求道の鞠
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
おーい、つぶらや。「ワンバンノーバン」しようぜ! お前、ボールな!
……な〜んちゃって、ジョークジョーク。格ゲーじゃないんだから、エリアルコンボなんぞリアルに決めたらやばいって。
ん? どうした、変な顔して。実はエリアルコンボ喰らいたかったとか?
――ああ、「ワンバンノーバンなんてガキの遊びだろ? ダセー」ってか。
だが、軽んじられるべきかというと、俺はそうは思わないな。この手の、球を地面に落とさないことを趣旨とする競技。我が日本にだって昔から存在しているし。
そう、お察しの通り「蹴鞠」の競技。優雅な貴族のゲームだって考えている人も多いが、発祥の中国では、軍事訓練における体力づくりの一環として取り入れられていたってくらい、きついものだったらしいぜ。
ひとつ、それにまつわる話をしてやろうか。
蹴鞠っていうのは、今現在でも、年中行事として神域で行われるものもいくつか存在している。時代をさかのぼれば、数多くの流派が存在し、日々、切磋琢磨をしていたらしい。
本来、勝敗というものが存在しない競技なんだが、平安から鎌倉にかけてもろもろの制度が整い、今でいうポイント制が採用されるようになった。
千回。鞠をけり始めてから、千回目まで途切れずに蹴ることができたならば、それを持って最上の成果とする。しかし、このタイプの蹴鞠は八人競技の形が求められている。一人だけ抜きん出ていても、他がミスすればおしまいというわけだ。
蹴りそのものにも「三足以上を一人で蹴り、次の人へ渡さねばならない」というルールがある。その三足以上を持って、鞠が渡すことで、ようやくカウントが一つ進む。最短で最高得点を出そうにも、合計三千回のタッチが求められる、というわけだな。
バレーボールで例えたら、まず前の人からやって来た鞠をレシーブする。これが一足。
次にその場で鞠の向きを整えるべく、トスをあげる。これが二足。
そして次の相手に向かって鞠を蹴り上げて渡す。これが三足。くれぐれもスパイクを打ってはいけない。相手が受け取れないのは、蹴った側の未熟とされるからな。思いやりを持てる技と心も、この競技では問われるんだ。
平安時代末期。天皇と上皇が武士の力を借りて行った、保元の乱。その後始末の際に、当時の関白であった藤原氏の所領は、その多くが天皇の支配するものになってしまった。
藤原家は関白の地位こそ維持していたものの、人事や所領に関して、天皇の許しを得なくてはいけなくなった。
これは藤原家を名代にし、土地を貸していた貴族たちにとっても不満が残るものとなった。かつて先祖が墾田永年私財法発布の際に切り開いた土地。それが巡り巡って、結局は朝廷のものに収まってしまったのだから。
だが、力で逆らおうにも、先の保元の乱で活躍した武士という戦闘集団。その評価は著しく高く。財を投げうって用意した私兵程度ではどうにもならなかった。
ならば土地を取り返すのは、腕力ではなく技芸。そもそもの貴族の本懐である、歌と蹴鞠を始めとした芸術たち。その力量を御前に披露し、褒美として取り戻すことが近道。
特に蹴鞠に関しては、貴族たちは日々の仕事が終わると、夜にもかがり火を焚いて、各々の屋敷の鞠場で、夜通し鞠を蹴り続けたのだとか。
そんなある夜のこと。主だった貴族とその家族は、一斉に同じ夢を見たらしいんだ。
鳥のごとき視野で見下ろす、都大路の景色。身体の自由はきかず、水が流れるように、よどみなく風景を巡りながら、やがてその眼は、都からやや外れた小高い山の頂上に留まった。付近の木は、すっかり姿を消している。
つい先日、山火事が起こった場所ではないか。そう思うや、ぐぐっと拡がり大きくなっていく視界。空から地へ、急激に身体が落ちていったんだ。
そこは古びた神社の境内。柵はなく、見上げんばかりの鳥居もすっかり朽ちかけているが、境内の中心には、柳、梅、松、楓に四隅を囲まれた広場が用意されている。
蹴鞠場たる「懸」だと、誰もが分かった。更に視界は動き、奥の社の扉にはこのような言葉が書かれた張り紙が。
「この世に生を受けてより、二十の年を経ぬ命。彼らの最高の技にて、青き頂きへ鞠を届かせよ。地にまみれぬ千の温もり、三千に渡る御霊の音。そのすべてをここに響かせよ」
そこで夢が覚めたと、全員は語ったらしい。
夢を見た一同は互いに連絡を取り合い、翌晩にはとある屋敷の一角、大広間へ集まった。
代表役を買って出た者の提案で、まず現実に、かの神社を訪れた者がいるかという話題が上ったが、すぐに答えが返ってくる。
「そこはな、わしのかつての修行場じゃ」
しわがれた声だが、よく通る。代表役が発言主を探そうと左右を見回したが、他の皆の視線はこちらに集中している。そういえば、頭部にかすかな違和感が……。
はっと頭上を仰ぎ見た時には、すでに直衣姿の一人の男が天井高く飛び上がっていた。その足先に乗せた鞠と共に、自分自身の身体も鞠のように浮き上がらせて、敷き詰められたように見えた、人と人とのわずかなすき間に、かすることなく降り立つ。
そこかしこで驚きの声が上がった。
「蹴聖殿!」「大納言殿では?」「成通殿、かようにおいでくださるとは」
人々からのどよめきを、ほしいままにするその老人こそ、今年、大納言の位に昇った、藤原成通その人だった。
笛、和歌、漢詩、その他の技芸も匠の域に達し、特に蹴鞠に関しては、生きながらにして古今東西に及ぶ者無しという蹴鞠の達人、「蹴聖」と称されている。
鞠に触れた日数は、もはや数えられず。うち二千日は、どのような大病を患おうとも、一日も欠かすことなく修練を積んだと伝わっていた。
鞠と一体になったという、その身のこなしは軽く、とある人の肩の上に立って鞠を蹴っていても、肩を貸している当人は、誰かにそれを咎められるまで気づくことはないと、今まで噂されていた。そして今また、代表役の後ろからそっと頭の上に飛び乗り、鞠を蹴ることで周りの注目を集めていたのだが、代表役自身はみじんも気づかなかったのだ。
「わしも見たぞ、かの夢を。あれはわしがかつて、鞠の精に出会ったのち、その思いを忘れまいと選んだ候補のひとつ。神気あふるる、あの境内ならば、心静かに鞠の道を極められると思うておったのだが……あの火事よ。そして、次代に託さんとする、あの言葉。わしが鞠を蹴れる日も、もう長くは残っておらぬのだろう。ならば、わし亡きあとも、鞠の道に憂いないことを示すより他にあるまい。我こそはと思わん者は、集え。万日を超えて鍛えた、わしの技を伝えん」
それからの話し合いで、一年後。例の神社で奉納の蹴鞠を行うことが決まった。
その限られた時間の中で、選りすぐった若人たちは、来る日も来る日も「蹴聖」に教えを乞うた。
だが、その生涯を懸けた技術。一年に閉じ込めるにはあまりにも濃すぎた。ひと月が終わる頃、募った人数は十分の一にまで減っていた。奉納は神への捧げもの。わずかでも不純な技を届けるわけにはいかない。
蹴聖の課題は、どれもすさまじいものだったが、歯を食いしばってついてきた者がようやく八名に絞られたのは、期限のひと月前。そこから最後の調整に入り、彼らは期日の前日に、件の神社に泊まり込んで、場を掃き清めたらしいな。
翌早朝。成通卿と同じ色の直衣に身を包んだ彼らは、懸を成す四隅の木に、それぞれお神酒を捧げる。
選りすぐった八人が、作法通りに位置に着き、鞠が蹴上げられた。
八人の位置は八境と呼ばれる。懸の中央から八個に区分し、自分の領域として待機する。そして最初の一巡が終わった後は、順番は関係なくなり、自分の領域に飛んで来たものに、順次対応することになる。
また、鞠は四隅に生えている木よりも、高く打ち上げなくてはいけないという決まりがある。前に話した三足。そのいずれもだ。
木はそれぞれ大人の四倍ほどの大きさ。その高さで持って、蹴る位置を調整しなくてはいけないのだから、並大抵のことではない。
成通卿は、若き者たちの蹴鞠を見ながらも、自身も鞠を蹴りつつ、周囲に対して気を張っていた。風はもちろん、大きな声などの音も大敵。その原因となる芽は摘まなくてはいけない。だが、尋常ならざるものに、尋常の手は通用しないだろう。
ならば、自分の技を持って、この神域を更に堅固なものとするべし。成通卿は、ふわりと朽ちかけた柵の上に、鞠を携えて飛び乗った。もはや童がよりかかっただけで折れ、崩れてしまいそうな柵。小指ほどの幅しかない柵の上で鞠を蹴りつつ、成通卿は懐から笛を取り出す。
清涼なる調べもまた、平安時代においては極上の魔除けとなり得るんだ。
日はすっかり高く昇り、足を上げ続けた若者たちにも疲れが見え始めるが、鞠の軌跡はまだ乱れていない。回数はすでに残り百回を切っている。
その間、成通卿はいささかも調べを切らさず、一度も鞠を地面に落としていない。その額に汗を浮かべながらも、柵の上を何度も何度も回り続けた。その間、風のひとすじ、獣のいななき、虫たちが草をかき分ける音さえも、文字通り鳴りをひそめていたんだ。
やがて若人たちが、ついに千回目の鞠を蹴り上げた瞬間。鞠はそのまま空に吸い込まれ、いつまでも降りてこなかった。
時を同じくして。成通卿が蹴った鞠もまた、引っ張られるように頭上高くに舞い上がっていった。
天高く昇った太陽。直視すら叶わないその光が、わずかにかげる。手をかざしながら覗いた先には、二つの黒い点があたかも埋め込まれた瞳のように、太陽の姿に重なっているのが見えたという。
しかし、それも一瞬。気づくと一同の周りは、太陽の気配を感じさせない夜闇に包まれていたんだとさ。
成通の蹴る鞠が雲に届いた。
その新しい伝説は、彼に教えを受けた若き蹴り手たちによって、長く伝えられていったという。




