第三十六話 身体に分からせてやるです
グリムゲルデを蝕む毒性は消え去った。
後は異形の少女たちを殺し尽くすだけで──
「ぶっ、がぶべぶ!?」
溢れ出る。
八メートルもの高さから危なげなく着地したアリアが血の塊を吐き出したのだ。
その身体が、傾く。
咄嗟に踏ん張り倒れることだけは阻止したが、相当のダメージを受けていることは明白であった。
既存の毒を超越した魔導に蝕まれているのもそうだし、ここに来るまでに肉体的ダメージを受けてきたのもそうだし、炎をねじ曲げるために使った腕も直接触れてはいないとはいえ熱せられた空気によって焼け爛れていたし、『奥の手』による反動も加わっていた。
──両足が内側から破裂するように壊れていた。
先の跳躍。人間の運動能力を無視した跳躍力の秘密は肉体のリミッター解除にあった。
普段は己が肉体を傷つけないようにとセーブしている全力を叩き出す『奥の手』は一時的とはいえ驚異の能力を発揮する。
だが、それは普段セーブすることで身を守る防御機能であるのだ。防御機能を解除して、無理に力を振り絞れば、反動という形で己が身を傷つけることになる。
ゆえに『奥の手』。
ほんの一瞬全力を叩き出すことさえ三度も行えば自壊することになる、諸刃の剣なのだ。
「ひゅ、はう……。少し、無茶したですね」
身体の芯が歪んだかのようにその身はグラグラと揺れていた。右手だけは意地でも離さないと言いたげに魔剣の柄を握りしめていたが、その手の握力さえ弱々しいものであった。
誰が見ても限界は近いとわかる。
ちょっと押せば倒れてしまうだろうと思わせるほどに。
「ふっ、ふふっ」
「ふふふっ、ふふふふふふっ!!」
だから。
笑みが、連続する。
「よく頑張ったと褒めてあげる。これだけの数を前に今までよく食らいついたものよねえ」
「だけど、それもここで終わり」
「数と質。二つを兼ね備えた軍勢に敵うわけないもの」
「さあ殺そう、犯し殺そう! 骨の髄までしゃぶって、穴という穴にぶちこんで、快楽を苦痛と感じるほどに過剰に注ぎ込んで、肉体を傷つけることなく魂をすり潰してやるわ!!」
ぶあっさあ!! と。
羽ばたきの音が響く。舌舐めずりをこぼしながら、八十ほどの異形の少女が前後左右、上空からゆっくりと近づいてくる。
すぐには殺さないと、これまでの鬱憤を晴らすためにいたぶっていたぶっていたぶり尽くしてやると、ギラギラとした殺意が噴出していた。
そして。
そして。
そして。
「させ、ない……でしょうよお!!」
ブォッバァ!! と紅蓮の爆発が炸裂した。
包囲網の一部を崩し、こじ開けた隙間より一人の少女が突っ込む。
第八位相聖女・グリムゲルデ。
己が炎で衣服を焼いたせいでほとんど裸体と変わらない聖女は真っ直ぐにアリアのもとへと駆けつける。
その身を盾にしてでも。
アリアを守るために。
「アリアさん、また助けられたでしょうよ」
「…………、」
ばさっ、と背中より生えた翼が動く。その他にも側頭部にはツノがあり、お尻からは蛇のような尻尾が伸びていた。
術者を殺したことでそれ以上の変異は防げたが、すでに変異してしまった箇所に関しては元には戻らない。ゆえに異形の少女の特徴を残したまま、しかし芯にはグリムゲルデの魂を宿した彼女は拳を握りしめる。
力の限り。
己の意思のままに。
「だから今度は私の番でしょうよ。絶対に! アリアさん『だけ』でも助けてみせるでしょうよ!!」
「…………、」
その背中を見て。
アリアはぐいっと口の端についていた鮮血を拳で拭い──『はぁ』と、心底呆れ切ったため息を吐いていた。
「もしやと思っていたけど、そういうことですか。グリムゲルデ、それ以上戯言垂れ流すようなら、身体に分からせてでも改心させてやるですよ」
「え……? なに、を???」
「もちろんそのおっきなおっぱい揉みしだくんですよ」
「ふへ!? いや、あの、ああそれ身体に分からせてってヤツでしょうか!? そっちじゃなくて戯言ってなんのこと──」
「はい分からせるでーす」
「へ? あの、ふへええええ!?」
鷲掴みであった。
漆黒の剣は手放していないため片手ではあったが、それはもう遠慮のカケラもない豪快な鷲掴みであった。
ほとんど裸体状態のグリムゲルデの胸部を後ろから掴みながら、アリアは言う。
「わかったですか?」
「なっ、なにが、なにがあ!?」
ぶぼんっ!! と瞬時に顔どころか首まで真っ赤にしたグリムゲルデの脳内は完璧に茹で上がっていた。何やらアリアが言っている気もするが、そんなもの耳に入っているわけがなかった。
豪快な、無理矢理押し倒すような衝撃なのに、不思議と嫌な気持ちはしなくて、だけど心臓が破裂しそうなくらい荒れ狂う激情を与えてくる『それ』を叩きつけられて、ここがどこで、今がどういう状況かすら忘れてしまっていた。
「死んだら、触れ合うこともできなくなるです。そりゃあ投げ出すほうはそこで終わるから満足かもだけど、残されたほうは触れ合えない苦しみを一生背負うことになるですよ」
「ふ、ふへっ……!!」
「自覚するです。グリムゲルデがやろうとしていたのは、私からグリムゲルデを奪う方法の中でも最低のものです。そんなド三下以下の略奪行為をこの私が見過ごすとでも思ったですか?」
「……っ……!!」
「返事は、です!」
「ッ!? ふっ、ふぁいっ!!」
「よろしいです。ならば反撃といくですよ」
言って、そして。
殺し合いの最中とは思えないほどにいちゃついていたからか、今の今まで呆然と静観していた異形の少女たちは、気づく。
盾になるように立っていたグリムゲルデを追い越したアリアがブォンッ!! と、素振りを一つ。
それは弱々しい印象など一切感じさせないものであった。
「え、あれ、アリアさんっ、なんか元気そうでしょうよ!?」
「もちろんです」
「いや、でも、さっきまで死にそうな感じで──」
「それは演技ですね」
平然と。
アリアはそう答えた。
「油断誘って、馬鹿みたいに真正面から襲ってくる馬鹿どもを馬鹿みたいにスパスパ斬ってやるつもりだったけど、グリムゲルデのせいでもうそんな気分じゃなくなったです。私一人でも十分です。わかるですか? それくらい戦力差が開いているんだから、グリムゲルデが命をかける必要なんてどこにもないですよ」
「っ」
「だから、そこでおとなしくしているですよ。すぐに終わらせるですから」
だんっ!! と。
アリアを追いかけるようにグリムゲルデが一歩前に出る。並び立つ。
そう。
まるでそれが答えであると示すように。
「そんなの嫌でしょう。私だって! 戦うでしょうよ!!」
「別にグリムゲルデがいなくとも勝てるですが?」
「それでも、でしょうよ。それにさっきのセリフ、本当は私を……いいや、それを言うのは無粋というものでしょうよ」
「……、まあ、いいです。私の前でつまらない略奪はもう二度としないと誓うなら、構わないですよ」
「アリアさん……。はいっ!!」
そして。
そして。
そして。
「この……っ! 数と質を兼ね備えた軍勢を前にして、いつまでふざけたことを──」
その、声が途切れる。
ゾッザァンッッッ!!!! と。八十近い異形の少女が一人残らず上半身と下半身を切り分けるように切断されたのだ。