第七話 ロッシの娘
「きゃぁっ」
豪雨のように降り注ぐ水飛沫、それは巨大なビーバーの魔獣アーヴァンクが湖へ逃げ込んであがったモノだ。
アンジェの魔法、炎の渦によってヤツに大ダメージを与えられると思ったが、これでは毛皮の表面を炙った程度かもしれない。
「な、なんですか、こればばばば……」
尋常ではない水の勢いと量に皆が戸惑う、これは単なる水飛沫ではなくフラッドクロコダイルの時と同じような魔法攻撃なのかもしれない。
「うぅわ……びしょびしょっすよ……ってわわっ」
豪雨がやむと全身ずぶぬれとなったカプリスが地面に転がった。
ぬかるんだ地面で足を滑らせてしまい泥人形と化した
「何やってるのよ、カプリスってば間抜けねぇぇえええ!?」
「ちょっとシャーロット掴まないでくださいぃぃい!!」
追加された泥人形2体、慌てる3人は普通ならば笑い話になるような恰好だが、今はそんな状況ではない。
「ヌィ、ティノ、足元に気を付けて!」
「うわぁ沈んでく、何これ泥沼!?」
アンジェが注意を促した時にはもう遅かった。
声をあげたティノの足は膝まで泥に沈み、俺は足場となる木の幹があり沈んではいないものの身動きが取れない。
「ここはアーヴァンクの巣、いや罠の上だっ」
液状化する地面、それはアーヴァンクが仕掛けた落とし穴のような罠だった。
おそらく湖上に木の幹で足場を組み、土をかぶせて普通の大地に見せかけたモノ。
獲物が乗ったところで水中から足場を崩し、泥で捕らえて引きずりこむ仕掛けだろう。
Nnnnnnnn……aaaahhhhh
先ほどの悲鳴とは異なる喜びの鳴き声と共にアーヴァンクが湖から再び姿を現した。
ヤツは捕らえられた獲物を吟味するように視線をゆっくりと動かす。
罠に捕らえられず最奥に位置するアンジェ、その手前の泥人形3体。
膝まで捕らえられたティノ、運よく土台の木の幹に立つ俺。
罠にかかった獲物は後回しという判断だろうか、視線は最後に向けられた俺に固定された。
Nnnnnnaaaahhhh
再び襲う水飛沫、いや豪雨の魔法と共にアーヴァンクは泥地へとその巨体を乗り出した。
豪雨自体でのダメージはない、だが足場はぬかるみ、視覚も聴覚も嗅覚も感覚が鈍る。
来る、ぼやけた視界に泥を滑って突進するアーヴァンクの姿を辛うじて捕らえた。
「うわぁっ、あぶなっ」
突進により俺の立っていた足場は崩れ、足をすくわれた。
Gyaaaaaaaahh!!
あがったのはアーヴァンクの悲鳴だ。
俺は衝撃の勢いに紛れて宙に跳ね、躰を捻り、落下しアーヴァンクの背へ。
ヤツに跨り、構えていたナイフはヤツの首筋へ深く突き刺さる。
Gyeeeeeehhhhhhhhhh!!
暴れるアーヴァンク、だが暴れるほどナイフは奴の身を切り裂き、深く突き刺さる。
アーヴァンクは圧し潰そうと躰を傾けるが、俺は跨ったままヤツの躰の上で躱し、何度もナイフで切り裂く。
ティノだったら初めの一撃、踵落としや膝落としで格好良く一撃で決めていただろうが、俺のナイフではそうもいかないようだ、跨ったままの勢いのない攻撃では威力が弱く、勝負は泥仕合へと突入した。
▶▶|
「はぁぁ……終わった……」
結果は引き分け、とはならず無事に俺は勝利を収めた。
「ヌィへいき?」
心配そうに眉を下げるアンジェ、彼女は豪雨攻撃自体を躱したようでノーダメージだ。
「やったぁ、無事仕留めたね」
喜ぶティノは腰まで泥にはまって動けない様子、だが彼女も怪我などはなさそう。
「「「…………」」」
問題はリトルスクエア3人、もうどこまでが躰かさえ識別が難しい泥団子だ。
まずはこちらの救出が優先だろう、放っておくとこのまま沈んでいくかもしれない。
「助かります……わわっ……すみません泥に足をとられて」
助け出そうと手を引くと、倒れそうになり正面から俺に抱き着くクロエ。
「だ、だいじょうぶだから、落ち着いて……」
大きく柔らかい膨らみが泥でぬるぬると……お、落ち着いて俺。
アンジェや周りの視線を気にし、尻尾にも感情が現れないように心を静め、慎重に救出を進める。
「……申し訳ないっす」
「ありがと、助かったわ」
カプリス、シャーロットとぬかるみから抜け出せない2人も続けて無事救出。
泥まみれでぬるぬると抱き着かれる感覚には慣れないが、ドキドキは段々収まってきた。
感情の制御がうまくできてきたのだろう、決して大きさに比例してドキドキ度合いが変わったとかではないと思う、体力を消耗してそれどころじゃなくなって来た所為もあるかも。
「さすがに疲れた……」
全員の救出を終えるとくたくたで起き上がるのにも一苦労。
近くに転がる木の枝を支えに立ち上がると、それは探していた杖の木の枝だった。
丁度いい、これをお婆さんに持って帰ろう。
その後、順番にアンジェの水魔法で泥を洗い流し、皆でロッジへと戻った。
▶▶|
「よかった、水が流れてきてるわね」
ロッジの水回りを確認したシャーロットが安堵の声をあげる。
「アーヴァンクの巣が水路を堰き止めていたという訳ですね」
「いやぁ本当直って良かったっす、もう安心っすよ」
クロエの言葉にカプリスも頷き微笑む。
「本当に何から何まで済まないねぇ、ありがとぉねぇ」
新しい杖とアンジェに支えられて涙を零すお婆さん。
体力も大分回復した様子で顔色は良い、これならもう安心だろう。
その後、リトルスクエアの3人とティノは狩りへと出かけた。
今回は出番がなかったし、前回の狩りもうまくいかなかったので挽回したいのだろう。
ちなみに泥だらけのアーヴァンクには皆あまり食欲がわかなかったようで放置、毛皮も燃えていたので戦利品は魔結晶と退治の証に剥いだ切歯のみだ。
俺とアンジェはロッジの掃除をしながら待ち、しばらくするとティノ達が鹿を数頭抱えてほくほくで戻ってきた。
▶▶|
「ありがとぉねぇ、気を付けて行くんだよ」
翌朝、元気になったお婆さんに見送られて俺たちはロッジを発った。
ロッジには娘さん夫婦が時々様子を見に来るそうなのでもう安心してもいいだろう。
途中、2つほど山を越える必要があるが、パレットの曳く竜車は難なく山道進む。
お昼に寄った水辺ではティノのごはんがおさるに盗られそうになるなどもあったが、その後は平穏、山越えを終えて平坦な道を平和に進む。
「見えてきたっ、あれがリオーネの街だよ」
竜車からティノが身を乗り出し、他の面々もつられて顔を出す。
「うわぁ……綺麗ね」
夕日に染められた雄大な山々と赤い石造りの建物にシャーロットが感嘆の声を洩らす。
ここに来るまでに越えた山とは比べ物にならない程の高さの山々。
このどれかが火の山なのだろうが、激しい噴煙をあげる活火山という訳ではなさそうだ。
街は星降りの街よりも小さいが建物は立派で頑強そうな造りをしている。
石畳の路、灯り始めた街灯、大きな門をくぐり、入口傍にあるハンターギルド脇へ竜車を停めた。
「じゃぁ私達は先に宿を探しに行くわ」
「また後でっす」
「では失礼します」
ここでお別れという訳ではないが、街にいる間はリトルスクエアとは別行動、彼女たちは周辺の森で狩り、俺たちは情報を集めてから火の山探索に向かうつもりだ。
リトルスクエアは宿へ向かい、俺たちワイルドフラワーズはギルドの扉をくぐった。
ギルドも立派な石造りだが、王都のギルドを見たばかりだからか少し小さく感じる、時間の所為もあるかもしれないがハンターの姿はまばらだった。
「すいません、しばらくこの付近に滞在することになるんですけど」
「はーい、少々お待ちください」
姿の無い受付へ声をかけると、奥の扉が開き職員らしき女性が現れた。
「ティノさん!ティノさんじゃないですか!」
「トリルビィ、久しぶりだね」
満面の笑みで応えるティノ、そういえばティノはここへ来たことがあると言っていた、どうやら彼女は知り合いらしい。
「よかった、着いて早々ですが、是非受けていただきたい依頼があるんです!!」
「え?え?」
「ちょうど依頼主の使いの方がお見えになっているのでお話を聞いてください」
その小柄な職員に手を引かれるまま連行されるティノ。
俺とアンジェは顔を見合わせながらも、困惑顔のティノに続いた。
▶▶|
「それでは、正式にはディナーの席で旦那様からお話をさせていただきます」
丁寧な口調で黒服の男性は告げ、礼儀正しく洗練された所作で頭をさげる。
外はもうすっかり薄暗くなっているが、ここ室内は煌々と照らされている。
透明度が高く厚みのあるガラス窓、白く透き通ったカーテンと重なる赤いベルベットのようなカーテン。
壁には油絵のような風景画とくっきりとこちらを映す鏡、どちらもその淵は繊細な模様で縁取られている。
金糸の刺繍が飾る白いクロスで包まれた大きなテーブルには果実水や軽食が並ぶ。
大きめのソファーに腰を下ろすと、ゆっくり深く包み込むように躰が沈んだ。
なにこれ落ち着かない……
俺たちはいつの間にかこの豪華な部屋、高台のお屋敷へと連れてこられていた。
「それまでどうかお寛ぎくださいませ、ご希望であらば湯浴みもできますがいかがでしょうか?」
「!!それってもしかして」
慣れない雰囲気に緊張していた俺だが、その言葉には思わず跳び付いてしまった。
部屋は香しい果実や花の香で溢れているが、その中に微かに混ざる匂いが気になっていた。
「えぇ当地自慢の温泉です、お嬢様方は大浴場を、殿方は個室へとご案いたします」
あぁ……この独特の匂い、旅と言えば温泉だよね、でもこんな異世界で堪能できるとは。
浴室は湯気で満たされ、その熱気が伝わる、温かい湯につかれば旅の疲れもふっとぶだろう、そう考えたら思わず笑みがこぼれる。
そんな風に浮つき温泉の匂いに誤魔化されていた所為だろうか、目の当たりにするまで俺はその存在に気が付かなかった。
湯気の中に浮かぶぼんやりとした人影、赤い髪、透き通った白い背中。
フレア?……それは星降りの街でハンター講習を共にした友人の姿。
彼もこちらに気づき、半身を向けて振り返る。
え?
湯気に映るシルエット、それは少年には無いはずのなだらかな膨らみを帯びていた。
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