第四十八話 長夜の夢を覚ます
大樹の木々が地に影を落とし、暗雲が立ち込め夜空の星を覆う。
深い闇が駆ける竜車の行く手に立ち塞がり進むのを拒み……静かに世界を浸食する。
「っつ……」
「ヌィ、痛いの?」
痛みに丸めた背に優しくそっと手が添えられる。
「ぁあ……ありがとうアンジェ」
俺は少し無理やりながらも微笑みを返した。
「同調した感覚も段々と薄れてきてるから……」
竜騎士としての素質を測ると何気なく試した竜との同調。だが、何故か俺の感覚は目の前にいる飛竜とではなく、王都から遠く離れた月の神殿、その最深層に佇む黒竜と繋がった。
同調した黒竜との感覚、その視覚に映ったのは……暗く濁った横長の瞳、湾曲した山羊角。それは月の神殿の遺跡調査隊を率いていた老学者アイザック。俺達を欺き、月の神殿地下迷宮の深層へと落としたその元凶、忘れもしないその姿だった。
続き否応なしに同調されたのは強烈な痛覚への刺激。
その苦痛をもたらしたのは目前にいるアイザック。その事実は同調した心に沸き起こる激しい怒りによりすぐさま認識させられた。
苦痛に苛まれる黒竜を救い、何をするつもりか知らないが恐らくは害悪であろうアイザック企みを阻止してなくては!
その為に俺達は……アンジェとティノ、ハンター講習から馴染みのフレアとレイチェル。王都で知り合い一緒に旅をしたリトルスクエアのシャーロット、カプリス、クロエ。そして庭師でありティノの師匠の孫娘ルーシー……皆で月の神殿へ向かっている。
「月の神殿までもう少しだ、更に飛ばすぞ」
フレアが握る手綱にマナを込めると、竜車を曳くラプトル達が速度を上げる。
──ぅぐっ……
強烈な痛みがまた俺を襲う。時間の経過によって同調の感覚も頻度も薄れているのは確かなのに……襲い来る痛みの刺激は深く鋭く増幅される。そのことが意味しているのは黒竜が更に酷い仕打ちを受けているということだ……っう……
「ねぇ、何か変だよっ」
ティノが竜車から身を乗り出して眉を顰める。月の神殿までもう間近、竜車が近くの村を過ぎてすぐのことだ。
「確かに……森が騒めいている」
続き、その異変を感知したらしいルーシー。
2人の言葉を聞いた俺も、痛みから意識を反らして感覚を周囲に向ける。
耳を澄ますと聴こえるのは枝葉が揺れて擦れる音。それは風が奏でる自然の音色とは異なる不協和音だった。
大きく息を吸うと鼻腔を刺激するのは沢山の獣の匂い、その獣達が……
「来るっ!!」
Kysheeeeeeeer!!
迫る脅威に怯えたラプトルが嘶きながら躰を反らし、竜車は大きく揺れて急停止した。御者台に座るフレアとレイチェルが、混乱するラプトルを鎮めようと握る手綱を懸命に引きマナを籠める。
guuuuuhh……
Gyeeehhhhhhh……
「……!!」
「はぁっ!」
guurrr……
geeeeh……
備える間も無く獣、魔獣の群れが雪崩のように押し寄せた。躊躇することなくすぐさま
跳び込んだのは2人。ルーシーが斬り込み、ティノが蹴り込む。
「何なのよっ、これぇえ!?」
「魔獣の群れの襲撃っすか!?」
「お、驚いてる場合じゃありません、私達も行きましょう!」
戸惑いを見せつつもシャーロット、カプリス、クロエが続いて竜車を降りて参戦する。しかし、それでもこれ程の数の魔獣を相手にするには全く手が足りそうにはない。
「っ、アンジェ、竜車を!」
「うんっ」
『Veter zashchita/風ノ守護/ウインドプロテクト』
竜車に向けて押し寄せる獣はアンジェの張った風の魔法で近づくことが出来ずに向かう先を逸らされて通り過ぎ、襲い掛かって来ていた魔獣達も皆のお陰で逃亡を始めた。
「ふぅ……よかったぁ、なんとかなりそうね」
「ふんっ、アタシ達に恐れをなしたみたいっすね」
「んーー本当にそうでしょうか?」
シャーロットが息をつき、カプリスは少し得意げな顔で武器を降ろすが、クロエは何かが引っ掛かるのか僅かに首を傾げた。
何が気に掛かっているのだろうかと魔獣が現れた様を思い起こす……栗鼠や兎のような小動物から、狐や鹿、熊の様な大型の獣とその種はバラバラで、その動きを見ても群れと呼べるような統率された行動ではなかった。
「怖かった……でも、まるで何かに怯えて追い立てられていたみたいだけど……」
レイチェルが両腕を抱き小さく震えながら呟く。
そう、獣達は逃げていたんだ。でも獣達が被害者なのだとしても、あの必死な狂気じみた行軍は傍観して無事でいられるようなモノでない。恐慌状態というモノだろうか……
「獣達が逃げて来た方って……」
「獣達が向かった方向って……」
「「「「はっ!?」」」」
「月の神殿が元凶か!」
「キャスの住む村が危ない!」
「神殿ならば元からの目的地か、急ごうティノ」
「うんっ」
「獣の暴走を村の人達に知らせないと!」
「あぁ。それならば、そのまま竜車で避難させた方がいいな。ヌィ、村のことは任せろ」
ルーシーとティノは神殿へ向けて駆け出し、竜車のレイチェルとフレアは踵を返す。
「フレァア、レイチェルゥ、村人達を頼むぅうう!」
「あぁあああ」「はぁぁあい」
村へ向かって遠ざかる竜車。村人を避難させなければならないならば、星降りの街に住むレイチェルと伯父の家があるフレアは適任だろう。
「みんなは神殿へ向かおう!」
「うん」「えぇ」「了解っす」「わかりました」
残る俺とアンジェとシャーロット達は、森の草木を薙ぎ倒して最短距離で進むルーシーとティノの後を追った。
Grrrrrrrrrrrrr……
Guuuuhhhhh……
grrr……
geeeehhhhh……
Garrrrrrhhh……
Grrrrrhhhh……
地の底から轟く唸り声に大地が揺れ、立ち込めるマナに大気が揺らめく。
「そんなぁあ、まだ、まだ星の結晶が足りないのに」
月の神殿、その地下迷宮から溢れ出す魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣……
アイザックによって月の神殿の封印は破壊され、地下迷宮の口は開け放たれてしまった。迷宮から魔獣達が溢れ出すのを防ぐには、四属性それぞれの力が籠った魔結晶=星の結晶が必要となる。
その為に俺達は旅をして来たのだけれど……遅かった……間に合わなかった……
蠢く魔獣達の目は血走り怪しく濁り、口の端から唾液を滴らせて牙を剥き出しにする。恐慌状態の獣達とは異なる状態だが、コイツラも正常じゃない。どうする……
「だだだだだっだぁあああああっ!」
Gyaaaa……hh……
ピクリと獣耳が動き、それを捉えた。
立ち尽くしていた俺に届いたのは怒号のような少女の叫び。
丸く拡がった瞳孔が暗闇を探る。
瞳に映ったのは暗闇を斬り裂く幾筋もの光=魔獣に向けて振るわれる剣の軌跡。
暗雲に覆われた宵闇に生じた僅かな切れ間。赤い月明りが……二振りの剣筋を追うように揺れる二筋の金色の髪、戦う小さな少女の姿を照らした。戦いの中で研ぎ澄まされたと思われるその剣捌き、勇ましいその姿に刹那見惚れるが……はっと我に返り俺もその戦場へと跳び込んだ。
少女の背後に迫る魔獣の牙をナイフで受け流し、振り下ろされた爪を狩る。俺の頭上に迫る魔獣の皮翼を少女の剣が斬り裂き、放たれた突きが撃墜する。
蠢き次々と襲い来る魔獣達の所為で会話を交わす余裕はないが、自然とお互いを補うように立ち回り魔獣を屠る。
狂暴化した魔獣達が蠢く最悪の中、戦う少女の瞳は鋭く標的を睨みつけるが、その口角は上がり、楽し気な表情を魅せる。
強くなったね……ブレンダ。
「グレアムゥ!ローザァア!」
大声を張り上げながら魔獣の群れに突進し蹴散らし突き進むティノ。その進む先には大盾を構えて魔獣の攻撃に耐える大男とブルウィップで地を鞭打ち魔獣を威嚇する女性の姿があった。ティノの育ての親のような存在であり前パーティ、ワールドガーデンの2人だ。
「はぁぁぁぁあああっ!!」
大きく振るったティノの回し蹴りとその衝撃が周囲の魔獣達を薙ぎ倒す。
「ティノッ!よくこの時に戻って来てくれたわ!」
「援軍……か、ありがたいぃい!」
「ぁ、ぁああぁあ、た、助かるのか?」
2人の後ろから聞こえた小さな震え声の主は調査隊助手だったエヴァンさんのようだ。事件後も封印を元通りにする為に1人残って月の神殿調査を続けてくれていた学者。封印の為には彼を失う訳にはいかないし、例えそうじゃなくても助けなくては。
ザザンッと振るわれた大鉈=マチェットが血飛沫を撒き散らす。
「ぅおお!?」
魔獣の返り血を浴びて驚きの声を上げたのは長剣の男。ワイルドガーデンリーダーのリードだ。
「……加勢する」
「なぁあ、ルーシーかっ!?」
大口を開けて戸惑いながらも、休むことなく長剣を振い戦うリード。流石はベテランハンターというところだろう。
「たああああああ」
『『Povysheniye /隆起/ライズ』』
少し気の抜けた掛け声と共に振るわれた大槌がズシンッと地を響かせ叩き石畳を砕き、続き重なった言葉が砕けた石畳を押し退けて地面を隆起させた。
上手くいったと微笑みあうのは機工士見習いのハンナとアンジェ。
魔獣の湧き出る神殿の口から続く階段の先に造られたその小山は、防波堤の様な役目で魔獣の氾濫、侵攻をいくらか阻害してくれるだろう。これならなんとかなりそうか……
「くっ、どれだけ沸けば気が済むんだよぉお」
倒せど倒せど神殿から溢れ出す魔獣の勢いは止まらない。
「新手か!?むぅ、コイツラ第二層の魔獣だぞっ」
リードにはその魔獣に見覚えがあるようだが……
「ぐっ、第二層の魔獣にしては凶悪過ぎだろ?」
「そうよね、まさか上位種?変異種?」
それに対してグレアムとローザは異論を唱える。確かに第二層なんて浅い階層にいる魔獣にしては凶暴過ぎる。
「……狂暴化/バーサークだよ、その原因も分かった……」
そう言葉にしたルーシーの手には、綺麗な青い花が握られている。青い花……何か何処かで聞いた気がする……
「魔女草……西部に拡がった青い花というのも……きっと、こ……れ…………」
そうか、思い出した。王都を離れ西へと向かったルーシーの祖父ガードナーさん。その目的が西部に拡がったという青い花についての調査だ。
雲に切れ間が生じ……血濡れた様に赤く丸い月が姿を魅せ……世界を妖しく照らし出す。
地面に散らばる沢山の青い花、この魔女草が興奮剤の様な効果をもたらし魔獣達の狂暴化と氾濫を引き起こしたって言うのか……
「ルーシー!ど、どうしたの!?」
驚きの声を上げるアンジェ。その見つめる視線の先は……手にした青い花を握りつぶすルーシーの姿。
Grrrrrrrrrrr……
Guuuuuuhhhhhhh……
「……gg…………gu……rr…………」
geehhhhh……
Garrrrrrrhhhhh……
魔獣達の声に新たな唸り声が重なる。
月を背に振り向いたルーシーの瞳は赤く血走り……妖しく俺を睨みつけた。




