第二十一話 例えその身を焼き尽くしたとしても
ダメな女だという自覚はあった。
誰も顔を見て話してくれないことが悲しくて、寂しくて、言葉を交わすこと自体に苦痛を感じていたグリムゲルデは決定的な出来事と共に言葉なんてものを一切信用しなくなり、代わりを求めて拳で交わることを是とした。
だからだろう。
姉たちや妹相手に過激なスキンシップをとってしまう。そうすることでしか、伝わらないという強迫観念があった。
いかに臆することなく顔を見てくれる姉妹が相手でも言葉で感情を交わすなんて信用できなかった。もっと直接的で、単純で、顔なんて見なくとも伝わってくれて、嘘や偽りでごまかすことのできない交わりといえば拳しかないと思っているから。
不安だった。
拳を交わしたって離れていかない、恐怖から遠ざかっていくことはない、そんなことを何度も何度も確かめるくらいには。
ダメな姉だという自覚はあった。唯一の姉であるロスヴァイセにも己が不安をぶつけるような、どうしようもなく『弱い』自覚はある。
それでも、甘えてきた。
姉妹だから、これくらいなら、と。
……おそらくロスヴァイセも姉たちも気づいている。気づいていて、付き合ってくれている。
妹にまで気遣われているとわかっていて、それでも中々変わることはできなくて──結局、最後まで過激なスキンシップを交わすことしかできなかった。
ロスヴァイセは死んだ。首をねじ切られて、頭が床に転がった。致命的に、絶対に、確実に、死んだのだ。
姉なのに、甘えるだけ甘えて、妹が目の前で殺される瞬間を見ていることしかできなかった。
せめて復讐は果たそう。
そんなもの自己満足でしかないとしても、失ったものは戻ってこないとしても、グリムゲルデが命をかけて戦うべき時はもっとずっと前だったとしても──せめて、それくらいは果たさないといけない。
復讐を果たしたとして何かが変わるわけではないとしても、憎悪に身を焦がすことで喪失の苦痛を紛らわしているだけだとしても、だ。
ーーー☆ーーー
『第八位相聖堂』、祈りの場。
別位相の超常存在からも祈りが見えるようにと壁や天井や床を純白に輝くガラスで覆った神聖なる空間に破壊が走る。
一つは粉砕。
五メートルクラスの巨人が八にも及ぶ剛腕を振るうたびに壁や床が砕けていく。それこそメートル単位はある分厚いガラスが、である。
そしてもう一つは溶解。
紅蓮に輝く猛火が爆発するように膨れ上がり、壁や床を構築するガラスを呑み込み、溶かす。あまりの熱にオレンジ色に光り溶けていっているということだ。
「お、おおおおおおおッ!!」
ブォッバァアア!! と紅蓮が噴き出る。瞬間的な加速、なんてレベルではない。常時燃え盛る炎を纏うグリムゲルデが咆哮を迸らせる。
ボッバァ!! と全身に纏う炎を後方へと流し、爆破。半ば吹き飛ばされる形で五メートルもの高さまで舞い上がる。
まさしくその身を焼き尽くす勢いであった。右腕へと紅蓮、いいや凝縮に凝縮を重ねたことにより真紅に輝く炎が集う。あまりの熱量にじゅっわぁ!! と腕の肉が焼ける音が響くほどであった。
グリムゲルデはこれまでも炎を使い瞬間的な加速などを行ってきた。が、それはあくまで瞬間的、それでいて反動を計算した上での安全性を確保した戦闘手段であった。
が、これは違う。
己が腕が焼けるのも厭わない、出力を上げることを優先した──すなわち安全性を投げ捨てた戦闘手段である。
己が身を焼き潰そうが構わないと、その身を焦がす憎悪を貫き通すことさえできれば後はどうでもいいと、暗く激しく燃える瞳が示す。
「ぶちッッッ殺す!!!!」
更なる爆破。空中を舞うグリムゲルデの肉体が前に、そう五メートル先にそびえる巨人の顔面めがけて射出される。
ぎぢゅり、と。
焼け爛れた右拳を握りしめる。
そして。
そして。
そして。
ゴッッッ!!!! と真上からの振り下ろし。巨大な腕が二つ、グリムゲルデの頭上へと落ち──振り上げられた右拳と激突する。
「づっ、ァ、おおおおお!!」
衝撃に、しかしグリムゲルデは真っ向から立ち向かう。空中、支えなき場にて叩き落とさんと降りかかる莫大な圧に対抗するために下方へと炎を解き放ったのだ。
ボッバァ!! と炸裂する熱波が、吹き荒れる衝撃波が、グリムゲルデの肉体が床に叩き落とされるのを阻止する。
すなわち、受け止めるということ。
五メートルクラスの巨人が振り下ろす二つの剛腕、それこそメートル単位もの厚さを持つガラスさえも容易く粉砕する一撃を、である。
ギヂギヂベギバギッ!! と右腕どころか全身が悲鳴をあげる。ぶしゅ、とあまりの負荷に弾けるように壊れた右腕の肉を迸る真紅の炎が焼き潰す。
「が、がが、がァあああああッ!!」
じゅ、じゅう!! と右腕が徐々に上へと進む。炎の爆発による推進力、そして二つの剛腕に挟まれて潰れそうになりながらも、立ち塞がる巨大な腕を真紅の拳が焼き、貫こうとしているのだ。
巨人の剛腕、その肉が赤黒く変色し、黒が混ざっていく。ゆっくりと、それでも着実に、迫る障害にダメージを与え──
ゴッッッ!!!! と。
グリムゲルデを左右から挟み込むように四つの剛腕が放たれた。
そう、巨人は人間よりも多くの腕と足を持つ。
二つの剛腕であれば破れたかもしれない。が、巨人が持つ腕は、八。未だ六に及ぶ剛腕が残っていたのだ。
逃げ場なんてなかった。
そもそも憎悪に燃える姉は退路なんて確保する気は微塵もなかっただろう。
右に二つ、左にも二つ。
己が身を焼き潰すほどに力を振り絞り、ようやく拮抗、あるいは凌駕できるかもしれないほどに強大な障害が左右から襲いかかる。
ーーー☆ーーー
ゴッドッッッン!!!! と。
轟音が炸裂した。
ーーー☆ーーー
その時、『魔導七罪』が二業、レヴィカルナは勝利を確信していた。第八位相聖女・グリムゲルデは第九位相聖女・ロスヴァイセよりも直接戦闘向きな奇跡を使えるとはいえ、所詮は人の子である。
魔導を宿す魔人、しかもグリムゲルデよりも遥かに巨大な体躯を持つレヴィカルナが負けるわけがない。現にグリムゲルデの拳は八分の二にて拮抗状態を作り出していた。
ならば、後は物量で押し潰せばいい。
八のうちの二で拮抗であれば、四でも六でも叩き込めば圧倒できるのが道理である。
だから。
だから。
だから。
左右から二つずつ剛腕を叩き込む。小さな肉体を挟み込み、押し潰す轟音が炸裂して──ブォッバァ!! と腕の隙間から紅蓮の光が漏れる。
「が、ぁ!?」
熱い。
ただただ熱い。
振り下ろす二の剛腕、左の二の剛腕、右の二の剛腕、その全てへとあまりの熱量が生み出す激痛が走る。
「これ、は……ッ!?」
ボッバァン!!!! と。
紅蓮に輝く爆発が炸裂した。
弾く、吹き飛ばす。
上と、左右。合計六もの剛腕でもってしてもドーム状の巨大な猛火、紅蓮の爆発を押さえ込むことができなかったのだ。
広がる、迸る。
床も壁も天井もお構いなしに吹き荒れる猛火が純白のガラスを呑み込み、溶かし、蒸発させていく。
瞬きの前と後とで世界が変貌していた。
純白に輝くガラスで構築された神聖な祈りの場の面影なんてカケラも残さず吹き飛び、オレンジに輝くドロドロとした粘着質な液体が広がる、溶岩地帯のごとき世界へと。
「ぶち──」
そして。
あまりにも莫大な炎にて熱せられた空気が爆発的に膨張、上昇気流を生み出す。その上昇気流に乗ることで宙に浮かんだグリムゲルデが右拳を構える。
紅蓮が凝縮、真紅と変じた熱量が集う。
焼け爛れ、拳の形で癒着したそれへと。
さらに固く、強く、握りしめられた拳で憎悪の炎が燃える。
「──殺すッッッ!!!!」
拳が。
飛ぶ。
ーーー☆ーーー
ゴグギィッッッ!!!! と。
右腕が、ねじれた。
ーーー☆ーーー
放たれた拳が標的とは違う方向へと『ねじれる』。
ボンッ!! と真紅の炎があらぬ方向へと飛ぶ。その間にも関節を無視した『回転』は続いていた。そう、ロスヴァイセの首をねじきった時のように。
ゆえに、続く結果もまた同じであった。
ぶぢっ!! と右腕が肩の辺りからねじれ、千切れた。
出血自体は迸る炎が焼き潰したが、絶好の好機を逸したことに変わりはない。
六の腕を弾き、防御が手薄となったところに必殺を叩き込めば大きなダメージを与えることができただろう。が、好機を逃した以上、次にやってくるのは危機である。
剛腕が放たれる。
六の腕は弾いたとはいえ、あくまで六の腕だけは、だ。巨人の腕は全部で八。すなわち残り二つの剛腕はいつだって好きに振るうことができるのだ。
「終わりだ」
「ッ!?」
二つの腕が真正面からグリムゲルデを襲う。咄嗟に左腕から炎を放つが、全力を無駄撃ちした直後である。二つの剛腕を受けられるほどではなく、呆気なく霧散して──そのまま二つの剛腕がグリムゲルデを打ち抜く。
「が、ばぶあ!?」
小石でも投げるようであった。
人間が吹き飛んだとは思えないほど軽く、遠くへと、グリムゲルデが吹き飛んでいく。
幸か不幸か遠くまで吹き飛ばされたグリムゲルデが聖堂内を突き抜ける。そのまま無事だった窓を破り、聖堂の外へと投げ出されたのだ。
遠くまで吹き飛ぶことなく、祈りの場だった空間に広がる炎で溶けたガラスに突っ込むことがなかったのは幸運だっただろう。もしもそれに突っ込んでいれば、オレンジに輝く粘着質な液体に塗れて焼け死んでいたのだから。
だけど。
外まで吹き飛ばされたのは不幸に分類されるのかもしれない。
「が、ば……っ!?」
咄嗟に炎を振るい、空気を熱することで上昇気流を生み出し、衝撃を緩和したグリムゲルデが地面を転がる。
そのまま、何かにぶつかって止まる。
それは血に塗れた人間であった。
そう、倒れていた誰かにぶつかったのだ。
「……ひゅ、ひゅぅ……がぶ、べぶばぶっ!! だい、じょうぶ……でしょう、か?」
度重なる安全性を無視した炎の使役で全身が酷く焼け爛れて身につけていた純白の布が炭化して張り付いているような有様だった。焼けた喉から意味ある言葉を絞り出すのも全力を振り絞る必要があるほどに。
加えて炎で受けたとはいえ二つの剛腕に打ち抜かれたダメージも甚大であり、身体の内側がどれだけ壊れているかはわからないほどだった。
それでも。
グリムゲルデは両手を地面につけて、身を起こす。たったそれだけのことで魂が擦り切れそうなほどだった。
そして、グリムゲルデは気づく。
一人なんかではないことに。
聖堂の外、入り口の前には数十、あるいは数百もの人間が血に塗れて倒れ伏していたのだ。しかも一般人ではなく聖騎士が、そう戦う力を十分に持ち合わせている戦士たちが、である。
……未だ生きてはいるようだが、死は時間の問題だろう。純粋な損傷以外の『何か』に蝕まれているのだ。
「な、ぁ……!?」
そして。
そして、だ。
その中心に異形と化してなお美しき褐色の少女が立っていた。牛のツノや蛇の尻尾があろうとも、『美しい』と感じさせるほどに整った少女は口の下を人差し指をついて、愛らしく小首を傾げる。
表情だけは見惚れるほどに美しかったかもしれない。しかし数十、数百もの人が倒れている中でそんな表情ができること、それこそが彼女の異常性を示していた。
「んー? 私の色香が効いてない? ああ、そうだわ、熱で死滅しちゃったのねえ」
「ま、さか……お前が、これをっ!?」
「だっから? そんなにこわーい顔して、どうするつもり??? まさかとは思うけど、乱暴されてズタボロの雌豚ちゃんが仇討ちだーなんて言わないわよねえ。ふふ、ふふふっ、他人のために動く前に己が身を鑑みないとだもの」
聖堂の壁が吹き飛ぶ。
五メートルクラスの巨人が顔を出す。
『魔導七罪』が二業、レヴィカルナが、だ。
「おっきなものをぶち込まれて逝くか、細い指で弄られて逝くか、好きなほう選ばせてあげるわよ、せ・い・じょ・さ・ま☆」
「……ッッッ!!!!」
前方には美しき異形の少女、後方には巨人。
魔に至りし暴虐がグリムゲルデへと襲いかかる。