第五十二話 地から沸く
地が揺れ石床に亀裂が走る。
ひび割れた石片と砂粒と宝珠が蠢き泡立つように隆起し、膨らんだ石塊が頭蓋を、上顎を形造る。
鼻骨が整い眼窩が陥没し、下顎が追随し形成される。僧帽、肩甲が浮き上がり、前脚の蹄が地を踏み締め、その骨身が地中より這い上がる。
虚ろな眼窩に灯った怪しい光が睨み付け、側頭より突き出した突起が緩やかに湾曲して凶暴な双角が形造られる。
mooOOOOooooooo……
恐らくゴーレム或いはリビングスタチューの類だろう。以前タウロスの地下で幻視したその魔獣の姿が目の前で形造られた。石塊の牡牛……その鼻先は静かに俺達へ向けられた。
「だぁぁぁあああっ!!」
低く伏せるように跳び出し駆けたブレンダ。鋭く振り上げた剣の刃が牡牛の首筋を深く斬り、喰い込む。
「くっ!」
しかし、その一撃に表情を歪めたのは斬られた牡牛ではなくブレンダの方だった。牡牛の喉首に喰い込んだままの剣を手放し、咄嗟に後方へ素早く跳び離れた。
ブレンダの斬り裂いた喉首の痕は見る間に埋まり消え、残された剣はゆっくりと牡牛の躰に沈み込み呑まれていく。刀身はもちろんその鍔、束までも呑まれ、唯一握りに巻かれていた革製の帯だけがハラリと地に落ちた。
「持って行かれたっ!しかも、また剣が効かない敵だなんてぇええ!」
顔をしかめ、悔しそうに牡牛を睨み付けるブレンダ。
「ん」
すぐさまブレンダと入れ替わり前へ立ったのはハンナだ。板についたその連携に感嘆し、俺は息を呑んで見守る。
『Ogon' Strelyat' /火撃/ファイアショット』
ハンナが重なった言葉を詠唱する。牡牛へ向けて突き出して構えた掌の前に生じた火弾が……
「んなっ……」
吹き消されるように流され消失した。
炎と成れなかったマナが流れる。その流れを追うと、その先にあったのは大広間の中央、天球儀の中心に鎮座する魔結晶だった。
「コイツはどうっすっか」
続き、カプリスがボーガンのボルトを撃ち。
『旋風 ウェルテクス』
シャーロットが風の刃の魔法を放っ。
「ちっ、武器は牡牛に 呑まれる訳っすか」
「 マナは魔結晶に吸われる訳ね」
だが、どちらの攻撃も牡牛にダメージを与えることが出来なかった。炎の魔獣に引き続き、今度の相手も一筋縄ではいかないってことか。
こんな相手とどう戦ったらいいのか”俺”にはわからない。でも……
顔を傾けて期待を籠めた視線を向けると、アンジェはコクリと頷いてくれた。
「やぁぁぁあああっつ」
声を上げて牡牛目掛けて跳び込んだアンジェ。彼女が放った攻撃は……
振り上げた生身の拳だった。
インパクトの衝撃が牡牛の石肌を駆け、その左肩から脇腹へと亀裂が走り、ボロボロと石片が零れ落ちる。やった。
「いったぁぁあぁっ!?」
手を腫らして涙目のアンジェが俺の元へ駆け戻る。アンジェの攻撃は確かに有効だったけど、その代償は安くはなかった。
「ヌゥィィイィ」
「無茶しすぎだよ……」
『Ostyt'/冷却/クール』
アンジェを抱き留めて負傷した拳に手を当てて冷やし、自己治癒能力を補助するように俺のマナも注ぐ。うん、牡牛への魔法は無効化されていたが、この空間で全く魔法が使えないということではないみたい。直接触れて伝えた魔法とマナは有効だった。
「んっ、打撃攻撃は正義」
「アンジェのお陰でここも無事突破か」
「いや、それはまだみたいよ」
一段落ついたと一息つこうとしたところで、ブレンダの声に視線を牡牛へと戻す。
石肌の亀裂で砂粒が蠢き、脇腹の疵が塞がっていく。そう簡単にクリアさせてはくれないらしい。
「ぅうぅぅごめん、駄目だったよぉ」
アンジェはそう言い肩を落とすけれど……
「でも見て、肩の疵は修復しきれていない」
脇腹まで広がっていた亀裂は綺麗に塞がれたが、アンジェの拳が叩き込まれた箇所、牡牛の左肩は欠けている。まったく無意味な攻撃ではなかったようだ。
「今の攻撃は有効だったわ。ほら、奴の足元、蹄の脇を見て」
シャーロットの指差す石床に、微かに輝く何かが転がっている。
「あれは……宝珠っすか?」
カプリスの言葉の通り、その輝きは小さな宝珠の欠片で、牡牛の一部だったモノだろう。
「なるほど、宝珠を砕けばダメージを与えられるという訳ですか。やりますねアンジェさん」
「ぅうぅぅ、でもティノだったら一撃で倒してたよね……」
クロエは賞賛してくれたが、アンジェは少し悔しそうに俯いたが……
「ぅうん、だけど今は私がやらなくちゃ」
すぐさま立ち直り、その潤んだ瞳を牡牛に向けてまだ赤味の残る拳を握った。
試練の突破口を開き、懸命に立ち向かうアンジェ。
うん、アンジェが強い子なのは知っているけれど、やっぱり自らも傷つくような攻撃だと知っていながらこれ以上無茶はさせたくない。
どうしたら……
俺は思考を巡らせて、自分にも斬撃ではなく打撃の手段はないかと思案する……
MoOOOooooo……
肩を怒らせ頭を低く、俺達を睨み角を向ける牡牛。
その額から、鋭利な銀と鉄色の突起がズリズリと突き出る。
「わたしの剣っ!?」
「アタシのボルトっす!」
魔法攻撃は無力化、武器での攻撃は効かないだけでなく……武器は奪われ、敵の戦力が強化されてしまう。その所為で生身での近接戦も厳しいモノとなってしまった。
どうしたら……どう攻めればいい?
牡牛は頭を大きく振り、地を掘るように前脚の蹄で何度も地を踏む。恐らく突進の予備動作だろう。向けられた鋭い切先が鈍く光る……やばいっ、来る、どうしたら……
直接手を触れての魔法は使えた。奴を凍らせて止めるか?湿原で本物の牛と戦った時のように。いや、それには水分が足りない。水魔法の補助がないと無理だろう。
──アンジェを、皆を守らなくては……!!そうだ、守るというならば……
「大剣!?」
「武器での攻撃は呑み込まれるっすよ!?」
猛突進で突っ込んで来る牡牛に対し、俺が構えたのは大峡谷で手に入れた大剣。幅広で分厚いその剣は、佩帯時には幾重にも重なっていた鞘が広がり剣身を覆う。その形状はまるで……
「大盾だっ!」
守るというならばシンプルに、俺は盾を構えるという選択肢を選んだ。
盾剣と名付けたこの武器の華々しい初陣だけれど、俺はその表面を分厚いダークグレーの布で覆う。
金属は呑み込まれる危険性がある。今のこいつは盾であって、鋭利な武器で疵付ける訳ではないので大丈夫だとは思うけれど念の為だ。剣に使われていた帯は呑まれなかったので上手くいってほしい。
ちなみにこの厚布は以前に月の神殿の隠し部屋で見つけた戦利品。竜車の幌に使った余りをレジャーシート替わりに持ち歩いているモノだ。
牡牛の額から突き出た剣での突き。それに対して大盾を傾けて切先を弾く。
体勢を低くして続く激しい衝撃を大盾で受け、全身の筋力をマナで強化しながながら地面を踏みしめ、歯を喰いしばった。
「っ……ぅぉおおおおおっ!!」
シールドバッシュ=大盾を叩きつけ衝撃を打ち返し、更に大盾にマナを籠めて浮上する力を加え……牡牛の突進が止まった。
衝撃に……大盾を覆っていた厚布が翻る。よしっ、上手くいった。
「アンジェエ!ハンナァア!」
「ぅ「ん!」」
生身ではない大籠手の拳を振り上げたアンジェと大槌を振りかぶったハンナが跳んだ。
「やぁああっ!」
「たあああああああ」
覆い被さった厚布越しに拳が殴り付け、大槌が叩き付ける。
粉砕音が響き、厚布がゆっくりと床に広がり落ちる。隠れているが厚布の下の頭部は粉々に砕け散っているだろう。ふぅ……
「ん、正義」
「やっと無事突破」
「いや、まだみたいよ……」
石床に広がった厚布がモゾモゾと動いている……ゎうぅ……
▶▶|
「ふぅぅ……やっと終わったぁぁあ……」
ボロボロになりながら幾度もゾンビのように復活しようとする石造りの牡牛は結構不気味で中々手強かった。
牡牛の原動力はその躰内に混ざった宝珠で、完全に止めるにはその全てを砕く必要があったからだ。砕いた破片を更に砕き、その中の宝珠を探して砕く。
どれほど粉砕したのか数えてはいなかったが、仕留めきるまでにはかなりの時間と体力を消費したよ……
こういうのなんて言うんだっけ?玉石混合?干し草の中から針を探す?どっちも違うか。
「むぅ、わたしの剣が」
切先の欠けた剣を回収してブレンダが嘆く。俺が大盾で弾いた時か……ごめんね。きっとハンナなら綺麗に直してくれるんじゃないかな、うん。
「こっちも、もう終わります」
大広間の中心で天球儀の仕掛けを解くエヴァンさんからの声だ。牡牛が半壊した辺りからは脅威も下がっていたので、戦いと同時進行で進めて貰っていたという次第だ。
天球儀が畳まれるように変形しながらゆっくりと沈み込む。
「「「「ぉぉおおお」」」」
その中心にあり、間近に迫るその特急?超級?幻級?の魔結晶の揺らめく煌めきに感嘆の声が重なる。
「物凄いマナ濃度だよ」
「……全員で山分けしても一生、いや何度か生まれ変わっても遊んで暮らせるっす」
「ん、これがあれば城だって動かせる」
いろいろな感想があがるが、どれも現実離れしているせいか実感は薄い。
「ど、どうしましょうこれ!?だ、誰かお願いします!!」
声を震わせるエヴァンさん。もう十分手が届く距離なのに、伸ばそうとした腕は震え、その指先は届かない。
「じゃぁ包むよ……」
「……うん」
その貴重性、金銭的価値、加えて魔力的な危険性、様々の理由で誰も魔結晶に触れることが出来なかった。なので直接手を触れず、指先の感触さえ感じないよう、ダークグレーの厚布で包み込む。慎重に……丁寧に……
「「ふぅぅ……」」
戦いが終わったのに、更にこんなに緊張することがあるだなんて思わなかったよ。
「ふわぁ……すごいよヌィ、この厚布、ほとんどマナが漏れ出さないよ」
俺が安堵の溜息を零した後、アンジェは感嘆の溜息を洩らした。この厚布にそんな効果があったとは気付かなかった。いつもお尻の下に敷いていてごめんなさい。
「これならこの魔結晶を持ち歩いても、それほど危なくないよ」
ぉお、ホルダーに収まりきらないサイズだし持ち運ぶには魔力的な危険性が伴うからと悩んでいたけれど、どうやらその問題は無事解決されたらしい。
「それなら誰が持ち運んでも平気だね」
「じゃぁその厚布はヌィのなんだから」
「持ち主が持つべきね」
「えっ……」
ブレンダとシャーロットの言葉に皆が頷く。そんな、魔力的には安全でもすごく貴重でお高いモノなんだよ?俺はこの先も緊張し続けなくちゃならないの!?
「さぁ進むわよ!」
俺の動揺を気にもしていないようなブレンダが振り返り急かす。あれ、いつの間にか深層へ続く新たな扉が開いていたみたい。全然気付かなかったよ……
仄かな灯に照らされた石造りの通路へ向かう背中達、俺は慌ててその後に続いた。
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