第十話 牢獄の獅子
Gaaaaahhhhhhhhhh……
静寂を引き裂く咆哮、蜃気楼のように揺らめく炎の獅子の姿。
Grrrrrrr……
「ひぃっ……」
その唸り声は緋色の岩へと近づこうとしていたブリジットに向けられている。
「あ、慌てるなブリジット、相手は鉄格子の向こう側だ」
フレアは震えて今にも腰を抜かしそうなブリジットを引き寄せ、獅子から遠ざけた。
フレアの言う通り、獅子は最初にくぐったのと同じ金属の格子扉の向こう側で揺らめいている、こちらには出てこられないのだろう。
それに……この唸り声は俺たちへの敵意ではない気がする。
緋色の岩へ近づこうとしたことに対して唸ったのだろうが、それは何か……仲間に対して何か警戒を促しているのではないかと俺は感じた。
「私が行きます」
「リオ!?」
覚悟を決めた表情を見せたリオが岩へと近づく。その表情と突然の行動に止められる者はいなかった。
Grrrrrrrrrrrrr……
「もしかしたら、これこそが真の獅子の試練なのではないかと私は思うのです」
ゆっくりと星の結晶へと手を伸ばす……
Gaaaahhhhh!!
激しい獅子の咆哮と共に地面が揺れた。
全身に電気が走り、俺は咄嗟に飛び出した。
足元に走る地面の亀裂、緋色の岩が転がり、漆黒の巨大な影が這い出す。
しなやかな長い鞭のような何かがリオに襲い掛かる。
「リォォォオ!!!」
リオに向かい振り下ろされた鞭、飛び出した俺はリオを抱き攻撃を躱した。
だが、続いた攻撃で右腕に鋭い痛みを受け、背中に受けた鈍い衝撃と共に跳ね飛ばされた。それでもどうにかリオを庇い、抱えたまま地面を転がる。
「「「ヌィ!!」」」
「ううっ……」
荒れた岩肌の地面で肌を削り、背中から格子扉に衝突してその衝撃と共に停止した。
少しぼやけた視界にその光景が目に映る。
驚きと悲しみの混じった表情で手を伸ばし身を乗り出すアンジェ。
そのアンジェの背後から襲う漆黒の影、飛び出したティノがアンジェに抱き着いて庇い、鞭を受けて転がった。
更に襲い掛からんと鎌首をもたげた漆黒の影、その正体が浮かびあがる。
長い鞭のようなそれは触覚だろう、その根本では大鎌のような顎肢が左右に開く。
頑強そうな甲殻に覆われた数多の体節、そこから伸びる蠢く脚。
胴は一個の生物とは思えない程長く、尾の先にも鞭のような曳航肢が揺れて空を切る。
大百足……実際その巨体には百対どころではない数の脚が蠢いている。
剣を翳し、フレアが大百足に立ち向かった、唸る鞭と蠢く脚を躱し幾度も斬りかかる。
だが、甲殻は剣を弾き返し、脚を斬り落とせどその動きを停められそうにない。
耐えてフレア、俺もすぐに戦……あれ……焦点が合わず視界がぼやける。
立ち上がろうと地面に着いた右手が痺れ……力が入らない……
「がぁぁぁっつ」
右手を激痛が襲う。
肩口からついた浅い傷……傷の周辺の肌が赤く腫れている。
ヤラレタ……毒だ……触手を避けた後、顎肢で斬られたのだろう。
大丈夫、腰のバッグには毒消しがある……それを……くっ……伸ばした指先が震える。
動けない……皆は無事だろうか……
ティノは尾の攻撃からアンジェを庇い立ち回っているが、攻撃するだけの隙はなく、本体に近寄れないようだ。
ティノに抱えられたアンジェも魔法を打てるだけ集中できる状況ではない。
フレアはブリジットを庇いながらも大百足の攻撃を躱し、その脚を次々に斬り落としている。だが相手は1人で立ち向かうには巨大すぎる、体力を消耗し次第に動きのキレが落ちて行くのがわかった。
「ぐはっ……」
終に大百足の鞭を受けて崩れて膝をついた。
「まだだ……」
だが、躰を震わせながら剣を地面に突き立て起き上がる。
「まだ終われん……」
その目が赤く燃える様に輝き、獅子の印が四肢に光り浮かび上がった。
『これ以上……皆に手出しは……させん!』
Gyaaaaaaahhhhhhhhh……
爆発的な勢いで吹き上がった真っ赤な炎。その炎に包まれた大百足が身悶え、暴れた。
大地震のように坑道は揺れ、地面は割れ、天井が崩れる。
蝙蝠が騒ぎ、蜘蛛や鼠のような小動物の影が次々に逃げ場を探す。
大百足は炎に焼かれて苦しみながらもフレアに襲いかかろうと尾を振り上げる。
だが近づいた炎は勢いを増し、その鞭を焼き落した。
「きゃぁっ」
「ブリジットっ!?」
ブリジットがあげた悲鳴にフレアが反射的に振り返った。
その悲鳴は逃げ惑う虫か小動物に近づかれ驚いただけのようで、緊迫していたフレアの表情が僅かに緩む。
だが、その隙を大百足は逃がさなかった。
「ぐはっ……」
大百足が尾で弾き、砕けた岩が散弾のように広がって襲う。
フレアはその散弾からブリジットを庇い倒れた。
「「「フレアァァァァア!!」」」
倒れたフレアの姿に絶叫の声が重なる。
叫び声が消え、この絶望的な状況を静寂が包み込む。
その静寂を破ったのは小さな金属音、それに錆びついた金属の擦れる音が続く。
音の源は俺に抱きかかえられたままのリオが伸ばす指先……ゆっくりと格子扉が開いた。
『Grrrrrrrrrrr……』
獅子の唸り声……それはリオが開いた唇の奥より響いている。
ぼやけた俺の視界には……赤い炎の鬣を揺らめかせて立ち上がるリオの姿が映る。
その炎のような眼差しは倒れたフレアへ襲い掛かろうとする大百足へと向けられた。
『Gaaaaaahhhhhhhhhhhrr!!』
唸りは咆哮へと成り轟く。
跳び出したリオの指先から伸びた燃える獅子の爪が大百足の首をあっけなく落とした。
斬り離された躰は暴れ、勢いを増した炎に呑まれていく。
「「ヌィッ!」」
駆け寄るアンジェとティノの姿、滲む視界の中で僅かに焦点が合う。
「バッグに……毒消しが……」
「うんっ、待ってて」
アンジェは水魔法で傷口を濯ぎ、毒消しを流し込むように傷口にかける。
ティノは自分も怪我を負いながらも俺を心配して泣きそうな表情で見つめる。
次第に焦点を取り戻す視界には、地面で燻る大百足と炎の鬣を揺らすリオの姿が映った。
リオは大百足が動きを止めたことを見届けるとその場にゆっくりと座り込み、纏った炎は躰の内には収まっていく。
フレアはブリジットに手当を受けている、よかった、深刻な傷は負ってないみたい。
「……皆無事なようだな」
「えぇ」
「フレアとリオのお陰で助かったよ、ありがとう」
2人の活躍がなければ本当に危なかった、毒対策はしてるつもりだったのに……
アンジェとティノが普段のように戦えなかったのも俺の所為だ……
俺は改めて2人への感謝の気持ちを捧げた。
「アンジェ、ティノ、おれはもう大丈夫だけど、星の結晶を探すのはお願いしていいかな」
「「うん」」
地面のひび割れに呑まれたり、砕かれてしまってはいないだろうかと心配したが、アンジェが瓦礫に紛れたマナを感知し、ティノがそれを掘り起こした。
「すごい……星空みたいだね……」
「うん綺麗……」
それは黒い結晶の夜空に輝く星々のよう、中心に一際明るい赤い炎の星が輝いている。
ずっと見つめていたくなるような輝きは、月の神殿に惹かれる感覚にも似ている。
「……申し訳ございません、私の所為でフレア様を危険な目に合わせ、傷を負わせ……」
「気にするな、ブリジットや皆が無事でいてくれて何よりだ」
「でも……」
ブリジットは自分の悲鳴の所為でフレアに怪我をさせたと落ち込み、皆が慰めるがあまり効果はない。
「うーむ……どうしても気が済まないなら街へ戻ってから詫びをしてもらおうか」
「は、はいっ」
「「「え!?」」」
フレアの以外な言葉にブリジットは慌てて返事をし、リオを覗いた俺たち3人は驚く。
「そうだな、そこの緋色の鉱石で剣を打ってくれ」
「ええ!?それは詫びでなく、むしろご褒美で私などが……」
「フレアがこう言ってるの、受けてくれますよね」
「は、はいっ、なんとしてもご期待に添えるモノをお納めします」
リオの言葉に抵抗をやめ、ブリジットは覚悟を決めたような真剣な表情を見せた。
獅子の試練を終え、星の結晶を手に入れ、ついでに緋色の鉱石の採掘まで完了。荷物も纏めて後はさっさと帰るだけだ。
「でもまだなにか、濃いマナの流れを感じ……あっ」
アンジェの瞳が暗闇の先を見つめ言葉が途切れる。
開いた金属の格子扉の向こう側の地面に向けられた視線、そこには頑強そうな金属扉、まるで深い地中へと続く入口を封印しているかのようなソレがあった。
「み、見なかったことにしない?」
「何を言っているのかわからないな……さぁ帰ろう……」
扉の先には何かがある、誰しもがそう確信しているだろうがフレアの撤退の声に皆が続く。
これ以上進むには気力も体力も不足している、俺たちはその扉のことが気掛かりながらも坑道を後にした。
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澄んだ空気が肺を満たし、山の自然、木々や草花の香が鼻腔をくすぐる。
やはり地下から戻った後に感じるこの感覚は心地良い……
こうして獅子の試練を終え、護衛任務は無事達成した。
……守られていた方が多かった気もするが達成した。
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