第五十話 近火で手を炙る
「綺麗……」
感嘆の声がアンジェの唇から零れる。
回路の刻まれた石壁が引き摺られ、重い音を立てて開かれると……そこには満天の星が広がっていた。
「あの一番明るい星が明星で、あちらで輝くのが辰星です」
空を見上げて煌めく星を指し示すエヴァンさん。その声に導かれるように、皆が輝く星々に魅入る。
「素敵な星空ですねぇ」
「さっきまでは辛うじて月が見えたくらいの曇天だったのに不思議ね」
「いやいや待って待って、そもそもここは地面の下っすよ!」
そうだった!俺も思わず見惚れていたが、振り向いた背後には俺達がくぐった石壁がある。ここは月の神殿、地下迷宮の中で間違いない。
「……」
クロエを筆頭として、心を奪われたように星々の煌めきを見つめる面々。だがその中で、アンジェは真っ直ぐ正面を見詰めている。その視線の先には……暗くてぼんやりとしか見えないが無機的な何かがある?
「それで?敵は何処?」
星空を見上げていなかった者はもう一人。両手に剣を構えたブレンダは警戒して辺りを見回す。今のところ魔獣の気配は無いけれど……
「そこかぁ!」
掛け声と共に二時の方向に跳び出したブレンダ。駆けたその先で、ヴォッと小さく弾けるような音と共に宙に突然赤い炎が出現した。
「だぁあああっ!!」
振るった剣が炎を斬り裂……
「だだだだだだっ!!」
縦横無尽に振るわれるブレンダの剣。その攻撃は明らかに炎に届いているのだけれど、軌跡は虚しく空を斬り、見る限り炎には何のダメージも無い。いや、それどころか斬る度に燃える勢いは増してるんじゃないか!?
「ちっ!」
剣を握る手を僅かに焦がしたブレンダは、舌打ちをしながらもへ跳び退き後退する。
「アレ、何なの?」
「ほ、炎そのものにしか見えません、アレも魔獣なんですか!?」
炎の魔獣?エヴァンさんのその言葉で、俺の記憶が呼び覚まされる。以前リオーネ炭鉱で見た……
「炎の獅子!?」
揺らめく炎は獅子を形どり、俺の記憶と寸分変わらぬ姿となった。
「んっ……とぉぉおおお」
周囲が騒めき、戸惑う中、いつの間にか前に出ていた影がひとつ。ハンナが大槌を振り上げて大きく跳んだ。
ハンマーヘッドが獅子の頭を捉えた!だが次の瞬間、俺の期待は虚しく散り、大槌はそのまま手応えもなく素通りしてズシンと石の床を叩く。ブレンダのように敵の炎の勢いが増すことこそ無かったけれど、与ダメージが無いのは同様だ。
「あ、あんなのどうやって倒したらいいんすか!?」
「初めからいきなり厄介なのが現れましたね」
カプリスとクロエの言う通り、あんな実体のない敵と一体どうやって戦ったらいいのか俺にもさっぱりだ。
攻撃を受けた獅子はハンナを睨み、大きく咢を開き炎を吐く。その反撃に皆が目を見開くが、ハンナは慌てた様子もなく炎を躱して獅子より距離を取る。ふぅぅ……ハンナの無事を確認して俺も大きく安堵の息を吐く。
「んんー、じゃぁ」
そんな心配を他所に、慌てることなく落ち着いた様子のハンナが再び大槌を振り被る。
『どんっ』
振り下ろした大槌が、ズシンと大きな音を立て石床を叩いた。
「んっ、うまくいった」
退かした大槌の下に炎は無く、石床にはただ煤跡が残る。満足気に小さな笑みを零すハンナ。ただ、振るわれた大槌が打ったのは炎の獅子本体ではなく、吐き出されて石床で燃えていた炎の方だけれど。
「それなら次は……」
『どぉぉぉおおんっ!』
再び炎の獅子を目掛けてハンナが跳び込む。炎の獅子は先程までの余裕の態度を消し、退避行動を見せ跳び退く。
でも遅い!大槌はその左前足、肘から先を削り取った。
「「「「おぉぉお」」」」
「むっ、どうやったのよ」
皆が歓声を上げ、ブレンダはちょっと悔しそうに呟き、俺も感じたブレンダの疑問にはアンジェが答えてくれた。
「武器にマナを籠めたんだよ」
そっか、物理攻撃は効かないけど魔法攻撃は効くパターンだ!
「ふんっ、それなら私にだって」「待った、待ったぁあ!」
獅子に向かって跳び出そうとするブレンダを俺は咄嗟に引き留めた。
確かブレンダの持つ魔法属性は火だけ。最初の攻撃で炎が勢いを増したのも、きっとブレンダが無意識のうちにマナを込めていた所為だろう。それなのに意識してマナを籠めたりしたら、とんでもない事態になりそうだ。
「なぁああ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」
突然大音響で響いたのは俺が引き留めたブレンダの声。至近距離の鼓膜へのダイレクト攻撃、そのダメージは絶大だ。ゎうぅ、耳を逸らそうとしたが間に合わなかった。
「なにを……してるの……ヌ゛ィ゛ィ゛……」
続いた声は重低音へと変化する。
「な、何をしてるってブレンダを引き留め……て……」
気が付くと、咄嗟に引き留めた俺は後ろからブレンダに抱き着くような体勢に……俺の手には、鍛えている割には柔らかな感触と温かな体温が伝わってくる。
「ぅ゛え゛っ!?ご、ごめん。ぁ、い、痛っ、ぁ、あ、熱いよ?」
ブレンダは真っ赤な顔で俺の手を掴み捻り上げる。握るその手にはたっぷりと火属性のマナが籠められていた、い、痛っ、熱っ。
「ブレンダ落ち着いて、ほら、ブレンダは火属性でしょ?それで攻撃しちゃうと、ね?」
アンジェの言葉でブレンダは熱の籠った自分の手の状態に気付かされ、握る手に籠っていた力とマナが緩めらた。ふぅ助かった……でも強く握られた所為で痺れて手の感覚が無いんだけど。
「ヌィも咄嗟のことでわざとじゃないから、ね?わ・ざ・と・じゃないでしょうヌィ?」
「ぅん、わざとだったらもっと柔らかくて、う゛っ、ぁ、はいっ!!」
わざとではないのだから、もっと堂々としていればいよかったのだけれど、気まずくて視線を逸らしたのはまずかったかもしれない。偶々の逸らした視線の先にはクロエが居て、そこには豊かな膨らみがあった。
俺を庇ってくれているはずのアンジェ目が怖く感じるのは気の所為……だよね?
「む゛む゛……そう、それなら今回は仕方ないわね……それと止めてくれてありがと」
「こ、こちらこそありが」「…………」「違っ!ご、ごめんさない!!」
頬を赤らめているブレンダ。俯いて黙ったままのアンジェ。うん、気の所為じゃなかったみたい……ど、どうしよ!?
『豪雨!/イムベル!』
響いたシャーロットの声で我に返り、俺は炎の獅子との戦いの場に視線を戻した。
振られた細剣と共に降り注ぐ豪雨。シャーロットが見事に炎の獅子を仕留める場面が目に飛び込んで来た。えっと、リトルスクエアの3人が獅子との戦いに参戦して問題なく戦えていたことは知ってたよ、うん。そうじゃなきゃ俺も戦っていたし、うん。
「むっ、あなた達やるわね」
まだ顔が赤いブレンダは、戦いが終わってしまったのが残念だったのだろうか、少し悔しそうにではあるが賞賛を送る。
「ふふっ、私達だってリオーネと王都の炎のダンジョンで鍛ましたからね?」
「ええ、炎の馬なんかも相手にしたし」
「フッ……これくらじゃ物足りないくらいっす」
ヴォッ……ヴォッ……ヴゥォン!三度小さく点火音が弾けて炎が灯る。敵の増援、現れたのは大きな三頭の炎の馬。しかしその姿は王都で戦った実体のある燃える馬とは少し異なり、先程戦った獅子と同様に炎そのものの姿だった。
「「「なっ!?」」」
「カ、カプリスが物足りないなんて言ったからじゃないですか!?」
「いやいや、シャーロットが炎の馬なんて言ったからっす」
「クロエなんて火属性だから役に立ってなかったじゃない」
三体もの敵の出現に慌てるシャーロット達。こちらにも増援が必要だろう。数が増えたのとその体格差の所為だろうか、獅子の戦いと比べて苦戦気味だ。
「むぅ、また炎なの?」
ブレンダはうずうずと拳を握り、手に汗握り、ハンナとシャーロット達の戦いの様子を見つめる。火属性魔法しか使えないので仕方が無いが、自分も戦いたくてしょうがないというブレンダの熱意と熱気が伝わってくる。
「……………………」
黙り込んだまま、にぎにぎと手を握っては開くアンジェ。ブレンダ同様に何か熱が漏れ出ている。ま、まだ、怒ってるのかな?この状況どうしたらいいの?
「ヌィッ」「はいっ!」
アンジェの呼び掛けに、俺はすぐさま返事をする。
「ちょっと試してみたいことがあるの、ヌィは見ててくれる?」
「あ、ぁあ、何か考えがあるんだね」
「うんっ、ブレンダには手伝って欲し」「いいわよっ!!」「ぃの」
アンジェが言い終えるのを待つことなく即答するブレンダ。
そっか、アンジェが黙り込んでいたのは炎の魔獣対策を考えていたからか。こんな時に勘違いをしていた自分が少し恥ずかしい。ぅう……
「2人もお願い」
前へと出たアンジェはハンナとクロエにも声を掛け、代わりにシャーロットとカプリスが後退する。
「にひひっ、それじゃぁ遠慮せずにいくからね、だぁぁぁあああっ!!」
ブレンダが真っ先に炎の馬へと斬りかかる。だが、剣は初めに獅子を相手にした時と同様に炎を素通りし、ダメージを与えるどころか燃焼は激しさを増す。
「私も負けていられませんね、はぁああっ」
続くクロエの剣が別の馬を一刀両断。通常の魔獣であればそうであったろう太刀筋を見せる。しかし結果はブレンダ同様だ。
「んっ……」『はああああああ』
遅れてハンナが大槌を振り上げ、2人とはまた別の馬を目掛けて大きく跳んだ。しかし、先程は炎の獅子を削ることが出来たハンナの攻撃さえも不発だった。というか逆効果、打たれた炎は一気に膨らみ猛火と化した。爆発的な炎の勢いに押されたハンナが後ろへ跳ぶ。
「んん……ここまで?」
「うん、ハンナはもう退がって」
『Ogon' stena /火壁/ファイアウォール』
猛火の馬がハンナへ反撃しようと迫るが、アンジェが放った魔法でどうにかその場に留める。
ハンナはうまくいかなかったが、残る2人はどうなのかとブレンダとクロエへ視線を向ける。だが、2人それぞれが戦う炎の馬も既に猛火の勢いとなっていた。
「ブレンダとクロエも退がって!」
『『Ogon' stena /火壁/ファイアウォール』』
残念がるブレンダと少し疲労感のあるがやりきったっという表情のクロエ。2人がアンジェの声で後退する。アンジェの作戦は失敗か……
火壁の炎に脚を絡み取られて暴れる炎の馬。どうにかその場に留めてはいるが、それは火属性なのでダメージを与えられていない。この不利な状況でどう攻めたらいいんだ……
「う、馬がとんでもないことになってますよ!?あ、あれは大丈夫なんですか!?」
エヴァンさんの驚きの声に俯いていた視線を戻すと、炎は更に勢いを増し業火と成っていた。アンジェの火の壁は確かに足止めの役目を果たしてはいるが、その代償として敵の力をかなり増強させてしまったらしい。
業火は巨大馬と化し行き場のない炎が重なり、まるでケルベロスの様な巨大な三頭馬へと変化する。
「ぁあっ、星が消えてしまいましたよ!?」
燃え盛る業火は天をも焦がし、夜空と輝く星々をも消し去った。
炎に照らされて現れたのは焦がされ煤ける石造りの天井。その天井は滑らかな弧を描き、ぐるりと囲う壁に繋がっている。
「本物の星空じゃなかったのね」
「だからここは地下迷宮の中だって初めから言ってるじゃないっすか」
要するにここは半球/ドーム状の大広間。星々は半球の石壁に映し出された幻影……つまりはプラネタリウムみたいなモノ?だったらその幻影を投影していたモノがあるのではないかと俺は視線を彷徨わせる。
巨大な炎に照らされた大広間。その中央には獅子、馬……と獣の彫像が並ぶ大きな金属製のジャイロスコープ?いや、あれは天球儀だろうか。
そして、その中心に鎮座するのは宝玉が散りばめられ繊細な細工が施された木の枝?これだけの業火に炙られ無事だということは、本物の木ではないのだろうが、何なのだろう。
VuWWoWoWoWoooOOhhhhh……
更に業火の勢いが増した。幻想が消え去り現れた大広間に皆が一時的に気を逸らされたけれど、それで業火の巨大三頭馬が消えた訳ではない。今も暴れる三頭馬を逃がすまいとアンジェが炎の壁にマナを注ぎ続けるが、アンジェが頑張るほど業火は益々膨張し……
ヴォンッと音を立てて消えた。
「え?」
終わったの?
「ふぅぅ……上手くいった」
「あ、アンジェッ」
ふらふらとして後ろに倒れそうなアンジェ、咄嗟に跳び出して俺はその背を支えた。
「ふふっ、ありがとう。ヌィ」
アンジェはそのままへなぁっと躰を俺に預ける。戦いで体力を、いやマナを消費した所為だろう。
「うん、お疲れ様、アンジェ。そのまま少し休むといいよ」
▶▶|
「あちちっ、でもこれで現在の星の位置に……よしっ」
僅かな残り火に手を炙られながらも、天球儀の金属の輪を動かして獣の彫像の位置を調整していたエヴァンさん。その手が止まると、今度は何か仕掛けが発動したようで、金属が擦れるの作動音が鳴り始めた。
「杖/ロッド……」
ゴクリと息を呑むエヴァンさん。天球儀は畳まれるように変形しながらゆっくりと沈み込み、延ばせば手が届く位置まで中心の杖が降りてきた。
アンジェが言うにはその杖が炎に魔獣の姿をとらせていたのだと言う。杖から流れ出るマナを感じてそう判断したそうだ。
そして炎の魔獣はその杖がある限りは倒しても何頭でも何度でも湧き出すと予想し、あえて炎の勢い増加させて蓄えられたマナを一気に使い切らせる作戦をとったそうだ。普通に戦っていたのでは体力も時間もかなり消費することになっていただろう。
「杖、この杖を暫く私に貸していただけませんか?5日程、いや3日でも結構です。もちろん武器として必要とあらば、その時は使ってください。その間の賃貸料として銀貨1枚お支払いいたしますっ!皆様それぞれに1枚ずつです!」
早口で捲し立てるエヴァンさん。あぁ知ってる、この目は遺跡調査中に何度も見た研究者の目だ。
エヴァンさんが研究に集中したら中々中段させることが出来ないことも知っているので、皆はその提案に了承した。杖の研究は地下迷宮から出てからという条件をつけて。
その杖を誰かが使うにしてもその性能や効果を調べて貰えた方が良いだろうし、売却するにしても、簡単に街の武器屋に売れるようなモノでもないだろう。
「ありがとうございます!!それでは……」
エヴァンさんが手を伸ばし、慎重に台座の杖を手にする。
その途端、ガシャリという作動音が響き、続けてズズズッと音を立てて石壁が動いた。仄かな魔法の灯に照らされた石造りの通路、これが深層へと続く近道なのだろう。
「にひひ、門が開いたわ。さぁ、とっとと先に進むわよ」
嬉しそうな声に振り向くと、そこには既に通路へと踏み出したブレンダの姿があった。




