第二十七話 その正体、深淵へと繋がり
巨人の姿が見えなくなるほど遠くまで移動していながら、グリムゲルデをいつでも助けにいける位置をキープできているおっさんは小さく息を吐く。
「どうやら余計なお世話だったみたいだな。ま、それはそれとして──俺の相棒、いつの間に聖女になってたんだ?」
「ふふっ、ふふふっ! 私の色香に蝕まれているというのに、随分と余裕ねえ!! 神経毒、血液毒、発癌毒、腐敗毒、その他にもありとあらゆる毒性を統合、加えて出産毒という新たな分類さえも宿した魔導は感染から六十秒もあれば確実にその身を蝕み、殺すというのに!! ふ、ふふっ、ふふふふふっ!! ねえねえ、私の細い指で弄られて、感染してから、何秒経ったと思う? 答えは五十八秒っ。すなわちあと二秒でお前は死──」
「ああ、それならもう慣れた」
…………。
…………。
…………。
「なん、て……???」
「だから、もう慣れたから解毒済みだわな。毒とか回りくど過ぎる。俺を殺したいなら、慣れる暇も与えないほど素早くやらないとだな」
ふざけたセリフだった。
だが、現にとっくに二秒は過ぎている。感染から六十秒、リミットを過ぎてもおっさんはぴんぴんしていた。
「な、な……っ!?」
ただの毒ではない。魔導により自然界に発生するありとあらゆる毒性因子を統合したばかりか、未知の分類さえも組み込んだ、まさしく超常的な毒だというのにお構いなしであった。
特効薬など存在しない魔導の無効化。
奇跡にも似た結果を叩き出しながら、おっさんは特に気にした風でもなく半ばから刃が溶けた剣を構える。その剣もそうだが、身につけているレザーアーマーだって支給品の安物でしかない。
それでも、だ。
特別なんて何も身につけておらずとも、彼は『特別』を振りかざす。
「もう向こう気にしないでいいし、さっさと終わらせるか」
ズゾンッッッ!!!! と。
毒をぶつける暇を与えない、半ばより溶けた剣による突きが異形の少女の心臓を貫いた。
「が、ば……ッ!? な、に……もの、よ? 私は、『魔導七罪』……いかに『仔』とはいえ、こんな、ただの人間に、やられ、るわけが……」
「何者、か。『元』傭兵ランキング第一位とか『元』大陸最強とか『元』魔王とか色々あるが──『今』は単なる衛兵としか言いようがないわな」
「……、は?」
傭兵ランキング第一位や大陸最強、はまだいい。
それよりも、そんなことよりも、だ。
「『元』、魔王……?」
「おう。これ、誰も知らないトップシークレットだぞー」
軽い。
あまりにも軽い。
無精髭のおっさんは適当に吐き捨てて、剣を引き抜く。その刃を振り上げる。
やはりどこまでも軽く、突きつける。
「しかし、あれだ。運命に反逆だなんて気合い入ってんなぁ」
「運、命って、次から次に訳の分からないことを言うんじゃないわよねえ!!」
「ん? ああ、その辺知らされていない感じか。人が悪いな、今の魔王。いや魔人が悪いって言うべきなのか? ま、なんでもいいか」
そして。
彼はこう締めくくった。
「これからは俺の見てないところで好き勝手やるように。別に後輩が何しようがどうでもいいが、この通り『今』の俺は衛兵だからな。流石に目の前で好き勝手暴れられると始末しなきゃなんだよ」
斬撃が炸裂した。
『ここに存在する』異形の少女の命が刈り取られる。
ーーー☆ーーー
「……、ロスヴァイセ」
低い、ただただ低い声だった。
それこそ闇の底から響くようなそれにグリムゲルデの頭の上にくっついていた白猫はびくりと全身を震わせる。
「あ、あれ!? グリムゲルデ姉様なんか怒ってるぴょん!? なんで、え、え、なんでぴょん!? ほ、ほら、あのデカブツには勝てたぴょん、やっつけられたぴょんっ。ま、まあ、確かに白猫の身体より人間の身体のほうが内蔵『魔力』量は多いからちょっとばかり損しちゃったけど、聖女が欠けることなく『魔導七罪』を退けられたんだから良かったぴょんっ」
「良かった、でしょうって???」
左手が伸びる。
焼け爛れた、今にも折れそうな手が頭の上の白猫を掴む。そのままグリムゲルデの目の前へと持っていく。
そこでロスヴァイセはようやく気づいた。
グリムゲルデが、あの意地っ張りで言葉なんて一切信用していない姉の瞳が涙で濡れていることに。
「良く、ないでしょうよ。わっ私はっ、ロスヴァイセが殺された時! なにもできなかったでしょうよ!! 結果的に意識だけは白猫の中にあるみたいだけど、そんな風に助かるなんてわかってなかっ、ひぐっ、だいたいっそんな不自然な状態がいつまで保つかなんてっ、わかっ、わからないでしょうよ!!」
崩れ落ちる。
左手で、残った片腕で白猫を抱き寄せたグリムゲルデが嗚咽を漏らす。
グリムゲルデは言葉を信用しない。
だから、だろうか。それ以外でもって十分に伝わった。
「ロスヴァイセちゃんは大丈夫。ね、だから、だからさ、そんなに気にしないでよ、姉様」
「ひっひぐっ、ごめっ、うえっ、ごめんね、ロスヴァイセっ。私、うええ、わたひい!!」
「だーかーらー気にしないでって、姉様っ。案外猫の身体も悪くないものだよ」
屈託なく、笑う。
たったそれだけのことが姉の救いになると妹は分かっていたのだろう。腕の中の白猫はいつも通りの、それでいてふざけたりはせずに笑みを広げる。
ーーー☆ーーー
「あーあ、残念です。おっきなおっぱい、揉みしだきたかったですよー。今からでも差し出してくれないですかねー?」
「うぐう!?」
「むう! またそんなことばっかり言ってっ」
夜の大通りをアリア、ルナエルナ、リアラーナが歩いていた。全身返り血まみれやら胸元破けたシャツからこぼれるものを隠すためにシーツを巻きつけているやら個性的な二人に対して、寝起きのためよれよれながら特に変わった点のない純白ドレス姿のリアラーナは頬を膨らませて、
「アリアさんっ。もうおっきなお胸は諦めて!」
「えー? これ絶対あと少しでいける感じですよ。レッツおっぱいっ、です!」
「ルナエルナさん顔真っ赤で今にも倒れそうなのっ」
すでに自己紹介は済ませている(ただしリアラーナの舌に治癒能力があるのは伏せて、つまりルナエルナの胸の傷をどうやって治したかはアリアが煙に巻いているが)からだろうか。それともアリアの知り合いということで気を許しているのか、リアラーナはそれはもう全身真っ赤で涙目で今にも羞恥にぶっ倒れそうな若き聖騎士を庇うように立ち塞がる。
……ちなみにルナエルナ、この中ではぶっちぎりの年上、二十代に達している女性である。
「はいはい、ちっこいですね。そのうち揉んで大きくしてやるから、今はそこのお宝を貪るのを邪魔しないように、です」
「あーりーあーさーん?」
「……はいはい、です」
全身返り血で真っ赤な略奪者は軽く肩をすくめる。それ以上、略奪のために口を動かすことはなかった。気分じゃなくなった、というわけだろう。
そんなわけで、だ。
お宝から視線を外したアリアは周囲に視線を向ける。
人の気配がなかった。
というよりも、移動していた。
騒動の中心から逃れるように、効率的に。
この動きは……、
「衛兵でも動いているですか。それにしては私たちのほうには姿を現さないですが」
ーーー☆ーーー
その時。
街の地下へと民間人を避難誘導していた『彼』を除くこの街に配置された全衛兵のトップ、衛兵長の男は部下からの報告を受けていた。
元気はつらつが代名詞な、活発な少女はびしっと敬礼しながら、
「民間人、あらかた避難済みでっす! 残りもいい感じに地下に誘導するでっす!!」
「ん」
「それはそうとでっす! ねえ衛兵長、どうして二度も騒動起こした赤髪の女は自由にさせるでっすか? いかに騒動起こすような不届き者でも、民間人なら守護の対象でっすよ!!」
「ガルジニア=オメガの指示だ」
一言だった。
それで伝わるがゆえに。
「ガルジニアさんでっすか!? 『元』傭兵ランキング第一位の指示なら間違いなしでっすね!!」
「『元』大陸最強でもあったかな。あいつが上で戦っていることだし、敗北はないんだろうが……さしもの俺も衛兵全部よりも赤髪の女一人いたほうが役立つから、お前らは民間人避難に専念していてくれなんて言われたのは結構傷ついたがな」
衛兵長は傷ついた『まで』で終わらせた。
地位だけなら下のガルジニアに軽く見られている屈辱も、民間人たる赤髪の女に頼る情けなさも、全て飲み込んだ。
サボリ魔なガルジニアは、しかし優れてはいる。
彼の判断は、最善である。
できるだけ多くの民間人を救うために、衛兵長は選択した。それが、それこそが、守護を役目と背負う衛兵としての生き様であるために。