第五十六話 Ritual~儀式
『来タカ……』
「来タカ……」
皴枯れた重く低い声が、黒龍と俺の耳にズレて重なり不快に響く、アイザックの声だ。
”来たか……”そう呟いたということは、ここに俺達が来ることに気が付いていたのだろう。
暗闇に蠢く幾百もの血濡れた赤い光点と、淡く青く光る蔦のような模様。
水罠の危機を乗り越え、通路を流されながらも深層に到着した途端、この有り様だ。
……geeeeehhhh……hh……
……gurrrrrr……rr……rr……
……garrrr…………
低く籠り濁った呻き声が騒めき近づく。敵の正体は不明だが、俺達の存在は既に捕捉されている。
「血濡れた赤い目……外に溢れていた魔獣達と同じだ」
「にひひ、それは戦い甲斐がありそうね」
相変わらずのブレンダだが、今回先陣を切ったのは彼女ではなかった。
「少し足止めするから、みんな準備して……いくよ」
『Ogon' stena /火壁/ファイアウォール』
両手の平を広げたアンジェが前方に向け魔法を放つ、広範囲に広がり弧を描く炎の壁だ。それは迫る敵を足止めすると共に、暗闇に潜む敵の姿が明らかにした。炎に照らされて浮かぶ沢山の……人影?しかも子供?
俺と左程変わらない背丈と体格。その肌は浅黒く、暗闇で淡く青く光る蔦模様に見えていたのは皮膚の下、躰中に浮き出た血管だった。双眸は血濡れの赤に染まり、額に膨らむ小さな瘤……角か。
「小鬼/ゴブリンね……」
ぉお、こいつらが……ここに来て登場したファンタジーの代表的な魔物に僅かな感動を覚えるも、そんな気分はすぐに掻き消された。
『『『『『u『GAHHHHhh!!』h!』!』』』』
大気を震わせるほどの雄叫び。棍棒を振り下ろし、渾身の力で地面を叩きつけるゴブリン達。石床は波打ち砕けて飛び散り、舞い上がる砂埃が炎の壁の勢いを急激に削ぐ。
きっと物理的な効果だけではなく、なんらかの魔力が行使された結果だろう。
geeehhhh……hh……
gurrrrrrrr……rrrr……rr……
garrrr……rr……
geehhh…hh……
gyahhh……
炎の壁が消え砂埃が舞う中、凶暴化した小鬼の群れが唸り声をあげにじり寄る。切られようとしている戦いの火蓋に、俺達も剣の束を握り締め身構えた。その時だ。
『下ガレ……』
「下ガレ……」
脳を支配し躰の制御を奪わんと蝕む声。
その声に踵が浮かび後退りそうになるが……黒竜と同調した意思が、命令を拒絶し跳ね除け、辛うじて留まることが出来た。下がりかけていた尾が逆立つ。
「ぅう、ヌィ」
俺の袖をぎゅっと掴んで耐えるアンジェ。だが背後では皆の靴底が石床を擦る音がいくつか聞こえる。
gaah……
grrr……
ge……eh……
唸り声がやみ、今にも襲い掛からんとしていた小鬼達は笛の音の支配に従属した。
左右に分かれて退く小鬼の群れ。目の前を塞いでいた魔物の壁が消えると、床に描かれた陣が仄かな光を放ち、背後に潜む影が浮かび上がる。
小山の様な黒い大きな影。それは四肢を大きな棘に貫かれて地に伏す黒竜だった。
その右後脚を貫く棘の傍に立つ人影がひとつ。群がる小鬼達より背は高いが線は細い。後方、左後脚の辺りにも一人。更に奥の左前腕辺りにも……うん、もう一人いる。
そして、この場所からは視認出来ないが、恐らく黒竜の鼻先にはヴェールに顔を隠された少女が居て、更に先の玉座にはアイザックが居るはずだ。
俺達から一番近く、黒竜の右後脚傍に立つ細い影が緩やかな歩みで近づき、青みを帯びた長い黒髪が揺れる。
「……あら、学者先生。こんな処まで遺跡を調べに来たの?随分と御執心ね」
現れたのは、切れ長の目を細めて微笑む女性ハンターだった。
「アイツ……王都のハンターギルドで何度か見かけたことがあるわ」
「リオさんが攫われそうになった時にも……ダンジョンで彼女を見掛けました」
「誘拐犯の一人で、青き羊を抱く者って訳っすか」
シャーロット達の呟きは、冷たい笑みを浮かべる女性ハンターにも届いたらしい。
「ふーん、あの時邪魔をしてくれた子のお仲間なの?お陰で代わりになるミーコちゃんを捕まえなくちゃいけなくなって、面倒だったのよ?」
彼女は不機嫌そうな顔で俺達を睨み。
「うふ、でも、かわいい子達がたくさん来てくれたのは嬉しいわ……」
品定めでもするように順番に視線を這わせる。
「ゴブリンちゃん達の餌代が多少は浮くもの」
いつまでも”待て”では可哀そうよねという風に、彼女は小鬼達を見渡した後、口端を歪めた薄い唇に小さな銀色を当てると……
ffeeee……
小さな高い笛の音が響いた。
『GAHHhhhh』
『GYAAAaaahhhh』
『gurrrr』
『Geeehhhhhh』
『GURrrr』
『gyaaah』
その音はすぐさま怒号に変わり、武器を構える間もなく小鬼の群れが押し寄せる。
『ゎうぉぉぉぉぉぉおおおおおおぉおぉおぉお!!』
「やぁあああ!」
『Povysheniye /隆起/ライズ』
俺は小鬼達に怒号に対抗して大声で吠えた。その声に小鬼が僅かに怯む。
強い意思の籠った声が力を持つということは先程知ったばかりだが、効果があったようで助かった。
同時にアンジェの声が重なって響き、積みあがった石片が小鬼の進行を邪魔する。小鬼達が自ら砕いた石床の瓦礫を利用した上手い手だ。
『gurrrr』
『GAHHhhhhhh』
『Gehhhh』
しかし、進行を完全に止められた訳ではないので、小鬼達は再び怒号を上げて押し寄せるが……
「だぁぁあああっ!」
それでも武器を構えるだけの時間は稼げたようだ。
「だ、だ、だ、だ、だぁあぁっ」
ブレンダが双剣を振るい小鬼を斬り臥せる。素早い動きで振り下ろされる棍棒を躱して懐に入り込む様な超近接戦闘が多いのは、欠けてしまった剣先分の距離を補う為だろう。
「………………たぁぁああああぁ」
ハンナは相変わらず気の抜けるような声をあげているが、大槌を横薙ぎに振り回し、自らもくるりと回って小鬼を吹き飛ばす。あんなに回って目が回らないかと心配だけど、多数を相手にするのは向いていなそうなハンマーであんな攻撃が出来るとは大した物だ。
『突風 インペトゥス・ヴェンティ』『旋風 ウェルテクス』……『暴風 プロケッラ』
シャーロットが振るった剣の動きに合わせて風が吹き荒れる。その手に握られた宝珠煌めく宝剣によって放たれた魔法剣だ。途切れることなく続く連続した技のコンボ。重なった風は嵐と変わり、急激に勢力を増大させて小鬼を薙ぎ倒す。
「ここで勿体無いとか言っていられないっすね……全弾打ち尽くすっす」
カプリスが構え撃つの武器はボーガン。けれどもその使い方が普通じゃなかった。先程ボルトを放ったボーガン本体で……なんと小鬼を殴り付けている。その動きをよく見てみると、どうやら殴った衝撃でボーガンの弦が引かれている。近接打撃と遠隔攻撃を交互に行う不思議な戦い方だが、これは中々効率的だ。
「いや、小鬼を倒して、終わりでは、ないでしょう、しっかり狙い撃って、くださいね」
クロエは普通に長剣を振るっているので少し安心した。だが、止まることなく剣を振るうその姿は、まるでダンスでもしているように滑らかで優雅だ。
「はぁぁぁぁああっ」
『石化 ペトリフィケーション』『ン』『ン』『ン』『ン』『ン』『ン』『ンッ!』
アンジェの攻撃は大籠手で繰り出す魔法拳。威力はやや抑えめだが、両手での連打が次々と標的を移しつつ小鬼を殴り付ける。石化の効果も体表を覆う程度のものらしいが、それによって脚や腕の動きを鈍らされて戦力外となった小鬼が量産される。
俺も負けてはいられないな。
『ゎうぉぉぉおおお!』
盾剣を大剣として構え、咆哮を伴って一気に小鬼の群れを横薙ぎに薙ぎ倒す。剣が苦手な俺でもこの大剣なら、これだけ大きい武器なら狙いを外すなんてことない。
襲い掛かる小鬼の群れを破竹の勢いで倒す仲間達。幾百と群がる小鬼でも、この勢いならば……
「み、見てくださいっ、黒竜を囲む光の陣が!」
戦いに集中するあまり、エヴァンさんに言われるまでは気が付かなかった。見れば石床に描かれた陣が光量を増している。黒竜を囲む大きな陣の中には小さな陣が幾つか描かれているようなのだけれど、その中でも特に棘を中心として描かれている陣の輝きが強い。ここから見えるのは右前脚と右後脚の陣だ。
「っ……」
僅かな間、黒竜の瞳が捕らえた像が俺の視界と重なる。
跪き地に両手を着くヴェールの少女。
そして、玉座から見下ろすアイザック……ヤツの口端が歪む。
「儀式は既に始まっている……」
「ならば、急いだ方がよさそうね」
「では、急いでその儀式とやらを止めましょう」
「そうしなくちゃいけないのはわかるっす。でも、どうやって止めるんすか?」
「魔物を全滅させればいいんじゃないの?」
そんな皆の声が聞こえるが、戦いながら他に思考を巡らせるというのは中々難しそうだ。
「んー……どうにかして陣を壊す?」
「壊せなくても、陣の外から強いマナを干渉させたら……どうかなヌィ?」
そんな中では、ハンナとアンジェの提案は良さそうだ。
「エヴァンさん、何か手はありそう?」
「す、少し考えてみます」
俺も考えてはみるが、より早く正解を導けそうな人に振った。
『Geeehhhh』「だぁあぁ!!」
『GURrrr』「はぁあっ!」『gurrrr』
「やぁぁっ」『gyaaahhh』「んっ」
『Gggggeehhh』「ぅわをぉぉおぉおおっ」
「ぁあ!ほ、星の結晶です!」
しばしの戦闘の後にエヴァンさんが声を上げた。
「小さい陣を同属性の星結晶の力で相殺すれば、儀式を止められるかもしれません」
「ちっ……」
エヴァンさんの言葉が聞こえたのだろうか、小鬼の群れを従える女性ハンターが、黒竜右後脚の傍まで後退した。
その理由は陣を守るためなのか?もしそうならばこの手段は有効ということだ。流石、エヴァンさん!決して俺も考えるのを放棄していた訳じゃないよ。でも、ほら、適材適所っていうし、お陰で上手くいきそうだから正解でしょ。
「ヌ、ヌィさん、風の星結晶は持ってますか?」
「あぁ、あります!」
「では黒竜の左前脚の陣に!こちらの結晶はアンジェさん、ハンナさん、それと……」
エヴァンさんから既に手に入れて預けていた星の結晶が手渡される。
小鬼の群れも残るは半数といったところ、これならばもう少しで突破出来るか。
そんな風に考えた時だった。
「なぁっ」
「その様な手を使い防ぎますか」
ブレンダの双剣やクロエの舞う剣捌きを凌ぐ小鬼が現れた。攻撃を防いだその盾は……
geee……eh……
「ぅえぇぇ……ェグいっす」
その手に握られた盾は既に倒された小鬼の遺体。
無双しても敵を倒してもその遺体が消える訳じゃない。ヤツらはそれを、仲間の遺体を利用しているんだ。いや、遺体だけじゃない。まだ息のある者さえも、その首根っこを掴まれて盾にされている。鋭い爪が深く喰い込み、それだけでも痛そうだ。
「これは厄介っすね」
「同感だわ」
カプリスのボウガンやシャーロットの魔法剣でさえ、積みあがった遺体を防壁にされて威力が落ちている。急ぎ、残りの小鬼群を突破する為には、何かひと工夫が必要だろう。




