第七話 黙示録に記されし九つの暴威
人間には特別な力なんて(基本的には)備わっていない。できることといえばちょっと優れた頭脳で悪巧みするか、ちょっと器用な手で道具を作り出すくらいである。
その果てに生まれたのが魔剣を代表とする遺物であった。耐久力や切断力など道具の特性を底上げする製造技術は八百年前に勃発した魔人との戦争、通称ラグナロク・アルファにて失われてしまったが、未だに人間の知が生み出した力は各地に存在している。
──その程度なのだ。人間の力なんてものは既存の道具の底上げが限度であり、それさえ八百年前より退化していた。特別な力なんてものは黙示録に記されし九人の聖女たちくらいしか扱うことはできない。
魔人は違う。褐色にねじくれたツノだけが人間との差異ではなく──その身に宿す特別な力こそ魔人が魔人たるゆえんであった。
ラグナロク・アルファ。
かの大戦にて最後には撤退した魔人たちではあるが、宿す力が特別であることに変わりはない。
その、頂点。
魔王がその手を横に振──
「フッ──!!」
ザンッ!! と。
その手が横に振るわれるより早く、アリアの漆黒の剣がその手を肩口から斬り捨てた。
そう。
魔王の反応速度を凌駕した上で、である。
「テメェさっきのは……」
「くすくす☆ 確かに初撃は貴方に避けられたですが、あれが最高速度だなんて誰も言ってないですよ」
「ハッハァ! 違えねえ!!」
ぶしゅう、と鮮血が噴き出し、そして止まる。筋肉を収縮させて止血した、なんてレベルではない。
ぐじゅり!! と。
斬り捨てられたはずの腕が生えたのだ。
「黙示録が第七章──治癒促進。ハッハァ! ダメージを与えた程度で我を殺せるとでも思ってたのかァ、カスがァ!!」
魔王が動く。
生えた手をアリアの頭に向けて、
「黙示録が第八章──猛火紅砲!!」
ボッ!! と視界を埋めるほどに巨大な猛火が噴き出した。頭を横に振り、ギリギリで避けることには成功したが、触れずとも吹き荒れる熱波がアリアの肌を焼く。
そこで終わらない、止まらない。
今度は逆の手を斜め左下から振り上げ、
「黙示録が第三章──龍牙風刃!!」
ズザンッ!! とその手の軌道に沿うように何かが突き抜ける。視認できないほど速い、のではない。不可視の斬撃が放たれたのだ。
対してアリアは耐久力を底上げした遺物、漆黒の魔剣を斜めから這わせるようにぶつけ──ガリガリガリッ!! と火花を散らしながらも斜めに受け流す。
普通の剣では木々をダース単位で両断する一撃を受けられはしなかっただろう。耐久力を底上げした魔剣だからこそ折れずに受け流すことができたのだ。
そのまま踏み込む。斜めに構えた魔剣を袈裟に振るい、魔王の側頭部へと振り下ろし、
「黙示録が第六章──封鎖障壁!!」
ガギィン!! と頭部を囲むように展開された半透明の防壁に弾かれた。
「ハッハァ! どうしたァ、この程度かァ!! 我が九の魔導を前に手も足も出ていないじゃねえかァ!!」
そして。
そして。
そして。
「くすくす☆ もういいです」
ゴドンッッッ!!!! と。
頭部を覆った防壁ごと、薙ぎ払った。
「……ッ!? が、はっ!?」
魔剣の剣腹をフルスイングした。それだけだ。たったそれだけで魔王が真横に吹き飛ぶ。転がる。
じわり、と。
側頭部から血を流し、地面に転がる魔王を見下ろし、アリアは言う。猫のような黄金の瞳に落胆を乗せて。
「もう見切りましたです。だから、まあ、もう終わりですね」
「な、にを……ほざいてんだァ! カスがァ!!」
言下に魔王の腕が振り上げられ、その軌跡に乗って不可視の斬撃が飛ぶ。黙示録が第三章──龍牙風刃。木々を両断するほどの一撃は、しかし、
ギィン!! と。
漆黒の剣を振るうだけで後方へと受け流された。
「チッ、ならばァ!!」
今度は放射される紅蓮の濁流。黙示録が第八章──猛火紅砲。触れずとも熱にて肌を焦がすほどの熱量は、しかし軽く身をさばくだけで避けられたばかりか漆黒の剣を振るうことで吹き荒れる熱波さえも吹き散らされた。
「く、そがァ!!」
今度は上空、アリアだけへと襲いかかる氷の矢の雨。黙示録が第一章──氷乱絶波。百を越す氷の矢がアリアへと殺到するが、
「だから見切ったと言ったはずです」
軽く、放り投げただけだった。
投げられた漆黒の剣が矢の雨と激突、いくつかの矢を弾くことくらいはできただろう。だがそれだけだ。残りの矢がアリアを射抜く……はずだった。
砕けた矢の破片やそのまま弾かれた矢が四方八方へと飛び散り、近くの矢に当たる。弾く。後は連鎖であった。ぶつかり、激突し、その連続が百以上もの矢の塊を粉砕する。
なまじ百以上もの物量を一人に差し向けたがばかりに矢が密集していたのが原因か。あるいは見切っていたからこそできた芸当か。
くるくると舞う剣をアリアが右手で掴む。そう、漆黒の剣は矢を迎撃した後にまるで狙ったかのようにアリアのもとへと戻ってきたのだ。
「ま、てよ。それはおかしいだろうがァ! 風の斬撃や炎の掃射はまだわかる、だが氷の矢は今さっき初めて使っただろうがァ!! それを、なんで、そうもあっけなく凌いだァ!? そんなの見切ったにしてもおかしいだろうがァ!!」
「何を言っているんですか? 私が見切ったのは貴方ですよ、魔王」
平然と。
アリアは言い放つ。
「魔王ならどう動くかを見切ったんです。ゆえに既存の力だろうが、未知の力だろうが、魔王ならこうするだろうってのは見切れるです。どんな力でもどう使うか分かれば対処は簡単ですよ。先ほどの氷の矢のようにですね。くすくす☆ ちんたら戦いすぎですよ。私に貴方の底を見切るだけの時間をプレゼントしてくれたんですか?」
「……ッ!?」
無茶苦茶だった。
だが、現にアリアは無茶を現実としている。
そして。
だんっ!! とアリアが真っ向から踏み込み、その剣で地面に倒れたままの魔王めがけて漆黒の剣を振り下ろ──
「チッ。こいつだけならまだしも、『奴ら』まで相手することになったらちっとばっか足りねえかもなァ。仕方ねえ。黙示録が第九章──座標連結っ!!」
ブォン!! と剣が虚空を薙ぐ。
魔王の姿が消失……おそらくは瞬間移動のような力で消えたのだ。
「気配はなし、ですか。自分から略奪を仕掛けておいて逃げ出すだなんて情けない奴ですね」
吐き捨て、そして。
ぐらり、とその長身が揺らぐ。
荒く息を吐きながら、心の中だけで付け足す。
(あのまま続けていたら、奪われていたのは……世界は広いですね。とはいえ、くすくす☆)