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詩情歴程 ヘルック(2)

 アルは馬車に乗り込むと先程放った矢を回収し、積み荷の木箱を探った。リンゴが残っていたので袋にいくつか詰めると馬に載せた。オータスはヘルックに再度声をかけた。妖精は一定の距離を取りながら二人について行った。一キロほど進んだが、近くに民家はなかった。アルとオータスは野宿することにした。森へ入ると薪を拾い集め、火を熾す。ヘルックは二人から少し離れた位置で膝を抱えた。アルはリンゴを少し離れた位置に置いて後ずさる。

「ここじゃ冷えるよ。火に当たったほうがいい。それにほら、食べ物だ……僕たちは君に何もしやしない」

 アルはそれだけ言うとオータスのもとに戻り、周辺の索敵にと森へ分け入った。五分ほどしてキノコを手にしたアルが戻ると、依然としてヘルックは膝を抱えてうつむいていた。アルとオータスはキノコを焼いて食べ始めた。二人が食事を終えたときヘルックがリンゴを手に近づいてきた。


「あの、その……食べていいの?」

 二人は顔を見合わせて笑顔を浮かべた。

「もちろん。寒くないか? さあ、こっちへ来て一緒に温まったらいい」

 オータスは丸太を指し示した。ヘルックは二人の間に腰を下ろすとリンゴを食べ始めた。アルは焼いたキノコを彼の前に置いてやった。


「僕はアルだ。彼はオータス。君の名前は? ああ、ゆっくり食べてからでいいよ」

 ヘルックは口の中の物を飲み込んでから答えた。「ポー」

「ポー、君は誰かと一緒じゃないのかい、例えばお母さんとか?」オータスが訊ねる。

「僕は一人だよ」ポーは首を振る。

「さっきの馬車では誰か見なかったんだね?」アルが聞いた。

 妖精は少しうつむいて首を振った。


「……ごめんなさい、本当は見たんだ。……馬車の人たちがゴブリンに襲われているのを……ゴブリンたちは人間たちを殺して森へ引きずっていったよ……大人も、子どもも。僕は怖くて隠れていたんだ」

「謝ることじゃない。君が殺されなくて良かった」

「アルの言う通りだ」

「でも、子どもの悲鳴が耳に残ってるんだ。腹を裂かれて中身を食われてた」

「……それは酷いな。でももう大丈夫だ。私たちがついている。と言っても、私はそんなに役に立たないがこっちの彼が守ってくれる」


「お願いがあるんだけど……」

「何だい?」

「これを返してあげて欲しいんだ」

 ポーはペンダントを見せた。

「これは?」

「ゴブリンに連れて行かれた女の子が落としたんだ。返してあげたいんだけど……」

「わかった。君の頼みを引き受けよう」

「本当? ありがとう」

「まかせてくれたまえ」


 お腹を満たしたポーはショックから解放された安堵感を覚え焚き火の炎の揺らぎに間もなく眠りに落ちた。


「なぜ、この子に肩入れするんです?」

「ヘルックは妖精と言っただろう? 彼らは幸運を呼ぶ者として信仰されていたんだ」

「幸運にあやかろうってことですか?」

「そうだね。あやかりたいもんだ。まあ、それ以上に善良な人々を見捨てておけるほど薄情ではないからね。どうせ君もそうだろう?」

 オータスは笑った。

「まあ、しかし、それ故に彼らは悲惨な目に会わされた」

「どういうことですか?」

「彼らは”狩り”の対象になった。主に金持ち連中向けに、あの黄金の目は魔除けに、手足や内臓は薬としてね」

「信仰の対象という扱いではありませんね」

「彼らそもそもが珍しい種族だ。それ故に珍重されたんだ。”あやかりたい”連中ってのはどこにでもいるだろう? 闇商人が追い求めている品だと言われている」

「まさか、あなたも?」

「いやいや、獣狩りと同じだという人もいるが、僕は人型の生き物を狩るのにはぞっとするね。幸運の象徴を殺すなんて、そんな畏れ多い趣味はない。薬草だって苦くてごめんなのに、彼らを煎じて飲むってのも吐き気がするよ」

「呪われそうですね」

「全くだ」

「わかりました。それじゃ、僕はゴブリン退治をしてきます。休んでいてください」

 アルは立ち上がると尻の砂を払った。

「こんな夜更けにか?」

「雨の匂いがします。間もなく降ってくるでしょう。だから好都合なんです」

「しかし、私とこの子だけ残されては……」

「こっちに来てください」


 アルは松明を手に森へ入ると一本の樫の木を示した。

「あの木の洞穴が見えますか? さっき見まわったときに見つけたんです。あそこの中なら正面だけ気を配っていれば大丈夫ですから、あそこで待っていてください」

「わかった。元々私が引き受けた気まぐれの仕事だ。面倒をかけるよ」


 二人は焚き火とポーを樫の木の前へ移動した。アルはヘルックを一匹の魔物か人型の獣としか考えていなかったが、ポーを抱きかかえたときその体がひどく軽いのにどこか違和感を覚えた。掌に残る軽さの残響を渡されたペンダントと一緒に握りしめる。程なくして降りだした雨に焚き火が揺らぐ。アルは荷馬車の地点に戻った。地面の血の跡を探る。道の南側の森へと引きずられた跡が続く。森に入ると葉を打つ雨音に包まれる。アルはゴブリンの痕跡を探った。血の臭いはむせ返るような森の緑の匂いにかき消されていた。何かを引きずった跡、折れた灌木、踏み潰された下生えなどを探してたどる。アルは大木に手をかけた。その掌を見る。そこには未だ乾いていない血のりが粘ついていた。そのすぐそばにゴブリンが一匹いた。傍らには人間の足が見えた。ゴブリンの背中が揺れるのに合わせてその足も揺れる。一気に血生臭さがあふれた。アルは剣を引き抜くと、一足飛びに襲いかかった。背中から剣を引き抜くと、ゴブリンを退かせた。死体は大人の女性で胸を噛みちぎられ、腹わたが引きずり出されていた。頬も食われており、白い歯がのぞく顔は恐怖に引きつった笑顔に見えた。さらに進むと洞穴があった。アルは近くにあった木の上に登ると、生い茂る葉の隙間から様子をうかがう。入り口に一匹、ゴブリンが姿を見せた。顔を空に向けて雨の様子を眺めていた。顔にかかった雨を拭ったとき、アルの矢が顔面を捉えた。ゴブリンは一瞬体を痙攣させると静かに倒れた。そのゴブリンの血は細く洞穴へ流れこむ。血に引き寄せられ、中から二匹のゴブリンが出てきて騒ぎ出した。それぞれの肩口と腹を矢が襲う。ゴブリンの野蛮な悲鳴がしとやかな雨に響く。さらなる矢がゴブリンを襲い二匹が倒れると、中から一気に五匹のゴブリンが出てきた。怒りと恐怖に狂乱した魔物たちは鼻を鳴らし鋭い歯をむき出して、見えない敵に威嚇していた。彼らは地面や中空に臭いを嗅ぎまわってアルを探した。三匹がそれぞれ別の方向へ飛び出していった。アルはそれを確認すると残った二匹を始末した。一匹が戻る。死体に騒ぐ後頭部へ矢が突き刺さった。もう一匹が戻ってくる。そのゴブリンはアルの潜む木の真下を通ったとき、脳天を矢が貫く。最後の一匹が戻る。濃緑の肌が熟れたトマトのようにみるみる紅潮していった。口が開け放たれ、喉が震える。魔物の咆哮が放たれる直前、その喉を矢が貫通した。ゴブリンは溢れ出る自らの血に溺れた。アルは地面でもがくゴブリンの頭を落とした。


 アルは洞穴を覗いて声をかけた。何の反応もない。暗闇に目は効かず滑る岩肌の地面に慎重に足を運んだ。数メートル進んで振り返る。誰もいない。壁伝いにさらに奥へ進むと、足元に何かが当たった。それを手探りすると、固く冷たい細い棒のようなものに触った。すぐにそれが人間の足だとわかった。すえた血の臭いの中を蝿の羽音が小さく煩わしい。アルは声をかけ、揺すぶった。抱きかかえようと胴体の方へ手をかける。手に粘つきを感じた。体の重さから少女のものだとわかった。洞穴の入り口まで遺体を運びだす。肉のついている目ぼしい部分――腹、腿、肩口、二の腕――はすでに食われて遺体はボロボロだった。アルは他にも遺体がないか洞穴の奥を探したが何も見つからなかったので、少女を抱きかかえて来る途中の遺体のところへ戻った。悲惨な状態で再会を果たした母娘を、アルは埋葬してやろうと決めた。洞穴に戻り、手頃な平たい石をいくつか拾って取って返した。それを使って湿った土を懸命に掘った。二人分の穴を掘る作業は、ゴブリン退治とは比べようもないくらい辛い作業だった。しとと降る雨の静寂にアルの白い息が溶ける。二人が何とか入るくらいの穴ができるとそこに並べ、娘の手にペンダントを握らせた。落ち葉をかけて土で覆い、さらに洞穴から石を拾って積んだ。手から泥を振り落とし、頬を伝う汗を拭う。フードの縁から雨雫が滴る奥に、アルの眼差しがその夜の暗闇のように暗くあった。


 アルがオータスらのもとに戻ると燠のくすぶりがけぶる中、二人は木の穴蔵で眠っていた。アルは焚き火に息を吹きかけた。白灰のなか炭が赤く燃える。湿った薪ばかりでそれ以上の炎を得る術はなかった。アルは少しだけその熱に手をかざしたが、やがてまどろみに落ちていった。


「ペンダントを返して来てくれたんだね」

 ポーの声にアルは驚いた。

「ああ、君か。ペンダントは返したと言うか……その……」


 ポーは満月の眼でアルをじっと見つめると、頬を優しく緩めて首を振った。

「助けられなくて悪かった。けれどペンダントはちゃんと……」

「ありがとう。いいんだ。僕が助けられたら良かったんだ。でも、僕も勇気がなくて恐ろしくて動けなかった」

 アルは黙って聞いていた。


「ペンダントを返してくれてありがとう。本当に、ありがとう」

 ポーの丸い目が細くきらめいた。彼はアルの手を握った。柔らかさと温かさが手を浮かべる。

「もう僕は行くね」

「行くってどこへ?」


 ポーは「さあ、わからない」といった表情を見せて笑った。ポーの体がぼやけ始めるとアルは目をこすった。そのまま完全に透明になるまで時間はかからなかった。アルは再度声をかけた。ほとんど聞き取れない返事――感謝の念とだけわかるものが耳の奥に響いた。アルは自分の感覚の不確かさと幽世的な違和感、そして手の中にだけ残る妖精の温もりを握りしめた。


「おい、アル。起きてくれ。彼が、ヘルックがいないぞ」

 翌朝オータスはアルを揺すぶると辺りを見回して騒いだ。アルはあくびをして目をこすった。

「ああ、ヘルックなら行きました……というか、何と言うか……消えました」

「消えた? 何ということだ。それも見たかった……まだ彼とはほとんど何も話していないのに」

「すみません、僕も気が回らず、突然行くと言われて」

「そうか、いいんだ。また機会は訪れるだろう。彼に出会えただけでも充分幸運だった。ああ、しかし……返す返すも残念だ。いい詩を……」

 詩人はその調子で頭を抱えては、まとまりのない詩の試作についてアルへしゃべり通していた。

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