第十三話 なんでもします
ぴたり、と脇腹と首を斬り裂く寸前で刃が止まる。割って入ってきた若き聖騎士の脇腹では燃え盛る紅蓮がジリジリと肌を焼いていた。それでもマシなほうだったかもしれない。
ぎゅるり、と。
正面、首へと鞘に納まったままの剣を突きつけた女の瞳が不気味に収縮する。黄金の光に、グリムゲルデの顔に刻まれし白鳥とは似て非なる『圧』が宿る。
真っ向から。
若き聖騎士を見据える。
「なんのつもりですか? これは、私とお嬢さんの奪い合いです。せっかく盛り上がってきたところに、こんな半端に首を突っ込んで、ただで済むと思ってるんですか?」
「……っ、!!」
若き聖騎士は理解させられた。彼女よりも年下である赤髪の女の逆鱗に触れたのだと。
理解して、それでもだ。
彼女は言う。
「グランジさん……乱暴な態度であなたのジュースをこぼした聖騎士に代わって謝罪します。すみませんでした」
みっともなく震えようとも、その瞳が涙に濡れようとも、あまりといえばあまりなほどに圧倒的な力の差に闘争本能がカケラも残さず屈服していようとも、先輩方が傷つき倒れようとも守ろうとした聖騎士という『ブランド』を傷つけようとも、それでもだ。
それ以上に大切なこともある。
「それでも足りないというのならば、今更だとおっしゃるのならば、私で良ければなんでもします。なので、どうかこれ以上の戦闘行為を継続するのはやめてください」
「ん? 何か誤解があるみたいですね」
若き聖騎士は覚悟していた。今この場で斬られても構わないと、それで女の怒りが静まり、これ以上第八位相聖女が傷つけられることがなければそれでいいと。
グリムゲルデ自身は戦闘を望んでいた節もあるが、それでもだ。当事者ではないからこそ、気づけることもあるのだ。
──赤髪の女の『底』はおそらくもっとずっと深い。ひとたび殺意が解放されれば、若き聖騎士では奥底まで見抜くことすらできない深き『底』に秘められし暴虐が第八位相聖女を呑み込む。
ゆえにこそ、こうして割って入ったのだ。
その命をかけてでも、万が一にも第八位相聖女・グリムゲルデが殺されないように。
だから。
だから。
たから。
「私、奪われたものを奪い返すことができればそれでいいんですよ。グランジとかいう奴がこぼしたジュースをですね」
「……、へ?」
ポカンと。
あまりといえばあまりな返事に若き(といっても赤髪の女よりは年上な二十代女性たる)聖騎士は間抜けな顔を晒していた。
「同じ種類のジュースを誰かが買ってくればそれでいいってわけです。ですから、貴女が買ってきてくれるならそれでいいですよ。あれは確か甘味フュージョンジュース、って名前のヤツでしたっけ」
「あ、あっと、それで……いいわけ?」
「もちろんです。はじめはそのための戦闘行為だったんですしね」
…………。
…………。
…………。
「今すぐ買ってくるからちょっと待ってて!!」
「くすくす☆ そうですか」
わたわた慌てたように飛び出す若き聖騎士。そんなんでいいなら最初っからそう言えと告げるように困惑が顔中に広がっていたものだが、とにかく事態を終息させるために行動することにしたのだ。
そんな背中を眺めながら、小さく息を吐きマントの下の下半身を守るアーマーを固定するヒモに漆黒の魔剣を差す赤髪の女。
そうして武器を納めてから、第八位相聖女・グリムゲルデへと視線を向ける。
「というわけでこれ以上の戦闘は中止です。残念ながら、ですね」
「未だ詳しいアレソレはよくわかってないけど、聖騎士が止めに入ったってことは拳から感じた通り命をかけてでも打倒するべき巨悪ではなかったってことでしょうね。いかに劣勢とはいえ、巨悪が相手ならば止めに入るのではなく共に戦うことを選ぶのが聖騎士でしょうしね。まあ事情は後で聞くとして……もっと続けていたかったでしょうよ」
「私もです。ですから半端な横槍だったならば叩き潰して即続きといってましたけど……あそこまでマジだったら仕方なしですよ。殺すくらいしか排除することができそうにない横槍だった以上、こっちが折れてやるしかないですし」
「意外でしょうよ。折れてやるような人には見えなかったでしょうが」
「くすくす☆ もちろんそう簡単には折れたりしないですよ。半端な覚悟で飛び込んできたんだったら、相応の報いを受けさせていたです。ですけど、何事にも例外はあるものです。今回『は』殺してでも強行するのは適切じゃないってだけですよ。この辺どうでもいいと切り捨てると、一気に陳腐なド三下に成り下がるですしね」
ですから、と。
ずいっと踏み込む赤髪の女。真っ直ぐに、白鳥の奥に揺蕩う『圧』なんて無視して、第八位相聖女なんて看板眼中にすらなく、ただただグリムゲルデという一人の女を見つめる。
じわりと赤くなる年下の女の子へと、手を伸ばす。その頬を、刻まれし白鳥の傷なんて気にせず軽く撫でてから、一言。
「続きはまたの機会に、です」
「……っ、ぁ」
「くすくす☆ 今度は邪魔が入らないよう奪い合いじゃなくて単純に殴り合うとするですよ。こんな寸止め、二度もやられるなんて想像すらしたくないですし」
くるりとその身が回る。踵を返し、若き聖騎士が走っていったほうへと進んでいく。
第八位相聖女・グリムゲルデはその背中をじっと見つめていた。人混みに消えて、見えなくなっても、ずっと。
ーーー☆ーーー
そして。
アリアはくすくすと透き通るような笑い声をあげていた。
「なんでもします、ですか。そんなこと言われたらそそるに決まっているですよね」
ーーー☆ーーー
「ふへえ。つっかれたー……」
ベッドの中で揉みくちゃにされながらいくつか質問を受けた後、リアラーナはすんなりと解放されていた。『とりあえずは及第点だぴょん。後は、まあ泳がせておくのが無難だぴょんだろうしね』、なんて言っていたが、結局第九位相聖女・ロスヴァイセが何をしたかったのかはさっぱりであった。
そんなわけで結果としては聞いてもいないのにいきなり自己紹介してきた同年代の少女に攫われて、ベッドに連れ込まれて揉みくちゃにされただけ、という訳の分からない展開の末に解放されたリアラーナは教会の外で息を吐いていた。
髪はボサボサで純白ドレスはシワだらけだったが、不思議と嫌な気持ちはなかった。ちょっとばかり過剰な気がしないでもなかったが、人と触れ合うのなんて二人目だ。前例がアリアな以上、まあこういうのもスキンシップのうちなのかもと受け入れていた。
それに。
誰とも触れ合えないよりは、ずっとマシだと気づいたから。
──退屈しかない、空虚な四角い箱だけが世界の全てではないのだから。
「さあて、それじゃお『仕事』しに行こうかな。今回のは今すぐどうこうってわけじゃないらしいけど、早く治したほうがいいに決まってるし」




