第十六話 あくまで治療ですから
痛いのは嫌だ。死ぬ、なんて考えるだけで身震いがする。四角い箱だけが世界の全てだったリアラーナでもそれくらいは理解していた。
だから、助けられるものなら助けたかった。痛い思いをしている誰かを助けるためならできることはしたい。自由となった後に『仕事』をこなしたのもそういった想いがあったからだろう。
それがリアラーナだった。
小さな世界が全てだった少女でも、優しさを胸に抱くことはできるものだ。
そんなこともできないクソ野郎が世界には大勢いた。五メートル四方の小さな世界で育った少女だって誰かを助けたいと思えるだけの優しさを持っているというのに、そんな当たり前を捨てた連中がそこにいた。
──アリアは詳しい事情なんて知らなかったけど、それでも一つ言えることはある。
奪うなら最高の状態で。
女の子の瞳を悲しみの涙で汚すなど論外である。
だから。
だから。
だから。
ーーー☆ーーー
ゴッゴドォォォッッッン!!!! と。
暴虐が炸裂した。
ーーー☆ーーー
『人探し』を手伝っていた聖騎士ルナエルナが騒ぎを聞きつけ駆けつけた時には略奪の作法も知らぬ略奪者どもは一人残らず倒れ伏していた。
「う、うわあ! また騒ぎ起こしてるしい!!」
「あ、ちょうどいいところに来たです。先に言っておくけど、これから雑用頼むこと増えると思うですよ」
「雑用?」
「ですです。まあ敵の規模さえ不明だけど、一つも残しやしないことだけは確定しているですしね。人手はあって損はないです」
「何それ? いや、待って、嫌な予感がするから待って!!」
「我慢の限界です。ここらで私の所有物を涙で汚す連中は根こそぎ排除してやるですよ。ってわけで手伝えってことですよ、雑用係」
「待ってって言ったのにい! なんか厄介なことに巻き込まれそうだしい!!」
「なんでもしますって言ってたのは誰でしたっけ?」
「そ、それは、うぐぐう! なんでなんでもしますなんて言っちゃったの私い!!」
何やら若き聖騎士が頭を抱えていたが、アリアにとってはどうでもいい。協力を断られたとしても別に構わないくらいでしかないのだから。
それに。
今は腕の中のリアラーナと向かい合うべき時である。
「ちっこいの」
「ち、ちっこいのじゃないもん」
「はいはい、です。しかし、あれですね。一日に三度も襲われるだなんてツイてないにもほどがあるですね。今日は疲れたですよね。宿をとっているので、そこで休むですよ」
「……、うん。ありがと」
ボソリと。
そう言って、アリアを抱きしめる両手に力を込めるリアラーナ。
そんなリアラーナの頭をアリアは優しく撫でていた。先ほどまで男たちを弾けた果実のようになるまで叩き潰していたとは思えないほど、優しく。
ーーー☆ーーー
「今日は色々起こりすぎだ。そうは思わないか、相棒」
にゃお、と鳴き声一つ。
夕日が沈み、暗くなった大通りを歩く衛兵のおっさんは腕の中の白き猫の頭を撫でながら、
「ただでさえ宗教的アレソレが絡んでめんどくさい聖騎士たちが乱闘騒ぎを起こすわ、その中心にいた赤髪の女が再度乱闘騒ぎを起こすわ、めんどくさいこって」
赤髪の女については現場に駆けつけた時にはすでに姿はなく、目撃証言だけが頼りであった。
とりあえず地面に倒れていた連中は回収、専門の医療機関に放り込んで経過を見ている。目覚めてから事情聴取ということになるだろう。
また、目撃証言を聞くに連中を叩きのめした赤髪の女は一人の女の子をお姫様抱っこで連れていったようだが……まさか誘拐じゃないだろうな? なんて話も出ているので、街の治安維持を司る衛兵総出で赤髪の女を捜索している最中であった(聖騎士と話している様子も目撃されていたので、いくらなんでも誘拐なら聖騎士が止めているはず、という意見が多数あったが、とにもかくにも本人に事情を聞くべきであろう)。
「ったく、聖騎士たちは一度目の乱闘騒ぎに関してはド派手にやり合った赤髪の女を罪に問う気はないだの言い出しているし、一体全体何が起きてやがるんだか」
にゃあ、と可愛らしく鳴いてくれる白きもふもふだけが癒しであった。相棒がいなければやる気なんて消失しまくって、今頃酒場辺りでサボっていたに違いない。
「これ以上、面倒ごと起きなけりゃあいいがな」
ーーー☆ーーー
気がつけばベッドの上だった。
「さてと、です」
アリアに(なんだか妙に恥ずかしかった体勢で)宿とやらの一室まで運ばれたリアラーナはぼすんと硬めのベッドに放り投げられていた。
口元や両拳が裂けて血を流している有様だというのに、アリアは軽い口調で続ける。
「ちょっとご飯でも買ってくるから待っているですよ」
くるりと踵を返し、部屋から外に出ようとするアリアを見て、咄嗟にリアラーナは手を伸ばしていた。
ぎゅっ、と。
マントの端を掴んでいたのだ。
「ちょっちょっと待って!」
「ん? なんです???」
掴んで、言って、そしてどうしたかったのか、リアラーナ自身もよくわかってなかった。
ただ、今はそばにいてほしくて……ふと、アリアの身に刻まれた怪我が目についた。
「怪我……治すよ。うん、怪我治すから、うんうん!!」
「そうですか? ド三下どもや魔王との怪我と違って、楽しい思い出なのでこのままでもいいんですが……まあ、忙しくなりそうだし治してもらうですか」
言って、ぼすんとリアラーナと同じように寝転がるアリア。右手が伸びる。ぐちゅり、と一切の躊躇なくリアラーナの口に人差し指を突っ込んだのだ。
「ん、ふっ!?」
口内で指が動く。舌を探し当てたかと思えば、親指まで突っ込まれて、二本の指で舌を摘まれる。
くすくすと綺麗な笑い声が響く。
指を突っ込まれているため半開きとなった口の中でぐにゅぐにゅと舌が揉まれる度に吹き抜けるようなうめき声があがる。
だらりと透明な体液が半開きとなった口から流れる。寝転がっているリアラーナの頬を伝い、ベッドまで流れて、シミを作る。
「あ、りぃあ……ひゃんっ」
「くすくす☆ そんなに睨むことないですよ」
指を突っ込まれ、舌を摘まれたまま声を出し、責めるような視線をそそぐリアラーナを見て、アリアは口元を楽しげに歪めていた。
指を引き抜く。
つぅ……と口と指との間に透明な体液が糸のように伸びて、ぷつんと切れる。
「あ、アリアさんっ、いきなりなにするの!?」
「何って治療ですよ。舐めてもらわないと治療できないじゃないですか」
「いや、それはそうだけどっ、わざわざ突っ込まなくても──」
「ですから」
「んぐっ!?」
何事か言いかけたリアラーナの言葉が詰まる。今度は中指がリアラーナの口に突っ込まれたためだ。
「残り八本、きちんと治してもらうですよ」
「ん、んむっ、むぐう!!」
強引にもほどがあった。
口を塞がれて無理矢理、なんてのは先程リアラーナを回収しようとしていた男と一緒である。
だけど、不思議と嫌ではなかった。
それどころか、胸が高鳴っているほどだった。
(え、ええと、これは治療っ、単なる治療だもんっ。多少強引なのはアレだけど、アリアさんを治すことができてよかったってこと……のはず!)
感じたことのない気持ちに混乱しているリアラーナは、だからこそ楽しげに口元を歪めるアリアの言葉を聞き逃してしまった。
そう。
アリアはこう言ったのだ。
「まあメインディッシュはこれからなんですがね」