第三十八話 終わり、そして
極大の怪物たちとの殺し合いは終わった。
ゆえに、ここからが始まりであった。
「…………、」
グリムゲルデの炎と魔王の炎とが激突した際に撒き散らされた熱波を受けて溶けた氷の中から出てきた白猫はというと、グリムゲルデをじっと見つめていた。
言葉に意味はない。
それ以外こそが存分に伝わると知っていたから。
「グリムゲルデ姉様……」
「あ、あはは……。ぶ、無事でよかったでしょうよ」
「翼とかツノとかについては後で聞くとして──話があるから、ちょっとこっち来て」
「え、ええと、もしやお怒りな感じでしょうか?」
「ね・え・さ・ま?」
「はい、姉様今いくでしょうはい!!」
なんだかお怒りな妹の態度に姉はようやくアリアの言葉の意味を理解したが──今更理解できたところで手遅れに決まっていた。
ーーー☆ーーー
「はぁ……」
聖騎士ルナエルナは膝を抱えるように座り込み、妹(白猫)の前に正座してお説教を受けている姉や、そんな様子に『白猫に頭が上がらない聖女様もありでひゅう!』なんて叫びながら失神する少女を抱き止めて『もう聖女様ならなんでもいいわけ? ……ばーか』と不貞腐れている少女や、何やらリアラーナの唇を奪っているアリアをぼーっと見つめていた。
なぜだか白猫になっている第九位相聖女・ロスヴァイセのそばにいながら、守ることができなかった。
聖騎士としての役目を果たせなかった。
というか、何もできていなかった。
最初の最初、異様に髪の毛が長い異形と邂逅した時からずっとずっとずっと、呆気なく敗北してばかりであった。
……ルナエルナだって、本当は分かっている。聖騎士の役目は宗教的価値あるものを守り抜くことであり、ゆえに聖女もまた守護対象ではあるが、そんなもの建前でしかないことに。
奇跡を振るう聖女を、奇跡を持たないただの人の身にて守り抜くなんて傲慢でしかない。聖女は、聖騎士一人に守られるほど弱い存在ではなく、聖女さえも翻弄される状況で聖騎士一人にできることなんて何もない。
分かっている。
分かっている。
分かっている。
それでも、だとしても、
「悔しいわね……」
「だったら頑張るですよ」
ぽん、と。
いつの間にそばに立っていたのか、膝を抱えて座り込むルナエルナの頭を撫でる手が一つ。
アリア。
赤髪の女はくすくすと笑いながら、こう続けたのだ。
「ここまできて、それでも悔しいと言えるだなんて正直予想してなかったです。くすくす☆ だったならば、まだまだ伸び代はあるですし、頑張ればどんな目標だって掴めるですよ」
「なんでそんな偉そうなのよ……。でも、うん。私が私であるために。胸を張って聖騎士だと言えるために。今度はやられ役で終わったりしない。頑張って、頑張って頑張り抜いて──今は見上げるしかない目標にだって届いてみせるわよ」
座り込む聖騎士は言葉を紡ぐ。
赤髪の女を見上げて、己が魂へと誓うように。
ーーー☆ーーー
「くそっ。あと少しで無限に等しい魔力が手に入っていたのに、くそがァ!!」
深淵のさらに奥。
蠢く黒にて床も壁も天井も覆われた玉座の間に転移した魔王は苛立ちをぶつけるように腕を振り下ろし炎を撒き散らす。
「あの女に聖女、それに人間のくせに馬鹿げた力を持つ衛兵が間に合うだなんてよっ」
ふう、ふうーっ! と荒い息の中、さらに炎を撒き散らすが、その威力は徐々に弱くなっていた。
魔力の枯渇。
技能はあっても燃料が足りないからこそ、同じ力を揃えた聖女たちによって魔王は討伐される。それが黙示録に定められし運命である。
逆に言えば、魔力さえ揃えれば聖女たちを殺し尽くし、運命を覆すことだってできるはずだ。
だから。
だから。
だから。
「なあ、間抜け。俺様が最強たるために死んでくれ」
ズドンッッッ!!!! と。
胴体を貫く腕があった。
真っ直ぐに魔王の心臓を貫いた腕が飛び出ていた。魔力が残っていれば治癒の魔導で治すこともできただろうが、先の戦闘にとって魔力を使い果たしたために治すことはできない。
できなければ、当たり前の負傷が当たり前の死を招くだけである。
「テ、メェ……るし、ふぁ……ッ!!」
「仕方ないよな。黙示録を宿していながら、お前さんは俺様よりも弱いんだ。今までは面倒ごと押しつけるために魔王と名乗らせてやってたが、それもここらが潮時だっつーことだな」
──あるいは、焦りさえなければ違った結末もあったかもしれない。魔王という力をフルに活用して、万全の体制で挑めば裏切りを出すことなく運命を覆すことができていたかもしれない。
だが、魔王には時間がなかった。
万全の体制を整えるだけの時間がなかったのだ。
ゆえに、裏切りの手によってその命は潰えた。
背後にて六対の翼を羽ばたかせて、その腕に美しき異形の女、サラを抱くは『魔導七罪』が一業、ルシファランズ。もう片方の腕で魔王の心臓を貫きし少年は反逆の末に九つの破滅を獲得する。
ーーー☆ーーー
翌日。
グリムゲルデはフルフェイスの純白仮面をかぶり、やけに分厚い純白の布で全身をぐるぐる巻きにして、正座していた。
それはもう綺麗な正座であった。
事後処理も早々に巨人をぶっ壊された『第八位相聖堂』ではなく『第九位相聖堂』にあるロスヴァイセの私室で正座状態のグリムゲルデに対して、眼前の白猫は額に肉球をやり、
「姉様、ロスヴァイセちゃんだってこんな身体になったから色々と根回しやら何やらで忙しいんだぴょん。聖女ってのは象徴としての役割が全てなんだから、外見一つとっても重要ってわけだぴょんね。で、そんな大忙しなロスヴァイセちゃんに向かって何を言ってくれちゃったぴょん?」
「アリアさんについていくでしょうよ」
「何を馬鹿なこと言ってるのよ!? グリムゲルデ姉様は第八位相聖女なのよ!? 立場っての理解してよ!!」
語尾なんて跡形もなく吹き飛ぶくらいには怒り心頭であった。アリア、あの赤髪の女については気になる点はあるし、その連れであるリアラーナという少女に関してもそうだ。
最初にアリアたちが魔王と森で邂逅した際、ロスヴァイセも現場に転移していた。ゆえにあの魔王がリアラーナに固執していることはすでに知っていた。
ゆえにリアラーナの『価値』を調べようとわざわざ聖騎士たちを別に動かしてアリアを足止めしている間にリアラーナと接触したのだ。結果として何も分からなかったが、こうして再度、それも『魔導七罪』を伴って攻め込んでくるくらいには重要な『価値』があると見ていい。
そんなリアラーナや、彼女のそばについているアリアの動きを逐一把握する手段は必要ではあるだろうが──そんなもの、自然とアリアたちと行動を共にしている聖騎士辺りに任せればいい話だ。わざわざ第八位相聖女を派遣する必要なんてない。
「ロスヴァイセ、今回の闘争で理解したはずでしょう。現在進行している『何か』はラグナロク・オメガの主要人物たちを巻き込むほどに大きな流れでしょう。その中心にアリアさんたちが立っているでしょうよ。聖堂に引きこもっていたら、間に合わなくなるかもでしょうよ」
「そ、れは……ロスヴァイセちゃんも何となくそうかもとは考えていたけど、でも!」
「象徴としての役割も大切かもしれないでしょう。でも、今求められているのは戦力としての価値でしょうよ! ラグナロク・オメガ、人類一掃の呪いへと立ち向かうためにも受け身じゃダメでしょうよ!!」
グリムゲルデの言いたいことも何となくはわかるのだ。ラグナロク・オメガ、そして黙示録。定められしルート、決まりきった物語をなぞるだけのはずが予想外の出来事や登場人物が多すぎる。
本当にこのままでいいのか。
黙示録に記された運命に乗っかることで救済は掴みとれるのか。
……そういったことに関係なく、とにかくグリムゲルデを引き止めようとしている、とまではロスヴァイセは自己分析できてはいなかった。不確かな理由で脱線した結果、事態が悪化する可能性が高いということにして、グリムゲルデを引き止めようと口を開き、そして、
どんどんっ!! と扉を叩く音が響く。
扉越しに聞き覚えのある聖騎士の声が届いた。
「ロスヴァイセ様、グリムゲルデ様、緊急事態です!」
聖騎士ルナエルナ。
この街に配属されていた聖騎士のほとんどが戦死したことで、聖騎士としての業務を片っ端から担当、あるいは振り分ける立場となってしまった彼女はロスヴァイセの返事も聞かずこう続けた。
「アリアさんが殺人の容疑でランクA賞金首として指名手配されました!!」
「……、ぴょん?」
「ふへ!?」
ーーー☆ーーー
『第九位相聖堂』と『第八位相聖堂』が並ぶ街の中、人混みに流されていく平凡極まる彼女は言う。
「むぅ。アリアお姉様に迷惑かけていいのは『妹』であるわたしだけなのにぃ。ランクAに下げて注目の的にするだなんて余計なことを。ただでさえリアラーナとかグリムゲルデとかルナエルナなんていう邪魔者が増えているのに、今まで以上に注目されちゃったらもっと増えちゃうじゃん。わたし、これ以上増えたりしたら耐えられないよ? ぐちゃぐちゃにぶっ壊しちゃうよ???」
人混みに紛れて、溶けて、埋もれる。
あまりにも個性がなく、あまりにも特徴がなく、あまりにも普通な彼女は賑わう街の中、誰にも記憶されることなく人混みへと消えていった。
──魔王討伐には失敗したが、逃げ延びていた巨人の能力を取り込んだ異形の少女がせめて聖女かアリアを始末しようと行動していた。その異形の少女が彼女の手によって殺されたのだが、そのことに誰も気づけなかった。