商人を知りませんか?」

「俺の弟だ。大柄で顎が太く俺よりも明るい金髪の男なんだ。左腕に木のタトゥーが入ってる。ゲシピアからベルメランクを通ってこっちに来る手はずだったんだが、見かけなくてな」


 ギルドでも、次に向かった酒場、宿屋、鍛冶屋、市場でも情報はなかった。それから二日かけて出入りする商人らにも聞きこみをしたが手がかりは得られなかった。ジダの顔見知りもいたが皆一様に首を振った。


「こっちからベルメランク方面へは行かねえほうがいいぞ」

 多くの人から得られた共通の情報はそれだった。


「ドーエンに行きましょう」

 相次ぐ空振りにジダは明らかにイライラしていた。アルもそれを感じ取りとにかく次の街へと急いだ。ドーエンは隣国ベルメランクとの国境に一番近い街でファラスよりも小さかったが、街のすぐ外に点々と櫓が組まれて赤と白の軍機がひるがえるスメイア軍の駐屯するテントが見える。平時のドーエンは郊外で山羊が闊歩し小麦や大麦の生産が行われているどこにでもあるような都市の一つだったが、軍のテントと兵士の数が物々しさを醸し出していた。


 街に入るとジダは真っ先に酒場に向かった。夕方だったが中は街の人間と兵士とで席はすでに八割ほど埋まっていた。入口近くの人間から片っ端に聞きこみを始めた。訳知り顔で酒をねだる者、素っ気なくあしらう者のどちらかにわかれていたが、これといった情報を得ることはできなかった。次の朝一で市場に向かうと市場は閑散としていた。


「軍が来て食料やら物資が入用になって買い上げられてるんだ。儲かりゃいいんだがまったくだね。困っちゃうよ、まったく」


 八百屋の店主が乏しい野菜や小麦を並べたテントに座って愚痴をこぼしていた。


「商人はベルメランクから来ないんですか?」

「もう来れないんじゃないかな。ここ二週間であっちから出入りはなしだ。海沿いのミーンスフルートでも似たようなもんだろう」


「ベルメランクへ入る方法は?」

「さあな。いまの緊張状態が解消されないと無理じゃないかね」

「そもそも戦争はあるんですか?」

「今度は何だかどっちも動きが遅いよな。でも前と同じじゃねえかな、何度か兵隊をぶっつけあって終わるだろうと言われているよ。まあわからねえけど」


「俺の兄弟がいなくなっちまったんだよ。ベルメランクからこっちへ商売にくるはずだったのに」

「そりゃ気の毒にな。俺じゃわからねえけど、クメント村まで行ってみてはどうかね? あそこまでならぎりぎり行けるって話だ」


 ジダは口をへの字に曲げながら大きく肩を落とした。しばらくその場に立ち尽くして頭をかいた。アルが声を掛けると、疲労の色濃いため息をついた。それはアルも同じだったが、アルは努めて平静を装い、憤る商人を辛抱強く待つのだった。

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