第十五話 涙の意味を変える暴虐
『仕事』自体はいつも通り簡単に終わった。
不治の病だろうが、一生治らない後遺症だろうが、急所を貫く致命傷だろうが、死んでさえなければ何とでもなる。
いつも通り依頼主に用意させた適当な薬草をすり潰して、唾液を混ぜればいいだけだ。
そう、リアラーナの唾液にも治癒効果は宿るのだ。数分で唾液から治癒効果は消えてしまうのでこうして足を運んでから用意する必要はあるのだが(舐めるだの唾液をそのまま飲ませるだのすれば非難があるのは目に見えているので、適当な薬草を混ぜてバレないようにしているだけであり、薬草自体には何の意味もない)。
あとは出来上がったものを依頼主に手渡せばそれで『仕事』は終わりである。お金ではない報酬は前払いで済ませているらしいので、そのまま屋敷の外に出る。
「良かった良かった。今回『は』治してあげられて。治さないことで利益を生み出す、なんて話になって、シリスさんから教えてもらった祈りを捧げるくらいしかできることがない、なんてのはキツいもんね」
呟き、そしてリアラーナは夕日に赤く染まった空を見上げる。
「これから……どうしよっか」
いつもならば有無を言わせず馬車に放り込まれて、『収納箱』に戻ることになるが……今は違う。決して、いくら彼らからのリアラーナの扱いがモノのようであったとはいえ喜んではいけないが、護衛や御者の男たちはいない。自由に、広い世界を歩くことができるのだ。
「あたし……」
『収納箱』は空虚だが安全だ。あそこに戻れば、怖いことなんて何もない。武装した男たちや魔王を名乗る怪物に襲われずに済むだろう。
だが、それだけだ。生きている『だけ』だ。今までだったら、それでも良かったかもしれない。退屈だと思いながらも、それが『当たり前』だと思っていたから。
だけど、違った。
アリアにロスヴァイセ。彼女たちは真っ直ぐにリアラーナを見てくれた。道具扱いではなかった。固く冷たい目で見ることなく、意地悪だったりスキンシップが激しかったりと今までとは違った接し方でぶつかってくれた。
治癒機能を搭載した道具、ではなく、リアラーナという一人の少女として扱ってくれた。
それが、たったそれだけのことが、心に残っていた。『収納箱』に戻ったらもう味わえないのだと思うと、ひどく悲しくなった。
「いいって、言ってくれるかな……?」
リアラーナは自由だ。
彼女の行動を強制してきた護衛や御者の男たちはもういない。さっきまでは助けられる誰かがいると知っていたから『仕事』場に向かったが、ここから先はリアラーナの意思で決めることができる。
不安はあった。
本当に自分のしたいことをしていいのかと。これまで一度だってそんなこと許されなかったのにだ。
恐怖はあった。
自分がしたいことを選んだ結果がどうなるか、怖かった。アリアはリアラーナを助けるために傷ついた。あれと同じことがリアラーナの選択次第で起こってしまったらと考えると身がすくむ。選択の責任なんてもの、『収納箱』では味わうことはなかったから。
だけど、それ以上に期待があった。
半ば流されていたようなものだ。護衛や御者の男たちがいなくなってから味わったものはあくまで向こうから与えられたもの。向こうが選択した結果を享受したに過ぎない。であれば、自分がしたいように行動すれば、それ以上のものを味わえるのではないか? そう考えただけでワクワクが止まらなかった。
「アリアさん、ついて来てもいいって言ってくれるかな? 言ってくれると、いいなぁ」
ほんの少しの旅路であった。森から街まで半日足らずであった。それでも、楽しかったから。本人に言ったら意地悪のネタにされそうだから絶対言わないが、アリアと話していると楽しい気持ちでいっぱいになれたから。
──これからも一緒にいられればいいなと、気がつけばそんなことを考えていた。
だから。
だから。
だから。
「見つけたぞ、『医療道具』」
ひどく。
無機質な声が一つ。
ーーー☆ーーー
怪我なんて唾をつければ治る、といった言葉を聞いたのはいつだったか。物心ついた頃にはそういうものだと思っていた。
だから、舐めた。
それで本当に治ったのが全ての始まりだった。
両親に捨てられたらしく、孤児院で育てられたらしいが、その記憶はほとんどない。リアラーナの記憶の大部分は『収納箱』に集約されている。
馬小屋の奥に併設された小屋、『収納箱』。五メートル四方の箱には決まった時間に食事が運ばれてくるが、運んでくる人間の顔すら見えないようになっている。
『収納箱』には唯一の扉がある。その扉が開く時は『仕事』の時だけであり、いつも護衛の男が前触れもなく現れて、リアラーナを抱えて外に出るものだった。外といっても扉の先は馬小屋だし、扉の先だって馬車に埋め尽くされている。いつもその馬車に押し込められて『仕事』に向かい、馬車の中で薬草に唾液を混ぜて護衛の男に手渡すため、外なんてロクに見たことなかったのだが。
そんな日々に退屈は感じていたが、疑問はなかった。そんなものなんだろうと、思い込んでいたから。
──そうじゃないと、気づいた。武器を持った男たちや魔王を自称する怪物の襲撃など怖いこともたくさんあったが、それ以上に楽しいことがたくさんあった。
目まぐるしく状況が移ろうため、ゆっくりと堪能する暇はなかったが……退屈だなんて思う暇はなかった。
もっともっと味わいたかった。最初が武器を持った男たちや魔王の襲撃だったために満足に味わう余裕が戻ってはいないが、それだって時間が解決してくれる。
これからはリアラーナの好きに生きていいのだ。退屈なんて吹き飛ばす未知に挑んでいいのだ。
その、はずだったのに。
目の前に並ぶは数十もの男たち。
護衛として見たことがある、武装した者たちであった。
「なあおい『医療道具』。あいつらからの定時連絡はねえわ、『医療道具』一つで歩き回ってるわ、なんだこれは?」
「そ、れは……」
「ったく、聞かれたことにはさっさと答えろよな。まあ道具には過度な期待だったかもしれねえがな。おい『医療道具』、『仕事』に行くぞ。さっさと終わらせて、さっさと帰るぞ」
「何が起きたか調べるのが先じゃないか?」
「そんなのわかれりゃいいだろ。誰か一人が道具持って『仕事』に、残りは調査って感じでな。まあ道具の口を割らせればいいだけかもしれねえがな」
視線が集まる。
無機質な、モノを見る目が。
それが当たり前だと思っていた。そんなわけなかった。少なくともロスヴァイセはもっと温かな目を向けてくれていたし──アリアの視線は身体が熱くなるほどに刺激的だった。
「……、やだ」
「あ? 何言ってんだ???」
じり、と足が後ろに動く。
沈みつつある夕日が照らす大通り、未だ人混みは消えておらず、大声で助けを求めれば誰かが手を差し伸べてくれるはず──なんて常識、知る機会がなかったリアラーナは震える唇を動かし、小さく、それでいて殻を打ち破るように言う。
「もう、あそこに戻るのは、やだ……っ!!」
「そうかい」
一言だった。
その間にも数十もの男たちが位置を整えて、囲み、リアラーナの姿を隠していくが……『収納箱』で大半の日々を過ごしてきた彼女が気づくことはなかった。
「なあ、『医療道具』。人間が道具の都合なんざ考えると思うか? 道具ってのは消耗品だ。壊れるまで使って、使って、使い潰すもんだ。それが、はっ、戻るのは嫌だあ? 道具に自由なんてあるわけねえだろっ」
「そんな……んぐっ!!」
何事か言いかけたリアラーナの口元に男の手が伸びる。塞ぐ。助けてと、もう嫌だと、そんな願いを封じ込める。
「とりあえず回収するぞ。『仕事』やら原因究明やらはその後ってことで」
「ん、んん……っ!!」
「そりゃいいが、それどうする? なんかつまんないこと言い出してたぞ」
「……ッ……!!」
「何かあったんだろうな、かわいそうに。今まで通り従順なら痛い目にあわずに済んだろうに。あれだ、適当に痛めつけて精神ぶっ壊すって指示出るだろうし、準備しておくように」
「ん、ぅ……んんっ!!」
「へいへいっと」
「……ん……ぅっ!!」
無機質な目があった。
無機質な声があった。
誰も、リアラーナなんて見ていなかった。
逃げようと身体を動かそうとすれば複数の腕に掴まれて、声をあげようにも口を塞がれて──気がつけば涙が流れていた。
それだけは男たちにも止めることはできなかった。止めるだけの意味を見出さなかっただけなのかもしれないが。
(あ、りあ、さん)
それはリアラーナの心に根付いた退屈以外の表徴。赤く、熱く、刺激的な暴虐。傷ついてほしくなくて、でも、それでも、リアラーナが何を言ったって関係なく救いをもたらしてくれるヒーロー。
(たす、けて!!)
傷ついてほしくないと、もういいと言っておいて、それでもそう望んでしまった。傷つくことが怖かったのもあるのだろうが──それ以上にもっとずっとアリアと共にいたかったから。
今まで知ることができなかった未知をアリアから教えて欲しかったから。
だけど、届かない、
誰にも、聞こえることはない。
救いを求める声はそうして封殺された。
そして。
そして。
そして。
「最近はつまんねえ略奪でも流行しているんですか? 女の子に涙は似合わない、そんな単純な真理も理解できないだなんて、ド三下にもほどがあるです」
轟音が炸裂した。
何が起きたかなんてリアラーナにはさっぱりわからなかった。
ゆえに結果だけが広がる。
リアラーナの動きを封じていた男たちも、口を塞いでいた男も消えていた。ただ一人、燃えるように赤き長髪をなびかせた女が目の前に立っていた。
手が、伸びる。
リアラーナの自由を奪うものではない。そっと、流れた涙を拭う温かな手であった。
「奪いにきたですよ、ちっこいの」
アリア。
リアラーナに退屈以外の気持ちを教えてくれた女はこんな時でも相変わらずであった。もういいと言ったって戦うことをやめないような女なのだ。救いを求める声が封殺されたからなんだというのか。
リアラーナが何を言おうが、自分がしたいことを貫いていたではないか。言葉にできない程度で何かが変わるわけもない。
これが。
アリアである。
「う、うあ」
涙を拭うその指から熱が伝わる。それだけでじわりと新たな涙が浮かぶ。だけど、違う。これまでのそれとは全く違う。
塗り潰される。
男たちに穢された瞳が、アリアの熱が生み出した透明な雫で。
「ち、ちっこくないもん、ばかぁっ!!」
こんな時でも口だけでは素直になれず、だけど身体は正直だった。ほとんど飛びつくように、思いきり抱きついていたのだ。