第十八話 胎動する悪意
深淵の、更に奥。
破滅の根源にして、魔の極み。
唯一の陸地たる大陸の真下に広がる『王国』の最奥に彼は君臨していた。
魔王。
魔人であることを示す二本のねじくれたツノに黒髪黒目、褐色の偉丈夫であった。深き紫のマントを羽織る彼は王国が最奥に位置する玉座の間に集まった者たちを見渡す。
『魔導七罪』。
最高幹部が七人は各々が奇跡に匹敵する魔導を宿す戦力であった。
玉座に腰掛けた魔王は眼下の五人の魔人へと声をかける。
「あの二人はどうした?」
「……申し訳ありません、魔王様」
そう答えたのは五人のうちの一人、額から大振りなねじくれたツノを生やし、八の腕と六の足を持つ褐色の鱗に覆われた巨人であった。そう、『魔導七罪』という名の通り最高幹部は全部で七人いるはずなのだが、この場に集まったのは五人のみ。すなわち二人は魔王の命令を無視したということだ。
五メートルはある巨人は、しかし魔王の目を見ることすらできないと跪き、床だけに視線を向けていた。
はぁ、とため息一つ。
魔王の招集命令に対して傲慢にも『あいつに指図されるいわれはねえっつーの』と吐き捨てたり、怠惰にも『面倒、行かない』と半分以上眠りながら言ってのけるような馬鹿どもへの怒りが自分たちに向かうのではないかと巨人の身体は恐怖に震えていた。五メートルもの図体が小さく見えるほど、内なる恐怖が吹き荒れているということだ。
対して魔王は口元を歪めて、
「まあ、予想通りだし構わねえよ。今はこれだけあれば十分だしなァ。──『魔導七罪』、貴様らに命令をくれてやる。運命の外に位置する『番外聖女』を確保しろ」
発せられるは一つの命。
それこそ世界の行く末を左右する、破滅への第一歩であった。
ーーー☆ーーー
傭兵ギルド。公式ギルドでは冒険者ギルド、非公式ギルドであれば暗殺ギルドよりも遥か下に位置する武力しか持ち合わせていないギルドである。
武力を生業とするギルドの中では目立たない傭兵ギルドは、しかし今に至るまで存続してきた。全ては実力以外、武力以外の『力』を味方につけたゆえであった。
「あの、クソアマ……ッ!! S級傭兵である俺を、俺をお!!」
治安維持を担う衛兵が事件に関わった人物をあらゆる意味で『守る』ために運営する医療施設の一室であった。
隔離の目的もあるのか、完全個室である医療施設の一室にあるベッドの上では喚きながらも指先動かすのが精一杯な男がいた。
ゴルド。
傭兵ギルドが定めし最上位ランク持ちにして、傭兵ランキング第三位の猛者にして、つい先ほどリアラーナの口を塞いでいた男であった。
──傭兵ギルドはかつて大陸中に名を轟かせていた武力専門のギルドであった。そのことに酔い、好き放題してきた上位陣は多くの敵を作ってきた。
それも全ては傭兵ギルドの名に敵の全てを跳ね除けるだけの価値があったがためだ。公式では冒険者ギルドに、非公式では暗殺ギルドに最強の座を奪われた今、武力を楯にすれば粉砕されるのは目に見えていた。
因果は巡る。己が生き様を振り返り、このままでは殺されると悟った彼らは武力以外の楯を求めていた。そんな時、『元』傭兵ランキング第一位が彼女を拾ってきたのだ。
すなわちリアラーナ。
奇跡にも似た治癒能力を持つ少女を。
どんな損傷も、どんな病も、どんな破損も癒す奇跡の舌。その力をもって傭兵ギルドは武力以外の楯を集めるべく動いた。
臓器が壊れた者や不治の病に侵された者自身、あるいは親しき者に利用価値がある者がいる場合に限り、治癒能力でもって救いを差し伸べたのだ。
救われないはずの誰かを救ってくれた、恩。その縁は莫大な報酬だけでなく、武力以外の『力』を授けてくれる。
政治的権力、大陸中に広まる商売力、陶芸や鍛造など高度な技術力、その他にも様々な力を集め、その力でもって更なる縁を繋ぎ、傭兵ギルドは武力以外の力でもって身を安全を確保するに至った。
そう。
傭兵ギルドはリアラーナの力によって生かされているというのが事実、なのだが──彼らはすでにそんなこと頭の片隅にすら残っていないのだろう。
武力でもって最強を得ていた頃、殺意さえ抱かせるほどの恨みを集めてきた者たちである。武力以外でもって安全を確保できれば、これ幸いと好き勝手するに決まっていた。
そのことはリアラーナの扱いを見てもわかる。傭兵ギルドの存続を左右する最重要人物でさえもあの扱いであれば、周囲の人たちにどんな悪意をぶつけているかは想像に難くない。
人は、変わらない。
経験や努力によって変えられる部分もあるかもしれないが、根元にある『何か』はそう簡単には変わらない。
ゆえに彼らは悪意を撒き散らす。
誰かの不幸を糧に己が幸福を追求する。
だから、ゴルドの顔には憎悪があった。
だから、ゴルドは反省なんてしていなかった。
だから、身体が動くようになればすぐにでも『医療道具』を回収して、リアラーナを使い積み上げた縁を利用して軍隊にも匹敵する暴力を結集、あの赤髪の女を殺──
「くす、お見舞いに来たですよ」
声が。
響いた。
「……、あ?」
すぐ、真横。
いつから、どうやって? そんなのゴルドに理解できるわけもなかった。それだけ彼我の差は広がっていたのだ。
とにかく彼女はベッドのすぐ横に佇んでいた。赤髪に漆黒のマント、腰に同じく漆黒の剣を差した彼女がくすくすと笑っているのが唯一絶対の現実である。
「なん、なんでっ、おまっ、なんっでえ!?」
「くす、くす、くす」
刻まれる。
透き通るような、それでいて不気味なほどに平坦な笑い声が脳裏に響く。
「く、くそっ、もう決着はついたろうが、何しに来たんだよお前え!!」
「くす、くす、くす、くす、くす」
笑い声は続く。
それでもゴルドは指先を動かすのがやっとであった。
果たして彼は気づけたか。
口だけはよく動くように神経を斬り裂かれていることに。
万が一、赤髪の女の目が節穴であり、男たちの本質を見切れていなかった場合はリアラーナの力で治してやればいいとして、先の赤髪の女との戦闘で傭兵ギルドの面々がトドメを刺されなかったのは情報を聞き出すために身動きを封じ、どこかに隔離することが目的であったためだと、気づくことはできたのか。
……気づけたとして、もう遅いのだろうが。
「貴様、私の同類ですよね。だったら、くす、遠慮なんて微塵も必要ないですよね」
「なん、なに、なんだよ!?」
「好き勝手やってきたんです。その度に他者の何かを踏みにじってきたんです。同じように踏みにじられる覚悟はあるですよね? それが、くす、それこそが『私たち』の末路なんですから、ねえ?」
くすくすと。
綺麗だとか汚いだとか以前に、何も感じられない無機質な笑い声が室内を埋め尽くす。
次の瞬間、口を塞がれた男は赤髪の女が欲する情報以外の全てを発する自由を奪われた。
そこから、略奪は始まった。
ーーー☆ーーー
「ひとまず命ごと足がかりを奪えたですね。予想通りつまんねえ略奪を振りまいていたってのが分かっただけですけど」
アリアは軽やかな足取りで医療施設を出る。足元には医療施設を守る名目で配置されていた衛兵が転がっていた。とはいえ出血の一つもないので、奪ったのは意識のみではあるが。
略奪にも一線はある。
そこを超えるかどうかで生き様は変わる。
……とはいえ、略奪者は略奪者でしかない。そのことをアリアは否定することはない。
「大陸のほとんどを支配する帝国のお偉いさんの庇護さえ受けし傭兵ギルド、ですか。奪い甲斐のないガラクタですね」
アリアは軽い足取りで医療施設を後にする。リアラーナを襲っていた者たちを隔離するためだけに利用したその施設を、だ。