第三十七話 VS魔王
それは唐突にして劇的であった。
トン、と。
白猫の中に入り込んだ第九位相聖女・ロスヴァイセを腕に抱く聖騎士ルナエルナのそばに彼が出現したと共に、
「ハッハァ! 隙だらけだわなァ!!」
腕が、伸びる。
ルナエルナの肩に触れたその腕からヒュゴッ!! と青白い光が走り──瞬間、分厚い氷に覆われたのだ。
氷結。
人体を覆い尽くすほどに分厚く、巨大な氷に覆われるなど自然では起こり得ない。ゆえに、超常。まさしく魔導によるものであった。
その場に出現するは魔王。
魔人を統べし破滅の根源である。
「あ、なた……は、あの時のっ!!」
「さっきぶりだなァ、『番外聖女』。九の奇跡の外に位置する十番目の聖女、無限に等しい魔力源、ハッハァ! ラグナロク・オメガまであと少しといったところで逆転の切り札が見つかるだなんてなァ! これも日頃の行いのおかげかァ?」
「なにを、言って……!?」
「そのままの意味だわなァ。お前は、我が魔力源となって死ぬ。それがお前がこの世に生を受けた意味ってヤツだわなァ」
適当に、言ってのける。
あるいは本気でそれしか存在価値がないと判断しているのか。
魔王は氷漬けにして殺すことなく身動きのみを封じたロスヴァイセやルナエルナには視線さえ向けず、リアラーナへと近づいていく。
『番外聖女』、あるいは無限に等しい魔力源。
『魔導七罪』さえ配下と支配する怪物の魔の手がリアラーナへと迫る。
ーーー☆ーーー
肉塊が、転がる。
前後左右、それに上空。至る所に蔓延っていた異形の少女たちが上半身と下半身を切り離され、ボタバタと呆気なく地面に投げ捨てられたのだ。
アリアによって、ではない。確かにアリアはこれまで『魔導七罪』を殺してきたし、先ほども空高く跳躍するほどには人間離れした動きを見せていたが、瞬時に八十近くもの敵を斬り殺すといった超常じみた領域には到達していない。
アリアの本領はあくまで観察眼。見切り、隙を突き、力の差を覆した結果あたかも圧倒している風に見えるだけで、能力自体はそこらの人間とそう大差はない。
であれば、先の超常じみた結果は──
「ああ、疲れたぁ。俺ももう歳だから若い子に付き合うのも一苦労なんだがなぁ」
そんな風にぼやきながら歩を進めるは一人のおっさん。衛兵であることを示すレザーアーマーを纏い、血に濡れた安物の剣をその手に握ったおっさんはアリアやグリムゲルデへと視線を向けて、
「色々大変だったろうに、よく生き残ったなぁ。良かった良かった」
「そっちのほうが大変そうだったですが」
「え?」
「そうか? まあ何とかなったんだし、そうでもなかったんじゃないか?」
「いやっ、えっ、え!? 今のスルーでしょうか!?」
平然と答えたおっさんを見つめて、アリアは微かに目を細める。何事か言いたげではあったが、口から出たのはそれ以外の言葉であった。
「ケリつけに行くから、付き合うですよ」
……ちなみに先ほどまで散々苦しめられた異形の少女たちが瞬時に全滅した件は最後までスルーされていた。まるでそれくらい『できる』のなんてわかりきっていたとでも言わんばかりに。
ーーー☆ーーー
人が二人通れればいいほどに狭い路地裏であった。前方は氷漬けにされたルナエルナや魔王によって塞がれており、必然的に後方──来た道を引き返すしかなかった。
咄嗟に足が動いただけマシだっただろうか。結局、リアラーナが何をどうしようが逃げ場なんてどこにもないことに変わりはなかっただろうが。
「ハッハァ!!」
魔王の魔の手が迫る。
氷漬けにでもするつもりなのか、炎で焼き尽くすつもりなのか、不可視の刃で切り刻むつもりなのか。とにかくその手には破格の脅威が宿っている。小柄な少女一人、簡単に消し飛ばせるだけの脅威が、だ。
「あ……っ!!」
そして。
そして、だ。
「前にも言ったはずですよ、魔王。貴方が私よりも強ければ、自然とちっこいのは貴方の所有物となっているですよ、と」
ザンッッッ!!!! と。
リアラーナとすれ違った女が振るいし漆黒の剣が破格の脅威を宿す魔王の右腕を斬り捨てたのだ。
「前、私から逃げ出した時点で私よりも弱いことは証明されたです。その時点でちっこいのが貴方の所有物となる可能性は消滅したですよ」
魔剣が、翻る。
ザンッッッ!!!! と再度の斬撃。今度は魔王の首を深々と斬り裂く。勢いよく鮮血が噴き出す。
「ぐ、お……ッ!? まだ、生きていたのかァ、テメェ!!」
「勝手に殺すなです。この私の命を奪うというならば、ちっとはマトモな略奪できる奴を連れてくるですよ」
言下に三度目の斬撃。
それは大きく後ろに飛び退いた魔王に避けられたが、アリアの狙いはその一手で魔王を仕留めることではない。
振り返る。
小柄な少女を見つめる。
「あ、あり、アリアさぁん!!」
「はいはいアリアさんですよっと。無事で良かったです。後は任せるですよ」
言下に紅蓮が膨れ上がった。
魔王の左腕から路地裏を埋め尽くすほどに膨大な熱量が放たれて──ブォッバァ!! とアリアたちを庇うように炸裂した紅蓮によって押し流された。
「アリアさんっ」
「結構な怪我してるってのに元気だなぁ。これも若さかね」
グリムゲルデ、そして衛兵のおっさん。
第八奇跡、焼却によって魔王の一撃を押し流したグリムゲルデは猛火によって粉塵が立ち込める路地裏の奥に視線を向けて、
「やったでしょうか!?」
「まさかです。そこまで弱敵じゃないですよ」
ブァッ! と粉塵が引き裂かれる。
今度は不可視の刃。おそらくは空気を束ねし遠距離切断系魔導に対して、アリアは漆黒の斬撃を斜めに叩きつけることで受け流す。
その時には魔王が飛び込んでいた。
瞬時にアリアの懐まで詰めた魔王の左手が伸びる。ヒュゴッ!! と青白き光を纏う五指がすくい上げるようにアリアの左脇腹めがけて放たれる。
ザンッ!! とその指を魔剣で斬り裂くが、今度は逆の手が青白い光を纏い脇腹へと迫っていた。最初に斬り捨てた腕はとっくに生えており、その首に刻まれた傷もまた塞がっていた。
「シッ──」
アリアの右足が、跳ね上がる。
青白い光を纏う腕ではなく、魔王の胴体へと蹴りを叩き込み、わずかに後ろへと下げる。瞬間、指が宙を裂く。わずかに届かず、空振ったのだ。
そこでアリアの身が翻る。その回転に合わせて魔剣が魔王の側頭部へと襲いかかり──ガギン! と何もない空間を空振るに終わる。
転移。
先の闘争の時にも見せた逃走手段。
「ま、逃げるわな。魔力切れ近かっただろうし」
「…………、」
おっさんの言葉にアリアは気に食わないと言いたげに舌打ちをこぼす。前と合わせて二度も逃がしたことに、ではない。
「で、貴方とやり合っていた誰かさんに始末される、ですか?」
唐突に聞こえたのはグリムゲルデやリアラーナ、それに後ろについてきていた少女やその親友だけであり──おっさんは微かに苦笑をもらしただけだった。
「気配を読むことができる、だけではそんな結論には至らないと思うんだがなぁ」
「半分は勘です。残り半分は転移持ちといういつ何時襲いかかってくるか不明なクソ野郎を取り逃がしたにしては余裕ぶっていること、後は力の差は歴然だというのに量産少女どもは殺して、後からやってきた誰かさんは殺していないのが気になったから、ですね」
「ま、その通りではあるんだが……いやぁ、とんだ傑物が今までなりを潜めていたものだなぁ。世界征服なんてやめてよかったってものだ」
「……、あまり好きじゃない略奪ではあるですね。回りくどい上に無意味です。あれだけの殺意をばら撒いていたんです。誰かさんと殺し合うのなんて時間の問題ですのに」
「それはそうなんだが、ルートは多いに越したことはないし」
「ルート……まあ、なんでもいいです。私の足を引っ張って魔王を逃がしたことは忘れるつもりはありません。次はないと思うですよ」
「悪かったって。ただ、なんだ、お前にゃあ『あれ』は似合わないと思ったら、ついやっちまってな。次はないようだから、下手なことはしないよう気をつけるさ」
そこまでだった。
もうやることは終わったと言いたげにおっさんが立ち去っていく。
ーーー☆ーーー
立ち去るおっさんは口元に笑みを浮かべていた。
あの『一瞬』についてはアリアとおっさんしか理解できていないだろう。
最後の最後、あの『一瞬』、アリアが魔王へと斬撃を仕掛けた際、おっさんの安物の剣がその斬撃を僅かな時間とはいえ押し留めたのだ。
それさえなければアリアの斬撃は魔王を捉えていた。頭部を斬り裂かれた魔王は脳の再生に力を割り振る必要があり、結果として転移に回せる力がなくなり、そこからの連打を受けることになっていた。
──あの『一瞬』こそ勝敗を決したと、そこまでわかっていたアリアは次はないとした。そのことを噛み締めて、おっさんはこう呟いていた。
「できることならあいつを殺すような展開にはなってほしくないなぁ。絶対苦労するだろうし、な」