第五十四話 チャーム
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「ぁ……」
潤んだ青い瞳でこちらを見つめる金色の髪の少女。うなじ近くで結ばれた二房の髪が細かく震え、ぎゅっと噛んでいた小さな唇が僅かに開き……小さな吐息が漏れた。
「心配かけてごめん、ブレンダ」
アンジェと俺が天球儀の中に消えたことで、神殿の柱=ポーターで俺達が姿を消した時のことを思い出させてしまったのだろう。また辛い思いをさせてしまったみたいだ。
「よかった……戻って来れたのね」
「ぅう、心配したっすよぉ」
「私は二人ならすぐに戻って来るって信じてましたよ、ええ」
「……ぅん」
安堵の表情で迎えてくれるシャーロット、カプリス、クロエ。静かに頷くハンナ。残った皆の方にも怪我や疲労はなく、大広間も俺達が消えた時の状態から変わりないことにアンジェと俺も胸を撫で下ろす。思っていたより時間が掛からずに戻って来られたようだ。
「2人が消えた時は焦りましたよ。一体何があったんですか?」
「あぁそれなんだけど、っ……」
エヴァンさん声に返答しようとした所で、俺は四肢を襲う突然の痛みに顔が歪ませた。
鋭い痛みに、薄れていた黒竜との同調が再び呼び起こされる。
切り替わる視界、乱れ歪んだそこに映ったのは苦痛の元凶だ。
傷つき臥せた体躯を囲う妖しく仄かな光の陣。黒い鱗を貫き深く四肢に突き刺された大きな棘、あるいは角か牙か。その苦痛を与えているのは、俺達が追う山羊の刺青の男達。魔物側に就く人間、青き山羊を抱く者。
地面を擦る尖った鼻先が、責め苦に悶えて吐息を零す。その目前の石床に跪く小さな影。幾重にも重ねられた衣を纏い神秘的な雰囲気を醸し出す、ヴェールに顔を隠された少女。
見下ろす禍々しい玉座に座する、湾曲した角を持つ禍々しい風体の老人。特徴的な横長の瞳孔は今は閉ざされている。諸悪の根源、アイザック。
「ヌィッ!」
「っ、大丈夫……ありがとうアンジェ」
呼ぶその声で俺は自身の感覚を取り戻した。
「ごめんなさいエヴァンさん、その話は後で。今は急がなくちゃいけなくなった」
順に皆の顔を見つめ俺は告げる。
「アイザックと刺青の男達が見えた。何か儀式の様なことを始めようとしていて……黒竜はその生贄だった」
この先、深層にはアイザックだけではなく、刺青の男達も居ることが明らかになった。増した脅威対し、皆に改めてこの先に進む意思を確認しなくてはと思ったのだけれど……
「ふうん、何の為に儀式をするつもりなのか知らないけど」
「それなら一網打尽じゃないっすか、アタシ達が止めてやるっす」
「ダンジョンから魔獣を溢れさせてる時点で悪人ですからね、放っては置けませんよ」
わざわざ問わなくても答えが返ってきた。シャーロット達リトルスクエアの頼もしさと気概にこんな状況でも思わず頬が緩んだ。
「二人が戻った時点で通路が開きましたから、急ぐのでしたらもう行きましょうか」
エヴァンさんの声に壁へと視線を向けると、そこに新たな通路が現れていることが確認出来た。通路の出現は天球儀から持ち出すことが条件だったのだろう、目に見えないモノではあったけれど、俺とアンジェはそれを手に入れていた。
「待ってアンジェ、ヌィ!」
荷をまとめ出発の支度が整ったところで、ブレンダの声が呼び止めた。
「これ、2人に」
差し出されたその手のひらで、小さな銀色が輝く。
「ゎあ、かわいい銀細工だね」
「翼の……ペンダントトップ?」
小さな銀色の翼が手渡され、一緒に彼女の手の温もりが伝わった。
「……それは御守り/チャーム。私が造った」
「無事戻って来れるように願いを籠めたから……離さず身に着けていて」
ハンナが胸を張り、ブレンダは胸元から細いチェーンを引き出す。2人のハンターホルダーにも同じ銀色の翼が留められていた。
ダンジョン深層へ飛ばされたアンジェと俺のことを思ったブレンダ憂い、無事に戻って来てほしいとの願いから造られたチャーム。
月の神殿ダンジョンで得た戦利品を原料にハンナが形造り、星降りの町ハンターギルドで魔法教官を務めるソフィアに御守りと成すよう魔法的処置を施してもらったそうだ。
「「ありがとうブレンダ、ハンナ」」
「わたしもこの翼に願いを込めるよ」
「うん、何があってもみんなで戻ろう」
アンジェと俺が2人に礼を言ってホルダーに銀色の翼を留めると、ハンナは更に自慢げに胸を張り、ブレンダは少し頬を染めてフンッと顔を逸らした。
「なんかいいわね……」
「シャーロットにはアタシ達が居るっすよ、ずっと一緒っす」
「フフ、腐れ縁ってやつですね」
シャーロットの小さな呟きにカプリスが抱き着き、クロエは柔らかい笑みを零す。
「さぁっ、急ぐんでしょ。行くわよ!」
ブレンダはスッキリとした表情で新たな通路へと踏み出し、駆けだす彼女に俺達も続く。ちなみに走るので、エヴァンさんはマナを籠め浮かせた盾剣に乗せて俺が運ぶことにした。
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「はぁぁ……ぁ……お待たせ……しました」
電化製品のケーブルのように密集して複雑に立体的に絡み合った壁の回路の仕掛け。そんな厄介な仕掛けを解き終え、疲れ切った顔で溜息をついてショボショボした目をしばたたかせるエヴァンさん。見てるだけの俺達も神経を疲労し、かなりうんざりするような仕掛けだった。
絡まった回路がほどけ、静かに緩やかに壁が開く。
滑らかな弧を描き繋がる石造りの天井と壁。そこに広がるのは、もはや見慣れた半球/ドーム状の大広間……ではなく、球状の大空間だった。
「綺麗……」
感嘆の声がアンジェの唇から零れる。
そこにあるべき足場となる石床は目の前で途切れ、代わりに透き通った清らかな水が半球を満たしている。
中央には大きな金属製の天球儀が浮かび、その中心で清水を溢れさせている杯がここの水源のようだ。
「この残骸、元々は丸太橋?だったのかしら」
「でしょうね、ほら、ここと同じような残骸が残る石塊の足場が壁際に、2いや3か所見えます」
「水面にも残骸が筏みたいに漂ってるっすけど、跳び移るのは……無理っぽいっすね」
以前は中心まで架かる橋があったのだろう。でも、今あるのは壁際に突き出した石塊に繋がる一部と、水面に散らばり浮く筏の様な残骸のみ。
どうすれば中心へ辿り着けるだろう……カプリスの言う通り、水面に浮く残骸はまばらで跳び移るには距離があり過ぎる。
「じゃぁ泳げば」「んぐっ……残念だけど、私はここまで……」
ブレンダの言葉を遮って項垂れるハンナ。力なく背負っていた大槌を石床に下ろす。あぁ……カナヅチなんだね。
「泳げたとしてもこの深さはちょっと怖……ぅぉおぉっ」
途切れた石床の淵から身を乗り出して水中を覗き込もうとしたエヴァンさん。その眼前で大きな水飛沫があがった。
さか……な?透き通って澄んだ水なのに、何故かその姿はぼやけ不明瞭で良く見えない。体長は1~2mといったところ……もしかして鮫かなにかだろうか?しかも周囲を見渡せば、水中の魚影はひとつどころではなかった。
泳いだら気持ちよさそうだなとちょっと思っていたんだけど、これはハンナでなくてもやめておいた方がよさそうだ。
「んんっ、しまった」
踵を返して後ろを向いたハンナが動きを止める。大きく見開いた瞳、その視線の先を追って後ろを振り返ると、俺達が入って来た扉は閉ざされて退路が断たれていた。
「んぐぐっ……ほ、本当に……こ、ここまで……ぅぅ……」
再び項垂れたハンナが、絶望に打ち震えたように声を絞りだす。彼女の震える足元から、ぴちゃりと小さな水音が聞こえた。
「いつの間にか足元が濡れて……水嵩が増してるのか!?」
その増水の勢いに、以前相手をしたフラッドクロコダイルを思い出した。
「罠に嵌められたって訳っすか」
その時は一旦退いて作戦を練ったけれど、今回は退路を塞がれた上に時間も無さそうだ。
「ここから生きて脱出するには」「魚を全部狩ればいいのね」
「いえ、溺れる前に中心まで辿り着いて、仕掛けを解くしかないかと思われます」
クロエの言葉の途中で乱入する変わらず好戦的なブレンダ。それはともかく、さてどうやって天球儀まで辿り着けばいいものか。
「ちょっと行ってくる」
『Plavuchiy /浮遊/フロート』
『Voskhodyashchiy vozdushnyy potok/上昇気流/アップドラフト』
幾重にも重なった言葉が響き、白い翼を広げたアンジェが翔んだ。
「「「おぉお」」」
上がった歓声と共に水飛沫をあげて浮上し、大籠手を翼代わりに滑空して宙を進む。大広間の中心まで辿り着くと天球儀の周りをくるりと旋回した後、水面に浮かぶ丸太の足場へふわりと降り立った。
「「「おぉおお」やったぁ」」
無事に天球儀の元まで辿り着き笑顔を見せるアンジェに再び歓声があがった。
「うん、これなら平気かな。一人ずつなら運べると思うよぉお。一度戻るねぇええ」
『Plavuchiy /浮遊/フロート』
『Voskhodyashchiy vozdushnyy potok/上昇気流/アップドラフト』
「ぅわ」「ぁああ」「これは……」
こちらへ戻って来ようと再び翔んだアンジェだが、唱えた魔法が浮かぶ丸太の足場を大きく揺らし、水飛沫では済ませられないほど水面を波立たせた。
更には揺れに反応し、幾つもの魚影が丸太の足場の周囲に押し寄せ取り囲んだ。
「駄目だったかぁ……」
翔んだアンジェ自身への被害は無いが、上手くいかなかったことに彼女は肩を落とす。
「一度に運べるのは一人」
「アンジェさんが戻ろうとすれば、運ばれた人はあの巨大魚の餌食ですか、それなら」
「私が行って魚を全部狩ればいいのね!」
「いや、学者先生を運んで、仕掛けを解いてもらうしかないんじゃないっすか」
ブレンダの意見は却下として、やはり誰か一人だけと言うならば、天球儀を解けるエヴァンさんしかいないだろう。
「n……も、もう駄目……」
絶望するハンナの震えに足元で広がる波紋。水嵩は既に足首まで達しており、更に増水したら、この場に巨大魚が押し寄せるだろう。
無事で居られる時間には限りがある。どうする……
散らばっている橋の残骸を繋げて渡れるように修復出来ないだろうか。
リュックの中には芋蔓ロープがあるはず。何かフックのようなモノがあればロープを投げて手繰り寄せて集められるかもしれない。いや、出来たとしても、増水の早さからして渡れるほどの残骸を集めて橋を修復するような時間の猶予は無いだろう。
他の手段は……大広間を見渡して気付いたのは壁に所々大きく空いた四角い穴、通風孔だろうか。その通風孔を手掛かり足掛かりに壁と天井を伝って……無理だな。
「うーん……とりあえず、ここに残ってる橋の残骸。石床との繋ぎを外せば水面に浮かんでいられるんじゃないかしら?」
「ん!た、助かるの?」
シャーロットの妙案に潤んだ瞳を輝かせるハンナ。
「確かに行けそうですね。でも……残ってる橋の大きさからして、無理して詰めても定員3人ってところじゃないでしょうか……」
「n……ぅぅう……」
クロエの指摘にハンナは再び俯く。それだけ不安なのだろうが感情の浮き沈みが激しい。
「生き残れるのは僅か数名、非常な選択を迫られるって訳っすね……」
カプリスの言葉に、俺は思考を巡らせる。
「よし、ここで橋に乗って貰うのはハンナと……」
「nヌ、ヌィ……」
名を呼ばれたハンナは、潤んだ瞳で感謝の言葉を口に出そうとするも、自分が助かって良いのかと戸惑うように口をつぐんで皆を見渡す。
俺もそれに合わせて順に皆へと視線を向け……
「k……いや、エヴァンさん」
一瞬クロエに視線を止めたが、少し考え直してエヴァンさんへと戻す。名を呼ばれたエヴァンさんは黙ったまま息を呑み、コクリと頷いた。
「まぁ、泳げないハンナは役に立たないし、仕掛けを解くのにエヴァンさんは必要」
ブレンダは納得したように頷くと、組んでいた腕を解いて剣の鞘を握ると不敵に口角を上げた。
「残る皆で魚を残滅。にしし、水中戦は初めてだけど楽しみね」
「いや、ブレンダはおれと一緒にあっち。んーと、シャーロットもかな」
「む?」「なるほどね」
俺は壁際に残る別の石塊の足場と橋の残骸を指差し、続けてまた別の壁を指差す。
「で、カプリスとクロエはそっち。何度も運ぶのは大変だけど、頼むねアンジェ」
「うん、まかせて」
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「ふぅぅ……うまくいったね、ヌィ」
入り口の残骸だけでは全員を助けるには足りなかったけれど、そこ以外にも石壁際に橋の残骸は残っていた。飛翔するアンジェに一人ずつ運んでもらったけれど、石壁際の石塊への離着陸なら揺られて足を滑らすことも無かったし、それぞれの丸太橋の残骸を筏代わりにすることが出来た。
「うん、お疲れ様アンジェ」
分乗した橋の残骸の筏は三隻。そして、その間にロープを渡し繋がった大きな三角形。カプリスとハンナもロープを持っていたのでどうにか長さは足りた。
綱引きのようにロープを引き会うと、三角形は縮小されて中央に収縮し、天球儀まで無事に辿り着けたという訳だ。
「球の中心なので天井迄の距離は一番ありますが、なるべく急いで解きますね」
甘い香りが漂う……それはエヴァンさんの天球儀に指先が触れた時だった。
『aAhh……Aaahhh……hhHHHH』
何処からともなく響く美しい歌声。
天を舞う眩しい翼。
両腕の代わりに広げたその翼からは、羽ばたきと共に光に透けた羽根が舞う。
艶やかに流れる髪。
曲線を描く均整が取れた彫像の様な半身を飾る様に揺れる。
「セイレーン……」
誰かの呟きが微かに聞こえた。
半人半鳥であるその生き物の姿に見惚れ、奏でる声の旋律に聞き惚れ……
思えばこの時、俺は既に魅了されていたのだろう。




