第二十三話 運命、その分岐点
『第八位相聖堂』、入り口前。
第八位相聖女・グリムゲルデへと破滅が迫っていた。
前方には美しき褐色の少女を軸とした異形。側頭部に二本の牛のようなツノ、首元に羊の毛皮で作られたマフラー、口元に鬼のごとき鋭利な牙、お尻に蛇のような尻尾、足にガチョウのような水かき──総じて『魔導七罪』が七業、サラ。
後方には五メートルクラスの巨人。額に大振りなねじくれたツノ、八の腕と六の足を持ち、全身を褐色の鱗で覆い、対象をねじ曲げる魔導の使い手──総じて『魔導七罪』が二業、レヴィカルナ。
前者は数十、数百もの聖騎士を無傷にて倒し尽くし、後者は第九位相聖女を殺し、第八位相聖女を圧倒した。
その実力は、破格である。
魔人であることを考慮しても、なお。
『魔導七罪』。
魔王に仕えし最高幹部にして人類一掃の元凶、その一端。
第八位相聖女・グリムゲルデに勝ち目は残されていない。全ての聖女が集まることで世界を救う力となる、黙示録に記されし希望を叶えるには第九位相聖女・ロスヴァイセの奇跡に頼る他なかったのだから。
希望は、とっくの昔に潰えていた。
ゆえに辿る結末は一つである。
ーーー☆ーーー
ドッゴォン!!!! と。
『魔導七罪』が七業、サラが真横に吹き飛んだ。
ーーー☆ーーー
「ああ、面倒だ。本当勘弁してくれって話だよなぁ。相棒を安全な場所に逃がしている間にケリついていれば楽だったんだがな」
グリムゲルデの見ている前で、異形の少女は呆気なく吹き飛んだ。代わりのように『彼』はそこに立っていた。
くたびれた、酒場で飲んだくれていそうな無精髭のおっさん。一応は衛兵であることを示すレザーアーマーを着て、支給品らしき安物の剣を腰に差してはいるが、手入れなんてされておらず所々錆びついているほどである。
彼はそこらに転がっている聖騎士たちに視線を向けて、
「とりあえず戦場変えなきゃ、か。ったく、面倒ごとはもっと目立たないようにしてくれよな。気づけなかったから仕方ない、って感じでサボれないじゃないか」
そして。
彼はようやく巨人を見上げる。それはもう心底鬱陶しそうに。
「このデカブツもかぁ。さっきのヘンテコ女だけでもダルいってのに、こんなデカイの斬らないとなんて面倒ったらないなぁ」
言って、腰の剣に手をかけるおっさん。
その直後であった。
「あれ、は……私が、ぶち殺すでしょうよ……!!」
だんっ!! と。
残った左拳を地面に叩きつけて、咆哮を轟かせるグリムゲルデ。真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに憎悪を燃やす瞳でおっさんを見据える。
「だから、悪いけど、貴方はあっちの女の相手をしているでしょうよっ」
「いや、まあ楽できるならそれでいいんだが、さしもの俺も聖女様見殺しにするってのは気分が悪いんだが」
「死なないでしょうよ!」
「いやいや、そんなズタボロで何言ってるんだ? すでに右腕失っているじゃないか。いくらなんでもその状態で勝ち目はないだろうし、力貸してやるって」
「確かに貴方が噂通りの人物なら、この状況を乗り越えられるかもしれないでしょうよ。だけど! それじゃ駄目なんでしょうよ!! あのクソ野郎は私の手で殺さないといけないんでしょうよ!!」
「そーゆーもんか? ま、そこまで言うなら任せるが、あれだ、流石にこれ死ぬなってなったら手出すからな? 『前』までなら自分が選んだんなら自分で責任持てって感じでもよかったが、『今』は腐っても衛兵だし」
と。
その時だった。
ゴッッッ!!!! とおっさんの脇腹を抉るようにそれは襲いかかった。すなわち異形の少女、サラの右手が。
「うおっ」
ズシャッ! と抜剣、突きを放つその手を迎え撃つよつに剣を振るい、激突。ぐじゅう!! と右手が刃を溶かす。
そのまま刃を溶かし破り、おっさんの脇腹を抉る──寸前に身をさばき、回避したかと思えば、だ。
ぐにゅり、と。
右手が不自然なまでに、それこそ蛇のように曲がり、正確におっさんの脇腹を打ち抜いた。
「ぐっ!?」
じゅう、ぐじゅう!! と右手が、その細い指が脇腹にめり込む。レザーアーマーを突き破り、溶かす。
熱、ではない。
染み込むそれは、
「毒、か!?」
「ご名答。ふふっ、貴方を弄ったほうがズタボロな雌豚を相手にするより気持ち良くなれそうねえ」
今度は左足、ハイキック。
頭を襲うその一撃は本来のおっさんであれば簡単に避けられたかもしれない。
だが。
脇腹から染み込む毒がこの一瞬で全身の動きを阻害する。最低でも神経毒の性質。一連の動作へと楔を打ち込み、ほんの僅かな遅れを生み出す。
それだけあれば十分だった。
反応が遅れたおっさんの頭へと異形の少女の蹴りが叩き込まれる。
数メートルもノーバウンドで吹き飛び、地面に叩きつけられた後も何度も何度も転がるおっさんへと背中の翼を羽ばたかせた異形の少女が追撃を仕掛ける。蕩けるような笑みと共に、色香に塗れた指を蠢かせて。
ーーー☆ーーー
そして、グリムゲルデはゆっくりと振り返る。
こちらを睥睨している巨人へと向かい合う。
ーーー☆ーーー
ロスヴァイセは聖女らしさとは無縁であった。
バニーガールなんてふざけた格好に、ぴょんなんてふざけた語尾。祈りなんてくだらないと吐き捨てる精神性。教会の象徴からは外れに外れていて……それでいて、信仰を集めていたのは聖女という看板とは別にあの人懐っこい雰囲気もうまく働いていたのかもしれない。
『グリムゲルデ姉様っ、祈りなんていいからロスヴァイセちゃんと遊ぶぴょんっ』
それはいつのことだったか。
『聖なる傷』による圧、素顔を見て誰かが怯えて逃げ出すことを仕方ないと諦観できずにいた過去のいつかのことだ。
祈り。
絶対的で、全知全能なカミサマへと祈ることで『逃げていた』時、必ずと言っていいほどロスヴァイセは飛びついてくるものだった。
人懐っこく笑って。
神聖だなんだそんなものぶち壊して。
この世界の外にいるかもしれない何かに『逃げる』グリムゲルデの手を引っ張るように。
グリムゲルデよりもよっぽどしっかりしていて、グリムゲルデよりもずっと周りを見ていて、グリムゲルデよりも絶対に生き残るべきだったのに。
今更なことなんて分かっている。
こんなものに意味がないことなんて散々自覚している。
それでも。
これだけは、絶対にグリムゲルデの手で果たさないといけないのだ。
「『魔導七罪』が二業、レヴィカルナ。お前だけは、絶対に! ぶち殺してやる!!」
ボッォ!! と全身から炎を噴き出し、グリムゲルデは大きく前に踏み込む。全身はドロドロに焼き爛れていた。右腕は千切れて、内臓は炎の爆発による高速挙動の反動や巨大な拳に殴られたことで弾けるように壊れている。
それでも。
それでも、だ。
この憎悪の炎だけは、貫かないといけない。
せめてそれだけは、それくらいは果たさないといけない。
さあ果たそう。
くそったれな復讐を。
ーーー☆ーーー
世界のどこかで。
運命を切り替える選択が一つ。
「転移装置は破壊できたかァ。だったらァ、ハッハァ! 『寝起き』でも足りなくなることはないよなァ!! さァ、くそったれな黙示録、どうしようもない運命ってヤツを覆してやろうかァ!!」