第四十九話 血濡れの月
血濡れた様に赤く丸い月が……世界を妖しく照らし出す。
地面に散る魔女草の青い花、狂暴化/バーサーク状態の魔獣、魔獣、魔獣、魔獣……
Grrrrrrrrr……
Guuuuhhhhhhh……
「Grrrrrr………………」
geehhh……
Garrrrrhhh……
魔獣達に共鳴するかの様に加わった新たな唸り声。
その唸り声を上げたルーシーの瞳は……夜空の月と同じように妖しく血濡れの赤に染まっていた。
「Gr……ヌ、rrヌィ……rr……お前ェ……達ハ………地下迷宮へ……rr……」
ルーシーは体を小刻みに震わせながら、その手中の青い花を握り潰す。
「行ケ……grrr…………コノ場ハ……任セ……ロ…………」
苦痛に耐えるように食い縛ったその歯には……剥き出しの鋭い牙が輝いていた。
「Gaaahhhhhhhh!!」
ルーシーの周囲に特大の血柱がドンッと上がった。更に途切れることなく場所を移しながら物凄い勢いで次々と吹き出す魔獣達の血飛沫。
「何だよ、これ」
「ル、ルーシー」
魔獣と戦い続けながらも、俺とアンジェはルーシーに起きた異変に戸惑いを抑えきれない。シャーロット達も驚愕の表情を浮かべてたまま、見開いた目で動く血柱を追う。
「っ、抑えきれなかったか……」
眉根を寄せるグレアム。
「だけど、戦力的には増強されたわ……好都合と見るべきかしら」
続く非常なローザの言葉。
「この花が……魔獣を……彼女を変貌させたって言うの?」
ブレンダが地に散らばる青い花を救い上げて見つめる。
まさか、ルーシーも魔女草の所為で狂暴化状態/バーサーカーになってしまったのか?
「た、助けなきゃ!で、でも、どうしたらいいの?ヌィ!?」
潤んだ瞳でアンジェが俺を見つめる。ゎう、どうしよう、ルーシーを正気に戻すには、落ち着かせるにはどうしたらいい?何か方法は……彼女を傷つけずにその暴走を止めるにはどうしたら……当て身で気絶させるか?いや、そんなの上手くいく訳がない。絞め落とす?それも半端な知識でやったら危険だ。いっその事、氷魔法で凍結させるか??
「ルーシーを置いてお前達は地下迷宮へ向かえ!ここに来たのには理由があるんだろ?」
「な、なに言ってるんだよリードっ!!」
リードは恐らくルーシーから俺達が地下迷宮深層へ向かうつもりだと聞いていたのだろう。けれどあんな状態のルーシーを放って置いて行くなんて……
「この場は俺達に任せろ」
「やるべきことがあるんでしょう?」
リードの声に同調するグレアムとローザ。
非常とも思えるその判断はハンターとしては正解なのだろう……でも……
「あぁ、それとティノも居残りだ」
「うんっ、わかったぁ。ヌィ達は先に行っててぇ!」
普段と変わらぬ調子でティノはリードに応える。
「心配するな、ティノはあの状態のルーシーに慣れてるからな」
顎を上げたリードはそう言って微笑んだ。
「「……?」」
周囲の魔獣を屠り、一人立つルーシーのシルエットが闇に浮かぶ。夜空を見上げる彼女の長い髪が跳ねて揺れ、その咢は大きく開かれた……
『AWOOOOOOOOoooo………………』
森に轟く獣の咆哮。
「ぁぉぉおぉおおぉん……っ!?」
ゎう、無意識で反射的にその遠吠えに応えてしまったが、我に返り声の主を追う。
赤い瞳と長い金色の髪を輝かせ、ルーシーは新たな獲物を求めて跳ねた。血濡れの赤く丸い月に浮かんだのは、変貌して半人半獣となったルーシーの姿だった。
「人狼/ワーウルフ!?」
アンジェの呟きがその正体を告げる。俺でも知ってるその生物は、どうやらこの世界に実在する存在らしい。
ルーシーが人狼であるという事実に驚かされたが、彼女の変貌が魔女草の所為では無いというのは朗報だ。その対処に慣れていると言うのならば、ルーシーのことは任せても大丈夫なのだろう。よかった……
「はぁぁ……やっと一息つけるわね」
「あぁ……俺も体力が落ちたか……」
荒ぶるルーシーとティノに戦場をしばし任せ、俺達はローザとグレアムの傍へと集った。
「詳しく話してる時間はないんだけれど、おれ達は地下迷宮の深層へ向かう」
「あぁ、おおよそのことはルーシーから聞いた」
「そうなの?」
俺の言葉にリードが頷き、皆に視線を向けたローザに頷くアンジェとシャーロット達。
「それで深層へは柱=ポーターを利」「無理よ」
俺は柱を使っての最短距離で向かうつもりだと告げようとしたのだが、その言葉はブレンダによって中断・否定された。
「散々試したわよ。だけど柱は全く反応しなかったわ」
「も、申し訳ないが、転移の仕掛けはまだ解明出来ていないんだ」
更に続いたブレンダとエヴァンさんからの言葉が、最短で黒竜の元へ辿り着くことは不可能であると告げた。
「それじゃぁ、一層ずつ」
「攻略して行くしかないっすか」
「急ぎましょう」
神殿へと向かって駆けだそうとする俺達に……
「ま、待ってくれ!」
停止の声が掛かる。
「ボ、ボクも、一緒に行こう」
「……エヴァンさんが?」
それは想定外のエヴァンさんからの同行の申し出だった。彼は学者で戦う力は無いし、その言葉と躰は震えていたが、彼はその意思をハッキリと示した。
「ん、ポーターは使えないけど、代わりの近道は見つけたらしい」
「門/ゲートの開け方はその学者先生しか理解ってないから」
身支度を整えながら補足したハンナとブレンダ。
「ん、護衛は任せて」
どうやら2人もここに残るつもりは無いようだ。
「さぁ、行ってこいっ!」
「神殿から溢れる魔獣の警戒と対処は元々俺達が受けた仕事だ」
「ルーシーの心配もいらないわ」
リード達の言葉に頷き、戦うルーシーとティノの姿を見つつも、俺達は近道があるという神殿の南東入口へ向かう。
「はぁっ!ところで……やぁっ!!今更だけど、どうしてこんな魔獣うじゃうじゃの状態になってるの?」
魔獣を掻き分けながら進む中でシャーロットが尋ねる。
「だああああああっ!!なんかガラが悪いハンターの仕業らしいわ」
「ん、山羊の刺青のハンター達だった、神殿へ入る所を見た」
「チッ、アイツ達の仕業っすか」
「グ、グレイバック商会の荷車だったから、頼んでいた機材が届いたとのかと思ったんだけど違っていたんだ」
「だぁぁぁああ!その中身が青い花だったみたいね」
王都で悪事を働いたハンター達、グレイバック商会の竜車。
北へ向かったと聞いて気になっていたその2件。
「そうですか、繋がってしまいましたね、やぁっ!」
きっとアイザックと山羊の刺青のハンター達も関係があるんじゃないだろうか。
「南東口はこの並びで月の石を捧げ……扉が開きます」
エントランスを通り抜け、続いて小部屋の仕掛けを作動させて壁の隠し扉を潜る。すると、そこには以前俺達が嵌ったのと同じ様な、ポーター=筒状の柱が並んでいた。
「ポーターは使えないんじゃ?」「こっちよ」
奥まった柱の前に立つブレンダが俺達を呼ぶ。
「ド!ドラゴン!?」
「お、落ち着くっす、シャーロットくらい小っさいから、こ、これくらいなら」
「はあぁ……2人とも落ち着いてください。アレは彫像ですよ」
その柱にはミニチュア、とは言ってもシャーロットと同じくらいのサイズの黒竜の彫像が置かれている。
「すぃませんん、動かすのをを……手伝ってぇ貰ぇますか、はっ、はぁぁ」
息切れ気味のエヴァンさんに手を貸し、俺も黒竜の彫像に手を添えて時計回りに、反時計回りにとその指示で動かす。
「開錠は……ですね、現在の月と星の位置が」「無駄話はいいから続けて」
仕掛けについての説明はブレンダによって遮られたが、何度か彫像の向きを変えるとカシャンという作動音と共に彫像の顎が開いた。
「ふぅぅぅ」
「ん…………終わった?」
我関せずと大槌に寄り掛かってウトウトしていたハンナも自分の口と目を開いた。
開錠はダイアル式金庫のようなものなのだろう。仕組みはエヴァンさんしか知らないと言っていたが、それは聞く気のある人がいなかった所為もあるんじゃないかな。
「では、この月の石にマナを籠めていただけませんか」
「あ、はい」
手渡された月の石、神殿入口を開くためにも使われた野球ボール大の丸い石をアンジェは両手で包み込む。
「今宵は満月なので、加減は気にせず一杯まで注いでください」
日の光を蓄えて白くぼんやり光っていたその石は、アンジェがマナを籠めると今夜の月の様に赤く染まった。しかし、開錠するには月齢の把握まで必要なんて確かに難解かな。エヴァンさんは良く調べ上げたものだと感心する。
「これで大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます。では動くので柱に触らないように気を付けてください」
エヴァンさんが彫像の黒竜に赤い月の石を咥えさせると、ズシンッと地が揺れて彫像の乗った柱がズリズリと緩やかに迫り上がり始めた。
「ふわぁっ!?」
突然の浮遊感にびくっとして思わず変な声が出てしまった。柱の上がる速度が上が……いや違う、床の方が、俺達の方が下がっている。この部屋自体がエレベーターみたいなもののようだ。
「ぷっ……くすくすっ」
噴き出したのはブレンダだ。ゎう、ちょっと格好悪いとこ見られた、恥ずかしい……
「はははっ」
けど……戦っている時に見せていた好戦的な笑みとは違う自然な笑み。そんなブレンダの笑顔を目にすることが出来、俺からも自然に笑みが零れた。
「ははははは……ふふふ、ぇっと……強くなったねブレンダ」
俺は戦いの最中には声に出せなかったその言葉を伝える。
「にひひ……それほどではないわ、まぁ、あんな変な声は出さないけど、ひひ」
ずっと気まずそうに俺達を避けていたブレンダ。彼女が言葉を返してくれたことが嬉しい。
「にひっ、でもあのナイフ捌きと反応の素早さ……ヌィこそ強くなってるじゃない。まだ追いつけないか……ふふっ」
そんな台詞を口にしながらもブレンダは嬉しそうに微笑み。そんなブレンダの様子にハンナとアンジェも頬を緩めた。
「そろそろです」
エヴァンさんの言葉と共に躰に掛かる圧迫感。落下の速度が徐々に緩やかになり、やがて静かに停止した。
「あの先が最初の門/ゲートです」
エヴァンさんの視線が示す先は石壁。その壁面には細かい回路の様な模様が刻まれ、中心には大きな丸い結晶が埋め込まれている。
「では……アンジェさん。すみませんがまた魔力が必要なので手伝っていただけますか」
「はいっ」
壁を見つめていたアンジェが僅かに緊張した面持ちを見せ、エヴァンさんに促されて共に壁際へと近付く。壁にそっと指先を当てると刻まれた回路にマナが流れ、ぼんやりと赤い光を放ち始める。二箇所、三箇所、エヴァンさんの示した溝に次々とマナが流れ、中心の結晶にマナが満ちていく。
「にひひっ……いよいよね」
右手のひらをポンポンと左拳で軽く叩き、ブレンダが嬉しそうに口角を上げる。その表情は、先ほど魔獣と戦っていた時に魅せていた不敵な笑顔。
マナで満たされた丸い結晶が、今宵の月の様に妖しく輝いた。




