第三十四話 ルールスレイヤー
「まったく、きちんと警告したはずなんだがな」
呟きがあった。
くたびれたおっさんはゴギリと首を鳴らし、周囲を見渡す。
赤黒い山ができていた。
百近い異形の少女が積み重なって出来上がった、死体の山であった。
「しかし、なんだ。最近の魔人はレベルが低くなったものだな。『抜け殻』の俺に負けるぐらいだし」
『元』傭兵ランキング第一位にして『元』大陸最強にして『元』魔王。輝かしい経歴の末に『今』はただの衛兵と落ち着いたおっさんは腕を回し、ゴリゴリという音を鳴らし、微かに顔をしかめる。
「ああ、肩痛い……。最近すっげぇ音が肩から鳴るなぁ。もう歳なのかねえ」
だから、と。
赤黒い山から視線を外し、後方へと振り返ったおっさんはこう続けた。
「あまり疲れることはしたくないんだがなぁ」
「そうつれないこと言うなっつーの。俺様と同じだっつーから、この俺様がわざわざ顔を出してやったんだぜえ?」
そこに、彼は立っていた。
褐色の肌に額から伸びた刃のように鋭利なツノ。そして背中からは六対の漆黒の翼を生やしたダークスーツ姿の美しき少年であった。
「そこで転がってる奴らの仲間かぁ?」
「一応はな。そいつらと同じ『魔導七罪』、その一業、ルシファランズっつー扱いに甘んじていたからな。まあ『運命粉砕』たる俺様がそこの淫乱どもと同じなわけないし、ハリボテ魔王よりも強いに決まっているがな」
「なんでもいいけど、あれだ、急に増えてハッスルしているの連れ帰りに来たって感じだよな? そうだと言ってほしいもんだが」
「まさか。運命に反逆するっつーのに黙示録におんぶにだっこなハリボテ魔王やそんなお飾りに傅く端役とは違う。真に己というものを持ち、運命の外に飛び出たお前に逢いに来たんだからよ。なあ、『元』魔王。俺様の仲間にならねえか?」
「だるいからパスで」
即答だった。一切迷うそぶりも見せなかった。
そんなおっさんの答えに少年はしばし目を瞬かせていた。断れるなんて微塵も思っていないと、予想外すぎて反応に遅れたのだと、本気でそう考えている風に。
やがて。
その口が、開く。
「俺様の誘いを、断ると? いかに『運命粉砕』とはいえ上下はある。まさかとは思うが、俺様よりも上だと勘違いしてるっつーことはないよな?」
「今初めて会ったってのに上とか下とかわかるかよ。そして、そんなものはどうでもいい。俺、もう『そういうの』には関わらないって決めてるんだ。だから、なんだ、他当たってくれ」
「……、残念だ」
がさり、と。
前髪をかき上げて、傲慢を体現するような笑みを深くする少年はこう告げた。
「だったら、排除するっつー展開になるよな。『運命粉砕』を、俺様と同じ領域に立つ奴を野放しになどできるわけねえからなあ!!」
言下に。
それは炸裂した。
ーーー☆ーーー
一手あれば十分であった。
アリアが前に踏み込み、迫る異形の少女の一人を切り捨てた時の反応を観察するだけで良かった。
(くすくす☆ そういうことですか)
これまでの戦闘でわかったことは四つ。
・異形の少女は褐色、ツノといった特徴から魔人であると考えられる。
・異形の少女は死を恐れない。
・異形の少女はその全てが同一の能力を持つ。
・異形の少女は飛行能力や毒を操る。また既存の毒物であれば感染する前に察知できるほどに『あの組織』で鍛えたアリアでも撒き散らされているものが毒物だと察知できなかったことから、異形の少女が操るは未知の毒物──魔導によって作られたものと考えられる。
これだけ分かっているのだ。グリムゲルデを救う方法は簡単に推察できる。
現在グリムゲルデはツノや翼といったものを生やし、身動きが取れないほどの苦痛を感じている。アリアとやり合った際には痛みに動きを止めることなんてなかったことを考えるに、純粋なダメージ以外の何かに蝕まれているのだろう。すなわち毒、それも未知の分類たる魔導による毒性に、だ。
ツノや翼といった異変が毒によるものならば、同じ顔、同じ能力の少女がこうも大量に存在していることにも、彼女たちが死を恐れないことにも説明がつく。
毒に感染した人間を異形の少女へと変える、それが敵の魔導なのだ。死を恐れずに向かってくるのも、所詮は他人の命であるからだろう。
であるならば、だ。
もしもグリムゲルデの身に起こっている異変が純粋なダメージや既存の毒物によるものではなく、超常たる魔導によるものだとするならば。
消耗品でしかない異形の少女たちが殺到する。
その中で一人、後方へと逃げる者がいた。
(あくまで魔導は術者に依存した力です。魔導の炎で焼いたモノは術者死亡で元には戻らないけど、炎自体は消えるです。すなわちそこで干渉は終わるということです。ああして逃げているのが消耗品なのか本体なのかは知らないけど、逃げるということは殺されては困るということです)
つまり。
つまり、だ。
(あれがグリムゲルデを蝕んでいる魔導の術者であり、あれさえ殺せばそこで変異は止まるということです)
とはいえ、すでに変異は目に見えるほどに進んでいる。猶予はそう長くないと考えていいだろう。
──もっと早くに駆けつけることもできた。
二人の少女なんて見捨てて、グリムゲルデのもとへと駆けつけていれば救出確率は飛躍的に上がっていたはずだ。
聖女たるグリムゲルデの価値は高い。ここで『奪う』ことができれば、どんな金銀財宝よりも有益となるだろう。
対して先の二人の少女はどうか。利用価値なんて何もない平凡な人間だ。彼女たちそのものやその周辺に『奪う』だけの価値ある何かがあるとは思えない。
見捨てたって良かった。
あの時、上空から街の状態を確認したのはアリア一人なのだから、二人の少女が危険な目にあっていると知っているのもアリア一人。見捨てたという事実が誰かにバレることはなく、その事実がグリムゲルデやリアラーナといった善性からの評価を下げることもない。
だけど。
アリア自身が知ってしまうのだ。
己が利益のために他者を見捨てたと、その程度の女なのだと、アリア自身が自覚してしまうのだ。
ゆえに、アリアは選択した。
二人の少女もグリムゲルデも両方奪うと。
それくらいできて当たり前、それこそが略奪者だと、他ならぬアリア自身が胸を張って言うために。
「くすくす☆」
ぶわっさあ!! と異形の少女たちが殺到する。
その中の一人、グリムゲルデを蝕む毒性の主を庇うように。
制限時間は一分もないだろう。
それこそ今この瞬間にも変異が完了してしまうことだってあり得る。
術者殺害によって阻止できるのはそれ以上の変異のみ。完全に変異してしまったら、アリアでは元に戻すことはできない。
さあ、条件はここに出揃った。
後は略奪あるのみである。
ーーー☆ーーー
「離して、姉様が、姉様があ!!」
「分かっております。ですが、もう手遅れです! ここで戻っても死者が増えるだけですっ。だから!!」
「だからグリムゲルデ姉様を見捨てろと!? そんなことできないっ。例え一度だって奇跡を使うことができなくて、この身が非力な猫だとしても、力不足は姉様を見捨てる理由になんて絶対にならない!!」
グリムゲルデが放った爆風によって吹き飛ばされた聖騎士ルナエルナたちは路地裏に移動していた。
ルナエルナは第九位相聖女らしき白猫を抱きしめて、その動きを封じる。放っておけば今にもでもグリムゲルデを助けに戻ることはわかっていたから。
その腕の中で暴れる白猫だって本当は分かっているはずだ。アリアに全てを託して退却した時はきちんと現実を見て行動していたのだから。
それでも、許容できないものもある。
理性なんかで止められる程度の軽い関係ではない。
だからこそ、ルナエルナは白猫を押しとどめる。
爪を立てて、暴れる白猫に恨まれようとも、命を賭した第八位相聖女・グリムゲルデの想いを無駄にしないために。
……転移の奇跡を使い、ロスヴァイセと呼ばれており、グリムゲルデが命を賭けてでも守りたいくらい大切な存在。すなわち第九位相聖女・ロスヴァイセだけでも守り抜くのが聖騎士たるルナエルナの使命である。
「ッ!? ま、ず……ッ!!」
だから。
それでも、だ。
「ハッハァ! 隙だらけだわなァ!!」
その声が響いた瞬間、ルナエルナの意識は途絶した。